127 / 173
第7章 洪州奪還戦
宵、命を下す
しおりを挟む
閻軍~椻夏~
宵が荒水の堰を切ると言っていた正午まであと2刻 (1時間)。急に城を包囲していた朧軍の動きが慌ただしくなった。
陣を撤収し隊列を整え始めたのだ。
宵の話では、2刻前に間諜を使い敵に水攻めを報せ、朧軍に考える暇を与えずに鶏陵の丘に退避させ、水が朧軍の退路を絶ったところへ椻夏と麒麟砦の軍で包囲するというものだ。そうする事で朧軍と交戦せず降伏させる事が出来るはずだと言う。
朧軍が陣払いしだしたという事は、まさに間諜がこちらの水攻めの情報を流し、朧軍を動かす事に成功したと見て間違いないだろう。
状況を分析しながら、李聞は王礼と共に椻夏の角楼から慌ただしい朧軍の動きを眺めていた。
「徐檣はどうしている? 何か妙な動きはないか?」
不意に李聞は背後の衛兵に訊ねた。
「いえ。特に報告は受けておりません。何度か城内を監視の兵と共にウロウロしているところを目撃しましたが、騒ぎもありませんので今のところ問題ないかと」
「まあ、眼前の朧軍があの状況では、徐檣が内通者だったとしても何も出来ぬか」
李聞はそう言うと衛兵を下がらせた。
「王将軍。昨日、徐檣に朧軍の包囲の弱点とやらを聞いてみましたが、どうも胡散臭い。他に大した情報も持っていませんでした。我々を誘き出して罠に嵌めようとしているように思います」
「そうか。やはりあの女の投降は敵の策略か」
「徐檣の投降が、閻仙楊良とやらが仕組んだ計略だとしたら、例え徐檣が暗愚でも気を抜かない方が良いでしょうな」
「閻仙楊良か」
王礼は遠い目をしてボソリと呟いた。
「楊良について何かご存知で? 王将軍」
「ああ。儂は若い頃の楊良に一度だけ会った事がある。若い頃から風変わりな男だった」
「そうでしたか」
「奴は閻で生まれ閻で育った儒者の1人だった。儒教の教えを守りながら、当時廃れていた『兵法』を親の代から受け継ぎ研究していたが、当時の儒帝の、“戦を惹起する兵法の研究を禁ずる”という詔のせいで、都での研究がご法度になり、楊良はいつしか閻の国から姿を消した。朝廷に捕まり処刑されたのだとか、どこかの山に籠り兵法の研究を続けているだのとか噂が流れたが真相は分からぬまま。そんな中、山に籠って兵法を研究し続けていると信じた者達から、奴は“閻仙”と呼ばれるようになったのだ」
「兵法は詔によって禁じられていたのですか? それは初耳でした」
「元々閻には兵法など研究する者は楊良くらいしかおらず、実質、都・秦安にのみ出された詔、いや、楊良に対して出された詔と言って良いだろう。地方の者は知らなくて当然。さほど強制力もなかったしな」
「なるほど。つまり、楊良は国から兵法研究を禁じられていながら、国が危機に瀕すると今度は国から兵法を使って国を守れと無理やり仕官させられそうになり、さすがに愛想を尽かして朧国へ降った……そういうところでしょうか。王将軍」
「推測だがな。だが、先程も言ったが奴は風変わりな奴だった。閻よりも朧に味方した方が都合が良いと思えば簡単に靡く可能性はある。奴が何を考えているのか、凡庸な儂には分からん。そもそも、本当に奴が切れ者なのかどうかも分からん。事実、奴自身が何かを成し遂げた実績はないのだからな」
「『代々兵法を研究していた家系』『正体不明の老人』確かに私もその程度の情報しか持ち合わせていません。まさか……本当は賢人ではないと?」
楊良が持ち上げられるほど有能ではない可能性がある。にわかには信じ難い王礼の仮説に、李聞は眉間に皺を寄せて短い顎髭を撫でた。
「過去に実績はないが、実際のところは分からん。油断しないに越したことはない。まあ今は、眼前の朧軍が鶏陵に移動するか、洪州まで撤退してしまうか。どちらを選ぶかで楊良の技量が分かるだろう、李聞よ」
