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第四章 『魔神領域』

第2話 天樹の塔

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「あ! そこは……」

 あせってミシェルが声を上げる中、天使の警備隊の男たちは、俺が隠れている押し入れの引き戸を開けた。
 そして中をのぞき込んだ男たちが思わず声をらす。

「こ、これは……」
「むぅ……」

 俺にはその男たちの声は聞こえども姿は見えない。
 なぜなら俺の体は何やら多くの布地でおおい尽くされていて、視界が完全にふさがれているからだ。
 おかげで俺が男たちを見えないように、男たちからも俺の姿が見えていないらしい。

「そ、それは……私、片付けるのが苦手で。もう! 恥ずかしいからそんなにじっと見ないで下さい!」

 ミシェルの上擦うわずった声が響き、すぐに引き戸がバタンと閉められた。
 何が起きていやがる?
 ワケが分からず俺がその場に留まっていると、外からミシェルと警備隊とのやり取りが聞こえてくる。

「も、もうよろしいですか?」
「うむ。邪魔したな。ご婦人。しかしもう少し整理整頓せいりせいとんを心がけたほうが……いや、これは余計なことであったな。失敬。では、まだ悪魔がうろついているやもしれぬので、十分に用心されよ」
「はい。ありがとうございました。お勤め御苦労さまでございます」

 それからとびらの閉まる音がして、しばしの静寂せいじゃくの後、ミシェルの盛大なため息が聞こえてきた。
 
「はぁぁぁぁぁ。バレット様。もう出てきても大丈夫ですよ」

 俺は体をおおい尽くす大量の布地をかき分けながら、引き戸を開いて押し入れの外に出た。
 
「やれやれ。おいミシェル。何がここは任せろだ。危うく見つかるところだったろうが。まあ見つかったところで連中をぶっ殺してやるだけだがな」
 
 俺がそう言うとミシェルは疲れた表情でこちらを振り向いた。

「またそんなことを言って。私がどれだけ苦労を……わあああああっ!」

 突然、ミシェルが顔を真っ赤にしてこっちに駆け寄って来た。
 そして俺の頭にかかっていた布地をひったくる。
 ミシェルが手にしたそれは下着のようだった。
 俺は自分の首に巻きついたり、肩にかかっている衣類を払い落とし、最後に頭の角に引っ掛かっている一枚を手につかむとそれをミシェルに差し出した。

「おまえ。何でこんな無駄に服ばかり持ってるんだ? こんなにいらねえだろ。あと、もうちょっと片付けろ。とんでもねえところに俺を押し込みやがって」
  
 そう言う俺の手からミシェルは布地をひったくった。
 どうやらそれも下着らしく、ミシェルはこれ以上ないくらい羞恥しゅうちで顔を真っ赤にして鼻息を荒くした。
 
「か、片付けは本当に苦手なんです! でもこれのおかげでバレット様は警備隊に見つからずに済んだのですから、結果オーライじゃないですか!」
「ケッ。どうでもいいが、あまり騒ぐとさっきの奴らがまた戻って来るぞ」

 俺の言葉にハッとしたミシェルは声を抑えてブツブツ言いながら下着類をまた押し入れに押し込んだ。

「まったく。ティナの言う通りね。無神経なんだから……バレット様。その左手……おケガをされてるじゃないですか」

 そう言うとミシェルは俺の左手にれようとする。
 俺は反射的にそれを避けた。

さわるな。大したことはねえ」

 俺がそう言うとミシェルは嘆息たんそくして、何やら神聖魔法をとなえた。

母なる手マザーズ・ハンド

 そう言うミシェルの両手が光りかがやき、温かな空気を作り出す。

「まったく。おケガばかりされてるところも、ティナの言った通りですね。さわりませんから、ご安心を」

 そう言うとミシェルは俺の左手をはさみ込むようにして両手をかざした。
 ミシェルの両手の間に温かな空気が光と共に流れ出し、俺の手のケガをやしていく。
 ティナもそうだが、このミシェルも戦闘能力は高くないものの、回復魔法についてはかなり高度なものを使う。
 長槍男にやられた俺の左手の傷はたちどころに治っていき、忌々いまいましい傷の痛みもすっかり消えた。

 俺は左手を幾度いくどか動かしてみたが、元通りに問題なく動かせる。
 俺のそんな様子を見ながらミシェルは満足げに言った。

「お礼は結構ですから、ティナのことを助けてあげて下さい」
「礼をするつもりは初めからねえが、ティナのことはついでに助けてやる」

 そもそもあいつの修復術がなけりゃ、ロドリックの持つナックル・ガードのバグに対抗できん。
 天魔融合てんまゆうごうプログラムをもう一度俺の体に入れられれば、勝機はある。

「おいミシェル。それよりさっきの話の続きだ。ここからエンダルシュアに向かうにはどうすればいい?」
「バレット様は不正プログラムに飲み込まれて転移させられたからこの街の位置は分からないと思いますが、ここは天樹から最も近い街なんです。私は毎日ここから天樹の塔まで通勤していますから」

 そう言いながらミシェルはメイン・システムを操作して俺の目の前に天樹周辺の地図を示す。
 現在位置であるこの街と天樹の塔は確かに目と鼻の先だった。
 そしてその地図はすぐに切り変わり、天樹以外は何やら見慣れない地図が示された。

「こりゃ何だ?」
「さっきのは地上図で、これは地下の地図です。実は地下の奥深くに根差した天樹の根は、エンダルシュアに通じているんです。今もそこに住む地底の民と我々天使は交流があるんですよ。そこからエンダルシュアに向かうのも一つの手です。ただ、バレット様たちがいたネフレシアの街には通じていないはずなので、そこからどうするかが問題ですが……」

 同じエンダルシュアでも今も稼働している地域と、ネフレシアのように本来は閉鎖されている場所は当然、つながりが無い。
 その話はティナからも聞いている。
 エンダルシュアに降りたとしても、ネフレシアには到達できない可能性が高いってことか。
 そこでミシェルは再びメイン・システムを操作して天使どもの通信チャンネルを開く。

「ライアン様に相談してみましょう。ティナの危機ですし、お力になってくれるはずです」
「ライアンか。少し前に会ったぞ。国境警備の真っ最中だろうから、連絡がつかねえんじゃねえのか」

 俺の言葉通り、ミシェルがメッセージを送るもののライアンからの返答はなかった。
 ミシェルはあきらめて別の方法を探ろうと頭をひねる。

「さっき俺がこの街に吐き出された場所は、ガキどもの学舎みたいな場所だったぞ。あそこに行けばまだ穴が残ってるんじゃねえか」
「そうだとしたら今頃騒ぎになっているはずですが……とにかくこうしている間にもティナは1人苦しんでいるかもしれません。早急に対処しなければ」

 そう言うとミシェルは眉間みけんにシワを寄せてメイン・システムを閉じ、何やらアイテム・ストックを探り始める。
 ミシェルの話に俺は肩をすくめた。

「苦しんでいるどころか赤い腕の持ち主に食われて死んでるかもしれねえぞ。そうなりゃ天樹でコンティニューするんじゃねえのか?」

 一緒に流されていったパメラが一緒にいればティナを守っているかもしれないが、ロドリックの奴も一緒に流されたからな。
 パメラの奴がロドリックに敗れてゲームオーバーになれば、ティナは一巻の終わりだろう。
 俺の言葉にわずかにムッとした顔を見せてミシェルは反論する。

「ティナにも先ほどメッセージを送りましたが、エラーで戻って来てしまいます。今も彼女が隔絶されたエンダルシュアにいるということだと思います。コンテニューしていればすぐに返信があるはずなので。それよりバレット様。今から出かけますよ。まずはバレット様が飛ばされたという学舎に向かいましょう。そこを調べてから天樹の塔に向かいますよ」
「ああ? 俺がそんな場所に向かったら、また天使どもが大騒ぎするだろ」

 そうまゆを潜める俺にミシェルは笑顔を見せて、あるアイテムを提示してきた。
 それは小指ほどの試験管に入った奇妙な緑色の液体だった。
 
「これを飲めばバレット様を別のお姿に変えて、誰にも悪魔だとバレずに移動することが出来ます」
 
 思わず顔をしかめる俺とは対照的に、ミシェルはニンマリとした顔で笑った。

☆☆☆☆☆
 
 天使の街で下級天使のミシェルと出会ってから約一時間後、俺は今、天樹の塔に向かって空を飛んでいた。
 となりにはミシェルの姿があるが、妙にデカく見えるのは、俺が小さく縮んでいるからだろう。

「バレット様。そのお姿もよくお似合いですよ」
「うるせえ。話しかけるんじゃねえ。怪しまれるだろうが」

 そう言う俺にミシェルはニヤニヤと気持ち悪い視線を投げかけてきた。
 チッ。
 ナメてんじゃねえぞ。

 つい30分ほど前、天使の街でミシェルが俺に差し出したのは奇妙な薬液だった。
 何でも他ゲームの世界に住む科学者とやらが作ったとかいう薬で、それを飲めば一時的に姿を変えられるらしい。
 それで動物の姿に変化すれば俺も怪しまれることなく天使どもの総本山である天樹の塔に入り込める。
 そうしたミシェルの説明を受けた俺だが、得体の知れないもんを飲む気はねえと突っぱねると、俺とミシェルはしばし押し問答になった。

 俺がそれを飲む気になったのは、ミシェルからある提案があったからだ。
 運営本部によって凍結されている俺の紅蓮燃焼スカーレット・モードシステムを解除して使用可能にするよう、ミシェルから上司のライアンに進言するというのだ。
 たかが下級天使とはいえ、ミシェルは不正プログラムを巡る一連の流れを知り、ライアンやティナとも近しい。
 その言葉は一考に値する。
 そう考えた俺はミシェルの提案を飲み、奇妙な味のする液体を口に含んだ。

 すると初めての感覚が体に訪れ、俺の姿は見る見る小さくなった。
 ミシェルが俺に鏡を向けると、そこには黒い羽毛におおわれたフクロウがいた。
 俺は一羽のフクロウになっていたんだ。
 にわかには信じがたかったが、俺が体を動かすと、鏡の中のフクロウも同じように体を動かし、俺は自分の身に起きたことを信じざるを得なかった。

「おい。まさかとは思うが、俺は元の姿に戻れるんだろうな?」
「ご心配なく。元に戻る薬は持っていますし、それを飲まずとも3時間経てば自動的に元の姿に戻れますので」

 それから俺はミシェルの肩に乗り、街の学舎を訪れることになったんだ。
 フクロウ自体はこの辺りじゃさしてめずらしくもないようで、ミシェルと同様に肩にフクロウを乗せている天使もたまに見かける。
 おかげで俺に注目する奴はないなかった。
 そこからほどなくして、俺がネフレシアから弾き出された後に目を覚ました学舎に到着した。

「これといって異常はないですね」

 ミシェルの言葉の通り、学舎の中にはこれといった異変は見られなかった。
 俺が倒れていた場所もその部屋の天井や壁にも黒いあなのようなものは一切残されていない。
 バグやそれに準ずる不自然な点は、俺やミシェルの目で見る限りは感知することは出来なかった。

「とりあえず天樹の塔に向かいましょう。そこからエンダルシュアに向かうことは出来ますし、移動の間にライアン様からご連絡があるかもしれません」

 そう言うとミシェルは俺を連れて街を離れた。
 街から離れて上空を飛ぶようになると、次第に人の往来もまばらになる。
 人目につかなくなったのを見計らい、ミシェルはフクロウの俺に話しかけてきた。

「どうですか? バレット様。フクロウになったご気分は」

 不思議なことにフクロウになってもミシェルの言葉は理解できた。
 それどころかこちらも言葉を話せるとミシェルが言った通り、すんなりと言葉が出てきた。

「空を飛ぶのにこんなに力を使うとは思わなかったぜ」

 いつもの体で飛ぶのは造作もはないが、この小さな体で羽をはためかせて飛ぶのは意外と苦労する。
 
「慣れないせいですよ。私も試してみた時はそうでしたから。すぐに慣れます」
「そんなことよりライアンとは連絡つきそうなのか?」
「いえ。でも紅蓮燃焼スカーレット・モードシステムの件は上申しましたので、ライアン様より何らかのご返答があるはずです」
 
 ヒルダを倒した今、次の目標はロドリックだ。
 だが、あいつは氷嵐ブリザート・ガストという能力増強システムを使う。
 同じく能力増強システムである紅蓮燃焼スカーレット・モードを使えない状況だと、互角に持ち込むことすら難しいだろ。
 そのためにはさっさと運営本部に使用の許可を取り付ける必要がある。

「チッ。面倒くせえな。運営本部の奴らが俺から力を奪ったりしなけりゃ、こんな手間を取らされる必要はなかったのによ」
「仕方ありませんよ。私たちはしょせんNPCですから。運営本部の決定には逆らえません。それよりほら、見て下さいバレット様」

 そう言うミシェルが指差す先には地上から天を突き差すように生えている巨大な樹木が見えている。
 ミシェルの街を出た時から遠くに見えていた天樹の塔はすぐ目の前に迫っていた。
 その巨大さは異様で、俺が今まで見てきたどんな大木よりも圧倒的な質量を誇っている。
 文字通り塔というたたずまいのそれは、はるか上空まで伸びていて、天辺てっぺんは見えない。
 まるで天と地をつなぐ連絡通路のようだ。
 ここが天使どもの巣窟そうくつか。  

「天樹の塔は初めてですよね?」
「まあな」
「さすがのバレット様も我らが総本山の雄大さにはおどろかずにはいられないようですね」

 やや得意げにそう言うミシェルに俺は鼻を鳴らす。

「フンッ。その誇るべき総本山に悪魔の俺を引き入れようとしているんだから、おまえも大した不良天使だな」
「それは言わないで下さい。これでも複雑なんですから。でも、ティナを助けるためには必要なことなんです」
「おまえ。俺が必ずティナを助けるとでも思っていやがるのか? 悪魔の俺にそんなことを期待するのはアホだぞ」
「自分でもそう思いますよ。でも、ティナのことはバレット様でないと助けられないような気がしているんです。あ、そろそろ衛兵たちが近付いて来ますので、会話はNGで」 

 そう言うミシェルに俺は舌打ちをしてだまり込み、ただのフクロウのフリをした。
 チッ。
 俺にしか助けられない?
 天使のくせして悪魔の俺に頼ってんじゃねえぞ。
 内心でそう悪態をつく俺をよそに、ミシェルは天樹の出入口を守る衛兵らへ身分証を提示する。

「お疲れさまです」

 にこやかに会話を交わすとミシェルはすんなりと天樹へと入って行った。
 そんなミシェルの肩に止まっているという奇妙な状態で、俺は仇敵きゅうてきである天使の本拠地に足を踏み入れることとなった。
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