13 / 43
第12夜 ただの人間には興味ありません
しおりを挟む
こんばんは。
枕崎純之助です。
今日は映画の話をしたいと思います。
本当に今さらですが、一昨年のことです。
僕は当時話題となっていた映画を見てきました。
新海誠監督の『天気の子』です。
とても面白かったですよ。
僕は映画を見た後、よく『YAHOO!映画』のレビューで、同じ映画を見た人の感想を見ます。
他の人がどんな感想を持つのか気になるからです。
その中でもいくつかのレビューが目に留まりました。
・新海監督の作品は女性キャラクターにリアリティーがない。
・監督が自分の理想の女性像を投影しているようで女性としては見ていてモヤモヤする。
レビュー文脈から見ると女性の投稿のようでしたが、僕はそれを見てハッとさせられました。
僕は男性ですから鑑賞中はそうしたことは感じませんでしたが、あらためて考えると確かに女性から見たらそう思うこともあるんだろうな、と思い至ったのです。
こうやって自分の感覚では気付かなかったことを他者の感想を通じて気付くことが出来るから、僕は作品の鑑賞後にレビューを見るのが好きなんです。
さて、これらのレビューで指摘されていた登場人物のリアリティーの欠如。
物語を作る上で追及すべきことでしょうか。
その女性のレビュアーの方は「この女性キャラは男性側から見た都合のいい女性像であって、ファンタジーであり現実にはこんな女性いない。こういう女性の描き方は本当にやめてほしい」という趣旨のことを主張していらっしゃいました。
でもまあアニメとか物語の登場人物というのは、そういうものなんじゃないかなぁ、と思うんです。
僕ら男性側から見れば少女マンガや乙女ゲームに出てくるイケメンたちも十分にファンタジーですから。
でもそれは女性にとってのある種の理想像であって、せっかくそうした物語に触れて楽しんでいる女性ユーザーに対して「そんなのファンタジーだ。現実にはそんな男いねえよ」などと言うのはあまりにも野暮なのです。
物語は物語であって現実ではないのだから、その中で楽しむためにリアリティーが欠如していたとしても「それはそれ」でしょ?
現実にはいないような突飛なキャラクター性を否定する意見もあるかと思いますが、「ただの人間には興味ありません」とか言っちゃうヒロインが物語に命を吹き込むという側面も否定できないのです。
僕も自分で小説を書くので分かりますが、物語を動かすためには多少リアリティーを外れても元気ハツラツ豪放磊落に動いてくれるキャラクターが欲しくなるんですよね。
そして見ている側の立場から言っても、そう言うキャラクターがいるほうが退屈せずに済むんです。
だから『天気の子』の女性キャラも確かに現実にはこんな時にこんなリアクションしないよね、というのは分かるんですけど、リアリティーがないからやめてほしいというのは野暮だと思うんです。
アニメやゲームのイケメンに夢中になる女性に「実際そんな男いないから」と言うのと同じくらいね。
『天気の子』という重くなりがちなテーマの映画に、その女性キャラの存在がエンタメ作品としての輝きを与える一端を担っていたんだと僕は感じました。
僕も自分で小説を書く際には女性キャラクターに限らず物語の登場人物に自分の理想を投影させます。
主人公、ヒロイン、悪役。
皆必ず自分の理想が込められたキャラクターになっているでしょう。
そうしたキャラクターへの愛こそが作品を作る際の原動力になっていると僕はそう感じています。
ただ、理想を詰め込んだ結果、あまりにもリアリティーからかけ離れたキャラになってしまい、読者を白けさせてしまうこともあるかと思います。
そこは作り手のサジ加減ひとつなのですが、最近は一昔前に比べるとドラマの登場人物などもコミカルなキャラクターが増えてきたように思いますし、マンガやアニメの実写化作品もかつてないほど増えてきたことから、突飛なキャラ描写が世の中に受け入れられやすい土壌が出来つつあると思います。
作り手側としてもやりやすい環境になってきているのではないでしょうか。
もちろん作品の受け止め方は人それぞれですから、先述のレビュアーさんのように不快感を覚えることもあるかと思いますが、それを恐れたキャラクター描写ばかりをしていたら、物語自体が委縮してしまうんじゃないかと思うんです。
人の生き方にも言えることですが、必要以上に他者の目を気にしてしまい、自らを抑えつけるように生きていても楽しくありませんよね。
僕はキャラクターを物語の盤上で思い切り躍動させたくて小説を書いているので、頂いたご意見は大いに参考にさせていただきつつも、批判を恐れずに筆を進めたいと思います。
え?
今夜はアホな話じゃないのかって?
いや、この『Pillow Talk』は皆さんを眠りに誘う静かなジャズのようなお話をする時間ですから、アホな話なんてたまにしかしませんよ。
おっと。
この原稿を書いていたら、急に激しい雨が降ってきました。
こういうのを『ゲリラ豪雨』っていうんですね。
そう言えば僕、子供の頃に『ゲリラの襲撃により多数のケガ人が出ております』ってニュースを聞いた時に、ゲリラってゴリラのもっと凶暴で恐ろしい上位互換の種類だと割とガチで思ってたんですよね。
「ゲリラ? マジこええええっ」て。(アホ)
さて、皆さんウトウトしてくる頃ですかね。
今夜もお付き合い下さいまして、ありがとうございました。
また、いつかの夜にお会いしましょう。
おやすみなさい。
今宵もいい夢を。
枕崎純之助です。
今日は映画の話をしたいと思います。
本当に今さらですが、一昨年のことです。
僕は当時話題となっていた映画を見てきました。
新海誠監督の『天気の子』です。
とても面白かったですよ。
僕は映画を見た後、よく『YAHOO!映画』のレビューで、同じ映画を見た人の感想を見ます。
他の人がどんな感想を持つのか気になるからです。
その中でもいくつかのレビューが目に留まりました。
・新海監督の作品は女性キャラクターにリアリティーがない。
・監督が自分の理想の女性像を投影しているようで女性としては見ていてモヤモヤする。
レビュー文脈から見ると女性の投稿のようでしたが、僕はそれを見てハッとさせられました。
僕は男性ですから鑑賞中はそうしたことは感じませんでしたが、あらためて考えると確かに女性から見たらそう思うこともあるんだろうな、と思い至ったのです。
こうやって自分の感覚では気付かなかったことを他者の感想を通じて気付くことが出来るから、僕は作品の鑑賞後にレビューを見るのが好きなんです。
さて、これらのレビューで指摘されていた登場人物のリアリティーの欠如。
物語を作る上で追及すべきことでしょうか。
その女性のレビュアーの方は「この女性キャラは男性側から見た都合のいい女性像であって、ファンタジーであり現実にはこんな女性いない。こういう女性の描き方は本当にやめてほしい」という趣旨のことを主張していらっしゃいました。
でもまあアニメとか物語の登場人物というのは、そういうものなんじゃないかなぁ、と思うんです。
僕ら男性側から見れば少女マンガや乙女ゲームに出てくるイケメンたちも十分にファンタジーですから。
でもそれは女性にとってのある種の理想像であって、せっかくそうした物語に触れて楽しんでいる女性ユーザーに対して「そんなのファンタジーだ。現実にはそんな男いねえよ」などと言うのはあまりにも野暮なのです。
物語は物語であって現実ではないのだから、その中で楽しむためにリアリティーが欠如していたとしても「それはそれ」でしょ?
現実にはいないような突飛なキャラクター性を否定する意見もあるかと思いますが、「ただの人間には興味ありません」とか言っちゃうヒロインが物語に命を吹き込むという側面も否定できないのです。
僕も自分で小説を書くので分かりますが、物語を動かすためには多少リアリティーを外れても元気ハツラツ豪放磊落に動いてくれるキャラクターが欲しくなるんですよね。
そして見ている側の立場から言っても、そう言うキャラクターがいるほうが退屈せずに済むんです。
だから『天気の子』の女性キャラも確かに現実にはこんな時にこんなリアクションしないよね、というのは分かるんですけど、リアリティーがないからやめてほしいというのは野暮だと思うんです。
アニメやゲームのイケメンに夢中になる女性に「実際そんな男いないから」と言うのと同じくらいね。
『天気の子』という重くなりがちなテーマの映画に、その女性キャラの存在がエンタメ作品としての輝きを与える一端を担っていたんだと僕は感じました。
僕も自分で小説を書く際には女性キャラクターに限らず物語の登場人物に自分の理想を投影させます。
主人公、ヒロイン、悪役。
皆必ず自分の理想が込められたキャラクターになっているでしょう。
そうしたキャラクターへの愛こそが作品を作る際の原動力になっていると僕はそう感じています。
ただ、理想を詰め込んだ結果、あまりにもリアリティーからかけ離れたキャラになってしまい、読者を白けさせてしまうこともあるかと思います。
そこは作り手のサジ加減ひとつなのですが、最近は一昔前に比べるとドラマの登場人物などもコミカルなキャラクターが増えてきたように思いますし、マンガやアニメの実写化作品もかつてないほど増えてきたことから、突飛なキャラ描写が世の中に受け入れられやすい土壌が出来つつあると思います。
作り手側としてもやりやすい環境になってきているのではないでしょうか。
もちろん作品の受け止め方は人それぞれですから、先述のレビュアーさんのように不快感を覚えることもあるかと思いますが、それを恐れたキャラクター描写ばかりをしていたら、物語自体が委縮してしまうんじゃないかと思うんです。
人の生き方にも言えることですが、必要以上に他者の目を気にしてしまい、自らを抑えつけるように生きていても楽しくありませんよね。
僕はキャラクターを物語の盤上で思い切り躍動させたくて小説を書いているので、頂いたご意見は大いに参考にさせていただきつつも、批判を恐れずに筆を進めたいと思います。
え?
今夜はアホな話じゃないのかって?
いや、この『Pillow Talk』は皆さんを眠りに誘う静かなジャズのようなお話をする時間ですから、アホな話なんてたまにしかしませんよ。
おっと。
この原稿を書いていたら、急に激しい雨が降ってきました。
こういうのを『ゲリラ豪雨』っていうんですね。
そう言えば僕、子供の頃に『ゲリラの襲撃により多数のケガ人が出ております』ってニュースを聞いた時に、ゲリラってゴリラのもっと凶暴で恐ろしい上位互換の種類だと割とガチで思ってたんですよね。
「ゲリラ? マジこええええっ」て。(アホ)
さて、皆さんウトウトしてくる頃ですかね。
今夜もお付き合い下さいまして、ありがとうございました。
また、いつかの夜にお会いしましょう。
おやすみなさい。
今宵もいい夢を。
0
お気に入りに追加
0
あなたにおすすめの小説

釜ヶ崎少年
四奈川 小次郎
エッセイ・ノンフィクション
釜ヶ崎とは大阪市西成区の一部で簡易宿泊街を指す名称である。
あいりん地区と呼ぶほうが伝わりやすいかと思うが、これは行政の呼称であり、そこに住むものが自ら使うことは少ない。
釜ヶ崎が日雇い労働者の町として人が溢れていた時代の一部
1986年から1990年頃までの数年間をこの釜ヶ崎で過ごした幼児、小児時代。
少年時代の私は何を経験したのか、そしてどんな記憶が強烈に残っているのか。
幼い子供ながらにも喧嘩、暴動、誘拐、薬物、性被害など様々なモノを目撃し、時には巻き込まれた。
そのような危険も多く存在していたが、周囲の人々の大きすぎる人情の中で成長できたのもまた事実。
昭和末期から平成初期の当時の記憶と後の考察から釜ヶ崎の生活をノンフィクションで記す。
土地などの名称は当時の呼称で覚えているため、現在とは呼び名が違うものがあるかも知れないが当時の記憶に基づいているためご容赦いたいただければと思う。



ポケっこの独り言
ポケっこ
エッセイ・ノンフィクション
ポケっこです。
ここでは日常の不満とかを書くだけのものです。しょーもないですね。
俺の思ってることをそのまま書いたものです。
気まぐれ更新ですが、是非どうぞ。
リアル男子高校生の日常
しゅんきち
エッセイ・ノンフィクション
2024年高校に入学するしゅんの毎日の高校生活をのぞいてみるやつ。
ほぼ日記です!短いのもあればたまに長いのもだしてます。
2024年7月現在、軽いうつ状態です。
2024年4月8日からスタートします!
2027年3月31日完結予定です!
たまに、話の最後に写真を載せます。
挿入写真が400枚までですので、400枚を過ぎると、古い投稿の挿入写真から削除します。[話自体は消えません]
オタクと鬱で人生暇で忙しい
椿山
エッセイ・ノンフィクション
金と愛と時間を手に入れたけど、自分自身には何にもない。鬱病で何もできないから今日も暇だけど、オタクで情緒が忙しい。アスペルガー症候群と重症の鬱病で医者を辞めたバツイチオタクの雑多な話です。
※エッセイになっているのかわかりません。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる