67 / 105
第三章 トロピカル・カタストロフィー
第22話 来訪者
しおりを挟む
『お願いしたいことがあります』
八重子は確かにその声を聞いた。
だが、違和感を感じたのはその声が耳で聞いた声ではなく、頭の中でささやかれるような不思議な声だったためだ。
「……誰?」
八重子は努めて落ち着いた口調でそう尋ねる。
すると八重子の部屋の壁から一人の男がスッと姿を現し、八重子の前に立った。
それは黒い礼服に身を包んだ初老の男だった。
黒いネクタイをキッチリ結び、白髪を丁寧に撫で付けたその男は、腰を折って八重子に丁重に頭を下げた。
「夜分に突然の訪問、非礼をお許し下さい」
さすがに面食らった八重子だったが、彼女も霊医師として非日常の世界を垣間見る立場の人間であるため、その来訪者に落ち着いた口調で尋ねた。
「端的に教えてもらいたいんだけど、あなたは悪魔とか呼ばれる存在?」
来訪者はゆっくりと頷いた。
『そうした存在でしたが、随分と前に命を終えて、今は実体のない意識のみの存在となっております』
そう言う男の言葉を疑う素振りも見せずに、八重子はあっさりと頷いた。
「なるほど。悪魔の幽霊ってわけ。喪服ってところがなかなかユーモラスね」
『迅速なご理解、助かります』
「急ぎの話かしら?」
八重子の問いに来訪者は悠然と頷く。
『酒々井甘太郎殿のことで』
それから来訪者は手短に自分と甘太郎との関係について八重子に聞かせた。
甘枝の暗黒炉を甘太郎に引き継いだのはこの男であることも八重子はじっと黙って聞いていた。
『談合坂八重子さま。あなたは酒々井甘枝殿の心象世界である庭園のことを知った。そこまでご存知ならば今後、甘太郎殿の身に起きることが予想できるはず』
来訪者の言葉が八重子の思考の中から言葉を導き出した。
「甘枝さんの隠し場所である庭園は、彼女の心象風景ってことか。そして甘太郎にも同じような心象世界があるってことね?」
八重子の言葉に頷くと、来訪者は自分の考えを告げた。
『私はこれから彼のところへ出向き、暗黒炉の変革を促さなければなりません。あなたもご存知の通り、彼の持つ暗黒炉は今まさに変革の時を迎えています。このままいけば彼は甘枝殿と同じく魔気を用いた心象世界の生成をするようになります。本人が望むと望まぬのにかかわらず。そうなる前に手を打たねばなりません』
来訪者の言葉は八重子にとって納得できることだった。
八重子も最近の甘太郎の体調の変化に気付いていたからだ。
「私はあなたに何を答えればいいの?」
『彼が心に秘めている心象風景。それがあなたには分かりますか?』
「甘太郎の心象風景……」
八重子は来訪者の言葉を繰り返し、じっと考え込む。
『幼き頃より甘太郎殿を良く知るあなたならば、何か思い至るかと』
そう言う来訪者の言葉を受けて、八重子は静かに思いを巡らせた。
やがて彼女は来訪者を見つめて質問を投げる。
「ひとつ聞きたいのだけれど、あなたがそんなことをする理由は何?」
来訪者はその問いに澱みのない答えを返した。
『甘太郎殿の身に宿る暗黒炉は、元々は私の体内にあったものでした。私の命が終わる時、百年と少し前、甘太郎殿から数えて5代前の祖先の方が私の制御下を離れた暗黒炉が暴走しないよう、自分の身に収めて押し留めて下さったのです』
来訪者の言葉を一言一句聞き逃さないよう、八重子はその話に聞き入っている。
『以来、私は彼らの血族に脈々と暗黒炉が受け継がれるのを見守り、時に手を貸してきました』
「甘太郎の祖先に借りがあるから、甘太郎を助けるということ?」
八重子は来訪者から視線をそらさずにそう言う。
来訪者はわずかに柔らかな微笑を浮かべると、これに答えた。
『それはもちろん。恩義も感じております。ただ、それだけではなく暗黒炉が暴走しないよう見守り続けていくために、このような姿でこの世に留まり続けているのです。暗黒炉が暴走すれば全てを飲み込む不幸の源となりますので』
来訪者の存在理由、そして自分の元を訪れた理由を理解した八重子は少しリラックスした表情を見せる。
甘太郎を救うために必要なことだと直感的に感じ取った八重子は、来訪者に向けて自分の考えを話すことに決めた。
「話は分かったわ。甘太郎の心象風景なら心当たりがある。私にとっても同じようなものだから」
そう言うと八重子は幼き頃の思い出を来訪者に話して聞かせた。
十数分の後、来訪者は八重子に礼を述べると、来たときと同じように壁の中へと消えていくのだった。
八重子はその姿を見送りながら、甘太郎が無事に戻ることを祈り、一人部屋で静かに目を閉じるのだった。
八重子は確かにその声を聞いた。
だが、違和感を感じたのはその声が耳で聞いた声ではなく、頭の中でささやかれるような不思議な声だったためだ。
「……誰?」
八重子は努めて落ち着いた口調でそう尋ねる。
すると八重子の部屋の壁から一人の男がスッと姿を現し、八重子の前に立った。
それは黒い礼服に身を包んだ初老の男だった。
黒いネクタイをキッチリ結び、白髪を丁寧に撫で付けたその男は、腰を折って八重子に丁重に頭を下げた。
「夜分に突然の訪問、非礼をお許し下さい」
さすがに面食らった八重子だったが、彼女も霊医師として非日常の世界を垣間見る立場の人間であるため、その来訪者に落ち着いた口調で尋ねた。
「端的に教えてもらいたいんだけど、あなたは悪魔とか呼ばれる存在?」
来訪者はゆっくりと頷いた。
『そうした存在でしたが、随分と前に命を終えて、今は実体のない意識のみの存在となっております』
そう言う男の言葉を疑う素振りも見せずに、八重子はあっさりと頷いた。
「なるほど。悪魔の幽霊ってわけ。喪服ってところがなかなかユーモラスね」
『迅速なご理解、助かります』
「急ぎの話かしら?」
八重子の問いに来訪者は悠然と頷く。
『酒々井甘太郎殿のことで』
それから来訪者は手短に自分と甘太郎との関係について八重子に聞かせた。
甘枝の暗黒炉を甘太郎に引き継いだのはこの男であることも八重子はじっと黙って聞いていた。
『談合坂八重子さま。あなたは酒々井甘枝殿の心象世界である庭園のことを知った。そこまでご存知ならば今後、甘太郎殿の身に起きることが予想できるはず』
来訪者の言葉が八重子の思考の中から言葉を導き出した。
「甘枝さんの隠し場所である庭園は、彼女の心象風景ってことか。そして甘太郎にも同じような心象世界があるってことね?」
八重子の言葉に頷くと、来訪者は自分の考えを告げた。
『私はこれから彼のところへ出向き、暗黒炉の変革を促さなければなりません。あなたもご存知の通り、彼の持つ暗黒炉は今まさに変革の時を迎えています。このままいけば彼は甘枝殿と同じく魔気を用いた心象世界の生成をするようになります。本人が望むと望まぬのにかかわらず。そうなる前に手を打たねばなりません』
来訪者の言葉は八重子にとって納得できることだった。
八重子も最近の甘太郎の体調の変化に気付いていたからだ。
「私はあなたに何を答えればいいの?」
『彼が心に秘めている心象風景。それがあなたには分かりますか?』
「甘太郎の心象風景……」
八重子は来訪者の言葉を繰り返し、じっと考え込む。
『幼き頃より甘太郎殿を良く知るあなたならば、何か思い至るかと』
そう言う来訪者の言葉を受けて、八重子は静かに思いを巡らせた。
やがて彼女は来訪者を見つめて質問を投げる。
「ひとつ聞きたいのだけれど、あなたがそんなことをする理由は何?」
来訪者はその問いに澱みのない答えを返した。
『甘太郎殿の身に宿る暗黒炉は、元々は私の体内にあったものでした。私の命が終わる時、百年と少し前、甘太郎殿から数えて5代前の祖先の方が私の制御下を離れた暗黒炉が暴走しないよう、自分の身に収めて押し留めて下さったのです』
来訪者の言葉を一言一句聞き逃さないよう、八重子はその話に聞き入っている。
『以来、私は彼らの血族に脈々と暗黒炉が受け継がれるのを見守り、時に手を貸してきました』
「甘太郎の祖先に借りがあるから、甘太郎を助けるということ?」
八重子は来訪者から視線をそらさずにそう言う。
来訪者はわずかに柔らかな微笑を浮かべると、これに答えた。
『それはもちろん。恩義も感じております。ただ、それだけではなく暗黒炉が暴走しないよう見守り続けていくために、このような姿でこの世に留まり続けているのです。暗黒炉が暴走すれば全てを飲み込む不幸の源となりますので』
来訪者の存在理由、そして自分の元を訪れた理由を理解した八重子は少しリラックスした表情を見せる。
甘太郎を救うために必要なことだと直感的に感じ取った八重子は、来訪者に向けて自分の考えを話すことに決めた。
「話は分かったわ。甘太郎の心象風景なら心当たりがある。私にとっても同じようなものだから」
そう言うと八重子は幼き頃の思い出を来訪者に話して聞かせた。
十数分の後、来訪者は八重子に礼を述べると、来たときと同じように壁の中へと消えていくのだった。
八重子はその姿を見送りながら、甘太郎が無事に戻ることを祈り、一人部屋で静かに目を閉じるのだった。
0
お気に入りに追加
5
あなたにおすすめの小説
機械仕掛けの執事と異形の都市
夜薙 実寿
SF
これは、心を持ったアンドロイドの執事と、半異形の少女が織り成す、少し切ない近未来のお話。
五年前、突如として世界に、感染者を自我の無い異形の怪物へと造り替えてしまう脅威のウイルスが発生した。
効果的なワクチンも無く、感染を防ぐ手立てすら無い……。
絶望の淵に立たされた人類は、地上を捨て、地下のシェルター街へと移住した。
舞台は、見捨てられた地上。
異形が徘徊する都市(まち)の外れに、ぽつりと一軒、大きな洋館が建っていた。
今や人気も無く寂れたその屋敷に、ひっそりと、置き去りにされたアンドロイドが一体。
――人知れず、動き続けていた。
------
表紙は自作。
他サイトでも掲載しています。
初めて完結させた思い入れの深い作品なので、沢山の方に読んで頂けたら嬉しいです。
前世で家族に恵まれなかった俺、今世では優しい家族に囲まれる 俺だけが使える氷魔法で異世界無双
おとら@ 書籍発売中
ファンタジー
家族や恋人もいなく、孤独に過ごしていた俺は、ある日自宅で倒れ、気がつくと異世界転生をしていた。
神からの定番の啓示などもなく、戸惑いながらも優しい家族の元で過ごせたのは良かったが……。
どうやら、食料事情がよくないらしい。
俺自身が美味しいものを食べたいし、大事な家族のために何とかしないと!
そう思ったアレスは、あの手この手を使って行動を開始するのだった。
これは孤独だった者が家族のために奮闘したり、時に冒険に出たり、飯テロしたり、もふもふしたりと……ある意味で好き勝手に生きる物語。
しかし、それが意味するところは……。
私のスキルが、クエストってどういうこと?
地蔵
ファンタジー
スキルが全ての世界。
十歳になると、成人の儀を受けて、神から『スキル』を授かる。
スキルによって、今後の人生が決まる。
当然、素晴らしい『当たりスキル』もあれば『外れスキル』と呼ばれるものもある。
聞いた事の無いスキル『クエスト』を授かったリゼは、親からも見捨てられて一人で生きていく事に……。
少し人間不信気味の女の子が、スキルに振り回されながら生きて行く物語。
一話辺りは約三千文字前後にしております。
更新は、毎週日曜日の十六時予定です。
『小説家になろう』『カクヨム』でも掲載しております。
異世界でゆるゆる生活を満喫す
葉月ゆな
ファンタジー
辺境伯家の三男坊。数か月前の高熱で前世は日本人だったこと、社会人でブラック企業に勤めていたことを思い出す。どうして亡くなったのかは記憶にない。ただもう前世のように働いて働いて夢も希望もなかった日々は送らない。
もふもふと魔法の世界で楽しく生きる、この生活を絶対死守するのだと誓っている。
家族に助けられ、面倒ごとは優秀な他人に任せる主人公。でも頼られるといやとはいえない。
ざまぁや成り上がりはなく、思いつくままに好きに行動する日常生活ゆるゆるファンタジーライフのご都合主義です。
【完結】国を追われた巫女見習いは、隣国の後宮で二重に花開く
gari
キャラ文芸
