蛮族女王の娘 第2部【共和国編】

枕崎 純之助

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第111話 エステル

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 日がすっかり西に傾き、赤い西日が大地を照らしている。
 アーシュラひきいる一行を乗せた馬車が、共和国と公国の国境地帯にまたがる山岳地帯のふもとに到着した頃には、夕刻となっていた。
 すぐに夜のやみが訪れるだろう。
 
「到着しました。降りますよ」

 アーシュラがそう言うとエステルは一番に立ち上がり、馬車のとびらを開く。
 このエミル捜索そうさく隊の隊長であるアーシュラを最初に降車させるためだ。
 アーシュラはそんなエステルに軽く目礼すると、馬車を降りて行く。
 その背中を見つめながらエステルは次にプリシラを降ろし、3番手は誰にも譲らないとばかりにその次に自分が降りた。

 馬車に乗って移動する間、アーシュラから作戦行動の説明を受けた際には、いくつか質問をしたりして積極的な姿勢を見せてきたエステル。
 だがその表情はずっと堅いままだった。
 作戦の始まりが彼女の思い描いていたものとは違ったからだ。

(アーシュラさんに出てこられたら仕方ないか……)

 エステルは自分がブリジットからの緊急招集を受けた時に、ようやくこの時が来たかと思った。
 幼い頃から文武両道を目指して、武術の訓練だけでなく勉学にはげんで来た。
 通常の武術訓練が終わって、そこから遊びに繰り出す同輩たちを尻目しりめに、エステルは必死に勉強の時間を捻出してきたのだ。
 
 正直、武術に関しては、自分は凡人だとエステルは思った。
 他の者よりいちじるしくおとることはないが、かといって他者より抜きん出ている才能があるわけではないことは自分が一番よく分かっている。
 だが、勉学だけは違った。
 実際、勉学はエステルの肌に合っていた。

 勉強に割いた時間と労力に比例して、彼女の学力はメキメキと向上していった。
 努力すればするだけ実力が上がっていく勉学に、彼女はすぐに傾倒していった。
 周囲の女たちからはやっかみ混じりで「ガリ勉女」などと揶揄やゆされることも少なくなかったが、エステルは一切の雑音を無視して勉学に打ち込んだ。
 知識を増やし、見識を深め、他人の知らないことを知り、誰よりも優れた試験の点数を叩き出す。
 それは彼女にとって気持ちの良いことであり、自分という人物の能力を周囲に知らしめるための絶好の手段だった。

(アタシは暴れることしか能の無い他の女たちとは違う)

 そうしてエステルは学力と共におのれの自尊心を高く高く積み上げていった。
 やがてそんなエステルはダニア評議員の議長であるウィレミナの目に止まり、彼女から直々じきじき推薦すいせんされて学舎【ユーフェミア】への受験資格を得たのだ。
 エステルにとってウィレミナはあこがれの人物だった。
 他の女たちが2人の女王やベラ、ソニア、そしてデイジー将軍らにあこがれる中、エステルにとってはウィレミナこそが自分が目指すべき人物だと思えた。

 文武に優れ、若き頃から政治にたずさわってきたウィレミナは、若干30歳にしてついに議長の座にくこととなったのだ。
 ダニア政府の最高峰に立つウィレミナこそ、エステルにとっては英雄だった。
 そしてそんなあこがれの人物から、選ばれし者だけがその門をくぐれる学舎【ユーフェミア】への推薦すいせんを受けたことでエステルは有頂天になった。
 寝食を惜しんで勉学にはげんだ結果、エステルは堂々の合格を果たし、【ユーフェミア】への入門を自らの手でつかみ取ったのだ。 
 その学舎に通う者だけが着ることを許される高価な絹の制服にそでを通した時は、感極まって1人で嬉し涙を流したものだ。

 その合格を祝ってくれる友は周りにはいなかった。
 勉学に打ち込むために周囲からの遊びの誘いを一切断り、ひたすら続けた努力は彼女を孤独にした。
 だがそれでも構わないと思った。
 誰よりも高みに行くことは、そういうことなのだとエステルは信じて疑わない。
 学舎でも周囲と慣れ合うことなく、彼女はひたすら勉学に打ち込む中で、ついには学舎でも1番の成績を取るようになったのだ。

 その頃にはエステルの名は学舎の中のみならず、ダニア評議会にもとどろくようになっていた。
 ウィレミナの後継者が現れたと。
 周囲からの評判が高まるほど、先端を鋭くけずった鉛筆のようにエステルの自尊心はぎ澄まされていった。
 徐々に周りの者たちがおろかに見えるようになる。
 決して口にはしないが、自己研鑽けんさんおろそかにして男遊びに興じるような女たちはもう猿にしか見えなかった。

(あちら側にいるおろか者たちをアタシが導いていくんだ。それがこちら側にいるアタシの役目であり、天から与えられし使命)

 だから今回、ブリジットからの緊急招集を受けた際に、共にネルやオリアーナが呼ばれたことを知ったエステルはこう思った。
 ああ、おろかな者たちを導く役目を、ブリジットはこの賢いアタシにお命じになったのだな、と。
 彼女は意気込んだ。
 ブリジットからの直々じきじきの任務を先頭に立ち見事にこなして、自分の有能さを周囲に見せつけてやると。

 だがふたを開けてみれば、この部隊の隊長はアーシュラが担うことになった。
 それはエステルにとっては肩かしを食らったような気分だった。
 もちろんエステルとてアーシュラの勇名は知っているし、彼女が来るなら自分がその下にくのは当然だと思った。
 副官の役割を担うのは自分しかおらず、その役目を存分に果たしてアーシュラをおどろかせてやろうと考えたのだ。

「アーシュラ隊長。すぐに野営の準備を始めます」

 送り届けてくれた馬車がビバルデへと戻っていく中、エステルはすぐにそう言った。
 夜になる前に野営の準備を済ませ、明朝の捜索そうさく開始に備える。
 それをエステルは手早く済ませるために頭の中で算段を立てていた。

 机の上で知識をひけらかすばかりでは、このダニアでは認められないことはエステルももちろん分かっている。
 勉学中心の生活でありながら、武術や野営などの訓練も最低限欠かすことはしなかった。
 だが、そう言うエステルにアーシュラは平然と告げる。

「野営? 誰が野営をすると言いましたか?」 
「は? い、いえ。しかし……」

 予想もしなかった上官の言葉にエステルは思わず戸惑う。
 もう日も暮れるし、野営の準備をしておくのは当然のことだ。
 それ以外の選択肢などありえないと思い呆気あっけに取られるエステルに、アーシュラは冷然と告げた。

「このまま山道に入ります」
「……は? し、しかしもう日が暮れますよ? 今から山に入るのは……」
「日が暮れるから何なのですか? エステル」

 アーシュラに冷たくそう言われてエステルは思わずムッとしつつ、その表情だけは努めて冷静に保ちながら進言する。

「視界が悪い中、山道を進むのは危険です。無用な危険を避け……」
「無用な危険を避けて、安全な道を進むのが我らの仕事ですか?」
「え? い、いえしかし……」

 おどろくエステルをアーシュラはじっと見つめる。

「エステル。あなたは我らの任務を正しく理解していないようですね」
「い、いえ。そのようなことは……」

 アーシュラはそこでエステルのみならず、プリシラを初めとする他の5人にも目を向けて言う。

「我らはたったこれだけの人数で、戦時中である公国に乗り込み、どこにいるかも分からないエミル様を探し出して、どれくらいの数がいるかも分からない敵の手の中から救い出さねばなりません。そもそもエミル様が本当に敵の手に落ちているのかさえ分からないのです。それこそ暗闇くらやみの中を手探りで進むような任務なのです。常に危険ととなり合わせであり、安全などどこにもないと胸に刻みなさい」

 そう言うとアーシュラは再びエステルに目を向ける。

「たった一つだけハッキリしていることがあります。我らには時間がありません。のんびり朝まで野営している間にも、エミル様の置かれた状況は刻一刻と変化している恐れがあるのですよ。エステル。あなたは夜の山を歩く勇気がないのですか?」
「そ、そのようなことは決して……」
「ダニアの女は悪路を突き進み続けて道を切り開いてきた歴史があるのです。その誇りとたましいを持つ者だけがワタシについてきなさい。夜の山道程度を踏破とうはできない者に、この作戦の達成はままならない。それを忘れないように」

 そう言うとアーシュラはきびすを返し、若者たちに背を向けてサッサと歩き出した。
 躊躇ためらうことなく山道へと足を踏み出す彼女の姿に皆が困惑する中、プリシラは次に続いた。

「アタシは行くわ。山道なんて怖くないもの」

 その言葉にエリカやハリエット、ネルにオリアーナも続く。
 夕闇ゆうやみに包まれていく山道を進んでいくそんな全員を見ながら、エステルはくちびるんだ。

(くっ……何なの。まったく。こんなのちっとも合理的じゃない)

 仕方なくエステルも足早に歩き、同僚ら全員を追い抜いてアーシュラのすぐ後に付くのだった。
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