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第三章 トロピカル・カタストロフィー
第25話 サヨナラ甘太郎
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自分自身が闇穴に捕縛されるという初めての経験に戸惑いながら、甘太郎は修道女を見上げて睨みつける。
「あ、あんた……何者だ?」
動揺する甘太郎の問いに修道女は流麗に笑って見せる。
「私が何者かって? ずいぶんと深い質問だこと。そうね。今のこの体の名前はフランチェスカ。数年前に間借りしたばかりの体だけど、私に乗っ取られる前はなかなか有能な貿易士だったらしいわよ」
その言葉の真偽は甘太郎には判断がつかなかったが、黒幕に会ったら言ってやりたいことは山ほどあった。
「ずいぶんと馬鹿げたことをしてくれたな。何が目的なんだよ。迷惑だから今すぐやめてもらえないか?」
怒りのこもった甘太郎の問いにもフランチェスカはまるで生徒の質問に答える教師のごとく、当然のように言葉を返す。
「悪魔にも向上心ってものがあるのよ」
「何だって?」
いぶかしむ甘太郎にフランチェスカは腕組みをして話を続ける。
「私がこの闇穴の力を得た当時は、この力を使って人間を吸い込みまくって遊んだものよ。馬鹿な人間どもは『神隠し』なんて言って騒いでたけど、まさか悪魔の仕業だったとは思わなかったでしょうね」
楽しい思い出話を披露するかのようにフランチェスカは話を続ける。
「でも、この力にもすぐに飽きたわ。私が最近、手に入れたのがこのブレイン・クラッキングの力。あなたたちの想像通り、人間どもの使うパソコンの事例からヒントを得て、それに悪魔憑きの力を応用して編み出したものよ」
そんな彼女の口振りに甘太郎は苛立ちを吐き捨てるように言う。
「あんたの苦労話はどうでもいい。何の理由があって人を迫害するんだ」
「理由ですって? そんなの楽しいからに決まってるじゃない。常に新たな悪意と脅威を人間世界に撒き散らすこと。それは私のライフワークなの」
当たり前のようにそう言ってのけるフランチェスカに甘太郎は噛み付くように言った。
「それで悪魔の向上心か。ヘドが出るぜ」
甘太郎の怒りなどどうでもいいと言わんばかりにフランチェスカは彼の近くにしゃがみ込む。
そして左手で甘太郎の髪の毛をつかんで頭部を固定した。
「虚勢を張ってカワイイわね。坊や。目玉をくり抜かれたら泣いて許しを乞うかしら?」
そう言うとフランチェスカは懐に隠し持っていたナイフを手にして、その刃先を甘太郎の眼球に向けた。
鋭い刃を目の当たりにして、甘太郎は恐怖に胸が締め付けられるのを感じながらも必死に耐える。
怯えを前面に出さないよう、歯を食いしばった。
「あなたをブレイン・クラッキングして私の部下にしたら有能な右腕になりそうね」
そう言うフランチェスカだったが、甘太郎はフンッと鼻を鳴らした。
「無駄だ。俺の脳にはもう抗体が組み込まれてる。あんたの思い通りにはならない」
そう言う甘太郎の頬にフランチェスカの持つナイフの先端がプツリと突き刺さる。
ほんの数ミリ刺されただけだったが、鋭い痛みに甘太郎は顔をしかめた。
恐怖に顔が引きつらないようにするのが精一杯だった。
「そう。なら自発的に私の部下にならないかしら?」
フランチェスカはナイフを甘太郎の頬から離すと、あやしげな笑みを浮かべた。
それは見るものを甘く誘う、蠱惑的な笑みだった。
だが、甘太郎は自らの心を律して、せめてもの抵抗として誇りを示すように毅然と言い放つ。
「クソ喰らえ」
間髪入れずに断言する甘太郎の言葉を予想していたのか、フランチェスカは気分を害した様子もなく大仰に肩をすくめてみせる。
「残念だわ。こっちに引き入れられないのなら、あなたは邪魔者でしかない。ここで殺させてもらわよ」
そう言うフランチェスカの瞳に殺気が宿るのを甘太郎は感じた。
先ほどから彼女の顔は不敵な笑みをたたえたままだったが、先ほどまでとは明らかに目の光が違った。
脅しでもハッタリでもない。
フランチェスカは今、ここで確実に自分を殺そうとしている。
甘太郎は直感的にそれを感じ取り、いよいよ覚悟を決めた。
(ああ。死ぬのか。こんなナイフで刺されて死ぬなんて相当痛いんだろうな。ああ。嫌だ。死ぬのは怖い。それに……恋華さんにもう会えなくなる。恋華さんを守れなくなる。もう一度、恋華さんに会いたかったぜ……)
甘太郎の胸にそうした念が渦巻き、風に吹かれて消えるロウソクの火のように、生きる希望が弱く細くしぼんでいく。
そんな甘太郎の死の覚悟と絶望を読み取ったのか、フランチェスカはご馳走を目の前にしたかのように顔を輝かせて言った。
「ああ、そうそう。あなたが必死に守ろうとしていたお姫様。今は追い詰められて絶体絶命の状況よ。もう死んでるかも。一生懸命守ろうとしたのに残念ね。ぜ~んぶ無駄になっちゃった」
「なっ……」
甘太郎は弾かれたように両目を見開いた。
「れ、恋華さんが……クソッ!」
そう言う甘太郎だったが、体は身動きひとつ取れず、目の前のナイフが放つ鋭い光によって牽制されたまま顔も動かせない。
「彼女、すごく苦しめてから殺してあげるわ。あの女がズタズタに引き裂かれて泣き叫びながら死んでいく様子を想像すると楽しいわよね」
フランチェスカの言葉に、甘太郎は激しく心が揺さぶられるのを感じた。
怒り。
焦り。
恐怖。
それらの感情がない交ぜとなり、激しい炎となって彼の心を強く炙る。
「恋華さんを傷つけたら……おまえを殺すぞ!」
強い憎悪の念が込られた甘太郎の怒りの視線を受けても、フランチェスカは涼しげな表情を崩さずに言葉を返す。
「よほど大事なのね。あの女が。でももうオシマイ。あの女の人生もあなたの人生もここでジ・エンド」
面白がるようにそう言うフランチェスカに、甘太郎は胸の中の炉が燃え立つような怒りを覚えて震えた。
強い激情が甘太郎の全身を支配していた。
そんな甘太郎の激しい怒りすら、フランチェスカにとってはご馳走に味付けを加える極上の調味料でしかなかった。
「サヨナラ。アマタロウくん」
そう言うとフランチェスカは静かに、だが容赦なく甘太郎の喉にナイフの刃をズブリと突き立てた。
「あ、あんた……何者だ?」
動揺する甘太郎の問いに修道女は流麗に笑って見せる。
「私が何者かって? ずいぶんと深い質問だこと。そうね。今のこの体の名前はフランチェスカ。数年前に間借りしたばかりの体だけど、私に乗っ取られる前はなかなか有能な貿易士だったらしいわよ」
その言葉の真偽は甘太郎には判断がつかなかったが、黒幕に会ったら言ってやりたいことは山ほどあった。
「ずいぶんと馬鹿げたことをしてくれたな。何が目的なんだよ。迷惑だから今すぐやめてもらえないか?」
怒りのこもった甘太郎の問いにもフランチェスカはまるで生徒の質問に答える教師のごとく、当然のように言葉を返す。
「悪魔にも向上心ってものがあるのよ」
「何だって?」
いぶかしむ甘太郎にフランチェスカは腕組みをして話を続ける。
「私がこの闇穴の力を得た当時は、この力を使って人間を吸い込みまくって遊んだものよ。馬鹿な人間どもは『神隠し』なんて言って騒いでたけど、まさか悪魔の仕業だったとは思わなかったでしょうね」
楽しい思い出話を披露するかのようにフランチェスカは話を続ける。
「でも、この力にもすぐに飽きたわ。私が最近、手に入れたのがこのブレイン・クラッキングの力。あなたたちの想像通り、人間どもの使うパソコンの事例からヒントを得て、それに悪魔憑きの力を応用して編み出したものよ」
そんな彼女の口振りに甘太郎は苛立ちを吐き捨てるように言う。
「あんたの苦労話はどうでもいい。何の理由があって人を迫害するんだ」
「理由ですって? そんなの楽しいからに決まってるじゃない。常に新たな悪意と脅威を人間世界に撒き散らすこと。それは私のライフワークなの」
当たり前のようにそう言ってのけるフランチェスカに甘太郎は噛み付くように言った。
「それで悪魔の向上心か。ヘドが出るぜ」
甘太郎の怒りなどどうでもいいと言わんばかりにフランチェスカは彼の近くにしゃがみ込む。
そして左手で甘太郎の髪の毛をつかんで頭部を固定した。
「虚勢を張ってカワイイわね。坊や。目玉をくり抜かれたら泣いて許しを乞うかしら?」
そう言うとフランチェスカは懐に隠し持っていたナイフを手にして、その刃先を甘太郎の眼球に向けた。
鋭い刃を目の当たりにして、甘太郎は恐怖に胸が締め付けられるのを感じながらも必死に耐える。
怯えを前面に出さないよう、歯を食いしばった。
「あなたをブレイン・クラッキングして私の部下にしたら有能な右腕になりそうね」
そう言うフランチェスカだったが、甘太郎はフンッと鼻を鳴らした。
「無駄だ。俺の脳にはもう抗体が組み込まれてる。あんたの思い通りにはならない」
そう言う甘太郎の頬にフランチェスカの持つナイフの先端がプツリと突き刺さる。
ほんの数ミリ刺されただけだったが、鋭い痛みに甘太郎は顔をしかめた。
恐怖に顔が引きつらないようにするのが精一杯だった。
「そう。なら自発的に私の部下にならないかしら?」
フランチェスカはナイフを甘太郎の頬から離すと、あやしげな笑みを浮かべた。
それは見るものを甘く誘う、蠱惑的な笑みだった。
だが、甘太郎は自らの心を律して、せめてもの抵抗として誇りを示すように毅然と言い放つ。
「クソ喰らえ」
間髪入れずに断言する甘太郎の言葉を予想していたのか、フランチェスカは気分を害した様子もなく大仰に肩をすくめてみせる。
「残念だわ。こっちに引き入れられないのなら、あなたは邪魔者でしかない。ここで殺させてもらわよ」
そう言うフランチェスカの瞳に殺気が宿るのを甘太郎は感じた。
先ほどから彼女の顔は不敵な笑みをたたえたままだったが、先ほどまでとは明らかに目の光が違った。
脅しでもハッタリでもない。
フランチェスカは今、ここで確実に自分を殺そうとしている。
甘太郎は直感的にそれを感じ取り、いよいよ覚悟を決めた。
(ああ。死ぬのか。こんなナイフで刺されて死ぬなんて相当痛いんだろうな。ああ。嫌だ。死ぬのは怖い。それに……恋華さんにもう会えなくなる。恋華さんを守れなくなる。もう一度、恋華さんに会いたかったぜ……)
甘太郎の胸にそうした念が渦巻き、風に吹かれて消えるロウソクの火のように、生きる希望が弱く細くしぼんでいく。
そんな甘太郎の死の覚悟と絶望を読み取ったのか、フランチェスカはご馳走を目の前にしたかのように顔を輝かせて言った。
「ああ、そうそう。あなたが必死に守ろうとしていたお姫様。今は追い詰められて絶体絶命の状況よ。もう死んでるかも。一生懸命守ろうとしたのに残念ね。ぜ~んぶ無駄になっちゃった」
「なっ……」
甘太郎は弾かれたように両目を見開いた。
「れ、恋華さんが……クソッ!」
そう言う甘太郎だったが、体は身動きひとつ取れず、目の前のナイフが放つ鋭い光によって牽制されたまま顔も動かせない。
「彼女、すごく苦しめてから殺してあげるわ。あの女がズタズタに引き裂かれて泣き叫びながら死んでいく様子を想像すると楽しいわよね」
フランチェスカの言葉に、甘太郎は激しく心が揺さぶられるのを感じた。
怒り。
焦り。
恐怖。
それらの感情がない交ぜとなり、激しい炎となって彼の心を強く炙る。
「恋華さんを傷つけたら……おまえを殺すぞ!」
強い憎悪の念が込られた甘太郎の怒りの視線を受けても、フランチェスカは涼しげな表情を崩さずに言葉を返す。
「よほど大事なのね。あの女が。でももうオシマイ。あの女の人生もあなたの人生もここでジ・エンド」
面白がるようにそう言うフランチェスカに、甘太郎は胸の中の炉が燃え立つような怒りを覚えて震えた。
強い激情が甘太郎の全身を支配していた。
そんな甘太郎の激しい怒りすら、フランチェスカにとってはご馳走に味付けを加える極上の調味料でしかなかった。
「サヨナラ。アマタロウくん」
そう言うとフランチェスカは静かに、だが容赦なく甘太郎の喉にナイフの刃をズブリと突き立てた。
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