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第8章 内外戦線

秦安に行く

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 軍議を終えたよいは、光世みつよ桜史おうしと共に李聞りぶんの陣屋の敷地に設営された小さな幕舎へと戻って来た。
 すっかり日も暮れ、兵達は夕食の準備をしているようだ。
 徐檣じょしょう楽衛がくえいと軍の指揮について細かい打ち合わせをする為に連れて行かれた。軍人としては初心者である徐檣を、先輩である楽衛にしっかりと指導してもらう。楽衛に徐檣という女が扱い切れるかは若干不安は残るが、他に頼める武将はいない。そんな徐檣はようやく戦場に立てると意気揚々としていた。

 幕舎の中で長い軍議を終えた若き軍師3人は茶を飲んで一息ついた。
 相変わらず光世の顔は悲壮にかげっているように見え、口数も少ない。

「光世、史登しとう君や徐畢じょひつ将軍の為にも、必ずこの戦を終わらせよう。それには光世の力が必要なの。辛いと思うけど……」

 心配して声を掛けた宵だったが、光世は湯呑みを卓に置くとニコリと微笑みを見せた。

「ありがとう。宵。でも私大丈夫。宵だって辛い想いをしながらもここまで頑張って来たんだもん。私がこんな所で落ち込んでるわけにはいかないでしょ?  しばらくはこんな浮かない顔しちゃうかもしれないけど、大丈夫だから」

「そ、そう……でも、無理はしないでね」

「多少は無理しないと戦なんてできないでしょ!  それより、まさか宵があそこまで大きな戦略を考えていたなんて、マジで驚いたよ」

 光世がいつも通りの調子で言ったので、ようやく宵は肩の力を抜いた。

「俺も驚いた。まさか洪州こうしゅうの元えん軍を全員寝返らせようなんて」

「それができれば話は早いんだけどね。まあそんなに簡単にはいかないよね。一応、周殷しゅういんのところに潜り込ませている甘晋かんしん殿とはずっと連絡取り合ってて各郡の太守達の本音とかも探ってるんだけど」

「え?  そうなんだ。どんな感じなの?」

「各郡太守たいしゅはみんなえんに罪悪感を抱いているみたい。戦わずに降伏した事を後悔してるんだって。戻れるなら戻りたいって漏らす太守もいるそうなんだけど、洪州刺史こうしゅうしし樊忠世はんちゅうせいは戻ったら死罪になるって恐れてるみたいなの」

 宵の説明を黙って聞いていた桜史が顎を指先で触りながら口を開く。

「なるほど、だから樊忠世はんちゅうせい達洪州の長官が罪を免れるように朝廷への説得が必要なのか。確かに朝廷の許しがないと、洪州全体を無抵抗で敵に渡してしまった行為は何らかの罰を与えられるだろうし」

「そうなのよ。だから董炎とうえん辺りから洪州刺史に対して免罪符を送ってもらうようにしなきゃなんだけど……」

「それは私にやらせて」

 迷いのない光世の立候補に宵と桜史は目を見開いた。

「でも、光世には董炎失脚の計略が……」

「そうだよ。だから私にやらせてって言ったの。だって董炎に絡んだ朝廷との謀略は私が担当してるんだから。私と清華せいかちゃんに任せてもらえば必ず免罪符も手に入れてみせるよ」

「そこまで言ってくれるなら……任せるよ」

「さすが、宵。話が分かるね。それでさ、2人に相談があるんだけど」

「何?  改まって」

「私も秦安しんあんに行きたいんだ」

 またも光世の突拍子もない発言に、宵と桜史は固まった。秦安しんあんとは閻帝国えんていこくの都、皇帝がいて、朝廷があり董炎とうえんもいる。まさに宵達にとってはもう1つの戦場である。

「え?  いや、秦安に?  危険だよ。光世」

「そうだよ。それにせっかく3人揃ったのに離れ離れになったら、元の世界に戻るタイミングが来たとしても厳島いつくしまさんだけ帰れなくなってしまうよ?」

 宵も桜史も当然の事ながら反対した。
 だが、光世はそれを想定していたのか、まるで動じない。

「ごめんね。私、元の世界に帰る事より、こっちの世界で死んでいった人達の為に、せめてこの戦を終わらせる事の方が大事になっちゃったの。だから、例え私だけ帰れなくても、別にいい」

「そんなの……駄目だよ。3人で帰るって約束じゃん……。それに光世のご両親も、司馬しば教授だって心配してるよ」

「そうだね。でも、ごめん。もう私の気持ちは変わらない。相談とか言っといて、もう決めちゃってたんだよね。だから貴船君。宵の事お願いね。帰れる時が来たら宵と一緒に帰って。私はこの身が朽ちようとも、えんろうの戦を終わらせる」

 光世の覚悟を聞いた桜史は首を横に振る。

「厳島さん、そんな事、認められない。秦安に行くまでの道のりだって、斬血が襲って来ないとも限らない。到着してからだって危険はたくさんあるんだ。お願いだから考え直してよ」

「私の護衛には陸秀りくしゅう将軍が就いてくれる事になってるから心配しないで」

 光世の決意は固かった。宵や桜史が止めても聞く耳を持たない。

「2人が止めても私は行く。大丈夫だよ。私、死なないように上手くやるし、仕事が終われば戻るから。間に合えば、一緒に帰ろう」

 辛気臭い顔をする宵の手を光世は笑顔で握った。
 納得してないという顔を見せる宵。その隣の桜史も同様だ。

「いつ……つの?」

 目を細めた宵はか細い声でそう訊いた。その質問に桜史は目を見開いた。

瀬崎せざきさん?  行かせるの?」

「これだけ言って考えが変わらないならもう止められないよ。それに、光世のこんな真剣な目、初めて見た」

 桜史は宵の言うままに光世の瞳を見た。
 その瞳は悲しみに満ちてこそいるが、決して闇に曇ってはおらず、自信に満ちた真っ直ぐなものだった。
 桜史は大きな溜息をついた。それ以上、桜史が何かを言う事はなかった。

「明日の朝。秦安しんあんまでは5日近く掛かるって聞いたし。すぐにでも董炎とうえんと接触できた方がいいでしょ?」

「分かった。秦安へ行く事は認める……けど、約束して。絶対死なない事。絶対3人で元の世界に帰る事」

 そう言って宵は小指を差し出す。

「2つ目の約束は……どうかな」

 光世が苦笑したので宵は光世の右腕を無理やり取り、その小指に自らの小指を絡めた。

「指切りげんまん!  はい約束!  光世は優秀な軍師なんだから、董炎から免罪符をもらった後で失脚させて朧との戦を終わらせる。そして、また私達のもとへ戻って来て一緒に元の世界に帰る。それくらいできるよ!  ね?  貴船君?」

「うん、間違いないね」

 むちゃくちゃな事を言う宵と桜史に光世は可笑しくなって吹き出した。

「分かったよ、約束する。私はちゃんと戻って来るから」

「うん」

 宵は光世に抱き着いた。

「だから泣くなよ、宵」

「泣かないよ……」

 そう答えた宵から鼻をすする音が聞こえたので、光世はまた苦笑しながら桜史を見た。桜史もニコリと笑って見せた。


 ♢

 それからすぐ、宵と桜史は光世を連れ、再び本営の王礼おうれい李聞りぶんに光世を秦安しんあんに行かせる事を報告に行った。王礼と李聞の前では自分のペースで堂々と秦安へ行く事の必要性を解いた。勿論、王礼には董炎とうえん失脚の計略は伝えていないので、あくまでも洪州こうしゅう奪還の計略の為とだけ伝えた。
 すると、3人で決めた事なら反論はない、と案外すんなりと許可が降りた。光世は説得しなくてはならない相手が宵と桜史だという事を初めから知っていたのだ。

 報告の帰り道、3人の前に仮面を着けた男が1人現れた。
 男は仮面を外し素顔を晒した。
 顔の半分が火傷で爛れた見るに堪えない悲劇的な顔をしていた。

陸秀りくしゅう将軍」

 光世が呟いたので宵と桜史はすぐに拱手した。
 宵が陸秀に会うのはこれが初めてだが、桜史は久しぶりの再会の筈だ。

「桜史よ。お前も元気そうで何よりだ」

「陸秀将軍、またお会いできて光栄です」

 陸秀は頷いた。

「あの……光世を守ってくれてありがとうございます」

 拱手したまま頭を下げ、小さな声で礼を述べる宵。そんな怯えた様子の宵へと陸秀は目をやった。

「お前が閻の女軍師か。我が軍を破り景庸関けいようかんを火の海にした」

 宵は拱手したまま陸秀に目を合わせられず俯いたまま固まる。

「あ……陸秀将軍……」

 桜史が弁明の為に声を掛けようとしたがその必要はなかった。

「見事な策だった。俺は戦においてあれ程までに見事な策を見た事はなかった。お前に恨みなどはない。顔を上げてくれ、宵殿」

「え……?  あ、ありがとうございます」

 予想外の優しい言葉に、宵は呆気にとられ顔を上げた。恐ろしい顔をしているが、その目には完全に敵意はなかった。
 その優しい目を見て、宵はこの男は信用できる男だと思った。

 光世は宵や桜史の様子を手を後ろに組んでボーッと見つめていた。

「光世の事は任せろ。必ず俺が守る。光世が秦安へ行くという話は兵達は知らないな?」

 陸秀が言うと宵は頷いた。

「はい。行き先を告げればそれが漏れて、道中斬血ざんけつに襲われるかもしれないですから、信頼のおける人以外には話しません」

「そうしてくれると助かる。俺も部下達を全員連れて行くわけにはいかないからな。お前達の護衛にも、半分は俺の部下達を残していくつもりだ。閻の兵達よりは役に立つだろう」

「ありがとうございます……あの、陸秀りくしゅう将軍」

「将軍はやめてくれ。もう俺は将軍ではない」

「では、陸秀殿。朧軍の大都督だいととく周殷しゅういんは、本当に閻の民を救う為に戦を起こしたのですか?」

 陸秀は腕を組んで宵を見た。その眼差しに、宵は唾を飲む。光世も桜史も宵の質問の答えを興味深そうに待つ。

「戦を起こしたのは朧王ろうおうだ。周大都督ではない。周大都督は朧王のご命令で閻に侵攻する軍の指揮を執っている。朧王の腹のうちは読めんが、少なくとも周大都督は閻の民を救う為、董炎とうえん討伐に賛同していた。何故そんな事を聞く?」

「私には他国の民を救う為だけに戦を起こす聖者なんていないと思うんです。自国の利益に直結しないし、逆に多額の軍費や多大な兵糧、大勢の兵士達が動員され国力を落とします。必ず、他の目的がある。そう思ったんです」

「なるほど。だから俺はお前に敗れたのか」

「え?」

「相手の言う事だけが真実ではない。甘い話には裏がある。物事の真実を見極めてこそ、軍師と呼ばれる所以かもしれんな。俺は周大都督に『閻の民を救うべく董炎を討つ』と言われ従っただけだった。人を救う為悪を討つのなら我々は悪ではない。そう思った。だが、言われてみればそうだ。朧国には損失の方が大きい。俺は、いや、朧軍のほとんどの将兵はそれを真に受け戦に出た。本当の目的が何なのか、そんな事は考えずに」

 陸秀は唇を噛み締め焼け爛れた頬を触った。

「ならば俺は何の為にこんな傷を負った?  何の為に大勢の閻の将兵を殺した?  何の為に……徐畢じょひつ将軍は死んだ?」

 陸秀はそう言って仮面を着けて顔を隠した。
 3人はその様子を黙って見つめる。

死んでから・・・・・気付いてももう遅い。だが、生きているお前達にはこの戦を動かす事ができる。そして、賢いお前達にはこの戦が何なのか、どうすればいいのか。全て分かっているのだろう」

 陸秀は3人に背を向けた。

「この戦が朧王による侵略戦争・・・・ならば、朧が悪だ。一刻も早く、戦を終わらせなければならない。それができるのはお前達だけだ」

「陸秀殿!  少なくとも貴方や徐畢じょひつ将軍は悪ではありません!  そして私が知る多くの朧の将兵も正義の心で戦っていました!  だから、だから必ず、この戦の真の目的を突き止め、無益な争いを早期に終わらせます!」

 去りゆく陸秀に向かって桜史が叫んだ。
 桜史が大声を出すのは珍しい。
 宵と光世は隣で頷いた。

「期待している」

 陸秀は振り向かずにそう言うと、そのままどこかへ歩いて行ってしまった。

「朧にはああいう人が沢山いた。周大都督もそうだった。だからきっと、周大都督も何も聞いていないんだよ。朧王が閻帝国を攻めたい本当の理由を」

 桜史は拳を握り締めて言った。

「どんな理由があろうと、朧軍が董炎とうえん討伐を大義名分に掲げている以上、それを打ち砕けば朧軍は軍を引かざるを得ない。やっぱり私達で董炎失脚の計略を成功させるのが最善だと思う、貴船君、光世」

 桜史も光世も黙って頷く。

「必ず、私達の手で戦を終わらせよう。2人がいてくれて良かった。宵、貴船君。2人がここを守ってくれるから、私は秦安しんあんへ行ける」

 そう言って光世は宵と桜史の手を握った。

「さ!  2人共!  荷造り手伝ってよ!  明日は早いからね」

「分かった!」

 元気に振る舞う光世。本当は辛くて寂しい筈だ。それでも光世は宵と桜史の前まではもう涙を見せなかった。
 桜史ももう不安そうな顔は見せず、覚悟を決めたのか、清々しい顔をしている。
 この世界に来たのが光世と桜史で本当に良かった。

「そう言えば宵、鍾桂しょうけい君は?  今日は全然姿見ないけど」

「ああ、鍾桂君は私の親衛隊の調練で朝からずっといないの」

「親衛隊?  そんなの組織してたの?  宵もついにアイドルかぁ」

「アイドルの親衛隊じゃないよぉ」

「分かってるよ。てかさ、鍾桂君も秦安に連れてっていい?」

「……え?  それは……」

 戸惑う宵の肩に光世は腕を絡めた。

「ははぁー可愛いなぁ~!  大丈夫だよ、冗談だから」

「もお!  からかわないでよぉ!」

 顔を真っ赤にして頬を膨らます宵。膨らんだ頬を光世がツンツンとつつく。そんな様子を不満げな様子で桜史が一瞥した。

「ご、ごめん、貴船君、宵を揶揄うの楽しくてさ」

「何で謝るの?  別に俺は何とも思ってないけど」

 クールに返す桜史に光世は耳元で囁く。

「私は貴船君を応援してるよ」

「ねぇ、何コソコソ話してるの?  ホント2人って仲良いよねぇ」

 光世と桜史の間にひょっとりと割って入る宵。仲間外れにされて不服そうである。

「貴船君は小さい胸が好きだって」

「いや何の話してんの!?」

 突然の下ネタに宵は自らの絶壁を両手で隠す。
 すると桜史が呆れたように返す。

「瀬崎さん、俺そんな事一言も言ってないから。厳島さんてたまに下ネタ言うよね」

「そうだよ、光世のスケベ~」

「宵には言われたくないよ、ムッツリめ!」

「ど、ど、ど、どういう意味かぁ~!?」

 自爆する光世とブーメランを食らう宵。そしてクールに受け流す桜史。等身大の大学生の他愛もない会話。しばらくは3人でこんなやり取りもできないだろう。
 そして、これが最後の会話になるかもしれない。

 何が起こるか分からない。明日は誰かが死ぬかもしれない。それが、戦争なのだ。
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