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第三章 トロピカル・カタストロフィー
第27話 明確な意思
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ポルタス・レオニスの地下街。
守衛室に身を隠していたジミー・マッケイガン神父は身に差し迫る明らかな異変を感じ取っていた。
守衛室の中には彼の他に、甘太郎が連れてきた運転手の男がベッドに横たわっている。
先ほどから守衛室の外では感染者らが上げる叫び声や、彼らが暴れている騒音が聞こえてくるものの、幸いにして神父らが守衛室の中に隠れていることは気づかれていないらしく、中に踏み込まれることはなかった。
だが、神父の顔色はすぐれなかった。
むしろ焦燥感に彩られているほどだ。
「魔気が……異常な魔気が膨張している」
カントルムの一員である彼は確かに感じ取っていた。
今いる場所からわずかに離れた位置より深く強く濃い異常な魔気が近づいてくることに。
今こうしている時でさえ、空間の中で徐々に濃度を増していく魔気が肌を炙り、神父は全身の毛が逆立つような感覚を覚えている。
その感覚は一呼吸ごとに強くなり、そして異変は静かに、だが確実に彼の眼前まで差し迫ってきた。
不意に守衛室の外の様子が変わった。
外にいる感染者たちの声が徐々に聞こえなくなっていく。
彼らが喚きたてていた騒々しさが消え去っていく。
「ち、近づいてくる!」
神父は緊張の面持ちで身構えた。
静寂が辺りを支配した。
1秒……5秒……10秒と息苦しい時間が過ぎていき、唐突に守衛室の壁が黒く染まった。
そして黒い液体が染み出すようにして、床一面を黒く染めていく。
まるで浸水のように部屋を侵していく。
「ま、魔気の……水?」
神父は驚愕の表情で後ずさった。
床を濡らしながら神父に迫ってくるその黒い水は、部屋に置かれている備品の小型ロッカーやパイプ椅子などを次々と飲み込んでいく。
「ぶ、物質が飲み込まれていく」
神父は目の前の奇怪な様子に息を飲んで立ち尽くした。
魔気の水によって黒く染まった床は、それ自体が底なし沼のようになって床の上に置かれたものを次々と飲み込んでいく。
神父として数々の悪魔と対峙してきたマッケイガンだったが、その彼をもってしても初めて見る超常現象を前にして、己の無力を悟らざるを得なかった。
「神よ。これが悪魔の力なのですか。神の御心に触れる身でありながら、隣人を助けることもままならず天に召されることが無念ですが、これも我が運命」
そう言うと神父はチラリと後ろを振り返り、ベッドに横になる運転手を見て申し訳無さそうに目を伏せた。
「この方だけでも助けたかったが、力及ばず申し訳ない」
そう言うと神父は横たわる運転手を守るようにして、彼の前に毅然と立った。
それが全てを飲み込む黒い水の前ではまったくの無意味であると知りながら。
そして神父は両手を組み合わせて祈りの姿勢のまま、最後の時を迎えようとしていた。
黒い水は神父の足元に迫り、その身を飲み込もうとした。
「……?」
死の瞬間を待つマッケイガン神父だったが、その顔が意外な驚きの色に染まった。
黒い水は神父の足先で不意に進行をに止めたのだ。
そしてしばらくその場で留まると、まるで潮が引くように後ろへと下がっていく。
「ど、どういうことでしょうか」
神父は自らの命が助かったことの安堵よりも、眼前の光景を信じ難い思いが強く、その目をしばたかせていた。
全てを飲み込む不条理な水だと思っていたそれは、神父を前にして引き下がっていったのだ。
まるで黒い水それ自身が明確な意思を持っているかのように。
マッケイガン神父は呆然と呟きを漏らす。
「我が神よ……まだ、この老体には成すべきことが残っているということでしょうか」
戸惑いの中にも再び生きる活力をその目に宿し、マッケイガン神父は固く両手を組み合わせて己が信じる神に祈りを捧げるのだった。
守衛室に身を隠していたジミー・マッケイガン神父は身に差し迫る明らかな異変を感じ取っていた。
守衛室の中には彼の他に、甘太郎が連れてきた運転手の男がベッドに横たわっている。
先ほどから守衛室の外では感染者らが上げる叫び声や、彼らが暴れている騒音が聞こえてくるものの、幸いにして神父らが守衛室の中に隠れていることは気づかれていないらしく、中に踏み込まれることはなかった。
だが、神父の顔色はすぐれなかった。
むしろ焦燥感に彩られているほどだ。
「魔気が……異常な魔気が膨張している」
カントルムの一員である彼は確かに感じ取っていた。
今いる場所からわずかに離れた位置より深く強く濃い異常な魔気が近づいてくることに。
今こうしている時でさえ、空間の中で徐々に濃度を増していく魔気が肌を炙り、神父は全身の毛が逆立つような感覚を覚えている。
その感覚は一呼吸ごとに強くなり、そして異変は静かに、だが確実に彼の眼前まで差し迫ってきた。
不意に守衛室の外の様子が変わった。
外にいる感染者たちの声が徐々に聞こえなくなっていく。
彼らが喚きたてていた騒々しさが消え去っていく。
「ち、近づいてくる!」
神父は緊張の面持ちで身構えた。
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1秒……5秒……10秒と息苦しい時間が過ぎていき、唐突に守衛室の壁が黒く染まった。
そして黒い液体が染み出すようにして、床一面を黒く染めていく。
まるで浸水のように部屋を侵していく。
「ま、魔気の……水?」
神父は驚愕の表情で後ずさった。
床を濡らしながら神父に迫ってくるその黒い水は、部屋に置かれている備品の小型ロッカーやパイプ椅子などを次々と飲み込んでいく。
「ぶ、物質が飲み込まれていく」
神父は目の前の奇怪な様子に息を飲んで立ち尽くした。
魔気の水によって黒く染まった床は、それ自体が底なし沼のようになって床の上に置かれたものを次々と飲み込んでいく。
神父として数々の悪魔と対峙してきたマッケイガンだったが、その彼をもってしても初めて見る超常現象を前にして、己の無力を悟らざるを得なかった。
「神よ。これが悪魔の力なのですか。神の御心に触れる身でありながら、隣人を助けることもままならず天に召されることが無念ですが、これも我が運命」
そう言うと神父はチラリと後ろを振り返り、ベッドに横になる運転手を見て申し訳無さそうに目を伏せた。
「この方だけでも助けたかったが、力及ばず申し訳ない」
そう言うと神父は横たわる運転手を守るようにして、彼の前に毅然と立った。
それが全てを飲み込む黒い水の前ではまったくの無意味であると知りながら。
そして神父は両手を組み合わせて祈りの姿勢のまま、最後の時を迎えようとしていた。
黒い水は神父の足元に迫り、その身を飲み込もうとした。
「……?」
死の瞬間を待つマッケイガン神父だったが、その顔が意外な驚きの色に染まった。
黒い水は神父の足先で不意に進行をに止めたのだ。
そしてしばらくその場で留まると、まるで潮が引くように後ろへと下がっていく。
「ど、どういうことでしょうか」
神父は自らの命が助かったことの安堵よりも、眼前の光景を信じ難い思いが強く、その目をしばたかせていた。
全てを飲み込む不条理な水だと思っていたそれは、神父を前にして引き下がっていったのだ。
まるで黒い水それ自身が明確な意思を持っているかのように。
マッケイガン神父は呆然と呟きを漏らす。
「我が神よ……まだ、この老体には成すべきことが残っているということでしょうか」
戸惑いの中にも再び生きる活力をその目に宿し、マッケイガン神父は固く両手を組み合わせて己が信じる神に祈りを捧げるのだった。
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