87 / 89
最終章 決戦! 天樹の塔
第21話 天地滅殺
しおりを挟む
堕天使キャメロンが絶命した。
彼のライフは確かに0となり、僕は自分の勝利を実感することが出来たんだ。
途端に全身の力が抜けるのを感じて、僕はその場にガックリと膝を着く。
ようやく迎えた勝利に精も根も尽き果て、腰が抜けてしまったかのようだった。
でも、とにかくこれで終わり……。
「天地滅殺」
その声に僕はハッとして顔を上げる。
それは確かにキャメロンの声だった。
だけどキャメロンは変わらずに立ったまま息絶えてピクリとも……えっ?
僕はそこで異変に気が付いた。
見るとキャメロンの立っている足元の床がボロボロと剥がれて粉々になり、まるで分解消去されていくように塵と消える。
それはキャメロンを中心にゆっくりと、360度放射状に広がり始めたんだ。
そして分解消去された後には真っ黒で虚ろな空間が広がっていく。
それは地獄や暗黒というのとはまったく異なる、言うなれば「無」の空間だった。
僕は以前に砂漠都市ジェルスレイムを消滅の危機に陥らせた破壊の女神セクメトを思い出した。
彼女がその身から発する奇妙なモザイクは世界を消滅させようとしていた。
目の前でキャメロンに起きている現象はそれに似ていたけれど、これは世界を消滅させるというより、「無」に塗り替えようとしているみたいだ。
でも、どちらにせよ、このままじゃマズイ。
「と、止めないと……」
僕は持っている金の蛇剣を握り締めて立ち上がる。
キャメロンは相変わらずピクリとも動かず、そのライフもゼロのままだ。
彼がゲームオーバーになっているのは間違いないんだ。
でも策略家の彼のことだから、自分のライフがゼロとなると同時に、こういう現象が発生するように仕込んでいたのかもしれない。
もう意識のないキャメロンが死してなおその野望を果たそうとするその執念に、僕は恐ろしさを感じると同時に悲しさを覚えた。
そこまで人を恨む気持ちは僕には分からない。
それは僕が彼のような立場に立ったことがないからだ。
僕が彼と同じ境遇だったら、同じようにイザベラさんを恨むんだろうか。
でももしここまで恨まなかったとしても、悲しくて寂しくて胸がつぶれてしまっただろう。
そんな境遇で生き続けてきたキャメロンの今の姿が、僕にはどうしようもなく悲しく感じられた。
でも……僕なんかには計り知れない彼の気持ちに思いを馳せたまま、ここでその破壊の波を受け入れるわけにはいかないんだ。
自分の恨みだけで他の全てを壊していい道理はない。
ここには僕と同じ多くのキャラクターたちの営みがあるんだ。
それを破壊させるわけにはいかない。
僕は金色の蛇剣を握り締めて足を踏み出した。
だけど歩き出そうとした僕は進む前に足をもつれさせて転倒してしまった。
「うわっ……イテッ!」
床に倒れ込んだ僕は足を何かに引っかけたのかと思って足元を見ると、誰かの手が僕の足から出て来て邪魔をしていた。
まるで僕が進もうとするのを阻むかのようなその手はジェネットの手だ。
「ジェネット。もしかして、行くなってこと? でもこのままじゃ……」
僕は身を起こして前方を見据えた。
キャメロンの体から溢れ出して広がる脅威を前に、僕に出来ることはないのか?
冷静に考えれば今すぐこの場から逃げるしかないけれど、この状況を止めなきゃ、この異様な悲劇はこの世界全体に広がってしまう。
キャメロンの望み通り、天使たちの世界が終わる。
「何か方法は……」
キャメロンの体から発生する「無」の侵食は徐々にその範囲を広げていき、彼の周囲数メートルに達している。
あれに近付くことなんて出来ないぞ。
そう思った僕のお腹からミランダとジェネットの手が現れた。
そしてミランダが黒炎弾を、ジェネットが清光霧をそれぞれキャメロンに向かって放ったんだ。
黒く燃え盛る火球と光り輝く霧がキャメロンを襲うけれど、彼の前方数メートルの空中でどちらの魔法も泡と消えてしまう。
絶大な威力を誇る魔女と聖女の魔法は文字通り「無」へと帰した。
だ、ダメだ……近付くことも出来なければ遠くから狙い打つことも出来ない。
打つ手なしなのか……。
溢れ出す「無」はジリジリと近付いてくる。
僕は成す術なく唇を噛みしめて後退するしかない
その時、頭上から降りてくる2つの人影に僕は気が付いた。
その2つの人影は僕のすぐ後方に着地したんだ。
その2人を見て僕は驚きに目をまたたかせた。
「えっ? イザベラさん。それにティナ」
そこに舞い降りてきたのは、さっき中庭から避難したはずの天使長イザベラさんと見習い天使のティナだった。
そして僕はイザベラさんの隣にいるティナの肩に、見慣れない小さな動物が乗っているのを見て眉を潜めた。
それはとても小さな……猿?
手のひらサイズのその猿は僕の顔を見るとニッと歯をむき出した。
『ピグミーマーモセットだ。知らんのか? 超小型の猿さ』
「えっ?」
僕はいきなりその猿に話しかけられて驚きに目を見開いた。
人の言葉を話すその小猿の声をよく知っていたからだ。
それはジェネットの主にして、僕らのゲームの顧問役。
「か、神様?」
『ようアルフレッド。相変わらずの悪運としぶとさで生き残っていたか』
「どうしてここに? サーバーダウンで強制ログアウトされたんじゃ……」
『馬鹿を言え。そんなことでこの俺が躓くと思うか? 俺は誰だ? そう。神だ。神は全知全能なんだよ。俺・イズ・パーフェクト』
「は、はぁ。というかそんなこと言ってる場合じゃないですよ。何しにここに来たんですか?」
小猿の神様はティナの肩から僕の肩に飛び移ると言った。
『何しに来たとは随分な御挨拶だな。お困りの天使長殿に力を貸しに来たに決まっているだろう』
そう言う神様に頷いたイザベラさんは僕を見つめるとその場で頭を下げた。
「アルフレッド様。あの子の……キャメロンのことで大変なご迷惑を。本当に申し訳ございません」
「い、いえ。それよりどうしてここに?」
僕の問いにイザベラさんは決然と答えた。
「あの子を止めるためです。これ以上、被害が広がる前に食い止めなければ。今ならそれが可能なのです」
そう言うとイザベラさんはキャメロンの変わり果てた姿を見つめた。
その目に悲しげな色が滲んでいる。
彼女の話を聞いた僕は反射的に首を横に振っていた。
「き、危険です。キャメロンはもう……」
キャメロンのライフは0で、もうこれ以上戦うことは出来ないけれど、彼の体から溢れ出す破壊の波は止められそうにない。
だけど、変わり果てた息子の姿を見ながらイザベラさんは言った。
「あの子はああして自らの体に呪いをかけていたのでしょう。たとえ意識が途切れても意志を果たせるよう、その身に罪深き呪いをかけたのです」
そう言うとイザベラさんは再び僕に視線を戻して言う。
「愚かなことをした息子ですが、その責任は全て私にあります。私はあの子との関係性を間違えてしまいました。ですから、私は自分と息子の間違いを正すべくここへ来たのです。私はあの子を1人ぼっちにしてしまいました。今さら許されることではありませんが、せめて最後は一緒に……」
イザベラさんはそう言うと隣に立つティナの肩に手を置いた。
「ティナ。後のことは頼みましたよ」
「……はい」
ティナは硬い表情で表情で頷くと白銀の杖を振り上げた。
僕はそんな彼女の水色の目が異様に輝き出したのを見て驚いた。
それはキラキラと輝く虹色へと変化していたんだ。
「瞬間転移」
ティナがそう唱えると彼女の持っている白銀の杖の宝玉から白い文字列が溢れ出してイザベラさんを包み込む。
その途端にイザベラさんの体がパッとその場から消えたんだ。
「えっ?」
そして次の瞬間、イザベラさんは破壊の中心地であるキャメロンの元へと再び現れた。
肥大化したキャメロンの亡骸を抱きしめると、イザベラさんはティナを見る。
ティナがそれに応じて白銀の杖を前方に突き出した。
「検閲隔離」
そう唱えるティナの持つ白銀の杖からまたもや白い文字列が放出され、イザベラさんとキャメロンを包み込む。
するとキャメロンとイザベラさんの周囲の空間がグルグルとねじれ出し、彼女たちを飲みこんでいく。
そして空間のねじれが収まった時には、2人の姿は忽然と消え去り、この世界に広がり続けていた「無」の浸食が止まった。
被害は……この中央広場の中だけで済んだんだ。
僕は唖然としてティナに目を向ける。
「ティナ……いったい何を?」
「……天使長様はキャメロンとともに時間の止まった空間のひずみの中に閉じ込められました。そこで2人は隔離され続けます」
そう言うティナの目からひとすじの涙がこぼれ落ちた。
うつむいて肩を震わせる彼女に代わり、僕の肩に乗っている小猿姿の神様が口を開いた。
『今、その娘には管理者権限で行使できるプログラムが備わっている。それを使って、あの2人を一時的にシステム・ダウンさせたのさ。キャメロンの奴の仕掛けた世界終焉プログラムは現時点で強制的にストップされている。危機は去ったと言えるだろう』
「管理者権限……もしかしてティナは運営本部の意向を代行するNPCなんですか?」
僕の問いに神様は首を横に振った。
『管理者権限プログラムと言っても私が即席で作った模造品だ』
「も、模造品?」
『ああ。そいつを天使長イザベラに渡してこの世界を正常化させようと思ったんだ。だが、彼女はああして息子と運命を共にすることを決め、プログラムは後継者であるティナに移植してほしいと願った』
「イザベラさんとキャメロンはこの後、どうなるんですか? 元に戻れるんですか?」
『そんなに都合のいい話じゃない。イザベラはキャメロンが自分の息子であることをここの運営本部に隠していた。そしてそのキャメロンはこのゲームに対して敵対行為を見せた。あの2人は言わば容疑者として拘留されたも同然だ。今後は厳しい処罰が下ることになる。どんな処罰かは、おまえならば言わなくとも分かるだろう』
神様の話に僕はティナを見た。
彼女はうつむいたまま声を殺して泣いている。
僕はイザベラさんに後を頼むと言われた時の彼女の硬い表情を思い返した。
多分……ティナはこんなことはしたくなかったんだ。
他の天使たちと同様に、いやおそらくそれ以上にティナはイザベラさんを慕っていたんだと分かる。
辛い役目を負うことになったんだな。
唇を噛む僕に神様はその他の事情を説明してくれた。
『アルフレッド。私はサーバーダウンに備えて自分のコピーNPCをこの世界に残しておいたんだ。今のこの姿はNPCさ』
「そ、そうだったんですか。だからサーバーダウン後もこのゲーム内に……でもそれならどうしてすぐに助けに来てくれなかったんですか? 僕たち結構大変だったんですよ?」
自分で思っていた以上に不満げな口調になってしまったけれど、神様は気を悪くしたふうもなく小さな肩をすくめて愛らしい仕草を見せた。
『すぐに来られなかったのはキャメロンに気付かれないよう、さっき言った管理者権限プログラムの模造品をこのゲーム内で作り続けていたからだ。模造品とはいえ骨が折れたぞ。このゲームの運営本部が時間をかけて作ったシステムを基にコピーを作り出すのはな』
「そ、そんなことが……。でもどうしてサーバーダウンを予期していたんですか?」
神様が事前準備を出来たのは、サーバーダウンが起きることを事前に予測していたからに他ならない。
そんなことが出来た理由を神様は語る。
『実はな、以前にこのゲーム内で行方不明事件が起きた時にも小規模のサーバーダウンが発生していたんだ。だからおそらく今回もどこかのタイミングでサーバーダウンが起きると私は踏んでいた。ここの運営はゲームの評判が落ちるのを気にしてそのことを黙っていたんだがな』
そうした事前準備が出来ていたから神様はこの事態に対処できたのか。
「サーバーダウンはやっぱりキャメロンが起こしていたんですか?」
『うむ。キャメロンの奴は相当な時間と労力をかけて多くのゲームを出回り、このゲームを外からDDoS攻撃する共犯者を作り上げたんだ。彼の合図で一斉に攻撃が始まり、重度の負荷がこの天国の丘にかけられて運営本部はゲームの制御不能に追い込まれた』
そういうことだったのか。
キャメロンの仕掛けた一連の謀略の中で右往左往していた僕らは、そんな全体像を見ることも出来ずに踊らされていたんだ。
小猿の神様は僕の肩から再びティナの肩に飛び乗ると彼女に声をかけた。
『ティナ。天使長殿の今後の処遇については微力ながらこの私からも嘆願書を提出しよう。彼女のこれまでの貢献度を考慮すれば、運営本部も非情な判断はすまい』
神様のその言葉が気休めなのか本当なのかは僕には分からなかった。
イザベラさんには厳しい処分が科せられるかもしれない。
だけど神様の言葉にティナは涙を拭い、頷いた。
「ありがとうございます。私も……天使長様の御意志を受け継いだからには、もう泣いてばかりいられません。まずはアルフレッド様。あなたを正常化せねば」
「え? せ、正常化?」
『そうだぞアルフレッド。おまえは異常だ。異常者アルフレッドよ。正気に戻れ』
誰が異常者だ!
正気は失っていないから!
「正常化」
そう言うティナの握る白銀の杖から再び白い文字列が放出され、僕の体を包み込む。
すると僕の左手首の5つのアザから5色の光が小さな玉となって飛び出してきた。
その光の玉は床に舞い落ちると人の姿に変わっていく。
僕が良く知る5人の少女たちの姿に。
ミランダ、ジェネット、アリアナ、ヴィクトリア、ノアの5人はその場に横たわり、全員が穏やかな表情をして眠っていた。
大事な彼女たちの無事な姿に心からの安堵と歓喜を覚え、僕は思わずこみ上げる涙を手で拭いながら皆の帰還を祝った。
「みんな……おかえり」
こうして僕らにとって初めての遠征となった天国の丘での騒動は、幕を閉じることになったんだ。
彼のライフは確かに0となり、僕は自分の勝利を実感することが出来たんだ。
途端に全身の力が抜けるのを感じて、僕はその場にガックリと膝を着く。
ようやく迎えた勝利に精も根も尽き果て、腰が抜けてしまったかのようだった。
でも、とにかくこれで終わり……。
「天地滅殺」
その声に僕はハッとして顔を上げる。
それは確かにキャメロンの声だった。
だけどキャメロンは変わらずに立ったまま息絶えてピクリとも……えっ?
僕はそこで異変に気が付いた。
見るとキャメロンの立っている足元の床がボロボロと剥がれて粉々になり、まるで分解消去されていくように塵と消える。
それはキャメロンを中心にゆっくりと、360度放射状に広がり始めたんだ。
そして分解消去された後には真っ黒で虚ろな空間が広がっていく。
それは地獄や暗黒というのとはまったく異なる、言うなれば「無」の空間だった。
僕は以前に砂漠都市ジェルスレイムを消滅の危機に陥らせた破壊の女神セクメトを思い出した。
彼女がその身から発する奇妙なモザイクは世界を消滅させようとしていた。
目の前でキャメロンに起きている現象はそれに似ていたけれど、これは世界を消滅させるというより、「無」に塗り替えようとしているみたいだ。
でも、どちらにせよ、このままじゃマズイ。
「と、止めないと……」
僕は持っている金の蛇剣を握り締めて立ち上がる。
キャメロンは相変わらずピクリとも動かず、そのライフもゼロのままだ。
彼がゲームオーバーになっているのは間違いないんだ。
でも策略家の彼のことだから、自分のライフがゼロとなると同時に、こういう現象が発生するように仕込んでいたのかもしれない。
もう意識のないキャメロンが死してなおその野望を果たそうとするその執念に、僕は恐ろしさを感じると同時に悲しさを覚えた。
そこまで人を恨む気持ちは僕には分からない。
それは僕が彼のような立場に立ったことがないからだ。
僕が彼と同じ境遇だったら、同じようにイザベラさんを恨むんだろうか。
でももしここまで恨まなかったとしても、悲しくて寂しくて胸がつぶれてしまっただろう。
そんな境遇で生き続けてきたキャメロンの今の姿が、僕にはどうしようもなく悲しく感じられた。
でも……僕なんかには計り知れない彼の気持ちに思いを馳せたまま、ここでその破壊の波を受け入れるわけにはいかないんだ。
自分の恨みだけで他の全てを壊していい道理はない。
ここには僕と同じ多くのキャラクターたちの営みがあるんだ。
それを破壊させるわけにはいかない。
僕は金色の蛇剣を握り締めて足を踏み出した。
だけど歩き出そうとした僕は進む前に足をもつれさせて転倒してしまった。
「うわっ……イテッ!」
床に倒れ込んだ僕は足を何かに引っかけたのかと思って足元を見ると、誰かの手が僕の足から出て来て邪魔をしていた。
まるで僕が進もうとするのを阻むかのようなその手はジェネットの手だ。
「ジェネット。もしかして、行くなってこと? でもこのままじゃ……」
僕は身を起こして前方を見据えた。
キャメロンの体から溢れ出して広がる脅威を前に、僕に出来ることはないのか?
冷静に考えれば今すぐこの場から逃げるしかないけれど、この状況を止めなきゃ、この異様な悲劇はこの世界全体に広がってしまう。
キャメロンの望み通り、天使たちの世界が終わる。
「何か方法は……」
キャメロンの体から発生する「無」の侵食は徐々にその範囲を広げていき、彼の周囲数メートルに達している。
あれに近付くことなんて出来ないぞ。
そう思った僕のお腹からミランダとジェネットの手が現れた。
そしてミランダが黒炎弾を、ジェネットが清光霧をそれぞれキャメロンに向かって放ったんだ。
黒く燃え盛る火球と光り輝く霧がキャメロンを襲うけれど、彼の前方数メートルの空中でどちらの魔法も泡と消えてしまう。
絶大な威力を誇る魔女と聖女の魔法は文字通り「無」へと帰した。
だ、ダメだ……近付くことも出来なければ遠くから狙い打つことも出来ない。
打つ手なしなのか……。
溢れ出す「無」はジリジリと近付いてくる。
僕は成す術なく唇を噛みしめて後退するしかない
その時、頭上から降りてくる2つの人影に僕は気が付いた。
その2つの人影は僕のすぐ後方に着地したんだ。
その2人を見て僕は驚きに目をまたたかせた。
「えっ? イザベラさん。それにティナ」
そこに舞い降りてきたのは、さっき中庭から避難したはずの天使長イザベラさんと見習い天使のティナだった。
そして僕はイザベラさんの隣にいるティナの肩に、見慣れない小さな動物が乗っているのを見て眉を潜めた。
それはとても小さな……猿?
手のひらサイズのその猿は僕の顔を見るとニッと歯をむき出した。
『ピグミーマーモセットだ。知らんのか? 超小型の猿さ』
「えっ?」
僕はいきなりその猿に話しかけられて驚きに目を見開いた。
人の言葉を話すその小猿の声をよく知っていたからだ。
それはジェネットの主にして、僕らのゲームの顧問役。
「か、神様?」
『ようアルフレッド。相変わらずの悪運としぶとさで生き残っていたか』
「どうしてここに? サーバーダウンで強制ログアウトされたんじゃ……」
『馬鹿を言え。そんなことでこの俺が躓くと思うか? 俺は誰だ? そう。神だ。神は全知全能なんだよ。俺・イズ・パーフェクト』
「は、はぁ。というかそんなこと言ってる場合じゃないですよ。何しにここに来たんですか?」
小猿の神様はティナの肩から僕の肩に飛び移ると言った。
『何しに来たとは随分な御挨拶だな。お困りの天使長殿に力を貸しに来たに決まっているだろう』
そう言う神様に頷いたイザベラさんは僕を見つめるとその場で頭を下げた。
「アルフレッド様。あの子の……キャメロンのことで大変なご迷惑を。本当に申し訳ございません」
「い、いえ。それよりどうしてここに?」
僕の問いにイザベラさんは決然と答えた。
「あの子を止めるためです。これ以上、被害が広がる前に食い止めなければ。今ならそれが可能なのです」
そう言うとイザベラさんはキャメロンの変わり果てた姿を見つめた。
その目に悲しげな色が滲んでいる。
彼女の話を聞いた僕は反射的に首を横に振っていた。
「き、危険です。キャメロンはもう……」
キャメロンのライフは0で、もうこれ以上戦うことは出来ないけれど、彼の体から溢れ出す破壊の波は止められそうにない。
だけど、変わり果てた息子の姿を見ながらイザベラさんは言った。
「あの子はああして自らの体に呪いをかけていたのでしょう。たとえ意識が途切れても意志を果たせるよう、その身に罪深き呪いをかけたのです」
そう言うとイザベラさんは再び僕に視線を戻して言う。
「愚かなことをした息子ですが、その責任は全て私にあります。私はあの子との関係性を間違えてしまいました。ですから、私は自分と息子の間違いを正すべくここへ来たのです。私はあの子を1人ぼっちにしてしまいました。今さら許されることではありませんが、せめて最後は一緒に……」
イザベラさんはそう言うと隣に立つティナの肩に手を置いた。
「ティナ。後のことは頼みましたよ」
「……はい」
ティナは硬い表情で表情で頷くと白銀の杖を振り上げた。
僕はそんな彼女の水色の目が異様に輝き出したのを見て驚いた。
それはキラキラと輝く虹色へと変化していたんだ。
「瞬間転移」
ティナがそう唱えると彼女の持っている白銀の杖の宝玉から白い文字列が溢れ出してイザベラさんを包み込む。
その途端にイザベラさんの体がパッとその場から消えたんだ。
「えっ?」
そして次の瞬間、イザベラさんは破壊の中心地であるキャメロンの元へと再び現れた。
肥大化したキャメロンの亡骸を抱きしめると、イザベラさんはティナを見る。
ティナがそれに応じて白銀の杖を前方に突き出した。
「検閲隔離」
そう唱えるティナの持つ白銀の杖からまたもや白い文字列が放出され、イザベラさんとキャメロンを包み込む。
するとキャメロンとイザベラさんの周囲の空間がグルグルとねじれ出し、彼女たちを飲みこんでいく。