「洪州へ撤退すれば有能。鶏陵に移動すれば無能……という事ですな」
王礼は頷く。
「そうだ。貴殿の信頼している宵という娘軍師には、朧軍が洪州へ撤退した場合、鶏陵へ朧軍を誘導するようにと言われていたな。上手く出来るか?」
「分かりません。全力で事に当たるのみです。朧軍が洪州へ撤退した時の為にすぐに動けるよう軍を準備して参ります」
「頼むぞ」
高齢で戦の経験もない王礼には軍を率いて戦う事は出来ない。
李聞は王礼に拱手すると、すぐに角楼の階段を下りた。
李聞の視線の先、階段の下にはすでに張雄、楽衛、成虎、龐勝が雨に打たれながら待機していた。
♢
部屋を出ようとした徐檣は、廊下で待機している鍾桂がまた付いて来ようとしたのを見てさすがにウンザリして溜息をついた。
「鍾桂君。貴方もう付いて来なくていいわよ?」
「いえ、私は貴方の付き人に選任されましたので、どこまでもお供します」
平然とした調子で答える鍾桂に、拳を握り締めて震える徐檣は今にも殴り掛かろうとする勢いさえあったが、どうにか堪えて腕を組むと、自慢の胸を強調するかのように鍾桂の目の前に差し出した。
鍾桂の視線は案の定、徐檣の胸の谷間に落ちた。
「もしかして私信用されてないのかなぁ? どうしたら信用してもらえると思う? 鍾桂君が李聞将軍に口添えしてくれたら信じてもらえるかな?」
誘惑しようとする徐檣だが、そういう事に慣れていないのか、あまりに不自然でそそられない。鍾桂は溜息を着くと徐檣の胸から視線を徐檣の切れ長の瞳へと戻した。
「私が口添えしたところで何も変わらないでしょう。私にそんな権力はありませんから。それよりも、徐檣殿は城内をウロウロとし過ぎです。李聞将軍のご命令があるまでしばらく大人しくなさっていた方が宜しいかと」
色仕掛けが効かない事に、徐檣は不機嫌そうな顔をする。
「だってさー、私戦うって言ってるのに軍を与えてくれないどころか貴方のような監視を付けて軟禁されてるんだよ? 退屈過ぎて死にそうなのよ!」
「じゃあ私が遊んであげますよ。何します?」
「ふ、ふざけんなよ! 子供扱いしてぇ! 同い年でしょ!?」
「同い年ですね」
「ぐぬぬ……」
面倒くさそうに返す鍾桂の態度に益々腹を立てる徐檣。ついにどうにもならないと悟ったのか、不貞腐れて部屋に戻り膝を抱えて蹲ってしまった。
「徐檣殿。そんな拗ねないでください」
少し不憫に感じた鍾桂は膝を抱える徐檣の隣に腰を下ろし優しく声を掛けた。
「……しは……」
ハキハキとした物言いだった徐檣は急に小さな声でボソボソと何か喋りだした。
「え?」
「私は……こんな事をする為にここに来たんじゃない」
俯いたまま、悔しそうに徐檣は言った。
「徐檣殿は……貴女を虐げた朧軍を倒しに来たんですよね?」
「……」
「違うんですか?」
「違くない……違くない」
俯いたまま子供のように首をブンブン振る徐檣。鍾桂はさらに優しく問い掛ける。
「朧軍を倒しに来たのに、ここでもまともに取り合ってくれないから悔しいんですね? これじゃあ朧軍にいた時と同じ。戦いたいのに戦わせてくれない」
「……うん」
俯いたまま、徐檣は頷く。
「そうですか。なら誠意を見せなければ。自分の思い通りにいかないからと言って、自分勝手な事をしていたら誰からも信用してもらえません。李聞将軍は人格者です。貴女が誠意を見せれば、必ず貴女に軍を率いる機会を与えてくれます」
「ほんと?」
「本当です」
「じゃあさ、誠意って何? どうしたら見せられる?」
「そうですね。貴女は投降して来たばかりなのですから、まずは大人しくしている事ですかね」
「分かった……」
「では、私はまた廊下にいますので、何かあったら──」
「待って、鍾桂」
「はい?」
「何で私に優しくしてくれるの? こんなに我儘で鬱陶しい女なのに」
「何で……って……言われても」
「光世に似てるから?」
「いえ、そうではありません。貴女が光世に似てようが似てまいが、それは関係ありません。貴女は貴女です。私は貴女が落ち込んでいたから声を掛けただけです」
俯いたままだった徐檣が、ようやく横目で鍾桂を見た。その瞳は涙で潤んでおり、微かに赤く充血していた。
「鍾桂、貴方は良い人だね。私、大人しくしてる」
「そうして頂けると私も助かります。では」
「ううん。行かないで。一緒にここにいて。退屈だから、話し相手になってよ。どうせ貴方は私から離れられないんでしょ? だったらさ……その、な、仲良くしよ」
「わ、分かりました」
「2人きりの時は、敬語もやめて欲しいな」
「分かったよ」
鍾桂は心を入れ替えた徐檣に狐につままれたような感覚に襲われた。今までは何かを企んでいた雰囲気があったのだが、それが一切感じられなくなった。まるで何かを諦めたかのように。
鍾桂は毒の抜けた徐檣の隣に腰を下ろした。嬉しそうに微笑むその徐檣の表情は、宵や光世と何ら変わらない、可愛らしい女の子のそれだった。
***
朧軍~麒麟砦~
「軍師殿! 椻夏包囲中の朧軍が移動を開始しました!」
びしょ濡れで兜や鎧から水を滴らせている斥候の兵士は、議場に入るとすぐにそう報告した。
時期を待っていた宵と光世、そして姜美は顔を見合わせて頷いた。
「間諜の兵達が上手くやってくれましたね。それで、朧軍はどちらに向かっていましたか?」
重要なのはそこだ。洪州に撤退されたのでは前線の朧軍を捕らえる事が出来ない。鶏陵に逃げてくれれば朧軍を高台に閉じ込める事が出来る。宵の狙いはそれだ。
「西の鶏陵に移動しています!」
「よし! ありがとうございます!」
宵は斥候の兵士を下がらせると姜美へ視線を向けた。
「威峰山の桜史殿達も動いていない。姜将軍! 好機です!」
「そうですね。典瓊!」
姜美に呼ばれた部曲将の典瓊が部屋に入って来た。
「では軍師殿、典瓊に命令を」
姜美は典瓊へと腕を伸ばし、宵が命を下すようにと促す。典瓊も姜美ではなく宵の方を向き姿勢を正している。
宵は頷く。
そして羽扇の羽先を典瓊へと向けた。
「典瓊に命ずる! 鶏陵並びに威峰山の朧軍を水攻めにします! 荒水の堰を破壊してください!」
「御意!!」
典瓊は威勢の良い返事をすると、部屋から飛び出し雨の中へと消えていった。
ついに動き出した水攻め。
失敗したら取り返しがつかない。宵の顔に笑顔はない。
小さく息を吐いた宵の肩に、光世の右手が乗った。
「大丈夫」
光世の笑顔に、宵の顔も少しだけ笑顔が戻った。
宵が荒水の堰を切ると言っていた正午まであと2刻 (1時間)。急に城を包囲していた朧軍の動きが慌ただしくなった。
陣を撤収し隊列を整え始めたのだ。
宵の話では、2刻前に間諜を使い敵に水攻めを報せ、朧軍に考える暇を与えずに鶏陵の丘に退避させ、水が朧軍の退路を絶ったところへ椻夏と麒麟砦の軍で包囲するというものだ。そうする事で朧軍と交戦せず降伏させる事が出来るはずだと言う。
朧軍が陣払いしだしたという事は、まさに間諜がこちらの水攻めの情報を流し、朧軍を動かす事に成功したと見て間違いないだろう。
状況を分析しながら、李聞は王礼と共に椻夏の角楼から慌ただしい朧軍の動きを眺めていた。
「徐檣はどうしている? 何か妙な動きはないか?」
不意に李聞は背後の衛兵に訊ねた。
「いえ。特に報告は受けておりません。何度か城内を監視の兵と共にウロウロしているところを目撃しましたが、騒ぎもありませんので今のところ問題ないかと」
