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第19夜 レトロ・ゲームは最高のリラックス・アロマ
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皆さんこんばんは。
枕崎純之助です。
今夜はゲームの話です。
皆さんはゲームで遊んだりしますか?
ゲームと言っても色々とありますよね。
テレビゲーム、スマホゲーム、パソコンのゲーム、そしてゲームセンターのゲーム。
僕はファミコン(ファミリーコンピューター)世代です。
小学生の頃はファミコンのことしか考えていませんでした(笑)。
ファミコンがうまい友達のことは尊敬していましたし、当時のT名人とかH名人のことは神だと思っていましたから(笑)。
でも僕の両親は「目が悪くなるし勉強しなくなるからテレビゲームは買いません」派でしたので、僕の自宅にはファミコンがありませんでした。
だから僕の「ファミコンをやりたい」という渇望はものすごかったですよ。
ファミコンを欲する執念は並々ならぬものがあったと思います。
ノドが渇いて死にそうな人が「水~水~」となるように、僕は「ファミコン~ファミコン~」となってました(笑)。
ダメって言われるに決まってるのに、数年に渡って親にファミコン欲しい欲しいと言い続けましたからね。
ファミコンを買ってもらう夢を何回見たことか。
「ついに我が家にファミコンが! よ~しやるぞ~!」と箱を開けているところで目が覚めた朝の切なさは今でも忘れられません(笑)。
あまりにファミコンが欲し過ぎて、ジャ○ニカ学習帳の『じゆうちょう』に自作のゲーム画面をエンピツで書いて妄想で遊んでいたりしましたよ(涙)。
それが僕の日曜の早朝の楽しみでした。
そんな僕がファミコンをやるとなったら、友達の家に行くしかありません。
必然的にファミコンを持っている友達の家に遊びに行く頻度が増えました。
ファミコンを持っている友達が本当の友達です(最低)。
いざ、友達の家に遊びに行き、友達のお兄ちゃんとかがファミコンを占有している時のガッカリ感はハンパじゃなかったですね。
あと、両親の実家、要するに祖父母の家にはファミコンが置いてありましたから、祖父母の家に遊びに行くのは僕にとっては最高のイベントでした。
祖父母の相手もそこそこにファミコンばっかりやってましたからね。
かわいくない孫です(笑)。
さて、そんな僕がファミコンソフトの中で最も衝撃を受けたのは『ドラクエⅡ』でした。
誰もが知る日本最高峰のRPGである『ドラゴンクエスト』の2作目です。
前作にしてドラクエ・シリーズの1作目であるドラクエⅠのことはもちろん僕も知っていました。
友達の家でプレイしたこともあります。
そのドラクエⅠを一行で説明させてもらうと以下のようになります。
『ボッチの主人公が1人寂しく冒険の旅に出て、何やかんやあって姫を抱っこして帰る』
という話です(だいぶ違う)。
そして敵モンスターとの戦闘は1対1のタイマン勝負です。
敵もボッチの主人公に対して大勢で襲いかかるのは卑怯だと思ったのでしょう。
男気のあるゲームでした(だいぶ違う)。
その次回作であるドラクエⅡですが、発売早々にプレイするチャンスが回ってきました。
「ドラクエⅡ買ったから、今日家で一緒にやろうぜ!」
そう言って僕を誘ってくれたのはクラスメイトのM君です。
M君は最高にいい奴です。
なぜなら、ドラクエⅡを手に入れたばかりでM君自身も未プレイであるにも関わらず、僕を誘ってくれたからです。
心の友です(最低)。
その日、M君の家でプレイしたドラクエⅡのことは一生忘れられません。
ゲーム開始後の最初の敵との遭遇時、僕とM君はそろって声を上げていました。
「すげえええええっ! スライムが2匹いる!」
そう。
ドラクエⅡでは一度の戦闘で2匹以上のモンスターが襲ってくるのです。
ドラクエⅠでボッチだった主人公側も仲間2人と一緒に3人で冒険が出来るようになりました。
1対1のタイマン勝負しか知らなかったその当時、敵味方入り乱れての複数同士の戦いは夢のように革新的なことでした。
ゲームをやっていてあんなに興奮を覚えたことはありません。
ドラクエⅡは僕にとってそれほど衝撃的なゲームでした。
その後、小学校6年生になってやっとファミコンを買ってもらえた僕は夢中になってプレイを続け、あっという間に……目が悪くなりました(笑)。
その後すぐにファミコンの次世代機であるスーパーファミコンが発売された後も、僕は初代ファミコンをこよなく愛したのです。
僕にとってファミコンは小学生時代の全てと言っても過言ではないほど大きな存在でした。
時は流れて現在―。
最近はニンテンドー・スイッチで昔のファミコンソフトを遊ぶことが出来ます。
そういうレトロ・ゲームをやっている時、僕は小学生だったあの頃の自分自身に戻っているんですよね。
僕にとってファミコンは今も大きな存在です。
現代社会の荒波に揉まれて疲れた心を癒やしてくれる最高のリラックス・アロマです。
ファミコン。
それは人生を彩る至上にして至福のコンテンツ(大げさ)。
ファミコンの神様ありがとう(そんな神様いない)。
T名人ありがとう(関係ない)。
おっと。
そんな話をしているうちに、すっかり夜も更けてまいりましたね。
ゲームの話をし出すと話題は尽きませんが、今夜はこの辺りにしましょうか。
皆さんにとっての最高のゲームは何ですか?
昔やったあのゲームを引っ張り出して来て、遊んでみてはいかがでしょう。
童心に戻って夢中にプレイする時間が、きっと癒やしのひとときとなってくれるかもしれませんよ。
それでは皆さん。
おやすみなさい。
今宵もいい夢を。
枕崎純之助です。
今夜はゲームの話です。
皆さんはゲームで遊んだりしますか?
ゲームと言っても色々とありますよね。
テレビゲーム、スマホゲーム、パソコンのゲーム、そしてゲームセンターのゲーム。
僕はファミコン(ファミリーコンピューター)世代です。
小学生の頃はファミコンのことしか考えていませんでした(笑)。
ファミコンがうまい友達のことは尊敬していましたし、当時のT名人とかH名人のことは神だと思っていましたから(笑)。
でも僕の両親は「目が悪くなるし勉強しなくなるからテレビゲームは買いません」派でしたので、僕の自宅にはファミコンがありませんでした。
だから僕の「ファミコンをやりたい」という渇望はものすごかったですよ。
ファミコンを欲する執念は並々ならぬものがあったと思います。
ノドが渇いて死にそうな人が「水~水~」となるように、僕は「ファミコン~ファミコン~」となってました(笑)。
ダメって言われるに決まってるのに、数年に渡って親にファミコン欲しい欲しいと言い続けましたからね。
ファミコンを買ってもらう夢を何回見たことか。
「ついに我が家にファミコンが! よ~しやるぞ~!」と箱を開けているところで目が覚めた朝の切なさは今でも忘れられません(笑)。
あまりにファミコンが欲し過ぎて、ジャ○ニカ学習帳の『じゆうちょう』に自作のゲーム画面をエンピツで書いて妄想で遊んでいたりしましたよ(涙)。
それが僕の日曜の早朝の楽しみでした。
そんな僕がファミコンをやるとなったら、友達の家に行くしかありません。
必然的にファミコンを持っている友達の家に遊びに行く頻度が増えました。
ファミコンを持っている友達が本当の友達です(最低)。
いざ、友達の家に遊びに行き、友達のお兄ちゃんとかがファミコンを占有している時のガッカリ感はハンパじゃなかったですね。
あと、両親の実家、要するに祖父母の家にはファミコンが置いてありましたから、祖父母の家に遊びに行くのは僕にとっては最高のイベントでした。
祖父母の相手もそこそこにファミコンばっかりやってましたからね。
かわいくない孫です(笑)。
さて、そんな僕がファミコンソフトの中で最も衝撃を受けたのは『ドラクエⅡ』でした。
誰もが知る日本最高峰のRPGである『ドラゴンクエスト』の2作目です。
前作にしてドラクエ・シリーズの1作目であるドラクエⅠのことはもちろん僕も知っていました。
友達の家でプレイしたこともあります。
そのドラクエⅠを一行で説明させてもらうと以下のようになります。
『ボッチの主人公が1人寂しく冒険の旅に出て、何やかんやあって姫を抱っこして帰る』
という話です(だいぶ違う)。
そして敵モンスターとの戦闘は1対1のタイマン勝負です。
敵もボッチの主人公に対して大勢で襲いかかるのは卑怯だと思ったのでしょう。
男気のあるゲームでした(だいぶ違う)。
その次回作であるドラクエⅡですが、発売早々にプレイするチャンスが回ってきました。
「ドラクエⅡ買ったから、今日家で一緒にやろうぜ!」
そう言って僕を誘ってくれたのはクラスメイトのM君です。
M君は最高にいい奴です。
なぜなら、ドラクエⅡを手に入れたばかりでM君自身も未プレイであるにも関わらず、僕を誘ってくれたからです。
心の友です(最低)。
その日、M君の家でプレイしたドラクエⅡのことは一生忘れられません。
ゲーム開始後の最初の敵との遭遇時、僕とM君はそろって声を上げていました。
「すげえええええっ! スライムが2匹いる!」
そう。
ドラクエⅡでは一度の戦闘で2匹以上のモンスターが襲ってくるのです。
ドラクエⅠでボッチだった主人公側も仲間2人と一緒に3人で冒険が出来るようになりました。
1対1のタイマン勝負しか知らなかったその当時、敵味方入り乱れての複数同士の戦いは夢のように革新的なことでした。
ゲームをやっていてあんなに興奮を覚えたことはありません。
ドラクエⅡは僕にとってそれほど衝撃的なゲームでした。
その後、小学校6年生になってやっとファミコンを買ってもらえた僕は夢中になってプレイを続け、あっという間に……目が悪くなりました(笑)。
その後すぐにファミコンの次世代機であるスーパーファミコンが発売された後も、僕は初代ファミコンをこよなく愛したのです。
僕にとってファミコンは小学生時代の全てと言っても過言ではないほど大きな存在でした。
時は流れて現在―。
最近はニンテンドー・スイッチで昔のファミコンソフトを遊ぶことが出来ます。
そういうレトロ・ゲームをやっている時、僕は小学生だったあの頃の自分自身に戻っているんですよね。
僕にとってファミコンは今も大きな存在です。
現代社会の荒波に揉まれて疲れた心を癒やしてくれる最高のリラックス・アロマです。
ファミコン。
それは人生を彩る至上にして至福のコンテンツ(大げさ)。
ファミコンの神様ありがとう(そんな神様いない)。
T名人ありがとう(関係ない)。
おっと。
そんな話をしているうちに、すっかり夜も更けてまいりましたね。
ゲームの話をし出すと話題は尽きませんが、今夜はこの辺りにしましょうか。
皆さんにとっての最高のゲームは何ですか?
昔やったあのゲームを引っ張り出して来て、遊んでみてはいかがでしょう。
童心に戻って夢中にプレイする時間が、きっと癒やしのひとときとなってくれるかもしれませんよ。
それでは皆さん。
おやすみなさい。
今宵もいい夢を。
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