真冬の寒い朝

枕崎 純之助

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真冬の寒い朝

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 俺は列に並んでいた。
 病院の会計待ちの列だ。

 そういえば俺は何で病院に来ていたんだっけか?
 やれやれ。
 ここのところおたがい物忘れが増えてきたねと妻と話すこともあるけれど、病院に来た理由を忘れるほどの年でもないだろうに。
 
 そんなことを考えていると、前の人が会計を済ませ、俺の番がきた。
 だが財布を取り出そうとする俺に受付の女性が言ったのはこんな言葉だった。

「あなたの死亡時刻は午後5時ちょうどの予定です」
「……え?」
「死因は事故による脳挫傷のうざしょうです。現在、午後3時半ですので、あと1時間半ほど、この世に留まることが出来ます」
「何を言って……」
「ご家族の方はいらっしゃいますか? 最期さいごのお時間はご家族とお過ごしになられる方が多いのですが……」

 言われたことがすぐに理解できずに呆然ぼうぜんと立ち尽くす俺に、受付の女性はよどみなく説明を続ける。

 俺は事故にあった。
 すぐには身元の特定が出来ないほどの状態らしく、家族はまだ俺が事故にあったことを知らない。
 そしてこの病院に運び込まれた俺の命が尽きるのが午後の5時だという。

 俺は……死ぬのか。
 そうか。
 受付の女性の声を聞きながら俺はようやくそれを理解した。

「ご家族の元へ向かわれますか?」

 説明を終えて最後にそう告げる受付の女性に俺はうなづいた。
 家族の元へ行かなくちゃならないと思った。
 受付の女性が同意書と記された書類を差し出してくる。
 俺がそこに自分の名前を書き込むと、目の前が真っ暗になった。

 *******

 窓から西日が差し込んでいた。
 家族はめずらしく皆そろって昼寝をしている。
 俺は眠っている妻の顔を見て罪悪感を覚えた。
 
 自分より先にかないでほしい。
 残されるのは嫌だ。
 妻は常々そう言っていた。

 俺は自分のほうが長生きすると言った約束を果たせず悔やむ。
 ごめんな。
 約束を守れなくて。

 子供らは静かに寝息を立てている。
 父親の死を知って悲しむだろうな。
 もう幼子おさなごではないけれど、学業を修めて社会人として送り出すまでが父親の責任だと思っていた俺は申し訳ない気持ちになる。
 どうかすこやかで幸せな人生を送ってほしい。

 再び妻に目をやると、ふいに妻は眠りながら何かに苦しむような顔を見せた。
 ああ、また悪い夢を見ているんだな。
 妻は時折、悪夢を見てうなされることがある。
 そんな時はそっと肩を抱き、背中をさすってなだめてやるのが俺の役目だった。

 ふといつものくせで妻の背中をさすろうとしたが、体が動かないことに気付く。
 そうだ。
 俺の体はここにはないんだ。
 今は病院で呼吸が停止するその瞬間を待っている。

 もう今の俺に出来ることはない。
 そう思って、悪夢に苦しむ妻を見ると、眠っているその目からひとすじの涙がこぼれ落ちた。
 妻が泣いている。
 俺は……奥底から突き上げてくるような悲しみに襲われた。

 心が……ようやく理解したのだ。
 自分がもう死ぬのだということを。
 大切なこの家族とも今日で別れなければならないのだと。
 もう妻の肩を抱くことも、その涙をぬぐうことも出来ない。

 そう思った途端とたんせきを切ったように俺の目から涙があふれ出した。
 ここにはないはずの体を震わせ、嗚咽おえつまじりに俺は声をしぼり出す。

 死にたくない。
 もっと家族と一緒にいたかったよ。

 俺は……自分が死んだ後もこの家族が長く幸せに生きてくれることをいのることしか出来なかった。
 もう……終わりなんだな。





















 ……ふいに目が覚めた。
 窓からは西日ではなく朝日が差し込んでいる。
 となりを見ると、妻が俺に背中を向けて眠っていた。
 悪夢にはうなされていない。

 俺はたまらなくなって妻を背中から抱きしめた。
 妻のぬくもりが伝わってくる。
 その感触で目覚めたらしい妻が眠そうに声をらした。

「寒いの?」
「……うん」

 真冬の寒い朝だった。
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