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第124話 受け継がれる女王の血
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林の中に血の臭いが立ち込めている。
プリシラが仕留めた大猪が、腹を裂かれて臓物と共に大量の血を流しているためだ。
「ハリエット。ありがとう」
そう言うとプリシラは猪を仕留めるために借りた両手斧をハリエットに返した。
それを受け取りながらハリエットは先ほどのプリシラの恐るべき攻撃を思い返し、思わず身震いする。
(この斧をまるで剣みたいな速さで振り下ろすなんて……)
ハリエットは斧を握る手に思わず力を込めていた。
もちろん斧を専門武器として鍛え抜いてきた自分の技術と比べると、プリシラのそれは劣る。
だが、自分にはプリシラのような速度でこの斧を振るうことは出来ないだろう。
プリシラの異常筋力があってこそ出来る驚異的な攻撃だった。
(あれが女王の血を受け継いだプリシラの力……)
ハリエットの心に浮かび上がるのは戦士としての少しの嫉妬心と、大いなる尊敬の念だった。
プリシラはいずれ次期女王として君臨する。
第8代ブリジットとなる者には知恵と人格、そして何よりも力が必要なのだ。
プリシラにはその資質がある。
ハリエットは女王の資質を目の当たりにして、心が震えるような興奮を覚えていた。
そんな彼女の高揚した気分を知ることもなく、プリシラはハリエットに笑みを向ける。
「とてもいい斧ね。壊れてはいないと思うけど……」
「大丈夫。そんなにヤワな鍛え方してないから。この斧。それよりこれで落ち着いて背紅狼たちと戦えるわね」
そう言うとハリエットは周囲を見回す。
プリシラも周辺に目を向けたが、背紅狼らの様子が変わっていることに気が付いた。
彼らは先ほどまでのように獰猛に襲いかかってくるのではなく、少し距離を置いて落ち着きなくウロウロとしている。
その様子に眉を潜めるプリシラたちの背中に声をかけてきたのはエステルだった。
「これ以上は戦う必要ありません。背紅狼と遭遇した際の対処法はご存じですか?」
エステルは赤い血の付着した鉄棍を握り締めたまま話を続ける。
「彼らは食糧を得ることに貪欲です。逆に言えば、すぐに食べられる食糧があれば、危険を冒して生きている動物を襲うことはしません」
背紅狼の追跡を受けた際は、十分な食糧を置いて逃げることが定石と言われている。
背紅狼らがその食糧を漁っている間に逃げられるからだった。
彼らとて狩りをするのはリスクがあるものなのだ。
狩りの成功率は決して高くなく、獲物を取り逃がしてしまう恐れもあり、逆に獲物からの反撃を受けてしまう危険も伴う。
その危険を冒さずとも食料が手に入るのならば、背紅狼らは決して無理をしない。
「最高の食料が目の前に落ちていますので、彼らはもはやそれにしか興味がありませんよ」
そう言うとエステルは死んだ猪を指差した。
プリシラの元に歩み寄って来たオリアーナもエステルの意見に同意する。
「あれだけあれば……群れの食い扶持としては十分」
そんなオリアーナの隣では黒熊狼のバラモンが漂う血の臭いに鼻をヒクヒクさせている。
だがバラモンはきちんと訓練を受けた獣だ。
背紅狼らのように落ち着かない態度は見せない。
プリシラはエステルとオリアーナの話を聞き、頭上に目を向けた。
木の上ではアーシュラがじっと状況を見守っている。
そんな上官にプリシラは声をかけた。
「隊長! 撤退の許可を!」
プリシラの言葉にアーシュラは周囲を見回し、それからプリシラに目を向けた。
「許可します。速やかに撤退しなさい」
その言葉にプリシラは一番遠くで今もなお背紅狼を追おうとしている弓兵のネルを見た。
「ネル! 撤退よ!」
「……チッ。分かったよ」
ネルも周囲の背紅狼たちの様子が変わったことは気付いていて、いくつか転がっている背紅狼の死骸や地面から素早く矢を引き抜いて回収すると、プリシラたちを追って撤退し始めるのだった。
後方では背紅狼らが猪の死骸に群がり、争うようにガツガツとその死肉を喰らい始めていた。
☆☆☆☆☆☆
アーシュラは吹き矢を懐にしまい込み、木の幹に括りつけてある鷹のルドルフが眠る鳥籠の縄を解き始める。
(……女王の血というのは不思議なものだ)
アーシュラは長年クローディアに仕え、女王の生き様を間近で見続けてきた。
クローディアの声には聞く者を傅かせるような不思議な響きがあった。
威厳に満ちていて、それでいて相手を包み込むような優しさに溢れている。
そんな声や話し方、振る舞いや眼差しなど、全てが女王然としていて、この人に仕えたいと思わせるのだ。
もちろん同い年として子供の頃から共に育ったアーシュラは、それはクローディアの一面であって、彼女にも普通の少女としての側面があったことは知っている。
だが女王の資質を持つ者は若い頃からその頭角を表すのだと、プリシラを見ていると思う。
彼女は母であるブリジットのカリスマ性をしっかりと受け継いでいるのだ。
先ほどの猪を倒した一幕などはそれが顕著に表れていた。
あの時、プリシラはあの場を支配し、決然たる言動とその力をもって女たちを統率してみせた。
(プリシラ……彼女は道を間違えなければ、必ず良い女王になる。何としてもこの任務を成功させ、彼女をダニアに連れ帰らなければ)
現在は議会制政治を敷くダニアにとって女王は以前のような政治的な決定権は持たない。
だが今も女王という存在はダニアに住む全ての民にとって特別であり、唯一無二の絶対的なものなのだ。
それはこれからも変わらないだろう。
アーシュラは次代の女王をしっかりと未来へ導く重責に、あらためて気を引き締めるのだった。
プリシラが仕留めた大猪が、腹を裂かれて臓物と共に大量の血を流しているためだ。
「ハリエット。ありがとう」
そう言うとプリシラは猪を仕留めるために借りた両手斧をハリエットに返した。
それを受け取りながらハリエットは先ほどのプリシラの恐るべき攻撃を思い返し、思わず身震いする。
(この斧をまるで剣みたいな速さで振り下ろすなんて……)
ハリエットは斧を握る手に思わず力を込めていた。
もちろん斧を専門武器として鍛え抜いてきた自分の技術と比べると、プリシラのそれは劣る。
だが、自分にはプリシラのような速度でこの斧を振るうことは出来ないだろう。
プリシラの異常筋力があってこそ出来る驚異的な攻撃だった。
(あれが女王の血を受け継いだプリシラの力……)
ハリエットの心に浮かび上がるのは戦士としての少しの嫉妬心と、大いなる尊敬の念だった。
プリシラはいずれ次期女王として君臨する。
第8代ブリジットとなる者には知恵と人格、そして何よりも力が必要なのだ。
プリシラにはその資質がある。
ハリエットは女王の資質を目の当たりにして、心が震えるような興奮を覚えていた。
そんな彼女の高揚した気分を知ることもなく、プリシラはハリエットに笑みを向ける。
「とてもいい斧ね。壊れてはいないと思うけど……」
「大丈夫。そんなにヤワな鍛え方してないから。この斧。それよりこれで落ち着いて背紅狼たちと戦えるわね」
そう言うとハリエットは周囲を見回す。
プリシラも周辺に目を向けたが、背紅狼らの様子が変わっていることに気が付いた。
彼らは先ほどまでのように獰猛に襲いかかってくるのではなく、少し距離を置いて落ち着きなくウロウロとしている。
その様子に眉を潜めるプリシラたちの背中に声をかけてきたのはエステルだった。
「これ以上は戦う必要ありません。背紅狼と遭遇した際の対処法はご存じですか?」
エステルは赤い血の付着した鉄棍を握り締めたまま話を続ける。
「彼らは食糧を得ることに貪欲です。逆に言えば、すぐに食べられる食糧があれば、危険を冒して生きている動物を襲うことはしません」
背紅狼の追跡を受けた際は、十分な食糧を置いて逃げることが定石と言われている。
背紅狼らがその食糧を漁っている間に逃げられるからだった。
彼らとて狩りをするのはリスクがあるものなのだ。
狩りの成功率は決して高くなく、獲物を取り逃がしてしまう恐れもあり、逆に獲物からの反撃を受けてしまう危険も伴う。
その危険を冒さずとも食料が手に入るのならば、背紅狼らは決して無理をしない。
「最高の食料が目の前に落ちていますので、彼らはもはやそれにしか興味がありませんよ」
そう言うとエステルは死んだ猪を指差した。
プリシラの元に歩み寄って来たオリアーナもエステルの意見に同意する。
「あれだけあれば……群れの食い扶持としては十分」
そんなオリアーナの隣では黒熊狼のバラモンが漂う血の臭いに鼻をヒクヒクさせている。
だがバラモンはきちんと訓練を受けた獣だ。
背紅狼らのように落ち着かない態度は見せない。
プリシラはエステルとオリアーナの話を聞き、頭上に目を向けた。
木の上ではアーシュラがじっと状況を見守っている。
そんな上官にプリシラは声をかけた。
「隊長! 撤退の許可を!」
プリシラの言葉にアーシュラは周囲を見回し、それからプリシラに目を向けた。
「許可します。速やかに撤退しなさい」
その言葉にプリシラは一番遠くで今もなお背紅狼を追おうとしている弓兵のネルを見た。
「ネル! 撤退よ!」
「……チッ。分かったよ」
ネルも周囲の背紅狼たちの様子が変わったことは気付いていて、いくつか転がっている背紅狼の死骸や地面から素早く矢を引き抜いて回収すると、プリシラたちを追って撤退し始めるのだった。
後方では背紅狼らが猪の死骸に群がり、争うようにガツガツとその死肉を喰らい始めていた。
☆☆☆☆☆☆
アーシュラは吹き矢を懐にしまい込み、木の幹に括りつけてある鷹のルドルフが眠る鳥籠の縄を解き始める。
(……女王の血というのは不思議なものだ)
アーシュラは長年クローディアに仕え、女王の生き様を間近で見続けてきた。
クローディアの声には聞く者を傅かせるような不思議な響きがあった。
威厳に満ちていて、それでいて相手を包み込むような優しさに溢れている。
そんな声や話し方、振る舞いや眼差しなど、全てが女王然としていて、この人に仕えたいと思わせるのだ。
もちろん同い年として子供の頃から共に育ったアーシュラは、それはクローディアの一面であって、彼女にも普通の少女としての側面があったことは知っている。
だが女王の資質を持つ者は若い頃からその頭角を表すのだと、プリシラを見ていると思う。
彼女は母であるブリジットのカリスマ性をしっかりと受け継いでいるのだ。
先ほどの猪を倒した一幕などはそれが顕著に表れていた。
あの時、プリシラはあの場を支配し、決然たる言動とその力をもって女たちを統率してみせた。
(プリシラ……彼女は道を間違えなければ、必ず良い女王になる。何としてもこの任務を成功させ、彼女をダニアに連れ帰らなければ)
現在は議会制政治を敷くダニアにとって女王は以前のような政治的な決定権は持たない。
だが今も女王という存在はダニアに住む全ての民にとって特別であり、唯一無二の絶対的なものなのだ。
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