「まあ、眼前の朧軍があの状況では、徐檣が内通者だったとしても何も出来ぬか」
李聞はそう言うと衛兵を下がらせた。
「王将軍。昨日、徐檣に朧軍の包囲の弱点とやらを聞いてみましたが、どうも胡散臭い。他に大した情報も持っていませんでした。我々を誘き出して罠に嵌めようとしているように思います」
「そうか。やはりあの女の投降は敵の策略か」
「徐檣の投降が、閻仙楊良とやらが仕組んだ計略だとしたら、例え徐檣が暗愚でも気を抜かない方が良いでしょうな」
「閻仙楊良か」
王礼は遠い目をしてボソリと呟いた。
「楊良について何かご存知で? 王将軍」
「ああ。儂は若い頃の楊良に一度だけ会った事がある。若い頃から風変わりな男だった」
「そうでしたか」
「奴は閻で生まれ閻で育った儒者の1人だった。儒教の教えを守りながら、当時廃れていた『兵法』を親の代から受け継ぎ研究していたが、当時の儒帝の、“戦を惹起する兵法の研究を禁ずる”という詔のせいで、都での研究がご法度になり、楊良はいつしか閻の国から姿を消した。朝廷に捕まり処刑されたのだとか、どこかの山に籠り兵法の研究を続けているだのとか噂が流れたが真相は分からぬまま。そんな中、山に籠って兵法を研究し続けていると信じた者達から、奴は“閻仙”と呼ばれるようになったのだ」
「兵法は詔によって禁じられていたのですか? それは初耳でした」
「元々閻には兵法など研究する者は楊良くらいしかおらず、実質、都・秦安にのみ出された詔、いや、楊良に対して出された詔と言って良いだろう。地方の者は知らなくて当然。さほど強制力もなかったしな」
「なるほど。つまり、楊良は国から兵法研究を禁じられていながら、国が危機に瀕すると今度は国から兵法を使って国を守れと無理やり仕官させられそうになり、さすがに愛想を尽かして朧国へ降った……そういうところでしょうか。王将軍」
「推測だがな。だが、先程も言ったが奴は風変わりな奴だった。閻よりも朧に味方した方が都合が良いと思えば簡単に靡く可能性はある。奴が何を考えているのか、凡庸な儂には分からん。そもそも、本当に奴が切れ者なのかどうかも分からん。事実、奴自身が何かを成し遂げた実績はないのだからな」
「『代々兵法を研究していた家系』『正体不明の老人』確かに私もその程度の情報しか持ち合わせていません。まさか……本当は賢人ではないと?」
楊良が持ち上げられるほど有能ではない可能性がある。にわかには信じ難い王礼の仮説に、李聞は眉間に皺を寄せて短い顎髭を撫でた。
「過去に実績はないが、実際のところは分からん。油断しないに越したことはない。まあ今は、眼前の朧軍が鶏陵に移動するか、洪州まで撤退してしまうか。どちらを選ぶかで楊良の技量が分かるだろう、李聞よ」
「洪州へ撤退すれば有能。鶏陵に移動すれば無能……という事ですな」
王礼は頷く。
「そうだ。貴殿の信頼している宵という娘軍師には、朧軍が洪州へ撤退した場合、鶏陵へ朧軍を誘導するようにと言われていたな。上手く出来るか?」
「分かりません。全力で事に当たるのみです。朧軍が洪州へ撤退した時の為にすぐに動けるよう軍を準備して参ります」
「頼むぞ」
高齢で戦の経験もない王礼には軍を率いて戦う事は出来ない。
李聞は王礼に拱手すると、すぐに角楼の階段を下りた。
李聞の視線の先、階段の下にはすでに張雄、楽衛、成虎、龐勝が雨に打たれながら待機していた。
♢
部屋を出ようとした徐檣は、廊下で待機している鍾桂がまた付いて来ようとしたのを見てさすがにウンザリして溜息をついた。
「鍾桂君。貴方もう付いて来なくていいわよ?」
「いえ、私は貴方の付き人に選任されましたので、どこまでもお供します」
平然とした調子で答える鍾桂に、拳を握り締めて震える徐檣は今にも殴り掛かろうとする勢いさえあったが、どうにか堪えて腕を組むと、自慢の胸を強調するかのように鍾桂の目の前に差し出した。
鍾桂の視線は案の定、徐檣の胸の谷間に落ちた。
「もしかして私信用されてないのかなぁ? どうしたら信用してもらえると思う? 鍾桂君が李聞将軍に口添えしてくれたら信じてもらえるかな?」
誘惑しようとする徐檣だが、そういう事に慣れていないのか、あまりに不自然でそそられない。鍾桂は溜息を着くと徐檣の胸から視線を徐檣の切れ長の瞳へと戻した。
「私が口添えしたところで何も変わらないでしょう。私にそんな権力はありませんから。それよりも、徐檣殿は城内をウロウロとし過ぎです。李聞将軍のご命令があるまでしばらく大人しくなさっていた方が宜しいかと」
色仕掛けが効かない事に、徐檣は不機嫌そうな顔をする。
「だってさー、私戦うって言ってるのに軍を与えてくれないどころか貴方のような監視を付けて軟禁されてるんだよ? 退屈過ぎて死にそうなのよ!」
「じゃあ私が遊んであげますよ。何します?」
「ふ、ふざけんなよ! 子供扱いしてぇ! 同い年でしょ!?」
「同い年ですね」
「ぐぬぬ……」
面倒くさそうに返す鍾桂の態度に益々腹を立てる徐檣。ついにどうにもならないと悟ったのか、不貞腐れて部屋に戻り膝を抱えて蹲ってしまった。
「徐檣殿。そんな拗ねないでください」
少し不憫に感じた鍾桂は膝を抱える徐檣の隣に腰を下ろし優しく声を掛けた。
「……しは……」
ハキハキとした物言いだった徐檣は急に小さな声でボソボソと何か喋りだした。
「え?」
「私は……こんな事をする為にここに来たんじゃない」
俯いたまま、悔しそうに徐檣は言った。
「徐檣殿は……貴女を虐げた朧軍を倒しに来たんですよね?」
「……」
「違うんですか?」
「違くない……違くない」
俯いたまま子供のように首をブンブン振る徐檣。鍾桂はさらに優しく問い掛ける。
「朧軍を倒しに来たのに、ここでもまともに取り合ってくれないから悔しいんですね? これじゃあ朧軍にいた時と同じ。戦いたいのに戦わせてくれない」
「……うん」
俯いたまま、徐檣は頷く。
「そうですか。なら誠意を見せなければ。自分の思い通りにいかないからと言って、自分勝手な事をしていたら誰からも信用してもらえません。李聞将軍は人格者です。貴女が誠意を見せれば、必ず貴女に軍を率いる機会を与えてくれます」
「ほんと?」
「本当です」
「じゃあさ、誠意って何? どうしたら見せられる?」
「そうですね。貴女は投降して来たばかりなのですから、まずは大人しくしている事ですかね」
「分かった……」
「では、私はまた廊下にいますので、何かあったら──」
「待って、鍾桂」
「はい?」
「何で私に優しくしてくれるの? こんなに我儘で鬱陶しい女なのに」
「何で……って……言われても」
「光世に似てるから?」
「いえ、そうではありません。貴女が光世に似てようが似てまいが、それは関係ありません。貴女は貴女です。私は貴女が落ち込んでいたから声を掛けただけです」
俯いたままだった徐檣が、ようやく横目で鍾桂を見た。その瞳は涙で潤んでおり、微かに赤く充血していた。
「鍾桂、貴方は良い人だね。私、大人しくしてる」
「そうして頂けると私も助かります。では」
「ううん。行かないで。一緒にここにいて。退屈だから、話し相手になってよ。どうせ貴方は私から離れられないんでしょ? だったらさ……その、な、仲良くしよ」
「わ、分かりました」
「2人きりの時は、敬語もやめて欲しいな」
「分かったよ」
鍾桂は心を入れ替えた徐檣に狐につままれたような感覚に襲われた。今までは何かを企んでいた雰囲気があったのだが、それが一切感じられなくなった。まるで何かを諦めたかのように。
鍾桂は毒の抜けた徐檣の隣に腰を下ろした。嬉しそうに微笑むその徐檣の表情は、宵や光世と何ら変わらない、可愛らしい女の子のそれだった。
***
朧軍~麒麟砦~
「軍師殿! 椻夏包囲中の朧軍が移動を開始しました!」
びしょ濡れで兜や鎧から水を滴らせている斥候の兵士は、議場に入るとすぐにそう報告した。
時期を待っていた宵と光世、そして姜美は顔を見合わせて頷いた。
「間諜の兵達が上手くやってくれましたね。それで、朧軍はどちらに向かっていましたか?」
重要なのはそこだ。洪州に撤退されたのでは前線の朧軍を捕らえる事が出来ない。鶏陵に逃げてくれれば朧軍を高台に閉じ込める事が出来る。宵の狙いはそれだ。
「西の鶏陵に移動しています!」
「よし! ありがとうございます!」
宵は斥候の兵士を下がらせると姜美へ視線を向けた。
「威峰山の桜史殿達も動いていない。姜将軍! 好機です!」
「そうですね。典瓊!」
姜美に呼ばれた部曲将の典瓊が部屋に入って来た。
「では軍師殿、典瓊に命令を」
姜美は典瓊へと腕を伸ばし、宵が命を下すようにと促す。典瓊も姜美ではなく宵の方を向き姿勢を正している。
宵は頷く。
そして羽扇の羽先を典瓊へと向けた。
「典瓊に命ずる! 鶏陵並びに威峰山の朧軍を水攻めにします! 荒水の堰を破壊してください!」
「御意!!」
典瓊は威勢の良い返事をすると、部屋から飛び出し雨の中へと消えていった。
ついに動き出した水攻め。
失敗したら取り返しがつかない。宵の顔に笑顔はない。
小さく息を吐いた宵の肩に、光世の右手が乗った。
「大丈夫」
光世の笑顔に、宵の顔も少しだけ笑顔が戻った。
0
お気に入りに追加
78
あなたにおすすめの小説
西涼女侠伝
水城洋臣
歴史・時代
無敵の剣術を会得した男装の女剣士。立ち塞がるは三国志に名を刻む猛将馬超
舞台は三國志のハイライトとも言える時代、建安年間。曹操に敗れ関中を追われた馬超率いる反乱軍が涼州を襲う。正史に残る涼州動乱を、官位無き在野の侠客たちの視点で描く武侠譚。
役人の娘でありながら剣の道を選んだ男装の麗人・趙英。
家族の仇を追っている騎馬民族の少年・呼狐澹。
ふらりと現れた目的の分からぬ胡散臭い道士・緑風子。
荒野で出会った在野の流れ者たちの視点から描く、錦馬超の実態とは……。
主に正史を参考としていますが、随所で意図的に演義要素も残しており、また武侠小説としてのテイストも強く、一見重そうに見えて雰囲気は割とライトです。
三國志好きな人ならニヤニヤ出来る要素は散らしてますが、世界観説明のノリで注釈も多めなので、知らなくても楽しめるかと思います(多分)
涼州動乱と言えば馬超と王異ですが、ゲームやサブカル系でこの2人が好きな人はご注意。何せ基本正史ベースだもんで、2人とも現代人の感覚としちゃアレでして……。
旦那様が多すぎて困っています!? 〜逆ハー異世界ラブコメ〜
ことりとりとん
恋愛
男女比8:1の逆ハーレム異世界に転移してしまった女子大生・大森泉
転移早々旦那さんが6人もできて、しかも魔力無限チートがあると教えられて!?
のんびりまったり暮らしたいのにいつの間にか国を救うハメになりました……
イケメン山盛りの逆ハーです
前半はラブラブまったりの予定。後半で主人公が頑張ります
小説家になろう、カクヨムに転載しています
勇者召喚に巻き込まれ、異世界転移・貰えたスキルも鑑定だけ・・・・だけど、何かあるはず!
よっしぃ
ファンタジー
9月11日、12日、ファンタジー部門2位達成中です!
僕はもうすぐ25歳になる常山 順平 24歳。
つねやま じゅんぺいと読む。
何処にでもいる普通のサラリーマン。
仕事帰りの電車で、吊革に捕まりうつらうつらしていると・・・・
突然気分が悪くなり、倒れそうになる。
周りを見ると、周りの人々もどんどん倒れている。明らかな異常事態。
何が起こったか分からないまま、気を失う。
気が付けば電車ではなく、どこかの建物。
周りにも人が倒れている。
僕と同じようなリーマンから、数人の女子高生や男子学生、仕事帰りの若い女性や、定年近いおっさんとか。
気が付けば誰かがしゃべってる。
どうやらよくある勇者召喚とやらが行われ、たまたま僕は異世界転移に巻き込まれたようだ。
そして・・・・帰るには、魔王を倒してもらう必要がある・・・・と。
想定外の人数がやって来たらしく、渡すギフト・・・・スキルらしいけど、それも数が限られていて、勇者として召喚した人以外、つまり巻き込まれて転移したその他大勢は、1人1つのギフト?スキルを。あとは支度金と装備一式を渡されるらしい。
どうしても無理な人は、戻ってきたら面倒を見ると。
一方的だが、日本に戻るには、勇者が魔王を倒すしかなく、それを待つのもよし、自ら勇者に協力するもよし・・・・
ですが、ここで問題が。
スキルやギフトにはそれぞれランク、格、強さがバラバラで・・・・
より良いスキルは早い者勝ち。
我も我もと群がる人々。
そんな中突き飛ばされて倒れる1人の女性が。
僕はその女性を助け・・・同じように突き飛ばされ、またもや気を失う。
気が付けば2人だけになっていて・・・・
スキルも2つしか残っていない。
一つは鑑定。
もう一つは家事全般。
両方とも微妙だ・・・・
彼女の名は才村 友郁
さいむら ゆか。 23歳。
今年社会人になりたて。
取り残された2人が、すったもんだで生き残り、最終的には成り上がるお話。
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
学園戦記三国志~リュービ、二人の美少女と義兄妹の契りを結び、学園において英雄にならんとす 正史風味~
トベ・イツキ
キャラ文芸
三国志×学園群像劇!
平凡な少年・リュービは高校に入学する。
彼が入学したのは、一万人もの生徒が通うマンモス校・後漢学園。そして、その生徒会長は絶大な権力を持つという。
しかし、平凡な高校生・リュービには生徒会なんて無縁な話。そう思っていたはずが、ひょんなことから黒髪ロングの清楚系な美女とお団子ヘアーのお転婆な美少女の二人に助けられ、さらには二人が自分の妹になったことから運命は大きく動き出す。
妹になった二人の美少女の後押しを受け、リュービは謀略渦巻く生徒会の選挙戦に巻き込まれていくのであった。
学園を舞台に繰り広げられる新三国志物語ここに開幕!
このお話は、三国志を知らない人も楽しめる。三国志を知ってる人はより楽しめる。そんな作品を目指して書いてます。
今後の予定
第一章 黄巾の乱編
第二章 反トータク連合編
第三章 群雄割拠編
第四章 カント決戦編
第五章 赤壁大戦編
第六章 西校舎攻略編←今ココ
第七章 リュービ会長編
第八章 最終章
作者のtwitterアカウント↓
https://twitter.com/tobeitsuki?t=CzwbDeLBG4X83qNO3Zbijg&s=09
※このお話は2019年7月8日にサービスを終了したラノゲツクールに同タイトルで掲載していたものを小説版に書き直したものです。
※この作品は小説家になろう・カクヨムにも公開しています。
せっかくのクラス転移だけども、俺はポテトチップスでも食べながらクラスメイトの冒険を見守りたいと思います
霖空
ファンタジー
クラス転移に巻き込まれてしまった主人公。
得た能力は悪くない……いや、むしろ、チートじみたものだった。
しかしながら、それ以上のデメリットもあり……。
傍観者にならざるをえない彼が傍観者するお話です。
基本的に、勇者や、影井くんを見守りつつ、ほのぼの?生活していきます。
が、そのうち、彼自身の物語も始まる予定です。
異世界で神様になってたらしい私のズボラライフ
トール
恋愛
会社帰り、駅までの道程を歩いていたはずの北野 雅(36)は、いつの間にか森の中に佇んでいた。困惑して家に帰りたいと願った雅の前に現れたのはなんと実家を模した家で!?
自身が願った事が現実になる能力を手に入れた雅が望んだのは冒険ではなく、“森に引きこもって生きる! ”だった。
果たして雅は独りで生きていけるのか!?
実は神様になっていたズボラ女と、それに巻き込まれる人々(神々)とのドタバタラブ? コメディ。
※この作品は「小説家になろう」でも掲載しています
小さなことから〜露出〜えみ〜
サイコロ
恋愛
私の露出…
毎日更新していこうと思います
よろしくおねがいします
感想等お待ちしております
取り入れて欲しい内容なども
書いてくださいね
よりみなさんにお近く
考えやすく
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる