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第三章 『地底世界エンダルシュア』
第3話 市庁舎にて
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「これはこれは。まさかお客様がこのような場所にいらっしゃるとは、驚きました」
市長室でそう言って俺たちを出迎えたのは、白髪まじりで体は痩せ気味の初老の男だった。
クラリッサの祖父である市長だ。
クラリッサに案内された市庁舎は、先ほどの岩山からも見えていた街の中心にある最も背の高い建物だった。
高いといってもわずか3階建てではあるが、内部はそれなりに広く、あちこちでNPCの職員どもが忙しく働いていた。
もう閉鎖されたこの街で何を働く必要があるのかと思ったが、この市庁舎の中にいるのは旧式のNPCばかりだった。
俺たちを案内して市庁舎の廊下を歩くクラリッサとの受け答えに、連中が同じような答えしか返さないのですぐに分かった。
ティナは俺たちの先頭に立ち、丁寧に腰を折って市長にお辞儀する。
「お初にお目にかかります。私は見習い天使のティナ。こちらはサムライのパメラさんと悪魔のバレットさんです」
「おじいちゃん。この人たち天国の丘から来たんだって」
「何と……天国の丘ですか。懐かしいですね。昔は時折、天使の方が訪れることはありましたが、最近はもうまったく。どうぞ座って下さい。クラリッサは外に遊びに行ってなさい」
「は~い。じゃあみんな。また後でね」
そう言うとクラリッサは手を振って市長室から出て行った。
孫娘が退室するのを見届けると、市長は応接スペースのソファーを俺たちに勧めた。
クラリッサが言っていた通り、この市長は新式のNPCのようだな。
市長は俺たちの対面に座ると穏やかな笑みを浮かべる。
「面白い組み合わせの御三方ですね。天使、人間、悪魔。特に天使と悪魔は敵対関係にありましたが、最近の天国の丘ではそうではないのですか?」
「フンッ。昔も今もこの先も、未来永劫に敵同士だ。俺たちは利害が一致するから行動を共にしているだけだ。ところでジジイ。俺を見てもビビらねえんだな」
「ちょっ……バレットさん! 失礼ですよ! す、すみません。この人いつもこうで……」
慌てて取り繕おうとするティナに市長は愉快そうに笑った。
「ホッホッホ。いえいえ。悪魔の方は皆さんそのような感じです。私がバレットさんを恐れていないように見えるのであれば、それは私が何人かの悪魔を知っているからですかね。昔はこの街にも時折、悪魔の方がやって来ることもありました。もちろん襲撃などではなくお忍びで個人的な用事を済ませるためにですがね」
こんな街に個人的な用事で訪れる悪魔がいるってのは首を傾げる話だが、それよりも気になることがある。
「どうしてこの街には訪問者が来なくなったんだ?」
その答えはもう出ている。
この街がとっくに閉鎖された存在しないはずの街だからだ。
だが、そのことをこの市長が知っているかどうかは……。
「ここはもう終わりを迎えたはずの街だからですよ」
市長は寂寥感を帯びた笑みをその顔に滲ませてそう言った。
知ってやがったか。
「そのことを……ご存じだったのですね」
神妙なツラでそう言うティナに市長は頷いた。
「ええ。私は市長としてこの街と共に命を終えるはずでしたから、その運命が覆された時には驚きました」
そう言うと市長は自身が体験した奇妙な運命の話を始めた。
大規模アップデートによるネフレシアの街の閉鎖が決まったことを知らされた市長は、そのことを街の住民の誰にも明かさなかった。
孫娘のクラリッサさえ知らすにいるという。
市長は皆に混乱を与えないため、その事実を自分1人で抱えたままヒッソリと最後の日を迎えようとしていたからだ。
文字通り墓まで持っていくってわけだ。
「その日の予定時刻を迎えると、街は静かに闇に包まれていき、私の意識も遠のいていきました。これが本当の死なのだと思ったものです」
そう言う市長の顔は穏やかだ。
死を待つ間際もこんな顔をしていたんだろうか。
「ですが、それからどのくらいの時間が経過したのかは分かりませんでしたが、私は再び目を覚ましました。その理由は今もって分かりません」
覚めるはずのない永遠の眠りから目を覚ました市長が街の中を見て回ると、そこには一見して以前と変わらぬ住民たちの暮らしがあったという。
新旧のNPCたちは何も無かったかのように過ごしていた。
だが以前と変わった点もあった。
「この街にはエンダルシュアに繋がる地下坑道へと繋がる唯一の出入口があったのですが、その道は岩壁で完全に塞がれていて通行不能になっていました。まるで最初から道など無かったかのように」
閉鎖されたからこそ外界との繋がりは断たれたってことだろう。
「そのことを不思議に思う住民はいなかったのでござるか? 特に新式のNPCならば街の外に出られないことを訝しんだのではござらんか?」
「いえ。この街の住民たちはすべて仕様で街の外には出られないようになっておりますので、誰もそこまで確認しに行くことはないでしょう。ただ外部から人が来ないことは一部の住民たちが不思議がっていましたが、以前もこのネフレシアの街を含むエンダルシュアが一般開放されるのは期間限定の時のみでしたので、私はまだその時期にならないのだろうと、彼らに伝えました」
この街はもう終わった、などと余計なことを言って混乱させる必要はないと考えた市長の判断だ。
そうして時を経て、次第に外部からの訪問客のことは話題に上らなくなったという。
「そもそもこの街には新旧のNPCが入り混じっているのはどういうわけでござるか?」
「大規模アップデートがあった当時、私たちのような新式のNPCを増やす動きがありまして、この街もそうした変革の途上だったのです。最初は私やクラリッサだけが新式で、残りの住民は全て旧式でしたが少しずつ新式のNPCが増えていきました。この市役所でも各部署のリーダーは全員新式に変わりましたが一般職員はまだ旧式のままでした。そんな途上でこの街は閉鎖されましたので、その当時の情勢のままこうして残っているのです」
新旧のNPCが入り交る歪な形のまま街が残されたのは皮肉だった。
もう終わる街でありながら、最後の瞬間まで変革し続けていたんだからよ。
「この街はまるで不死者だな。命を終えたはずの街がこうして残っている。そのことに本当に心当たりはないのか?」
「ええ。なぜ今もこうして私が生きているのか……いえ、これが本当に生きていると言えるのかすら分かりません」
市長は悄然とした様子でそう言った。
だが、このジジイが認識していないだけで、どこかにこの歪みの原因に繋がる糸口があるはずだ。
それを見つけるのためにここに来た。
「単刀直入に聞くが、堕天使の女がここに来ていたのを見かけなかったか?」
俺の問いに市長は怪訝そうに首を捻る。
「堕天使の女……ですか? いえ、堕天使がここを訪れるなど私の記憶の限りではなかったはずです。もちろんここが意図せぬ復活を遂げてからも見かけたことは一度もありません」
そう言うと市長は記憶の糸を探るように俯いて考え込む。
チッ。
嘘か真か分からねえが、このジジイを締め上げてでも吐かせる必要があるな。
ティナとパメラがギャアギャアと騒ぐだろうが……。
そんな俺の気配を察したのか、ティナの奴がいち早く問いを投げ掛けた。
「では、市長様が見知らぬ人が街中にいたりしませんでしたか?」
ティナの問いに市長はハッとして顔を上げた。
その反応にティナは間髪入れずに言葉を続ける。
「いるんですね?」
「……私は市長ですので、この街に住む全てのNPCの顔と名前を把握しています。一度だけですが、私が知らない女性のNPCを見かけたことがあります」
その言葉に俺は目を細める。
「女のNPCだと?」
「ええ。一度見たきりですが、私のメイン・システムに登録された市民名簿に記載がない女性でした。ですが堕天使ではなく我らと同じ地底の民でしたよ?」
そりゃアテにならねえよ。
ヒルダの奴は変幻自在に姿を変える。
あの堕天使としての姿だって本来の姿かどうか分からねえからな。
「いつどこでそのNPCを見ましたか?」
ティナの問いに市長はしばし口を閉じ、記憶を探るように宙に視線をさ迷わせる。
そしてやや困ったように眉根を寄せた。。
「すみません。この世界に再び舞い戻ってから、時間の感覚が狂ってしまっているようで、いつだったかは分かりません。三ヶ月前だったような気もしますし、1年前だったかもしれません。場所は……製鉄所に向かう南の街外れにある通りでした。人通りの少ない場所なのでよく覚えています」
「製鉄所?」
「ええ。かつて街外れの岩山で採掘されていた鉄鉱石を精製するために使われていた工場です。今は鉄鉱石が枯渇してしまってるので休眠状態ですが。私がその女性を見かけた道は、以前はその製鉄所で働く従業員が使う道だったので人通りも多かったのですが、工場が閉鎖されて無人になってからは今のように閑散としてしまいました」
「市長殿はなぜそのような場所へ出向かれたのでござるか?」
「実は真実のほどは分かりませんが幽霊騒動がありまして」
「幽霊騒動?」
市長はイマイチ気が乗らない様子でその話を口にした。
いつのことだったかは定かではないらしいが、市長の元に新式のNPCたちから幽霊のようなNPCがいるので調べてほしいという要望があった。
「女性のNPCが製鉄所の方角へ1人で歩いていくのを見かけたという市民が数名いまして、不審に思いました。製鉄所はもう使われていませんので、そこに立ち寄る者はいません。それなのに……」
そんな場所に女1人で何をしに行くのか。
そう訝しんだ市長がそこに向かい、物陰に隠れて一時間ほど様子を見ていると、噂通りの女のNPCが現れたという。
「その女性が住民登録のないNPCだったというわけですか」
ティナの言葉に市長は頷いた。
「その姿を見た市民たちは皆一様に口をそろえて言うのです。女性はいつの間にか消えてしまったと」
市民たちはその女を呼び止めようと声をかけたそうなのだが、女は足早に立ち去っていき、追いかけても角を曲がったところで見失ってしまうという。
「だから幽霊というわけでござるか」
「はい。眉唾ものの話ですが、私は彼らの話を聞いていたので、あえて声をかけずにその女性の後を追いました。すると彼女は製鉄所に入っていったのです」
製鉄所は閉鎖されているため施錠され、外部から入れない仕様になっているらしいのだが、その女はどういうわけかスルスルと製鉄所の中に足を踏み入れていったらしい。
「不思議でした。とにかくその女性を諌めようと市長権限で製鉄所の鍵を解錠して中に入ったのですが、どこにも彼女の姿はありませんでした。こうして私も幽霊騒動の当事者となったわけです」
なるほどな。
これで今から俺たちが行く先は決まったが、今のこの状態で出向くのはあまりにも無策無謀が過ぎる。
「おい。その製鉄所への行き方を教えろ。入口の解除方法もな。それから、天国の丘への通信が出来る場所はねえのか?」
「バ、バレットさん。厚かましいですよ」
矢継ぎ早に言われて驚く市長だが、落ち着きを失わずに俺に言葉を返す。
「製鉄所への行き方はすぐにお伝えできますよ。ですが私以外の方を入場許可するわけにはいかないのです。市長としての責任もありますし」
「何が責任だ。こんな終わった街で誰に義理立てするってんだよ」
俺の言葉に市長はしばし考え込んだ。
そんな市長にティナは気遣わしげな視線を向けて言う。
「市長様にもお立場があるかと思いますので、無理強いは出来ません。ですがお聞きいただきたいのですが、私は天樹の塔の命令を受けて1人の堕天使を追っています。彼女がこの街に入り込み、悪事を働いている恐れがあるのです。私たちは彼女を捕らえ、その悪事を止めなければなりません。市長様にはどうにかご協力いただきたいのですが……」
真剣な眼差しでそう言うティナに市長はううむと唸る様な声を漏らして考え込む。
「……少し考えさせて下さい。それと外部への通信ですがこのネフレシアでは外部との通信は一切不可能です。ですが……」
市長がそう言ったその時だった。
市長室の扉がガタンという音と共にふいに開かれ、1人の女が入ってきた。
それはさっきこの市長室を訪れる途中で見かけた幾人かの旧式のNPCの中に見かけた1人だった。
「どうしたのかね?」
怪訝な表情でそう尋ねる市長だが、女の職員はフラフラとした足取りで近付いて来ると室内に置かれている観葉植物の鉢植えを巻き込んで派手にブッ倒れた。
「だ、大丈夫ですか……ハッ!」
思わず女を助けに駆け寄ろうとしたティナだが、ハッとして足を止めた。
なぜなら倒れたまま顔を上げた女の様子が明らかにおかしかったからだ。
その女の顔にはノイズが走り、バグが揺らいでいた。
市長室でそう言って俺たちを出迎えたのは、白髪まじりで体は痩せ気味の初老の男だった。
クラリッサの祖父である市長だ。
クラリッサに案内された市庁舎は、先ほどの岩山からも見えていた街の中心にある最も背の高い建物だった。
高いといってもわずか3階建てではあるが、内部はそれなりに広く、あちこちでNPCの職員どもが忙しく働いていた。
もう閉鎖されたこの街で何を働く必要があるのかと思ったが、この市庁舎の中にいるのは旧式のNPCばかりだった。
俺たちを案内して市庁舎の廊下を歩くクラリッサとの受け答えに、連中が同じような答えしか返さないのですぐに分かった。
ティナは俺たちの先頭に立ち、丁寧に腰を折って市長にお辞儀する。
「お初にお目にかかります。私は見習い天使のティナ。こちらはサムライのパメラさんと悪魔のバレットさんです」
「おじいちゃん。この人たち天国の丘から来たんだって」
「何と……天国の丘ですか。懐かしいですね。昔は時折、天使の方が訪れることはありましたが、最近はもうまったく。どうぞ座って下さい。クラリッサは外に遊びに行ってなさい」
「は~い。じゃあみんな。また後でね」
そう言うとクラリッサは手を振って市長室から出て行った。
孫娘が退室するのを見届けると、市長は応接スペースのソファーを俺たちに勧めた。
クラリッサが言っていた通り、この市長は新式のNPCのようだな。
市長は俺たちの対面に座ると穏やかな笑みを浮かべる。
「面白い組み合わせの御三方ですね。天使、人間、悪魔。特に天使と悪魔は敵対関係にありましたが、最近の天国の丘ではそうではないのですか?」
「フンッ。昔も今もこの先も、未来永劫に敵同士だ。俺たちは利害が一致するから行動を共にしているだけだ。ところでジジイ。俺を見てもビビらねえんだな」
「ちょっ……バレットさん! 失礼ですよ! す、すみません。この人いつもこうで……」
慌てて取り繕おうとするティナに市長は愉快そうに笑った。
「ホッホッホ。いえいえ。悪魔の方は皆さんそのような感じです。私がバレットさんを恐れていないように見えるのであれば、それは私が何人かの悪魔を知っているからですかね。昔はこの街にも時折、悪魔の方がやって来ることもありました。もちろん襲撃などではなくお忍びで個人的な用事を済ませるためにですがね」
こんな街に個人的な用事で訪れる悪魔がいるってのは首を傾げる話だが、それよりも気になることがある。
「どうしてこの街には訪問者が来なくなったんだ?」
その答えはもう出ている。
この街がとっくに閉鎖された存在しないはずの街だからだ。
だが、そのことをこの市長が知っているかどうかは……。
「ここはもう終わりを迎えたはずの街だからですよ」
市長は寂寥感を帯びた笑みをその顔に滲ませてそう言った。
知ってやがったか。
「そのことを……ご存じだったのですね」
神妙なツラでそう言うティナに市長は頷いた。
「ええ。私は市長としてこの街と共に命を終えるはずでしたから、その運命が覆された時には驚きました」
そう言うと市長は自身が体験した奇妙な運命の話を始めた。
大規模アップデートによるネフレシアの街の閉鎖が決まったことを知らされた市長は、そのことを街の住民の誰にも明かさなかった。
孫娘のクラリッサさえ知らすにいるという。
市長は皆に混乱を与えないため、その事実を自分1人で抱えたままヒッソリと最後の日を迎えようとしていたからだ。
文字通り墓まで持っていくってわけだ。
「その日の予定時刻を迎えると、街は静かに闇に包まれていき、私の意識も遠のいていきました。これが本当の死なのだと思ったものです」
そう言う市長の顔は穏やかだ。
死を待つ間際もこんな顔をしていたんだろうか。
「ですが、それからどのくらいの時間が経過したのかは分かりませんでしたが、私は再び目を覚ましました。その理由は今もって分かりません」
覚めるはずのない永遠の眠りから目を覚ました市長が街の中を見て回ると、そこには一見して以前と変わらぬ住民たちの暮らしがあったという。
新旧のNPCたちは何も無かったかのように過ごしていた。
だが以前と変わった点もあった。
「この街にはエンダルシュアに繋がる地下坑道へと繋がる唯一の出入口があったのですが、その道は岩壁で完全に塞がれていて通行不能になっていました。まるで最初から道など無かったかのように」
閉鎖されたからこそ外界との繋がりは断たれたってことだろう。
「そのことを不思議に思う住民はいなかったのでござるか? 特に新式のNPCならば街の外に出られないことを訝しんだのではござらんか?」
「いえ。この街の住民たちはすべて仕様で街の外には出られないようになっておりますので、誰もそこまで確認しに行くことはないでしょう。ただ外部から人が来ないことは一部の住民たちが不思議がっていましたが、以前もこのネフレシアの街を含むエンダルシュアが一般開放されるのは期間限定の時のみでしたので、私はまだその時期にならないのだろうと、彼らに伝えました」
この街はもう終わった、などと余計なことを言って混乱させる必要はないと考えた市長の判断だ。
そうして時を経て、次第に外部からの訪問客のことは話題に上らなくなったという。
「そもそもこの街には新旧のNPCが入り混じっているのはどういうわけでござるか?」
「大規模アップデートがあった当時、私たちのような新式のNPCを増やす動きがありまして、この街もそうした変革の途上だったのです。最初は私やクラリッサだけが新式で、残りの住民は全て旧式でしたが少しずつ新式のNPCが増えていきました。この市役所でも各部署のリーダーは全員新式に変わりましたが一般職員はまだ旧式のままでした。そんな途上でこの街は閉鎖されましたので、その当時の情勢のままこうして残っているのです」
新旧のNPCが入り交る歪な形のまま街が残されたのは皮肉だった。
もう終わる街でありながら、最後の瞬間まで変革し続けていたんだからよ。
「この街はまるで不死者だな。命を終えたはずの街がこうして残っている。そのことに本当に心当たりはないのか?」
「ええ。なぜ今もこうして私が生きているのか……いえ、これが本当に生きていると言えるのかすら分かりません」
市長は悄然とした様子でそう言った。
だが、このジジイが認識していないだけで、どこかにこの歪みの原因に繋がる糸口があるはずだ。
それを見つけるのためにここに来た。
「単刀直入に聞くが、堕天使の女がここに来ていたのを見かけなかったか?」
俺の問いに市長は怪訝そうに首を捻る。
「堕天使の女……ですか? いえ、堕天使がここを訪れるなど私の記憶の限りではなかったはずです。もちろんここが意図せぬ復活を遂げてからも見かけたことは一度もありません」
そう言うと市長は記憶の糸を探るように俯いて考え込む。
チッ。
嘘か真か分からねえが、このジジイを締め上げてでも吐かせる必要があるな。
ティナとパメラがギャアギャアと騒ぐだろうが……。
そんな俺の気配を察したのか、ティナの奴がいち早く問いを投げ掛けた。
「では、市長様が見知らぬ人が街中にいたりしませんでしたか?」
ティナの問いに市長はハッとして顔を上げた。
その反応にティナは間髪入れずに言葉を続ける。
「いるんですね?」
「……私は市長ですので、この街に住む全てのNPCの顔と名前を把握しています。一度だけですが、私が知らない女性のNPCを見かけたことがあります」
その言葉に俺は目を細める。
「女のNPCだと?」
「ええ。一度見たきりですが、私のメイン・システムに登録された市民名簿に記載がない女性でした。ですが堕天使ではなく我らと同じ地底の民でしたよ?」
そりゃアテにならねえよ。
ヒルダの奴は変幻自在に姿を変える。
あの堕天使としての姿だって本来の姿かどうか分からねえからな。
「いつどこでそのNPCを見ましたか?」
ティナの問いに市長はしばし口を閉じ、記憶を探るように宙に視線をさ迷わせる。
そしてやや困ったように眉根を寄せた。。
「すみません。この世界に再び舞い戻ってから、時間の感覚が狂ってしまっているようで、いつだったかは分かりません。三ヶ月前だったような気もしますし、1年前だったかもしれません。場所は……製鉄所に向かう南の街外れにある通りでした。人通りの少ない場所なのでよく覚えています」
「製鉄所?」
「ええ。かつて街外れの岩山で採掘されていた鉄鉱石を精製するために使われていた工場です。今は鉄鉱石が枯渇してしまってるので休眠状態ですが。私がその女性を見かけた道は、以前はその製鉄所で働く従業員が使う道だったので人通りも多かったのですが、工場が閉鎖されて無人になってからは今のように閑散としてしまいました」
「市長殿はなぜそのような場所へ出向かれたのでござるか?」
「実は真実のほどは分かりませんが幽霊騒動がありまして」
「幽霊騒動?」
市長はイマイチ気が乗らない様子でその話を口にした。
いつのことだったかは定かではないらしいが、市長の元に新式のNPCたちから幽霊のようなNPCがいるので調べてほしいという要望があった。
「女性のNPCが製鉄所の方角へ1人で歩いていくのを見かけたという市民が数名いまして、不審に思いました。製鉄所はもう使われていませんので、そこに立ち寄る者はいません。それなのに……」
そんな場所に女1人で何をしに行くのか。
そう訝しんだ市長がそこに向かい、物陰に隠れて一時間ほど様子を見ていると、噂通りの女のNPCが現れたという。
「その女性が住民登録のないNPCだったというわけですか」
ティナの言葉に市長は頷いた。
「その姿を見た市民たちは皆一様に口をそろえて言うのです。女性はいつの間にか消えてしまったと」
市民たちはその女を呼び止めようと声をかけたそうなのだが、女は足早に立ち去っていき、追いかけても角を曲がったところで見失ってしまうという。
「だから幽霊というわけでござるか」
「はい。眉唾ものの話ですが、私は彼らの話を聞いていたので、あえて声をかけずにその女性の後を追いました。すると彼女は製鉄所に入っていったのです」
製鉄所は閉鎖されているため施錠され、外部から入れない仕様になっているらしいのだが、その女はどういうわけかスルスルと製鉄所の中に足を踏み入れていったらしい。
「不思議でした。とにかくその女性を諌めようと市長権限で製鉄所の鍵を解錠して中に入ったのですが、どこにも彼女の姿はありませんでした。こうして私も幽霊騒動の当事者となったわけです」
なるほどな。
これで今から俺たちが行く先は決まったが、今のこの状態で出向くのはあまりにも無策無謀が過ぎる。
「おい。その製鉄所への行き方を教えろ。入口の解除方法もな。それから、天国の丘への通信が出来る場所はねえのか?」
「バ、バレットさん。厚かましいですよ」
矢継ぎ早に言われて驚く市長だが、落ち着きを失わずに俺に言葉を返す。
「製鉄所への行き方はすぐにお伝えできますよ。ですが私以外の方を入場許可するわけにはいかないのです。市長としての責任もありますし」
「何が責任だ。こんな終わった街で誰に義理立てするってんだよ」
俺の言葉に市長はしばし考え込んだ。
そんな市長にティナは気遣わしげな視線を向けて言う。
「市長様にもお立場があるかと思いますので、無理強いは出来ません。ですがお聞きいただきたいのですが、私は天樹の塔の命令を受けて1人の堕天使を追っています。彼女がこの街に入り込み、悪事を働いている恐れがあるのです。私たちは彼女を捕らえ、その悪事を止めなければなりません。市長様にはどうにかご協力いただきたいのですが……」
真剣な眼差しでそう言うティナに市長はううむと唸る様な声を漏らして考え込む。
「……少し考えさせて下さい。それと外部への通信ですがこのネフレシアでは外部との通信は一切不可能です。ですが……」
市長がそう言ったその時だった。
市長室の扉がガタンという音と共にふいに開かれ、1人の女が入ってきた。
それはさっきこの市長室を訪れる途中で見かけた幾人かの旧式のNPCの中に見かけた1人だった。
「どうしたのかね?」
怪訝な表情でそう尋ねる市長だが、女の職員はフラフラとした足取りで近付いて来ると室内に置かれている観葉植物の鉢植えを巻き込んで派手にブッ倒れた。
「だ、大丈夫ですか……ハッ!」
思わず女を助けに駆け寄ろうとしたティナだが、ハッとして足を止めた。
なぜなら倒れたまま顔を上げた女の様子が明らかにおかしかったからだ。
その女の顔にはノイズが走り、バグが揺らいでいた。
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