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第6章 閻帝国

雨天のどんより軍議

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 雨粒が屋根を叩く。
 窓の外は真っ白で近くの建物さえ見えない。
 本格的に雨季に入った閻帝国えんていこくは、ここ1週間雨ばかり降っている。朝から晩までしんしんと降り続く雨は、ついこの間までの夏日とは一変、肌寒ささえ感じさせる程だ。
 雨が降り始めてからというもの、洪州こうしゅうの朧軍の動きはない。景庸関けいようかん側も同様である。大都督・呂郭書りょかくしょの大軍勢も援軍に来る気配はない。

 そんな中、葛州かっしゅう麒麟砦きりんさいの一室で瀬崎宵せざきよいは、厳島光世いつくしまみつよ姜美きょうめいを集め内々に軍議を行っていた。

 宵が光世と共に作成した戦略報告書の内容は、葛州刺史の費叡ひえいや、最前線である南の椻夏えんかに駐屯している李聞りぶんにも許可をもらった上で朝廷に提出した。
 費叡も、景庸関を奪還した功績のある宵の戦略には異議を唱えなかった。姜美が口添えしてくれたというのも大きな影響を与えた事だろう。

 その後、朝廷からは何の音沙汰もないので、宵達はどう動いたらいいものか決めあぐねていた。

「具体的に、洪州の奪還はどうするのですか?  何か策があるのですか?  軍師殿」

 部屋の上座に座る鎧兜で武装した武将モードの姜美が言った。

「具体的には決めておりませんが、極力軍は動かしたくありません。洪州には桜史おうしという私や光世の友である切れ者の男性軍師がいます。その者をこちらに寝返らせようと思うのですが……」

「桜史殿とまともに戦ったら宵と言えど負けるかもしれないしね」

 すると姜美は顎に手を当てて「ふむ」と興味深そうな視線を宵へ投げ掛ける。

「そんなに優秀なのですか、朧軍の男軍師は」

「優秀ですが、私は負けませんよ?  私、兵法だけは誰にも負けませんから」

 子供のように負けず嫌いな事を言う宵を光世は微笑ましそうに見つめる。確かに、宵の今の軍師フル装備の格好で言う言葉には説得力がある。

「桜史君には閻と戦う理由はないよね?  なら、私と光世がこっちにいる事を伝えたら上手い事逃げて来てくれるんじゃないかな?」

「確かに宵の存在を知ったらこっちに来たいと思うはず。桜史殿の目的は宵を見付けて連れ帰る事だったから。けど、それをどうやって伝えるの?  桜史殿だけに伝える方法なんてある?  下手したら桜史殿の身が危ないよ?」

「そうだね……じゃあ……私が直接前線に出て行って、『閻帝国軍師の宵です!  降伏しなさい!』って騒ぐとか。そしたら私の存在を報せる事が出来るよね。私の名前でピンと来るのは桜史君だけだろうし」

「まあ……そうだけど、まず宵が前線に行くのは危険だし、『“宵”っていう名前聞いてから桜史殿の様子が変わった』って疑われたら不味いんじゃないかなぁ。朧軍の大都督の周殷しゅういん殿は只者じゃない雰囲気満載だったし」

 光世はすかさず問題点を列挙し、宵の提案の穴を指摘する。

「ふぇ~……そうかぁ……」

 宵は難しい顔をして羽扇で顔をパタパタと扇ぎながら光世の顔を見つめる。
 その時、宵はハッと閃いた。

「待って!  光世は私が閻にいる事を途中から気付いてたんだよね?  それで私と会う為に策を巡らせてくれた」

「うん」

「それってさ、どうして気付けたの?」

「あー……確か……そう、アレだ。『伏羲先天八卦ふっきせんてんはっけの陣』。アレを見た時確信したんだ。あの陣形は宵が作ったもの。だから閻には宵がいるって」

「光世……私の陣形覚えててくれたの??」

 宵は大きな紫紺の瞳を潤ませて光世へ視線を向ける。その視線に光世は照れ臭そうに髪を弄りながらそっぽを向く。

「たまたま覚えてただけだし。あんなトリッキーな動きする陣形なんて他にないし。……まぁ、実際に使えてたのは凄いと思ったよ。李靖りせいの『六花ろっかの陣』を破ったんだもんね」

「ふふふ」

 陣形を褒められた宵は嬉しさでだらしなく伸びた鼻の下を隠すように羽扇で口元を覆う。

「では、その伏羲ふっきナンタラの陣とやらを、桜史殿に見せれば彼も宵殿の存在に気付くという事ですね」

 黙って話を聞いていた姜美が言った。

「桜史殿なら絶対気付きますね……でも……」

 自信なさげな光世の様子に姜美は首を傾げた。

「直接桜史君に見せなきゃいけないんだよね。となると、あの高度な動きをする陣形をいつどこででも出来るようにしないといけない……それは現実的に難しい」

 宵はしょんぼりして言う。
 事実、今『伏羲先天八卦ふっきせんてんはっけの陣』を使える武将は李聞配下の校尉・楽衛がくえいだけである。しかも、いつ桜史が最前線に出て来るか分からず、出て来たとしてもそこが陣形を使うに適した場所でない可能性がある。そうなると、宵のオリジナル陣形を披露して桜史に勘づかせるという作戦は実現出来ない。

「それなら、その陣形の図を書いた密書を桜史殿に直接届けてみるというのはどうでしょうか?」

 姜美が小さく手を挙げて言ったが、宵は首を横に振った。

「それだと万が一桜史君以外に密書を見られた時、桜史君が内通してると疑われてしまいます」

「敵の陣形の図解なんて受け取ってたら説明つかないですしねー。だから、他の人に見られても怪しまれないようなものが必要なんですよね」

 光世の補足を聞いてなるほどと姜美は腕を組んで頷いた。

「あー、駄目だ!  何だか頭が冴えない!  こんな時、謝響しゃきょう先生がいてくれたら何か良い知恵を貸してくれたんだろうけどなぁ」

 宵はまさに“お手上げ”と言わんばかりに両手を頭上に上げて嘆く。

「謝響先生って?」

「私が豊州ほうしゅうきょう郡の衙門がもんで働いてた頃にお世話になった同僚のお爺さん。私が採用したんだけど、その人、もの凄く頭が良くてバンバン仕事を片付けてくれたんだよね~。この羽扇も謝響先生がくれた物なの。元気かな……」

 真っ白な羽扇の羽根を丁寧に撫でながら宵は追憶に浸る。

「そんな人がいたんだね。確かに、今その人がいてくれたら良い案を出してくれそう」

「まぁ、ちょっと1人で考えてみるよ。桜史君を寝返らせる方法。で、光世の方は董炎とうえんを失脚させる策は思い付いたの?」

「そんなの、そう簡単に思い付くわけないじゃん」

 苦笑する宵と光世。
 そんな2人を見兼ねてか、姜美が可愛らしい咳払いをした。

「お2人とも、この長雨のせいで頭が冴えないのでしょう。今日はゆっくり湯に浸かったら如何でしょう?  私が新たに放った間諜の報告が戻って来れば何か良い策が思い付くかも。それまでは少し息抜きをしましょう」

 姜美は、宵が間諜を使い景庸関を落とした事に倣い、自らも間諜を集め朧軍へと放ってくれていた。その数15名。確かにその間諜の報告で何か妙策が思い浮かぶ可能性は十分にある。雨季である今なら、朧軍も下手に進軍はして来ないはずだ。多少息抜きしても良いのかもしれない。

「湯に浸かるって言っても、この砦にはお風呂……沐浴もくよくするところないですよね?」

 宵は小首を傾げて訊く。

「作らせました。私はまだ傷に沁みますので、お2人で使ってください」

 姜美の言葉にお互い顔を見合わせてニンマリと笑う宵と光世。
 宵にとって、湯に浸かるのは梟郡きょうぐんの借家に劉飛麗りゅうひれいと共に住んでいた時以来である。しかもこの肌寒い日に風呂に入れるのはまさに至福。

「じゃあ……お言葉に甘えて」

案内あないします」

 姜美が立ち上がると、2人の女軍師も立ち上がり、嬉しそうにその後に続いた。
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