甘×恋クレイジーズ

枕崎 純之助

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第二章 クレイジー・パーティー・イン・ホスピタル

第5話 深夜の大騒ぎ

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 談合坂だんごうざかアパートの自室では、甘太郎あまたろう就寝しゅうしん前のわずかな時間をひとり過ごしていた。

「いよいよ明日からか」

 そう言うと甘太郎あまたろうは水の入ったコップと灰色の錠剤じょうざいをひとつ持ち、かべにかけられたカレンダーに目をやった。
 世間は明日からゴールデンウィークである。
 だが、甘太郎あまたろうにとっては初の大仕事が始まる日であり、世間のそれとは違った気持ちのたかぶりを感じていた。
 コップの水をあおって錠剤じょうざいを飲みすと、甘太郎あまたろうは気分の高揚こうようを落ち着かせるため、夜風に当たろうとベランダへと続く窓を開け放った。
 夜空には三日月が漆黒しっこくのベールに切りつけられたスリットのように顔をのぞかせていた。
 甘太郎あまたろうはふととなりの部屋のベランダに視線を移し、思わず目を見開いて息を飲んだ。

「れ……恋華れんかさん?」

 甘太郎あまたろうの視線の先では、かりの消えた真っ暗なとなりのベランダに恋華れんかが立ち尽くしていた。
 そしてアパート前の路上に設置されている街灯がいとうによってわずかに照らし出された彼女のそのほほを、涙のすじが伝い落ちていく。
 彼女はベランダの手すりに手をかけたまま、夜空を見上げて声も出さずに泣いていた。
 涙が彼女のほほを伝い流れるその様子がハッとするほどはかな可憐かれんで、甘太郎あまたろうは思わず言葉を失った。
 恋華れんかはその時になって初めて甘太郎あまたろうの姿に気がつき、あわてて両手で涙をぬぐいながら笑顔を取りつくろった。

「ど、どうしたの? アマタローくん」

 見てはいけない場面を見てしまったように思えて、甘太郎あまたろうはつい目線を泳がせる。

「い、いや。まだ起きてたんですか。かりが消えてるからもうてるのかと思いました」
 
 甘太郎あまたろうがそう言うと、恋華れんかは少しだけ赤くらした目をこすりながらバツが悪そうにつぶやいた。

「うん。ようと思ったんだけど、時差ボケでなかなか寝付ねつけなくて……」
「そっすか」

 それから、慣れない者同士の間に生まれるぎこちない沈黙ちんもくがその場の空気を支配する。
 今日の夕食会の後、恋華れんかは自分の生きてきた境遇きょうぐうとこれから生きていく決意表明を談合坂だんごうざか親子と甘太郎あまたろうに話して聞かせた。
 彼女がかつてこの近くの街に住んでいたこと。
 そして彼女の家族がかつて巻き込まれた事件のこと。
 その中で恋華れんかおさない妹が命を落としたこと。
 そして彼女の両親がいまだその事件の後遺症で心神喪失しんしんそうしつ状態にあるということ。
 恋華れんか病床びょうしょうの両親を救うためにカントルムに入局し、エージェントとなって事件の犯人を追い続けているのだということを甘太郎あまたろうは知った。

 出会ったときの恋華れんかにはどちらかと言えばエージェントと呼ぶにはあまりにも普通のお嬢さんという印象を受けたが、その話を聞いた時には彼女が強い執念しゅうねんを胸に抱いているのだということを甘太郎あまたろうは感じたのだった。
 それでも失った家族を思えば先ほどのようにこみ上げる涙を抑え切れないのだろう。
 そう思うと甘太郎あまたろうはつい、彼女を元気付けてやりたい衝動にられ、ベランダの
敷居しきいに身を乗り出して恋華れんかに声をかけた。

恋華れんかさん。俺、きっとお役に立ってみせますから、今ものうのうと事件を起こし続ける犯人の奴を必ず捕まえましょう」

 そう言って甘太郎あまたろうが差し出したその手は濛々もうもうと黒いけむりに包まれていた。

「……ん?」
「あ、アマタローくん……か、体からけむりが出ていますが?」
「ほえっ?」

 恋華れんか唖然あぜんとした言葉で、甘太郎あまたろうは自分の全身から黒煙こくえんが立ち上っていることにようやく気がついた。

「な、何じゃこりゃぁ!」

 仰天ぎょうてんして自分の体を両手でバタバタとはたく甘太郎あまたろうに、恋華れんか右往左往うおうさおうして目を白黒させる。

「み、水! アマタローくん水!」

 そう言って恋華れんかあわてて部屋にとって返そうとするのを甘太郎あまたろうは必死に呼び止める。

「わぁ! ちょ、待って! けむりじゃない! 魔気まきだから! 水ぶっかけられても冷たいだけだって!」

 そう。
 恋華れんかの目にはこれだけ盛大に燃え盛って見える黒煙こくえんも、一般の人の目には何も映らない。
 甘太郎あまたろの体から黒々とあふれ出すそれはけむりではなく魔気まきだった。

「く、薬飲んだばっかりだってのに……」

 そう言って甘太郎あまたろうは部屋の中に置いてある薬を取りに戻ろうとした。
 だが、そこで彼は自分の体が思うように動かないことに初めて気がついた。
 ひざから下にまるで力が入らず思わず倒れ込みそうになるのを、ベランダの欄干らんかんにつかまって必死にこらえた。

「くぅ……」 

 甘太郎あまたろうは自分の体に起きている変化をすぐにさとった。
 体内から魔気まきが異常に多く分泌ぶんぴつされているため、神経が極度に刺激しげきされ、甘太郎あまたろうの体は彼の意思を正確に反映できない状態にあった。

「だ、大丈夫?」

 ベランダの欄干らんかんに体全体を預けるようにしてへばり付いている甘太郎あまたろうを見た恋華れんかは、思わずとなりのベランダの仕切り板から身を乗り出して甘太郎あまたろうの手をつかんだ。
 すると恋華れんかがつかんだその箇所かしょに限ってけむりうそのように消えていく。 

「え? 何これ……」

 恋華れんかおどろいて手を放すと、再びその箇所かしょから黒いけむりき上がり始める。
 甘太郎あまたろうは自分の体に起こっている奇怪な現象に愕然がくぜんとしているため、そんな恋華れんかの様子には気がつかなかった。

「れ、恋華れんかさん。悪いんだけど、八重子やえこを呼んで」

 甘太郎またろうは重苦しい口調で恋華れんかにそう求めた。

「や、八重子やえこちゃんね。分かったわ!」

 鬼気迫ききせま甘太郎あまたろうの様子に恋華れんかはすぐさま部屋に戻ってケータイを手にした。
 そして恋華れんかはすぐに八重子やえこのケータイに連絡を取る。
 夜おそい時間であるため、八重子やえこがもうてしまっているのではないかと恋華れんか危惧きぐしたが、果たして八重子やえこは2コールで電話に出た。

「もしもし。恋華れんかです。夜おそくにごめん。緊急事態なの! アマタローくんが……と、とにかくすぐ来て!」
 
 恋華れんかの口調にただならぬ異変を感じた八重子やえこは、すぐにけつけると言って電話を切った。
 それを受けて恋華れんかは弱っている甘太郎あまたろうに必死に声をかけた。

「アマタローくん! 八重子やえこちゃんすぐ来るって! もうちょっとの辛抱しんぼうだからね!」
 
 甘太郎あまたろうはベランダの欄干らんかんにへばりついたまま、力ない笑みを浮かべてうなづいた。

「ど、どうも……」

 その体はすでに足元から首元まですっぽりと黒煙こくえんおおわれていた。
 やがてすぐにアパートの階段をけ上がってくる音が聞こえたため、恋華れんかも自室の玄関げんかんを飛び出して甘太郎あまたろうの部屋の前におどり出た。
 すぐに八重子やえこがアパートの廊下ろうかの向こうから姿を現し、小走りにけ寄ってくる。

恋華れんかさん。甘太郎あまたろうの奴いったい……」
「とにかく大変なの! 早く中へ!」
 
 恋華れんかの言葉にうなづくと、八重子やえこは手にしたスペアキーを使い、大家権限で甘太郎あまたろうの部屋のかぎ開錠かいじょうして中に踏み込んだ。

甘太郎あまたろう!」
「アマタローくん!」

 恋華れんか八重子やえこも1Kの部屋を突っ切ってベランダに出る。
 そこにはベランダの欄干らんかんに両腕をかけたまま、ぐったりと力を失っている甘太郎あまたろうの姿があった。

「キャッ!」

 恋華れんかは短く悲鳴を上げ、八重子やえこは息を飲んだ。
 ベランダにみ込んだ二人を驚愕きょうがくさせたのは、うつせのまま倒れている全裸ぜんら姿の甘太郎あまたろうだった。
 八重子やえこは状況を飲み込めずに恋華れんかに視線を向ける。

「れ、恋華れんかさん。これは?」
 
 聞かれた恋華れんかも思わず両手で顔をおおい、真っ赤な顔で上ずった声を上げた。

「さ、さっきまで黒雲モクモクッてなってたのに、何ではだかんぼになってるの?」
 
 目を点にしながら立ち尽くす二人の前で、甘太郎あまたろうはハッと目を覚まして起き上がった。
 そして八重子やえこの姿を認めるや、甘太郎あまたろうはバッと両手を広げて自分の身に起きている危機をアピールする。

「た、大変だ! 八重子やえこ! 見ろ! この体を!」
 
 そう言う甘太郎あまたろう八重子やえこは冷たい視線を送る。

「ええ。それは大変でしょうよ。恋華れんかさんがあわてふためいて電話をかけてきたのは、ベランダに全裸ぜんらの男が立っていたからなのね」

 八重子やえこの言葉に甘太郎あまたろうはギョッとした顔で自分の体に視線を落とす。

「はれっ? 服はどこ?」
 
 そう言って甘太郎あまたろうは必死に両手で股間こかんかくしながら前かがみになって悲鳴を上げた。

「キャー! 後生ごしょうだから見ないでぇ!」

 そんな甘太郎あまたろうを見ながら八重子やえこ眉間みけんに指を当てて残念そうに頭を横に振った。

甘太郎あまたろう。深夜に全裸ぜんらで女性の部屋に侵入しんにゅうしようとするなんて、もう言い訳もしようのない完璧な変質者ね。幼馴染おさなじみ痴漢ちかん逮捕たいほなんて残念だわ」

 これには甘太郎あまたろう動揺どうようして、しどろもどろになりながら必死に弁解の言葉を並べたてた。

「ちょ、ちょっと待て。違うぞ。八重子やえこ。俺もよく分からないんだ。恋華れんかさんと話をしてたら体から魔気まきがあふれ出て気を失ったんだって。気付いたらはだかに……」
「そんな言い訳が通用するわけないでしょ!」
 
 怒気どきを振りまいてそう言う八重子やえこをよそに、恋華れんかは部屋の中からとりあえずベッドの上に置いてあった薄手の毛布を持ってきて甘太郎あまたろうに手渡すと、彼をかばうように八重子やえこへの弁明を買って出る。

「本当に違うのよ。八重子やえこちゃん。アマタローくん、さっきまで全身からものすごく強い魔気まきを発していて動けなくなっちゃってたの」
 
 必死にそう言う恋華れんか八重子やえこも思わず戸惑いの表情を浮かべる。

「そうなんですか?」

 そして八重子やえこかたわらの甘太郎あまたろにチラリと視線を送った。

「あんたの服は?」

 古代ローマ人さながらに薄手の毛布を体に巻きつけた甘太郎あまたろうは、こまり果てた顔で答えた。

「俺が知りたいよ」
 
 ため息じりにそうぼやく甘太郎あまたろう八重子やえこは質問を続ける。

「今夜の分の薬は?」
「飲んだ。飲んだら途端とたんにこうなっちまったんだ」
 
 八重子やえこ眉根まゆねを寄せて不審そうな顔で疑問を口にする。

「妙ね。今までも魔気まきが多少、体から噴出ふんしゅつすることはあったけど、こんなに大量じゃなかったし、何より着ていた衣服が全て消失してしまうなんて……まるで闇穴やみあなみたい」
「何にしてもこまったぞ。もし万が一、外で同じことが起きたら俺の人生が終わる」
 
 甘太郎あまたろう雑踏ざっとうの中でいきなり全裸ぜんらになってしまう自分を想像して薄ら寒い思いを覚え、ゆかにへたり込むと盛大にため息をついた。

「はぁ~。いつ全裸ぜんらになるか分からない人生……泣けてくるぜ」

 ガックリとうなだれる甘太郎あまたろうに、八重子やえこ淡々たんたんと自分の見立てによる考えを告げる。

「とりあえず、もし魔気まきがまた止まらなくなったら、すぐに白の10番から14番のどれかひとつを飲みなさい。それからしばらくの間、黒は飲むのをやめること」 
 
 八重子やえこの言う白と黒という言葉に事情を知らない恋華れんかは首をかしげたが、それは甘太郎あまたろうが日頃から服用している薬のことだった。
 魔気まき誘発ゆうはつする黒の錠剤じょうざい魔気まき抑制よくせいする白の錠剤じょうざい
 薬の強さに応じてそれぞれ1番から14番まで全28種類に分けられている。
 体内の魔気まきのバイオリズムにあわせてこれらの薬を飲み分けることで、甘太郎あまたろうは体内の暗黒炉あんこくろのバランスを保っていた。
 だが、薬を飲む順番はスケジュール管理されていて、決められた日に決められた薬を飲むことが守るべきルールであり、甘太郎あまたろおどろきの表情を浮かべる。

「い、いいのか?」
「仕方ないわ。もしかしたら今のあんたは体質が変化する時期に来てるのかもしれないし」

 八重子やえこは今朝霊視れいしで見た甘太郎あまたろう暗黒炉あんこくろの静かな脈動を思い返した。
 一方、二人のやりとりを見ながら恋華れんかは、先ほど自分がれた甘太郎あまたろうの腕から一瞬にして魔気まきが消え去ったことを不思議ふしぎに思っていた。 

(さっきのは気のせいだったのかしら)

 その時、恋華れんかの部屋のテーブルに置かれたケータイが特徴的なバイブレーションを繰り返した。
 途端とたん恋華れんかの顔にサッと緊張が走る。

「ちょっとごめんね」

 恋華れんかは二人にそう言うと部屋に戻り、ケータイを手に取る。
 その画面には次の任務を告げるカントルムからの予言が記されていた。

【明晩21時。新宮総合病院しんぐうそうごうびょういん
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