☆たくさんの応援、ありがとうございました!☆ 植物を慈しむ巫女見習いの凛月には、二つの秘密がある。それは、『植物の心がわかること』『見目が変化すること』。
そんな凛月は、次期巫女を侮辱した罪を着せられ国外追放されてしまう。
心機一転、紹介状を手に向かったのは隣国の都。そこで偶然知り合ったのは、高官の峰風だった。
峰風の取次ぎで紹介先の人物との対面を果たすが、提案されたのは後宮内での二つの仕事。ある時は引きこもり後宮妃(欣怡)として巫女の務めを果たし、またある時は、少年宦官(子墨)として庭園管理の仕事をする、忙しくも楽しい二重生活が始まった。
仕事中に秘密の能力を活かし活躍したことで、子墨は女嫌いの峰風の助手に抜擢される。女であること・巫女であることを隠しつつ助手の仕事に邁進するが、これがきっかけとなり、宮廷内の様々な騒動に巻き込まれていく。
※ 一話の文字数を1,000~2,000文字程度で区切っているため、話数は多くなっています。
一部、話の繋がりの関係で3,000文字前後の物もあります。
覚悟ガンギマリ系主人公がハーレムフラグをへし折りつつ、クールな褐色女戦士をデレさせて異世界を救うパワー系ダークファンタジー/ヴァンズブラッド
鋏池穏美
ファンタジー
【絶望の中目覚めた『無詠唱特殊魔術』で崩壊世界を駆け抜ける──敵意や痛みを力に変える、身体強化系最強主人公の無双劇】
魔素が溢れ、暗がりで魔獣蠢く崩壊世界ミズガルズ──
この狂った世界で産み落とされたノヒンは、山賊一家に育てられ、荒んだ幼少期を過ごしていた。
初めて仕事を任されたその日、魔獣の力をその身に宿した少女『ヨーコ』と出会い、恋に落ちる。
束の間の平穏と幸せな日々。だがそれも長くは続かず──
その後ヨーコと離別し、騎士へとなったノヒンは運命の相手『ジェシカ』に出会う。かつて愛したヨーコとジェシカの間で揺れるノヒンの心。さらにジェシカは因縁の相手、ラグナスによって奪われ──
発動する数千年前の英雄の力
「無詠唱特殊魔術」
それは敵意や痛みで身体強化し、自己再生力を限界突破させる力。
明かされる神話──
NACMO(ナクモ)と呼ばれる魔素──
失われし東方の国──
ヨルムンガンドの魔除け──
神話時代の宿因が、否応無くノヒンを死地へと駆り立てる。
【第11回ネット小説大賞一次選考通過】
※小説家になろうとカクヨムでも公開しております。
ダメなお姉さんは好きですか?
春音優月
恋愛
大学二年生の佐々木忍は、近所のお姉さんで十二才年上の水野円香が大好き。
円香は外ではちゃんとしているのに、家ではだらしない。ちょっとダメなお姉さんなのに、可愛くて、綺麗で、いつだって目が離せない。
幼い頃から何度も告白してるのに、「君が大人になったらね」とかわされてばかり。もうとっくに大人なんだけど――。
どうがんばっても縮まらない年の差をどうにか縮めたい男子大学生と、ダメで可愛いお姉さんの年の差ラブ。
2024.03.15
イラスト:雪緒さま
VRMMOでチュートリアルを2回やった生産職のボクは最強になりました
鳥山正人
ファンタジー
フルダイブ型VRMMOゲームの『スペードのクイーン』のオープンベータ版が終わり、正式リリースされる事になったので早速やってみたら、いきなりのサーバーダウン。
だけどボクだけ知らずにそのままチュートリアルをやっていた。
チュートリアルが終わってさぁ冒険の始まり。と思ったらもう一度チュートリアルから開始。
2度目のチュートリアルでも同じようにクリアしたら隠し要素を発見。
そこから怒涛の快進撃で最強になりました。
鍛冶、錬金で主人公がまったり最強になるお話です。
※この作品は「DADAN WEB小説コンテスト」1次選考通過した【第1章完結】デスペナのないVRMMOで〜をブラッシュアップして、続きの物語を描いた作品です。
その事を理解していただきお読みいただければ幸いです。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる