蛮族女王の娘 第2部【共和国編】

枕崎 純之助

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第166話 偽りのまどろみ

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 ヤブランは夜更よふけの中庭を1人で歩き回っていた。
 この時刻のため人の姿はない。
 敷地の四隅の尖塔せんとう煌々こうこうかれた松明たいまつも、中庭の全てを照らし出すことは出来ないようだ。
 やみが横たわる場所を選んで歩きながら中庭から表門の方に行くと、先ほどの門番役の老人がいる待機小屋が見えてきた。
 さすがに明かりは消えている。

(もう眠ったんだろうな。お年寄りだったし)

 大きな鉄ごしらえの表門は固く閉ざされており、鉄のかんぬき施錠せじょうされている。
 ヤブランはその構造をじっと見つめ、開錠かいじょうの方法に目処めどを付けた。
 しかし、ヤブラン1人で重厚なこの門を開けられるか不安だ。
 門番は老人とはいえ体も大きく頑健そうな男だったのだ。

(開ける練習が出来ればいいんだけど……)

 試しに開けてみたかったが、先刻ここを訪れた際に聞いた開門の際の大きくきしむ音を思い返して思い留まった。
 誰かに気付かれてしまうのは困る。
 ヤブランはあきらめて表門の周囲を探った。
 その時だった。

 表門から向かって右に数メートルの壁面にいきなりポッカリと空間が開いたのだ。
 そこに人の気配を感じ、ヤブランはあわてて近くに積まれた木材の陰に身を隠した。
 するとその空間から1人の修道士が姿を現したのだ。

 暗がりで気付かなかったが、外から差し込む明かりでヤブランはようやく分かった。
 そこには人1人が通れる程度の小さな木製のとびらが設けられているのだ。
 おそらくここの修道士専用の出入口なのだろう。

 修道士はとびらを閉めて取り出したかぎ施錠せじょうすると、そそくさと中庭から修道院の本館に入っていく。
 何やら用事で外出していたのだろう。
 ヤブランはホッと息をついた。

(見つからなくて良かった。夜もああして人の出入りがあるなら注意しないと。まずはあのとびらかぎをどうにかして手に入れないとね)

 ヤブランはとにかくここからエミルを連れて脱出するために情報を集め続けるべく暗躍した。
 彼女にとって幸運だったのはこの時、オニユリたちはヤブランの不在に気付いていなかった。
 いや、むしろヤブランのことなど気にもしていなかったのだ。
 なぜならオニユリたちは今、あるたくらみの真っ最中だったからだ。 

 ☆☆☆☆☆☆ 

 エミルが目を覚ますと、そこは見慣れた部屋だった。
 ダニアの都の女王の館である金聖宮ゴルダニアの自分のベッドに横たわっている。
 そして……すぐとなりにはい寝してくれている母・ブリジットの姿があった。

「……母様?」
「エミル。目が覚めたのか。随分ずいぶんとうなされていたぞ。悪い夢を見たんだな」

 そう言うと母はそっとエミルを抱きしめてくれた。

「夢……僕は……敵に捕まっちゃって……」
「そうか。そんな夢だったのか。怖い思いをしたな」

 母はエミルの黒髪を優しくでてくれる。
 その声やぬくもりにエミルはすっかり安心して、心が解きほぐされていくのを感じた。

(そうか。夢だったんだ……全部、悪い夢……)

 エミルはようやく手にした安堵あんどを全身で感じながら、母の腕の中でまどろむのだった。

 ☆☆☆☆☆☆

「……母様」
「ええ。母様よ。エミル」

 うつろろな目でうわ言をらすエミルをベッドの上で抱き締めるのはオニユリだった。
 まるで我が子をいつくしむ母のようにエミルの黒髪を優しく手ででるオニユリだが、そのほほは興奮に上気し、その目は恍惚こうこつにギラギラとかがやく。

「もう大丈夫よ。エミル。母様がずっとそばにいてあげるからね」
「うん……母様」
「何も心配しなくていいわよ」
 
 優しい声音でそう言葉をつむぐオニユリの舌がなめらかにすべり、自身のくちびるをひとめする。
 紫のけむりが漂う部屋でエミルは夢うつつの中、偽りのまどろみに沈んでいくのだった。

 ☆☆☆☆☆☆

「バラモンは何か反応を見せましたか?」 

 港町バラーディオの通りを北上しながらアーシュラは共に歩くオリアーナにそうたずねた。
 オリアーナの持つなわつながれた黒熊狼ベアウルフのバラモンはその自慢の嗅覚で地面のニオイをいでエミルを追跡し続けている。
 だが今のところ目ぼしい成果はなく、オリアーナは冴えない表情で首を横に振った。

「そうですか。バラモンも歩き続けて疲れているでしょうけれど、今は時間との勝負です。もう少しがんばってください」

 アーシュラはそう言うとすぐ後方に続くネルを振り返る。
 先ほどまで彼女は退屈そうにしていたが、今は息を吹き返したように戦意に満ちた表情で弓弦ゆづるの具合を指で確かめていた。
 そんな彼女を落ち着かせるようにアーシュラは言う。

「ネル。まだ弓矢の出番はありませんよ」
「分かってますよ。でも何事も準備が大事。あんたならそうおっしゃるんじゃないですか。隊長どの」

 ネルは皮肉を込めてそう言った。
 そう。
 何事にも準備は大事だ。
 ねたような態度のネルだが、彼女の口からその言葉が出るのは良い傾向だとアーシュラは思った。

 アーシュラは知っている。
 毎晩、ネルが1人で弓の訓練を行っていることを。
 しかもそれは基本に立ち返った基礎的な訓練だ。
 元より天性の才能で弓矢を自在に操っていたネルには、大きな過信と慢心があった。 

 その自信を一度打ち砕き、もう一度それを組み直すためにネル自身が研鑽けんさんを重ねる。
 そうすることでアーシュラは彼女に自覚を持ってもらいたかったのだ。 
 自身が弓を引き矢を放つことの意味を。

「プリシラは……ワタシ達の中の誰よりも今、あせりを感じ続けています。大事な弟が行方ゆくえ知れずとなっているのですから当然ですよね。でも彼女はそんな中でも仲間への敬意と気遣きづかいを忘れません。ワタシは……そんな彼女を助けたいと思っています。1人の同胞として」

 不意にそう言うアーシュラにネルはやや神妙な面持おももちとなった。
 オリアーナも同様だ。
 ネルは歩きながら指で弓弦ゆづるをなぞりつつ言った。
 
「家族ってそんなもんすかね。アタシにはよく分かんねえ。けど……プリシラが必死なのは伝わってきますよ。親とか兄弟ってそうやって必死に守りたいもんなんだな」

 それは皮肉でも何でもなく、ネルの素朴そぼくな疑問だった。
 アーシュラは彼女の生い立ちを知っている。
 ネルには父親がおらず、かつて共に暮らしていた母親は酒を飲んではよくネルをなぐっていたので、彼女は10歳になる前には家出して路地裏で浮浪児として暮らしていた。
 そこをナタリーとナタリアに拾われて弓兵隊で暮らす様になったのだ。

 自分以外の他者を守りたいと心から思った時、人はそれまでになかった新たな強さを手にする。
 アーシュラはそれをえて口にすることはしなかった。
 ネルのようなタイプは人から教えられるよりも自分自身で気付くことのほうが、大きく心に響くと思ったからだ。

(ネル。成長しなさい。人として成長すれば、きっとあなたの弓の腕はもっと厚みを増す)

 胸の内でそう念じたその時だった。
 アーシュラの頭にふと飛び込んで来たのは黒髪術者ダークネスの気配だった。
 エミルのものかと思った。
 だが……。

(いや……違う。これは……)

 アーシュラが感じたそれはエミルの子供っぽい気配ではなく、洗練された熟練の黒髪術者ダークネスの力だった。
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