どうせ俺はNPCだから

枕崎 純之助

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最終章 桃炎の誓い

第18話 ティナの宿命

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「くそっ。何が起きていやがる」

 俺は吐き捨てるようにそう言って波打ちぎわにらむ。
 そこに浮かぶやみ宝玉ほうぎょくの中から不気味な漆黒しっこくの手が伸びて来て、2匹の牙亀とそれを追う天使を捕まえ、宝玉ほうぎょくの中に引きずり込んだんだ。
 合計3体のNPCを飲み込んだやみの宝玉《ほうぎょく》は、さながら飲み込んだ獲物を咀嚼そしゃくするかのように二度三度とブルブル震えた。
 それはまるで捕食者の姿だった。
 
 俺は息を飲むとすとなりに浮かぶゾーランに声をかける。

「ゾーラン。見えるか? 黒玉だ」
「残念ながら見えねえよ。たが天使が何かに消されちまったのは見た。何が起きている?」

 なるほどな。
 宝玉ほうぎょくそのものは見えなくても、あそこで起きた現象は見えるってことか。
 恐らくはあの消えちまった天使も自分の身に何が起きたのか分からないまま消されたんだろうよ。
 俺はこの目で見たままのことをゾーランに告げた。
 
「そういうことか。バレット。何にせよおまえだけに見えるって利点は大いに活用すべきだ。で、そのやみ宝玉ほうぎょくとやらはこっちまで襲って来そうなのか?」
「今のところ波打ちぎわの上空で静止したままだが、動き出さないとも限らねえし、黒い手をここまで伸ばしてこないとも言い切れねえ」
「目に見えない敵。しかも生き物じゃない、か。そういう奴との戦いも経験あるにはあるが……」

 ゾーランがそう言ったその時だった。
 頭上から強い衝撃を感じて振り仰ぐと、激しい光のうずが俺とゾーランの間を割るように襲いかかってきた。

「チッ!」

 ゾーランは体をひねってこれを避け、後方に退避しながら上空を見上げる。
 そこにはグリフィンの姿があった。

『新たな獲物がノコノコとわなにかかりに飛び込んできたか』

 グリフィンはそう言うと上空から立て続けに魔塵旋風ダスト・デビルを撃ち下ろしてくる。

「てめえが黒幕か!」

 ゾーランは襲い来る光のうずを次々とかわしてグリフィンに迫る。
 その敏捷性びんしょうせいはさすがだ。
 速くしなやかな身のこなしは文句のつけようがない。
 だが、あれではダメだ。

「ゾーラン! 手を出すなっつったろ!」

 俺の怒声にも構わずゾーランはグリフィンに迫るが、グリフィンがまともに戦うはずはない。
 奴が撃ち下ろす魔塵旋風ダスト・デビルは不正プログラムによって空間がゆがめられたせいで、ゾーランの背後や真下からなど全く思いもよらない方向から攻め立てる。  
 ゾーランは持ち前の回避能力でそれらをかわすものの、一向にグリフィンとの距離は縮まらない。
 いくらゾーランが優れたキャラクターだとしても、盤上のこまという点では俺と大差ないんだ。
 グリフィンの前では無力に等しい。

 そしてやみ宝玉ほうぎょくを発動させたことで、明らかにグリフィンの行動原理が変わってきた。
 奴はもう無理に戦闘行為を続ける必要はないんだ。
 俺はやみ宝玉ほうぎょくを見つめる。
 それは次々と黒い手を伸ばして手近な魔物や天使、悪魔を捕らえ、食らい始めている。

 そして食らうごとに宝玉ほうぎょく肥大ひだい化していく。
 異変に気付いた直轄ちょっかつ部隊の天使や悪魔は何かが起きていると警戒するものの、目に見えぬ手に捕らわれて姿を消すばかりだ。
 一方、魔物どもはやみ宝玉ほうぎょくの周囲に集結しつつあった。
 自らその身を宝玉ほうぎょくささげる個体もいれば、天使や悪魔と戦いながら誘い込み、宝玉ほうぎょくに食わせるように誘導している個体もいる。

 間違いなく全てがグリフィンの意思に従って進んでいやがるんだ。
 食えば食うほどに成長するやみ宝玉ほうぎょくの大きさはもはや、直径十数メートルに達していた。
 その球体から突き出される黒い手は、すでに数十本を数える。
 このままいくと、ここいら一帯にいるNPCは魔物、天使、悪魔の区別なく全てあの宝玉ほうぎょくに食いつくされちまうぞ。

 先ほどから俺は体の隅々すみずみまで意識の力を行き渡らせようと必死に集中しているものの、忌々いまいましいことにこの体は相変わらずまともに動きそうにない。
 くそっ!
 どうすれば俺はもう一度戦えるんだ。
 くちびるみしめて俺が見つめる先では、ゾーランがグリフィンの支配する空間で苦しい戦いを続けていた。
 俺の知るゾーランはすきのない強さを持つ男だが、そのゾーランをもってしても今のグリフィンを相手にするのはキツイ。
 対照的にグリフィンは余裕の笑みを浮かべている。

『なぜ私に敵対する? この辺りは貴様の縄張りか? それとも同胞であるバレットのためか?』
「どちらもハズレだ。てめえの前に座っている天使のお譲ちゃんは知り合いでな。そのお譲ちゃんを解放しな」
『ほう。悪魔のくせにティナと知り合いとはな。だが断る。この娘は我が力の源だ』
「他力本願のインチキ術で強くなったつもりとは笑わせやがる。それを聞いたら力づくでお譲ちゃんをひっぺがしてやりたくなったぜ」
『貴様には無理だ。いや、この世の誰にも邪魔はさせん。一気に終わらせてやろう』

 グリフィンの奴はゾーランの能力を知り、手強てごわい相手だと思ったんだろう。
 奴はその真骨頂しんこっちょうを発揮してゾーランの周囲の空間をねじ曲げていく。

「何だこりゃ……」

 目の前で起きている現象に、さすがにゾーランも顔色を変える。
 今、あいつの周囲はバグで揺らぎ、背景であるはずの空も海もめくれ上がるように消えてしまう。
 そしてその後には暗幕をらされたように黒一色に染まった空間が残された。
 奇妙な現象に取り囲まれたゾーランは、ふところに忍ばせた小刀を黒い空間に投げつける。
 だが、それは黒い空間の中に入った途端とたん、バグによって奇妙な文字列に変わってしまった。

「どうなってんだ?」
『プログラム分解だ。見ろ』

 グリフィンはそう言うと手近なところを飛んでいた牙亀を捕まえて、そいつを黒い空間に放り込んだ。
 途端とたんに牙亀は小刀同様に文字列と化して消えてしまった。

『理解したか? この暗転空間はゲームの裏側だ。そこでは何者も己の姿をまともに保っていられない』

 そう言うとグリフィンはニヤリと笑みを浮かべた。
 あの野郎。
 いよいよ強引な禁じ手を使ってきやがったってことか。
 空間をねじ曲げるに飽き足らず、空間を切り取っちまうとは。

 俺は理解した。
 あのやみ宝玉ほうぎょくは、この技術を応用したものだと。
 そしてそれを利用してあいつはゾーランを封じ込めにかかったんだ。
 いくらゾーランが凄腕すごうでのキャラクターであろうと、ゲーム内の秩序ちつじょに逆らうことは出来ない。

「ゾーラン!」
「確かにこいつはまともに戦ってどうにかなる相手じゃねえな」

 苦虫をつぶしたような顔でそう言うゾーランは、周囲をさらに細かい帯状の暗幕に囲まれてさながら鳥籠とりかごに捕らわれた鳥のようだ。
 その様子を見ながらグリフィンは上機嫌で言った。

『なるほど。貴様が次期魔王とうわさされる上級悪魔ゾーランか。直接見るのは初めてだが、さすがの実力だな。まともに戦えば私に勝ち目はないだろう。だが、それほどの実力者ならば、宝玉ほうぎょくにとって絶好の燃料になる』

 やみ宝玉ほうぎょく直轄ちょっかつ部隊の天使や悪魔、それに魔物どもを飲み込んで大きく成長した。
 グリフィンはゾーランを同じように宝玉ほうぎょくに食わせるつもりだ。

『キャラクターのレベルやランクが高いということは、そのキャラクターのプログラム量が多いということでもある。このやみ宝玉ほうぎょくはプログラムの量を多く吸い込むほど成長速度が早まる。ゾーラン。貴様ほどの人物を吸い込めば宝玉ほうぎょくは飛躍的に大きくなるだろう。そうなればいよいよ終末へのカウントダウンだ』

 そう言うとグリフィンは右手に持っている短槍を振り上げ、動けないゾーランに向けて投げつけた。
 それは光りかがやく弾丸となって一瞬でゾーランの胸を貫く。
 
「ぐうっ!」
「ゾーラン!」

 ゾーランは胸を串刺しにされて口から血を吐きながら、それでもふてぶてしいつら構えでグリフィンを見上げると言った。

「おいインチキ野郎。あそこにいるバレットはな、かつて俺の部下だった男だ。未熟者だが、俺に何度ぶんなぐられても絶対にを上げなかった筋金入すじがねいりの負けず嫌いだ。あいつは必ずおまえのたくらみを打ち破るぜ。ナメんなよ」

 なっ……ゾーラン。
 あの野郎、いきなり何を言ってやがる。

『フンッ。そうか。ならばかつての部下の前でみじめに消えていけ。自慢の部下が死ぬところは見たくあるまい? 無論、バレットの奴も後からきっちり後を追わせてやるからさびしくないぞ』

 そう言っていやらしい笑い声を上げながらグリフィンは左手を頭上にかざした。
 すると波打ちぎわにあったやみ宝玉ほうぎょくが一瞬にしてグリフィンの頭上に移動した。
 それは禍々まがまがしいほどの黒く深いやみであり、獲物であるゾーランを求める捕食者の息使いを感じさせる。
 そしてグリフィンは何やらメイン・システムを起動して作業を始めていた。
 
 一方のゾーランは危機にひんしながらも、全く動じた様子を見せずに俺を見下ろした。
 その口が何やら動いているのを見た俺はハッとした。
 ゾーランが今、しゃべっているのはゾーラン隊が独自に作った隊の暗号言語だ。
 俺はゾーランのくちびるの動きを読んだ。

【ティナのお嬢ちゃんから聞いていると思うが、ティナにおまえを紹介したのは俺だ。うまいことバレットに会えたことはティナから送られてきた手紙で知ったが、その後あんなことになっていたとはな】

 そう言うとゾーランはグリフィンに取り込まれているティナを見た。
 俺は自らも覚えている暗号言語を使ってそんなゾーランに声を張り上げた。

【ゾーラン。おまえそんな悠長ゆうちょうな話をしている場合か……】
【いいから聞け。バレット。天国の丘ヘヴンズ・ヒルの運営本部はすでにティナの後釜あとがまを用意している】

 ……後釜あとがまだと?
 どういうことだ?

【天使長の後継者だよ。ティナに万が一のことかあった際のスペア的な人材だ】

 その話に俺は腹の底に冷たい感情が生まれるのを感じた。

【ティナを……切り捨てるってことか】
【そう怖い顔すんな。バレット。組織としちゃ当然の判断だ。天使長の後継者は欠かすことが出来ないんだからな。それにティナのお嬢ちゃんもそのことは承知済みさ。何しろ俺はお嬢ちゃんからその話を聞かされたんだからな】

 ティナの奴はその覚悟をしていたってことか。

【……切り捨てられた後、あいつはどうなる? ただのNPCとして生きるのか?】

 俺の問いにゾーランはわずかに苦い表情を浮かべた。

【ティナはその存在そのものが機密情報のかたまりだ。そんな人物が余生をのうのうと送れると思うか? 運営本部はそんなことを許しはしない】

 その言葉に固唾かたずを飲む俺にゾーランは告げた。
 ティナがその身に負った重い責務を。

【機密保持のためにお嬢ちゃんは体からシステムを抜かれる。そしてその経験値のみがスペアの人材に受け継がれ、ティナとしての記憶や自我はほうむり去られるんだ。ティナという見習い天使はこの世から消えていなくなる】

 ……あのガキ。
 そんなことは一言も言ってなかったじゃねえか。
 ティナはそんな宿命を背負って生まれ、単身でこの地獄の谷ヘル・バレーへとおもむいた。
 弱く小さな体でそれでも懸命に奮闘し、苦痛に耐えて多くの傷を負った末に行き着く先が……永遠の死。

「ハッ。馬鹿な小娘だ。本当に……馬鹿な奴だよ」

 俺は左の太もとに巻いたティナのレッグ・カバーの下で傷がズキズキと痛むのを感じながら、何も言えずにつめが手の平に食い込むほど拳を握りしめていた。
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