そして空間のねじれが収まった時には、2人の姿は忽然と消え去り、この世界に広がり続けていた「無」の浸食が止まった。
被害は……この中央広場の中だけで済んだんだ。
僕は唖然としてティナに目を向ける。
「ティナ……いったい何を?」
「……天使長様はキャメロンとともに時間の止まった空間のひずみの中に閉じ込められました。そこで2人は隔離され続けます」
そう言うティナの目からひとすじの涙がこぼれ落ちた。
うつむいて肩を震わせる彼女に代わり、僕の肩に乗っている小猿姿の神様が口を開いた。
『今、その娘には管理者権限で行使できるプログラムが備わっている。それを使って、あの2人を一時的にシステム・ダウンさせたのさ。キャメロンの奴の仕掛けた世界終焉プログラムは現時点で強制的にストップされている。危機は去ったと言えるだろう』
「管理者権限……もしかしてティナは運営本部の意向を代行するNPCなんですか?」
僕の問いに神様は首を横に振った。
『管理者権限プログラムと言っても私が即席で作った模造品だ』
「も、模造品?」
『ああ。そいつを天使長イザベラに渡してこの世界を正常化させようと思ったんだ。だが、彼女はああして息子と運命を共にすることを決め、プログラムは後継者であるティナに移植してほしいと願った』
「イザベラさんとキャメロンはこの後、どうなるんですか? 元に戻れるんですか?」
『そんなに都合のいい話じゃない。イザベラはキャメロンが自分の息子であることをここの運営本部に隠していた。そしてそのキャメロンはこのゲームに対して敵対行為を見せた。あの2人は言わば容疑者として拘留されたも同然だ。今後は厳しい処罰が下ることになる。どんな処罰かは、おまえならば言わなくとも分かるだろう』
神様の話に僕はティナを見た。
彼女はうつむいたまま声を殺して泣いている。
僕はイザベラさんに後を頼むと言われた時の彼女の硬い表情を思い返した。
多分……ティナはこんなことはしたくなかったんだ。
他の天使たちと同様に、いやおそらくそれ以上にティナはイザベラさんを慕っていたんだと分かる。
辛い役目を負うことになったんだな。
唇を噛む僕に神様はその他の事情を説明してくれた。
『アルフレッド。私はサーバーダウンに備えて自分のコピーNPCをこの世界に残しておいたんだ。今のこの姿はNPCさ』
「そ、そうだったんですか。だからサーバーダウン後もこのゲーム内に……でもそれならどうしてすぐに助けに来てくれなかったんですか? 僕たち結構大変だったんですよ?」
自分で思っていた以上に不満げな口調になってしまったけれど、神様は気を悪くしたふうもなく小さな肩をすくめて愛らしい仕草を見せた。
『すぐに来られなかったのはキャメロンに気付かれないよう、さっき言った管理者権限プログラムの模造品をこのゲーム内で作り続けていたからだ。模造品とはいえ骨が折れたぞ。このゲームの運営本部が時間をかけて作ったシステムを基にコピーを作り出すのはな』
「そ、そんなことが……。でもどうしてサーバーダウンを予期していたんですか?」
神様が事前準備を出来たのは、サーバーダウンが起きることを事前に予測していたからに他ならない。
そんなことが出来た理由を神様は語る。
『実はな、以前にこのゲーム内で行方不明事件が起きた時にも小規模のサーバーダウンが発生していたんだ。だからおそらく今回もどこかのタイミングでサーバーダウンが起きると私は踏んでいた。ここの運営はゲームの評判が落ちるのを気にしてそのことを黙っていたんだがな』
そうした事前準備が出来ていたから神様はこの事態に対処できたのか。
「サーバーダウンはやっぱりキャメロンが起こしていたんですか?」
『うむ。キャメロンの奴は相当な時間と労力をかけて多くのゲームを出回り、このゲームを外からDDoS攻撃する共犯者を作り上げたんだ。彼の合図で一斉に攻撃が始まり、重度の負荷がこの天国の丘にかけられて運営本部はゲームの制御不能に追い込まれた』
そういうことだったのか。
キャメロンの仕掛けた一連の謀略の中で右往左往していた僕らは、そんな全体像を見ることも出来ずに踊らされていたんだ。
小猿の神様は僕の肩から再びティナの肩に飛び乗ると彼女に声をかけた。
『ティナ。天使長殿の今後の処遇については微力ながらこの私からも嘆願書を提出しよう。彼女のこれまでの貢献度を考慮すれば、運営本部も非情な判断はすまい』
神様のその言葉が気休めなのか本当なのかは僕には分からなかった。
イザベラさんには厳しい処分が科せられるかもしれない。
だけど神様の言葉にティナは涙を拭い、頷いた。
「ありがとうございます。私も……天使長様の御意志を受け継いだからには、もう泣いてばかりいられません。まずはアルフレッド様。あなたを正常化せねば」
「え? せ、正常化?」
『そうだぞアルフレッド。おまえは異常だ。異常者アルフレッドよ。正気に戻れ』
誰が異常者だ!
正気は失っていないから!
「正常化」
そう言うティナの握る白銀の杖から再び白い文字列が放出され、僕の体を包み込む。
すると僕の左手首の5つのアザから5色の光が小さな玉となって飛び出してきた。
その光の玉は床に舞い落ちると人の姿に変わっていく。
僕が良く知る5人の少女たちの姿に。
ミランダ、ジェネット、アリアナ、ヴィクトリア、ノアの5人はその場に横たわり、全員が穏やかな表情をして眠っていた。
大事な彼女たちの無事な姿に心からの安堵と歓喜を覚え、僕は思わずこみ上げる涙を手で拭いながら皆の帰還を祝った。
「みんな……おかえり」
こうして僕らにとって初めての遠征となった天国の丘での騒動は、幕を閉じることになったんだ。
0
お気に入りに追加
8
あなたにおすすめの小説

異世界で生きていく。
モネ
ファンタジー
目が覚めたら異世界。
素敵な女神様と出会い、魔力があったから選ばれた主人公。
魔法と調合スキルを使って成長していく。
小さな可愛い生き物と旅をしながら新しい世界で生きていく。
旅の中で出会う人々、訪れる土地で色々な経験をしていく。
3/8申し訳ありません。
章の編集をしました。

異世界転生したらたくさんスキルもらったけど今まで選ばれなかったものだった~魔王討伐は無理な気がする~
宝者来価
ファンタジー
俺は異世界転生者カドマツ。
転生理由は幼い少女を交通事故からかばったこと。
良いとこなしの日々を送っていたが女神様から異世界に転生すると説明された時にはアニメやゲームのような展開を期待したりもした。
例えばモンスターを倒して国を救いヒロインと結ばれるなど。
けれど与えられた【今まで選ばれなかったスキルが使える】 戦闘はおろか日常の役にも立つ気がしない余りものばかり。
同じ転生者でイケメン王子のレイニーに出迎えられ歓迎される。
彼は【スキル:水】を使う最強で理想的な異世界転生者に思えたのだが―――!?
※小説家になろう様にも掲載しています。

ただのFランク探索者さん、うっかりSランク魔物をぶっとばして大バズりしてしまう~今まで住んでいた自宅は、最強種が住む規格外ダンジョンでした~
むらくも航
ファンタジー
Fランク探索者の『彦根ホシ』は、幼馴染のダンジョン配信に助っ人として参加する。
配信は順調に進むが、二人はトラップによって誰も討伐したことのないSランク魔物がいる階層へ飛ばされてしまう。
誰もが生還を諦めたその時、Fランク探索者のはずのホシが立ち上がり、撮れ高を気にしながら余裕でSランク魔物をボコボコにしてしまう。
そんなホシは、ぼそっと一言。
「うちのペット達の方が手応えあるかな」
それからホシが配信を始めると、彼の自宅に映る最強の魔物たち・超希少アイテムに世間はひっくり返り、バズりにバズっていく──。
☆10/25からは、毎日18時に更新予定!

雑貨屋リコリスの日常記録
猫餅
ファンタジー
長い旅行を終えて、四百年ぶりに自宅のある島へと帰宅した伊織。しかし、そこには見知らぬ学園があった。更には不審者として拘束されかけ──そんな一日を乗り越えて、伊織は学園内に自分の店舗を構えることとなった。
雑貨屋リコリス。
学園に元々ある購買部の店舗や、魔術都市の店とは異なる品揃えで客を出迎える。……のだが、異世界の青年が現れ、彼の保護者となることになったのだ。
更にもう一人の青年も店員として、伊織のパーティメンバーとして加わり、雑貨屋リコリスは賑わいを増して行く。
雑貨屋の店主・伊織と、異世界から転移して来た青年・獅童憂、雪豹の獣人アレクセイ・ヴィクロフの、賑やかで穏やかな日常のお話。
小説家になろう様、カクヨム様に先行投稿しております。

『完結済』ポーションが不味すぎるので、美味しいポーションを作ったら
七鳳
ファンタジー
※毎日8時と18時に更新中!
※いいねやお気に入り登録して頂けると励みになります!
気付いたら異世界に転生していた主人公。
赤ん坊から15歳まで成長する中で、異世界の常識を学んでいくが、その中で気付いたことがひとつ。
「ポーションが不味すぎる」
必需品だが、みんなが嫌な顔をして買っていく姿を見て、「美味しいポーションを作ったらバカ売れするのでは?」
と考え、試行錯誤をしていく…

実力を隠し「例え長男でも無能に家は継がせん。他家に養子に出す」と親父殿に言われたところまでは計算通りだったが、まさかハーレム生活になるとは
竹井ゴールド
ライト文芸
日本国内トップ5に入る異能力者の名家、東条院。
その宗家本流の嫡子に生まれた東条院青夜は子供の頃に実母に「16歳までに東条院の家を出ないと命を落とす事になる」と予言され、無能を演じ続け、父親や後妻、異母弟や異母妹、親族や許嫁に馬鹿にされながらも、念願適って中学卒業の春休みに東条院家から田中家に養子に出された。
青夜は4月が誕生日なのでギリギリ16歳までに家を出た訳だが。
その後がよろしくない。
青夜を引き取った田中家の義父、一狼は53歳ながら若い妻を持ち、4人の娘の父親でもあったからだ。
妻、21歳、一狼の8人目の妻、愛。
長女、25歳、皇宮警察の異能力部隊所属、弥生。
次女、22歳、田中流空手道場の師範代、葉月。
三女、19歳、離婚したフランス系アメリカ人の3人目の妻が産んだハーフ、アンジェリカ。
四女、17歳、死別した4人目の妻が産んだ中国系ハーフ、シャンリー。
この5人とも青夜は家族となり、
・・・何これ? 少し想定外なんだけど。
【2023/3/23、24hポイント26万4600pt突破】
【2023/7/11、累計ポイント550万pt突破】
【2023/6/5、お気に入り数2130突破】
【アルファポリスのみの投稿です】
【第6回ライト文芸大賞、22万7046pt、2位】
【2023/6/30、メールが来て出版申請、8/1、慰めメール】
【未完】
とあるおっさんのVRMMO活動記
椎名ほわほわ
ファンタジー
VRMMORPGが普及した世界。
念のため申し上げますが戦闘も生産もあります。
戦闘は生々しい表現も含みます。
のんびりする時もあるし、えぐい戦闘もあります。
また一話一話が3000文字ぐらいの日記帳ぐらいの分量であり
一人の冒険者の一日の活動記録を覗く、ぐらいの感覚が
お好みではない場合は読まれないほうがよろしいと思われます。
また、このお話の舞台となっているVRMMOはクリアする事や
無双する事が目的ではなく、冒険し生きていくもう1つの人生が
テーマとなっているVRMMOですので、極端に戦闘続きという
事もございません。
また、転生物やデスゲームなどに変化することもございませんので、そのようなお話がお好みの方は読まれないほうが良いと思われます。
異世界ソロ暮らし 田舎の家ごと山奥に転生したので、自由気ままなスローライフ始めました。
長尾 隆生
ファンタジー
【書籍情報】書籍3巻発売中ですのでよろしくお願いします。
女神様の手違いにより現世の輪廻転生から外され異世界に転生させられた田中拓海。
お詫びに貰った生産型スキル『緑の手』と『野菜の種』で異世界スローライフを目指したが、お腹が空いて、なにげなく食べた『種』の力によって女神様も予想しなかった力を知らずに手に入れてしまう。
のんびりスローライフを目指していた拓海だったが、『その地には居るはずがない魔物』に襲われた少女を助けた事でその計画の歯車は狂っていく。
ドワーフ、エルフ、獣人、人間族……そして竜族。
拓海は立ちはだかるその壁を拳一つでぶち壊し、理想のスローライフを目指すのだった。
中二心溢れる剣と魔法の世界で、徒手空拳のみで戦う男の成り上がりファンタジー開幕。
旧題:チートの種~知らない間に異世界最強になってスローライフ~
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる