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一章 四人の勇者と血の魔王

断章 刃は地を照らし、天を深紅に染め上げる

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「おい、起きろ」

「……んがぁっ」

 目を擦りながら上体を起こし────黒髪の男、希坂剣磨は瞼を開ける。

「……え?」

 目の前に広がるのは自分の部屋の中ではなく、森林と布団。窓を介さない直射日光。

「あぁ……そっか」

『異世界に来たんだった』─────と、鼻で笑ってしまうほど馬鹿げた状況分析の言葉は口に出さなかった。

「ケンマ。今日のところはまず……周辺の探索を行いたい」

「え、何?オレってもうお前に着いてくって決まった感じ?」

「……右も左も分からない場所で放り出されたいのか?」

「あぁいや違う違う!それだけは勘弁……」

 エルフの男……ルタインは腕を伸ばし、簡単に作ったサンドイッチを剣磨に手渡す。

「お、朝食?良いねぇ、パン派だから嬉しいよオレ!家じゃいつもご飯だからさ」

「……ごはん?どう言う意味だ」

「え?」

 野菜とパンを詰め込みながら、剣磨はきょとんとした顔で咀嚼を続ける。

「ごはん……朝食なのだから当たり前だろう」

「え、何?白米過激派?」

「……白米?」

「は?」

「む?」

 ごくんと飲み込んでから、剣磨は立ち上がって唾を飛ばす。

「待て待て待て!ご飯っつったら白米以外に無いだろ!?他に何の意味が……」

「……いや、待て。白米……あぁ、昔読んだ事がある。確か帝国ではごはんという言葉には白米という意味も含まれていると」

「……含まれてる?だからその、他の意味ってのが─────」

「『食事』等の意味だ。例としては、そろそろご飯の時間だから……とか」

「…………確かに──────いや待て!」

 剣磨は息を呑み……漠然とした『違和感』の全貌を掴もうとする。

「確かにその意味もある、でもそれは日本語だけじゃないのか?英語圏とかでは白米は主食じゃないだろうし……」

 呟いてから気付く。

(……そうだ、そもそもなんでコイツ……ルタインは日本語を喋ってんだ?)

『ごはん』の主な意味が白米から食事に移っていたり、違いはありそうだが……少なくとも異世界の住人と会話が通じている時点でまず、おかしい。

「─────自動翻訳スキルか!?」

「……なんだそれは」

「いや、オレも持ってるか分からん。貰ったスキルの数が多すぎてな。でも異世界に召喚された奴って大体そういうの持ってるんだよな!」

「そうなのか!?待て、君の世界ではそんな頻繁に異世界人が……いやしかし、スキルや魔法が存在しない世界じゃなかったのか……?」

「あ、あーそういう意味じゃなくてね!?」

 女神が与えたスキルの中に、お約束の自動翻訳スキルがあり─────既に異世界の言語を変換した後の言葉を聞いているため、そこで言語間の違いが生まれてしまったという仮説。

「まぁ良い。食べ終わったのならまず歩きながら─────」

「ながら?」

 好奇心が分かりやすい笑顔となった表情で剣磨は屈伸運動をする。『異世界召喚』っぽい経験を実感し……剣磨の心は躍り上がっていた。

「この世界の事について話そう」








 数年前、空が光った。
 ルタインが見た魔法陣とは規模が違う光。……見渡す全ての空が光ったのだ。

 直後、『ブドレー山』の全生命が殺害された。平和だった森林は焼け、真っ赤に染まり─────突き刺さった刃が木々の代わりを務めた。
 人々は変わり果てた山を……無数の刃が山のように見えたその場所を『赤刃山脈』と呼ぶようになった。

『それ』は次に、山の『下』に入っていった。

 そこに存在する地下世界─────通称、『魔界』へ進んで行った。

[闇に 愛を与えん]

『それ』は自身が操る12の刃の内、光り輝く一つを魔界へ捧げ、太陽の代わりとした。

[光に 罰を与えん]

 透き通るような声の主は人間界にて殺戮を繰り返す。多くの魔族を従え、本格的に『世界の敵』となった『それ』は『災害』の一つとして人々に恐れられると同時に……こう呼ばれた。

【刃の魔王】……ミカエルと。










「……ミカエルだって?」

「知っているのか?」

「あぁいや……ちょっとな。でもたまたまかも」

 誰もが知っている『天使』。魔王に相応しくない名に違和感を覚えつつ、ルタインの話に注意を向ける。

「このまま成す術なく私達……魔族以外の人間は滅びるのみかと思っていたが、君が来た」

「あ、ここでオレの話?」

「君の力は馬鹿げているほど強大だ。そして君を見つけた私の使命こそ、君を正しく導く事なのだろう……む」

 結界を張りながら進むルタインは、地面に落ちている鳥の死骸を見つけ……観察する。

「外傷は無い。純魔力の影響で死んだか……」

「純魔力?不純魔力もあるって事?」

「……説明しよう」

 指先に魔法で火を灯し、銀髪のエルフは眼鏡の位置を直す。

「私達の身体に宿る魔力。それを体外に出す魔法という技術。それは魔力を『別の形』に変換して火や風や水を生成する」

「おう」

「だが、変換させずに魔力を出す……これがほとんどの者には不可能なのだ」

「えぇ!?どっちかって言うとそっちの方が簡単そうなイメージあるんだけど……」

「異世界人だからかもしれないな。……注意すべきなのは、純魔力は大抵の生物にとって毒になる。あの鳥も純魔力の爆発によって内部の魔管が乱れて死んでいた」

「エッグ!って……まかん?なんじゃそりゃ」

「……そうか、魔力が無い世界の人間……つまり魔管が存在しない!?しかし君は魔法を使える─────ケンマッ、すまないが解剖させてくれないか……!?」

「嫌に決まってんだろ馬鹿かお前!死ぬわ!……まぁなんとなく察したよ。血管の魔力版って解釈で合ってるか?」

 掴んだ剣磨の肩から手を離し、咳払いの後にルタインは頷いた。

「あぁ。……そして昨日、突如超強力な純魔力の爆発があの山の頂上で発生した。よってこの周辺は濃密な純魔力で覆われており……私のように結界を張っていたり、ケンマのように莫大な魔力量を持っていなければ即息絶える死の空間となっている」

「山?どこにもなくないか?」

「昨日まではあった」

「……なるほど、そこまで大規模だったか」

「私はその爆発を起こした存在を探している。刃の魔王はこのような攻撃方法を今までに使用した事はない。故にまた別の存在が純魔力爆発を引き起こしたと考えている」

 不自然なほど静かで不気味な森に生物はいなかった。剣磨はそれを恐ろしく思っていたが……むしろ出会う方が恐ろしいと気付いた。

 こんな死地で出会ったのなら、それがきっと爆発の元だから。

「しかし、本当に誰もいないな……」

「あぁ。強いて言うなら君くらいだ」

「え?」

「……まだ言っていなかったか」

 ふと気付いたルタインは木々や空を見たまま言った。

「爆発によって生まれたクレーターの中心に倒れていたのが君だ」

「──────は?」

「急いで連れ帰ったが、怪我がなくて良かった。神の恩恵が君を守ったのだろう」

「え、あ……そう、か…………そう……だよな」

 ルタインは剣磨の怯えているような表情に気付き、顎に手を当ててから言葉を選ぶ。

「そう心配するな。君の身体に異常は無い。確かに山の中にあった村は丸ごと消し飛んだが……それでも君は生きている。それほどに神の力は強力という訳だ」

「…………村、が……?」

「……どうした?」

 足を止め、剣磨は俯いていた。顔中に冷や汗が垂れ、震える唇で彼は言葉を紡ごうと顔を見上げた。

「……ル、ルタイン……もしかしたら─────」

「─────待て、ケンマ」

 茂みがガサガサと揺れる音が響く。

 ……何かがいる。察した二人はその方向を向き、ルタインは剣磨を庇うように腕を広げる。

 そして現れたのは──────

「……女の、子……?」

 黒い角が生えた、青い髪の少女。剣磨から見た彼女はかなり幼く……具体的には10歳くらいにしか見えなかった。

「ぁ……あ……」

 酷く弱ったように見える少女は身体中の穴から血を流し、助けを求めるような……しかし怯えた目つきでこちらを見ていた。

「ル、ルタイン!生存者だ、早く助け─────」

「駄目だ」

「……え?」

「この少女は魔族だ。よって─────紛う事なき殺害対象」

 眼鏡を中指で抑え、ただ彼は自身の『固有魔法』を唱える。

「【】──────」

「何を……ッ!」

 冷徹なまでに行われた魔法の発動。次元の亀裂が少女の身体に発生し、すぐに閉じる事で少女を真っ二つに引き裂こうという至ってシンプルな魔法。

「ぁ……?」

 訳も分からず、ただ─────自分に殺意を向けるエルフを呆然と見つめる事しかできない。
 それどころか……『分かっていた』ような『諦め』が瞳に宿っていた。

「─────何をしてるんだ、お前はッ!!」

 彼が……その希坂剣磨という男が動いた理由をはっきりと述べるなら、『助けたかった』から。
 まだ幼く、彼の妹と変わらないほどの少女が死ぬ姿を見たくなかった。見るべきでは無いと、それが起こるべきでは無いと判断した。

 故に動いた。

 故に─────『力』は応える。

「止めろォッ!!」

 剣磨がルタインに手を伸ばした瞬間……発生しかけていた次元の亀裂は消失した。

「……なんだと?今、何が──────」

「この馬鹿野郎ッ!!」

 何も考えずにただ、剣磨は拳をエルフの男の顔面に叩き込む。

「─────ぐぅッ!?」

 ルタインは何重にも魔法結界と魔法障壁を生成していた。周囲に展開していた魔力瘴気のみを弾く結界のほかに、自分の身体の周りを覆うように物理防御から魔法防御までを、いくつも。

 剣磨の拳が命中した瞬間、その内の物理防御の障壁全てが崩壊したのをルタインは鋭い痛みの中で察知した。

(─────今。もし障壁がなかったら、私は……)

 鼻血程度で済んでいる事に安堵しながら……初めて感じた濃厚な『死』の気配に、手が震える。

「何が殺害対象だよ……相手は怪我人で、しかも小さい子だぞ!?」

「……魔族は敵だ。刃の魔王の統治の下にある彼女達は、王と同じように私達を殺戮する」

「魔族っつってもピンからキリまであるだろっ!!この子がそういう風に見えるかよ!?」

「分からなくても殺すしかない。戦闘に長けた魔族から生き残るためには……手段を選んではいけない」

「じゃあ拘束した状態で治療するとか……捕虜って奴だよ、それで良いじゃねえかよッ!お互い殺して殺して殺し合いをずっと続けてたら戦いなんて終わらねえんだよ!!」

「……君は私に魔族と分かり合えと言うのか?異世界人である君が!!」

 立ち上がったルタインは、声を荒げる事が自分でも珍しいと自覚していた。……エルフの中でも才能に長け、周囲と会話が噛み合わず、他の人間と自分には知能の差があると思っていた彼がここまで真っ直ぐに反論される事は今までになかったのだ。

「分かり合えるはずがないだろうッ!親も友人も皆死んだ!これ以上犠牲を出さないためには殺すしかない!」

「なんで魔族を犠牲に含めないんだッ!その意識をまず変えないと世界に平和はいつまで経っても訪れないままだ!」

「魔族と他の種族は生物としての格が違うッ!戦闘のために生まれたような奴らとどう分かり合えと言う?戦うしか無いだろう!!」

「オレの世界では肌の色が違うだけで争ってたんだよッ!!」

「なっ─────」

 そして、反論出来ずに言葉が詰まってしまった事も初めてだった。

「ちょっと見た目が違う。それだけで残酷になれる生き物なんだよ。少なくともオレの世界での人間ってのは」

「……馬鹿な。肌の色くらいで……そんな……どうしてそんな事が理由に……!」

「『違う』からだっつってんだろ。奴隷制の名残とか、色々あるけど深い理由なんて関係無い……どうせこの世界に魔族なんか居なくたって戦争は起きてる」

「……」

「オレが嘘言ってるように見えるかよ」

「いや──────」

 ルタインは地面に落ちた土のついたままの眼鏡をかけ直し、立ち上がった。

「治癒魔法を教える。協力してくれ」

「……おう」

 世界に染み付いた常識、自分が染まった固定観念を即座に捨てる『賢さ』を彼は持っていた。

「……【廻復グランド・ピオス】─────」

「傷が────マジかよ、治ってきてる……!」

 ルタインの手から発せられる魔力は少女の身体に浸透していき、傷付いた身体を修復していく。
 が、彼の表情は苦いものだった。

「……やはり内部の魔管と血管の治癒が厳しい。まだ身体の中に純魔力が残っているせいか……」

「ど、どうすれば良い?」

「最善は『純魔力を外に取り除く』事だが、不可能に近い。地道に治療し続けるしか無い」

 ルタインの言い分は剣磨にとって理解する他ない、自分の知らない領域の知識によるもの。しかし─────回復してまた傷付きを繰り返していた事で、少女は見るからに表情を更なる苦痛に歪ませていた。

「ぐ……ぅう……っ」

「……純魔力を外に取り出せれば良いんだよな?」

「─────やるのか」

「やってみねーと分かんねえだろ。ここでこの子を救えなきゃ、神の加護なんざ無いのと同じだ」

「少女の魔力と入り込んだ純魔力の区別をして外に出さなければ、魔力切れを引き起こしてより弱るだけだ。……気をつけろ」

 とは言ったものの─────ルタインは分かっていた。

 いくら力があろうとも、魔力を操るという感覚と出会ってまだ間もない剣磨が少女と森に漂う純魔力、『2種類の他人の魔力』の区別が付くとは思えなかった。

「あったッ!」

「─────何?」

「この子に馴染んでる魔力の中に……なんか違うのが居やがるッ!」

 だが少女の身体に手を当てた剣磨はその感覚を掴んでみせた。

「ッ、どこだ!?場所は身体のどこに────」

「どことかそういうんじゃなくて、あちこちに広がってる!」

「一つに集めろ!あぁいや、胴体ではない所に、だ!内臓に影響が出る可能性が……」

「了解ッ!」

 少女の呻き声が響く中、剣磨は『他人であるはずの魔力』をいとも容易く操り────少女の右腕に結集させる。

「こ、ここ!ここに集めた……!」

「すぐに切開するっ!だが君の仕事はまだ終わっていないぞ!」

 次元空間の奥から取り出したナイフが、魔族の少女の柔肌を切り裂き────

「ッ……今だ、純魔力を─────」

「言われなくとも……!」

 溢れ出た暴力的なまでに純粋な魔力に、ルタインは怯みつつ────その魔力が周囲の空気中に溶け込んでいくのを感じた。

 ケンマ・キサカ……ついさっき魔力と純魔力の違いを知った男によって。

「ルタイン、今開いた傷は治した方が良いよな?」

「あ、あぁ。すぐに─────」

「【廻復】……だったよな」

 数センチの少しの切り傷は、最上位治癒魔法によって跡形もなく消え去る。それどころか穴だらけだった身体中の血管、魔管すらも。

「まさか、本当にやり遂げるとはな」

「ハハハ、神の加護様様だな。でも魔力を感じ取るってのはちょっと地味な加護じゃねーか?そういうのもわざわざ付けてくれたから助けられたんだけどさ」

「─────いや、そこじゃない」

「え?」

「恐るべきなのはそこじゃない……」

 他人の魔力を感じ取る。これは剣磨以外でも、ルタインのように卓越した魔法使いなら持っている技術だ。

 だが、『他人の魔力を操る』力。これはどう考えても『異常』と言える領域。

「伝わりにくいかも知れないが……他人の魔力を操る事は、魔法界では『不可能』と結論が出されている。魔法の詠唱を中断させる技術は実現出来る可能性があるとされているが、魔力を操る事はどう考えても無理だ」

「……」

「魔力操作の技術の根幹からして、無理だ。そして……魔法使いの誰もが感覚でそれを理解している」

「そう──────なのか」

「だから──────」

「……ッ!」

 冷や汗を垂らし、目を瞑った剣磨の─────肩を、エルフの男は強く掴んだ。

「君は本物の逸材だッ!」

「へ?」

「この力があれば刃の魔王すら倒せる。まずなんとかして奴に傷を付けるだろう?その後は奴の全ての魔力を操作して傷口から外へ出し魔力切れ状態にさせる!フハハハハハ……これだ!この戦法で君は最強になれる……!」

「……あ、あの、その─────」

 言えなかった。

『それは出来ないかもしれない』と言ってしまえば─────『考えうる限り最悪の可能性』から目を背けられなくなる。

「おっと、すまない。まずはこの少女を安静な場所に運ばなければ」

「……そうだな」

 ルタインは少女を抱きかかえ、立ち上がる。

 剣磨は未だに震えていた。言うべきか言うまいか迷っていた。だがそれ以上に────『そんな事があり得るわけない』と心のどこかで決めつけていた。

 だからこそ、安心を手に入れるために彼は問う。

「……あのさ、ルタイン」

「何だ?」

「昨日起こったっていう純魔力の爆発って──────」

 ──────直後、二人の表情は硬直する。

 剣磨は空を覆う強烈な光に驚き、空を見上げたから。
 ルタインは迫り来る剣磨と同じくらいの魔力を保有する存在を察知したから。

 そして二人とも─────同時に恐怖を抱いていた。

(……あぁ、そっか)

 空から舞い降りる存在を見た勇者は自然な確信を得た。

(こいつが……魔王だ)

 人型。

 しかし白い翼が生えている。
 しかし頭上に光の輪がある。
 しかし周囲に複数の刃が浮遊している。
 しかし……人間の理解の範疇を超えた存在の、得体の知れない恐怖を象徴している。

[感謝する 啓示よ 私の鞘よ]

 白く、石像のような顔が微笑んだ。

[迎えに来た 同胞よ 青き星の民よ]

 これが─────【刃の魔王】ミカエルと、後に【剣の勇者】と呼ばれる希坂剣磨が初めて邂逅した瞬間。
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