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第134話 ヤブランの賭け

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「共和国南部の港町ね。要望通りだわ」

 オニユリはヒバリとキツツキの報告に満足げにうなづいた。
 彼女が王国で知り合ったある実業家の女がいる。
 その女は普段は共和国を拠点に娼館などを営んでいたが、その当時は王国に出張に来ていたのだ。
 大陸に来てから日の短いオニユリは、その女に自分の性的な欲求を満たすための注文をした。
 最初はいぶかしんでいた女も、金に少々色をつけて渡すとたちまち上機嫌になって良い人材を紹介してくれた。

 今、オニユリのところにいる少年の半数ほどは女から紹介された子供たちだった。
 そして今回、オニユリはエミルを潜伏させる先を確保すべく、その女に金を積んだのだ。
 アリアドを支配した際にいくつか全滅させた商家から独自に金品をせしめていたので、オニユリの私腹は十分にえており、資金は潤沢じゅんたくだった。 
 そして港町というのは便利で、人の出入りが多く、人を隠すのに適している。
 木を隠すなら森の中というわけだ。

 いざとなれば船で他所よそへ逃げられるし、さらに次の手を打ちやすい。
 オニユリはエミルをしっかりと懐柔かいじゅうし、我がものとする願望に取りかれていた。
 そのためならば危ない橋も渡る。
 彼女はその心に狂気をはらんだ欲望を抱き、そのために平然と行動する危険な考えの持ち主だった。

「坊や。楽しい暮らしにしましょうね」

 オニユリは誰もいない執務室で1人ほくそ笑む。
 毎晩毎晩エミルのそばにいながら決して手を出さないというのは、オニユリからすればお預けを食らっている気分だが、それすらも自身の欲望を味付けしてくれる調味料だ。
 空腹は最高の香辛料スパイスともいう。

「今から坊やとの新居での暮らしが楽しみだわ」

 オニユリがそう言ったその時、執務室のとびらがコンコンと叩かれた。
 そしてヒバリの声が聞こえる。

「姉上様」
「どうしたの? 入りなさい」

 オニユリがそう許可するととびらが開き、白髪頭のヒバリがおずおずと入って来る。

「小間使いのヤブランが、姉上様の側付きになりたいと……」

 ヒバリの言葉にオニユリはワケが分からないという顔をする。

「は? 何を言っているの? そんなのあなたが即答で断りなさいよ」
「それが……シジマ様からの指示書をたずさえておりまして」

 無表情ながら言いよどむようにそう伝えるヒバリに、オニユリは舌打ちをした。

「……ヤブランは?」
「玄関前で待たせております」
「通しなさい。私が直接話すわ」

 その指示にヒバリは即座に頭を下げて部屋を出て行く。
 残されたオニユリは苦虫をつぶしたような顔でつぶやいた。

「まったく……シジマ兄様も余計なことを……」

 ☆☆☆☆☆☆

 執務室に通されたヤブランは、たずさえた手紙をオニユリに差し出す。
 そこにはシジマから妹のオニユリにててこう書かれていた。

【任務復帰までの間は、ヤブランを側付きとして使うように。一刻も早く任務に復帰できるよう療養にはげむこと。これは兄からではなく上役からの正式な通達である】

 その手紙をオニユリが読んでいる間、ヤブランは緊張を顔に出さぬよう努めて冷静にそこにかしこまっていた。
 そして手紙を読み終えたオニユリは不機嫌そうにヤブランを見やる。

「これをシジマ兄様が鳩便はとびんであなたに?」
「はい。共和国に入る前に最後に飛ばした鳩便はとびんの手紙です」

 オニユリは憤然とした顔でヤブランの顔から視線を外し小さくため息をついた。

「ヤブラン。悪く思わないで欲しいのだけれど、馴染なじみの薄い者をそばに置くのは私も好きじゃないのよ。あなたも私のそばで働くのは本意じゃないでしょう? 兄には私から後で言っておくから……」
「申し訳ございません。オニユリ様。ご指示に従わねば私はシジマ様よりおしかりを受けます。たとえオニユリ様にお口添えいただきましても、私のシジマ様からのご信頼は失われてしまうでしょう。何卒なにとぞお聞き入れ下さいませ」

 そう言うとヤブランは頭を下げたまま必死にいのった。
 
(神様。何とかここを乗り切らせて下さい。あのにせの手紙を必死に作った努力に免じて)

 そう。
 シジマからの手紙というのは真っ赤なうそだった。
 シジマの筆跡を真似まねてヤブランが書いたものだ。
 ヤブランには特筆する特技はなかったが、数少ない特技が字の綺麗きれいさと手先の器用さだった。
 そして同じように几帳面きちょうめんな字を書くシジマの字体はヤブランには至極しごく真似まねしやすかったのだ。

 だが、シジマの実の妹であるオニユリの目をあざむけるかどうかは神にいのる他なかった。
 このまま何もしなければオニユリはエミルを連れてここを去ってしまう。
 そのままエミルが本当に行方ゆくえ知れずになって見つからなければ懸念はなくなるが、そんな保証はどこにもない。
 時間的に追い詰められていると知ったヤブランの苦肉の策だった。

「シジマ兄様……いつも口うるさいけど、最近は拍車がかかってきたわね」
 
 そう言うオニユリはうなるようにしてしばしだまり込む。
 おそらくこの話を断るための口実を、あれこれと模索もさくしているのだろう。
 そうはさせじとヤブランはたたみかける。

「差し出がましいようですがオニユリ様のおそばには女性がいらっしゃらないので……同じ女の私がいたほうが都合がよろしい時もあるのではないでしょうか。シジマ様もその点をご心配されていらっしゃるのではないかと」 
「……」

 オニユリの顔がわずかに怒りの色を帯びるのをヤブランは見ないフリをした。
 オニユリには悪いうわさがある。
 それは彼女の周囲に女官が一切いないことが拍車をかけていた。
 それを払拭ふっしょくするには側付きに女性がいたほうがいいのではないか。

 ヤブランは暗にそういうことを言っているのだ。
 たかが小間使いの少女にそんなことを言われて、オニユリの自尊心が傷つかないはずはない。
 これはヤブランのけだった。
 オニユリはしばしだまってヤブランを見つめていたが、やがて重苦しい顔で口を開く。

「……いいわ。ヤブラン。あなたを臨時の側付きとして一時的に召し抱えます。ただし……」

 苦虫をつぶしたような顔でそう言うと、オニユリはさらに声をしぼり出した。

「私の指示には必ず従うこと。これを守れなくば即刻解任するわよ。いいわね」
おおせのままに」

 ヤブランは深々と頭を下げた。
 心臓が早鐘はやがねを打ち、緊張のあまり口から飛び出そうだった。
 だが、ヤブランは第一のけに勝ったのだ。
 こうしてヤブランはオニユリの隠す真相に近付く足掛かりを得た。
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