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第108話 囚われの少年
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うっすらとカーテンの隙間から差し込む光を見つめ、エミルはベッドに横たわったまま茫洋とした表情で目を細めた。
腰に巻かれた革帯は堅い縄でベッドの足に繋がれている。
ベッドの外にエミルを出さないようにするためだ。
手足は自由に動かせるが、エミルは起き上がる気力もない。
(どうして……こんなことになっちゃったんだろう)
囚われの身となったエミルは一晩中、眠ることが出来なかった。
ふとベットの表面に目をやると、朝日を受けてそこで何かがキラキラと光り輝いているのが見える。
それが数本の白い髪の毛だと思うと、エミルは恐ろしさとおぞましさで吐き気を覚えた。
その白い髪はゆうべここでエミルと一晩を明かしたオニユリという女のものだった。
彼女こそが部下に命じてエミルを捕らえさせた張本人だ。
昨晩、目を覚ましたエミルの前にオニユリはいた。
そして彼女は身動きの出来ないエミルに迫ったのだ。
殺されるかと思った。
だが……オニユリはエミルに指一本触れなかったのだ。
奇妙なことにすぐ近くでエミルを舐めるように見回し、恍惚とした表情を浮かべて他愛もないことを話しかけてくるだけだった。
だがエミルはまるで蛇に睨まれた蛙のように恐怖で動くことが出来なかった。
何かを話しかけられても恐ろしさで正しく理解できず、曖昧に頷くばかりのエミルの様子を楽しむかのように、オニユリは愉悦の時を朝まで彼と過ごしていたのだ。
そしてつい先ほど、ようやく部屋を出て行ったところだった。
(僕……これから王国に連れて行かれるんだろうな)
エミルは幼いながらも自分の立場を分かっている。
ダニアの女王の息子。
その自分を攫ったのが王国軍だ。
おそらくこれから自分は人質として利用されるのだろう。
その結果として両親や姉、ダニアの皆が不利な状況に追い込まれることを考えると、暗澹たる気持ちになる。
ずっと部屋の中にいるから、ここがどこなのかはまったく分からない。
いずれにせよ敵の手に落ちてしまった以上、自分が何かの取引材料としてダニアに引き渡されるその日まで、家族や親しい人たちに会うことは出来ないのだ。
エミルは絶望に落ちていきそうな気持ちを堪えるために、目を閉じてかつて家族と過ごした幸せな光景を繰り返し思い浮かべる。
そうしていなければ、この辛い状況を耐えられないと思ったからだ。
だが、次第に彼の心には悲しみに埋め尽くされていき、エミルはすすり泣きを漏らすのだった。
☆☆☆☆☆☆
「坊やの朝食は私が持って行くわ。ちゃんとお世話してあげないと」
オニユリは上機嫌でそう言うと、根城にしている商家の厨房で召使いである白髪の若い男らに作らせたパンや炒り卵などの盛られた皿を盆に載せた。
ゆうべは一晩中、エミルの愛らしさをその目で見て楽しんだのだ。
もちろん一切手を触れることはしなかった。
本当は触れたくてたまらなかったが。
しかしオニユリは心得ていた。
事を急いては仕損じるということを。
今、オニユリが手元に置いている子供らは皆、彼女が手塩にかけて手なずけてきた者たちだ。
(うふふ。まだ怯えていたわね。ああいう子はじっくりと育てていかないと)
子供たちの中にはオニユリのところに来た当初、怯えたり反発したりする子供も少なくなかったが、すべてオニユリが手練手管で手なずけ、今では従順な者ばかりになった。
むしろオニユリにとっては手なずけていく過程すら楽しいくらいだ。
(あの子に姉上様と呼ばれる日が待ち遠しいわ)
そんなことを思いながら嬉々とした表情で厨房を出たオニユリは、不意に足を止めた。
勝手口から建物の中に入って来た者がいたからだ。
それはオニユリの私的な使用人の中には1人もいない女性だった。
真っ白な髪をしているが、まだ成人前の若い少女だ。
「これはオニユリ様。これからお食事ですか? 珍しいですね。ご自分でお料理をお運びになるなんて。お手伝いいたしましょう」
整然とした口調でそう言う少女に、オニユリはほんと一瞬だけバツが悪そうな顔を見せた。
だがすぐに笑顔を取り繕う。
「あら。ヤブランじゃないの。ごきげんよう。お手伝いは結構よ。何か御用かしら?」
ヤブラン。
オニユリと同じ白い髪を持つココノエの民の少女だ。
年齢は12歳。
オニユリの兄であるシジマの元で小間使いとして働いている。
「シジマ様よりオニユリ様へのお見舞いの品を届けるよう仰せつかっております」
そう言う彼女はいくつもの果物が入った籠を両手で抱えていた。
作戦行動中に負傷した妹に対して見舞いの品を送るように、シジマから鳩便による指示を受けたのだろうとオニユリはすぐに理解した。
シジマは現在もチェルシー将軍に同行して作戦行動中であり、今頃は公国領の南側から共和国への潜入を果たそうとしているところだろう。
(……兄様がわざわざ? 鳩便を使ってまでお見舞いの指示を?)
オニユリは何か引っかかった。
確かにオニユリや長兄ヤゲン、次兄シジマの間には兄妹の情というものがある。
オニユリとて仮に兄が窮地に陥るようなことがあれば助けようと思うし、兄たちもそうであろうと信じている。
しかし兄たちは妹である自分に対してこういう細やかな気遣いをする性分ではないこともオニユリに分かっていた。
ゆえに引っかかるのだ。
オニユリは目の前の少女・ヤブランに目を向けた。
そして手に持った朝食の盆を脇の机に置くと、ヤブランの差し出す果物の籠をにこやかな顔で受け取りながら尋ねる。
「ありがたく頂戴するわ。シジマ兄様は他に何か仰っていらした? 作戦の状況はどうなっているのかしら」
「私兵の派遣に感謝するとのことです。作戦任務は予定通りこなすので、オニユリ様はしっかりお怪我を治すようにと仰っておりました」
「そう。ありがとう。ヤブラン。もういいわよ」
そう言うオニユリにヤブランは深々と頭を下げ、入ってきた時と同様に勝手口から下がっていった。
オニユリはその姿を見送りながら訝しむ。
(兄様ったら……勘ぐっているのかしら)
オニユリは自身について良くない噂があることを知っている。
だが、この世には男だろうと女だろうと富豪だろうと貧民だろうと、他人に言うのは憚られるような嗜好を持つ者はどこにでもいるのだ。
年端もいかぬ少年少女を愛でた王侯貴族の例は歴史上、枚挙に暇がない。
そのこと自体は露見して人から後ろ指を差されようとも、誰に裁かれるわけでもないのでオニユリは平然としていた。
だが、エミルを秘密裏に囲っていることが露見するのは絶対に防がねばならない。
それは明確な軍規違反であり、チェルシーに対する背信行為だからだ。
(坊やのことは隠し切らないとならないわね。このアリアドは人の目が多すぎる。近いうちにどこかへ移動させるべきだわ)
オニユリは慎重に頭の中で今後の動きを思案しながら、果物の籠を机の上に置き、再び朝食の盆を手に取る。
(まあ、それはそれとして今は坊やに朝食を食べさせてあげないと)
一転してオニユリは嬉々とした表情で、エミルを寝かせている寝室へと向かっていくのだった。
腰に巻かれた革帯は堅い縄でベッドの足に繋がれている。
ベッドの外にエミルを出さないようにするためだ。
手足は自由に動かせるが、エミルは起き上がる気力もない。
(どうして……こんなことになっちゃったんだろう)
囚われの身となったエミルは一晩中、眠ることが出来なかった。
ふとベットの表面に目をやると、朝日を受けてそこで何かがキラキラと光り輝いているのが見える。
それが数本の白い髪の毛だと思うと、エミルは恐ろしさとおぞましさで吐き気を覚えた。
その白い髪はゆうべここでエミルと一晩を明かしたオニユリという女のものだった。
彼女こそが部下に命じてエミルを捕らえさせた張本人だ。
昨晩、目を覚ましたエミルの前にオニユリはいた。
そして彼女は身動きの出来ないエミルに迫ったのだ。
殺されるかと思った。
だが……オニユリはエミルに指一本触れなかったのだ。
奇妙なことにすぐ近くでエミルを舐めるように見回し、恍惚とした表情を浮かべて他愛もないことを話しかけてくるだけだった。
だがエミルはまるで蛇に睨まれた蛙のように恐怖で動くことが出来なかった。
何かを話しかけられても恐ろしさで正しく理解できず、曖昧に頷くばかりのエミルの様子を楽しむかのように、オニユリは愉悦の時を朝まで彼と過ごしていたのだ。
そしてつい先ほど、ようやく部屋を出て行ったところだった。
(僕……これから王国に連れて行かれるんだろうな)
エミルは幼いながらも自分の立場を分かっている。
ダニアの女王の息子。
その自分を攫ったのが王国軍だ。
おそらくこれから自分は人質として利用されるのだろう。
その結果として両親や姉、ダニアの皆が不利な状況に追い込まれることを考えると、暗澹たる気持ちになる。
ずっと部屋の中にいるから、ここがどこなのかはまったく分からない。
いずれにせよ敵の手に落ちてしまった以上、自分が何かの取引材料としてダニアに引き渡されるその日まで、家族や親しい人たちに会うことは出来ないのだ。
エミルは絶望に落ちていきそうな気持ちを堪えるために、目を閉じてかつて家族と過ごした幸せな光景を繰り返し思い浮かべる。
そうしていなければ、この辛い状況を耐えられないと思ったからだ。
だが、次第に彼の心には悲しみに埋め尽くされていき、エミルはすすり泣きを漏らすのだった。
☆☆☆☆☆☆
「坊やの朝食は私が持って行くわ。ちゃんとお世話してあげないと」
オニユリは上機嫌でそう言うと、根城にしている商家の厨房で召使いである白髪の若い男らに作らせたパンや炒り卵などの盛られた皿を盆に載せた。
ゆうべは一晩中、エミルの愛らしさをその目で見て楽しんだのだ。
もちろん一切手を触れることはしなかった。
本当は触れたくてたまらなかったが。
しかしオニユリは心得ていた。
事を急いては仕損じるということを。
今、オニユリが手元に置いている子供らは皆、彼女が手塩にかけて手なずけてきた者たちだ。
(うふふ。まだ怯えていたわね。ああいう子はじっくりと育てていかないと)
子供たちの中にはオニユリのところに来た当初、怯えたり反発したりする子供も少なくなかったが、すべてオニユリが手練手管で手なずけ、今では従順な者ばかりになった。
むしろオニユリにとっては手なずけていく過程すら楽しいくらいだ。
(あの子に姉上様と呼ばれる日が待ち遠しいわ)
そんなことを思いながら嬉々とした表情で厨房を出たオニユリは、不意に足を止めた。
勝手口から建物の中に入って来た者がいたからだ。
それはオニユリの私的な使用人の中には1人もいない女性だった。
真っ白な髪をしているが、まだ成人前の若い少女だ。
「これはオニユリ様。これからお食事ですか? 珍しいですね。ご自分でお料理をお運びになるなんて。お手伝いいたしましょう」
整然とした口調でそう言う少女に、オニユリはほんと一瞬だけバツが悪そうな顔を見せた。
だがすぐに笑顔を取り繕う。
「あら。ヤブランじゃないの。ごきげんよう。お手伝いは結構よ。何か御用かしら?」
ヤブラン。
オニユリと同じ白い髪を持つココノエの民の少女だ。
年齢は12歳。
オニユリの兄であるシジマの元で小間使いとして働いている。
「シジマ様よりオニユリ様へのお見舞いの品を届けるよう仰せつかっております」
そう言う彼女はいくつもの果物が入った籠を両手で抱えていた。
作戦行動中に負傷した妹に対して見舞いの品を送るように、シジマから鳩便による指示を受けたのだろうとオニユリはすぐに理解した。
シジマは現在もチェルシー将軍に同行して作戦行動中であり、今頃は公国領の南側から共和国への潜入を果たそうとしているところだろう。
(……兄様がわざわざ? 鳩便を使ってまでお見舞いの指示を?)
オニユリは何か引っかかった。
確かにオニユリや長兄ヤゲン、次兄シジマの間には兄妹の情というものがある。
オニユリとて仮に兄が窮地に陥るようなことがあれば助けようと思うし、兄たちもそうであろうと信じている。
しかし兄たちは妹である自分に対してこういう細やかな気遣いをする性分ではないこともオニユリに分かっていた。
ゆえに引っかかるのだ。
オニユリは目の前の少女・ヤブランに目を向けた。
そして手に持った朝食の盆を脇の机に置くと、ヤブランの差し出す果物の籠をにこやかな顔で受け取りながら尋ねる。
「ありがたく頂戴するわ。シジマ兄様は他に何か仰っていらした? 作戦の状況はどうなっているのかしら」
「私兵の派遣に感謝するとのことです。作戦任務は予定通りこなすので、オニユリ様はしっかりお怪我を治すようにと仰っておりました」
「そう。ありがとう。ヤブラン。もういいわよ」
そう言うオニユリにヤブランは深々と頭を下げ、入ってきた時と同様に勝手口から下がっていった。
オニユリはその姿を見送りながら訝しむ。
(兄様ったら……勘ぐっているのかしら)
オニユリは自身について良くない噂があることを知っている。
だが、この世には男だろうと女だろうと富豪だろうと貧民だろうと、他人に言うのは憚られるような嗜好を持つ者はどこにでもいるのだ。
年端もいかぬ少年少女を愛でた王侯貴族の例は歴史上、枚挙に暇がない。
そのこと自体は露見して人から後ろ指を差されようとも、誰に裁かれるわけでもないのでオニユリは平然としていた。
だが、エミルを秘密裏に囲っていることが露見するのは絶対に防がねばならない。
それは明確な軍規違反であり、チェルシーに対する背信行為だからだ。
(坊やのことは隠し切らないとならないわね。このアリアドは人の目が多すぎる。近いうちにどこかへ移動させるべきだわ)
オニユリは慎重に頭の中で今後の動きを思案しながら、果物の籠を机の上に置き、再び朝食の盆を手に取る。
(まあ、それはそれとして今は坊やに朝食を食べさせてあげないと)
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