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第6章 閻帝国

秘密の話2

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「この国がおかしくなったのは二代皇帝である『儒帝じゅてい』の代からでした」

 姜美きょうめいは、自らの膨らんだ胸元を優しく擦りながら話し始めた。

「20年以上前の話です。当時閻は国内の治安が悪く、各地で賊が発生し朝廷は頭を抱えていました。賊と言っても、その正体は腹を空かせた閻の民。彼らが朝廷に反乱を起こし暴れ回り、各地の衙門がもんを襲い食料を奪った」

「当時の閻は食料が民に行き届いていなかったのですか?」

 都合の悪い歴史は、正式な書物には書かれていない。食料不足や民の反乱など宵は初耳だった。

「はい。広大な土地を有する閻帝国ですが、ほとんどの土地が度重なる蝗害こうがい旱害かんがいで荒れ果て、農耕など出来る状態ではありませんでした。その為、食料は金持ちや位の高い役人が隣国から買い付け、自国の民に高額で売り付けるという状態だったのです」

 その悲惨な状況に、宵は顔を引き攣らせただ頷く。

「しかし、食料が手に入らない貧しい民達が民同士で食料を奪い合い、やがて役人をも襲うようになり賊徒化したというわけです」

「かつて豊州ほうしゅう梟郡きょうぐんの治安が悪かったという話を聞いた事があります。それは梟郡だけでなく、閻全体の話だったのですね?」

「そうです」

「それで、その全国的な反乱はどうやって鎮圧したのですか?」

「反乱を起こしたのは素人の農民。朝廷や各州の有する軍がさほど苦戦もせずに鎮圧しました。ただ、その大規模な反乱が相当堪えたのでしょう。儒帝は38という若さで病に倒れ亡くなりました」

「その後を継いだのが現皇帝の蔡胤さいいんというわけですね」

「ええ。幼くして即位した蔡胤の補佐をする為、外戚がいせきやその他の高官がしばらくまつりごとを代行していましたが、月日が過ぎるうちに彼らは次々に病で倒れました。その中で、最後に残ったのが現宰相の董炎とうえんだったのです」

「……まさか、外戚や高官の死因って」

「それが、董炎の仕業でわはなく、別の役人が殺したと噂になっています。というのも、その役人が殺人を自供する遺書が見つかったらしいのです。しかし、私は違うと思います。証拠はありませんが、おそらく董炎が始末したのでしょう。董炎が朝廷に来た時期と役人の大量死の時期が重なりますから」

「酷い……」

「董炎はそうして1人皇帝のそばに仕え続け、巧みな話術と百官への根回しにより朝廷での確固たる地位を築き上げ、あっという間に宰相へと上り詰めました。そして、彼が初めに着手したのが農地改革」

「それまで荒れ果てた閻の農地を整備したんですね」

「そうです。董炎は元々農民の出身だった事もあり、農業には詳しかったのです。その知識を活かし、朝廷主導で広大な農地を整備しました。中でも、ただの荒地だった南の煉州れんしゅうを開墾し、大規模な農業地区を作り出し、各州の軍や職のない民を使って米や麦、野菜などを作らせました」

 兵士に農耕をさせる。いわゆる「屯田制とんでんせい」は三國志の中でも登場する。元々は前漢の武帝が始めた制度だが、三國志の時代では、曹操配下の棗祗そうし韓浩かんこうが進言し、兵が耕作する「軍屯ぐんとん」ではなく、民が耕作する「民屯みんとん」をも取り入れ、多大な兵糧の確保に成功した。
 その「軍屯」と「民屯」を閻帝国に導入したのが董炎となると、どうやら董炎という男はかなり有能な人物のようだ。

「さらには、煉州を初めとした海に面した州では塩の生産を行うようになり、内陸の国々へ生産した食料と共に塩を高値で売るようになりました。朝廷が塩の売買を独占した事で、閻は莫大な利益を得るようになったのです」

「塩ですか。確かに、内陸国へは高値で売れますからね……」

 古代中国でも、人が生きる為に欠かせない塩というものは特別で、国の専売や塩賊という塩の密売をする者達が問題となった。閻でもやはり朝廷の塩の専売は起きてしまっていたのだ。

「自給自足も出来るようになり、他国からも安定して金が入るようになった閻は、儒帝の代とは比べ物にならない程に豊かになりました。ですが、この国の闇はここから始まったのです」

 そう言った姜美の目付きが鋭くなった。

「交易と食料の生産が上手くいくと、董炎は自国の食料の備蓄をより磐石なものにする為に、民が所有する宅地や農地を片っ端から接収し、国が管理する大規模農業地帯を増やす政策を強行。それにより、多くの民は国が作り上げた貧民街へと追いやられました」

「土地の強制収用……飛麗ひれいさんが言ってた……」

 姜美の話で宵は思い出した。義姉である劉飛麗りゅうひれいが悲しそうに話していた事を。劉飛麗の幸せを壊した国の悪政。十分な補償もなしに民の財産を奪う。権力の名のもとに、立場の弱い民へ強いる盗賊まがいの暴挙。許される事ではない。宵の膝の上で握った拳に自然と力が入る。
 姜美は、神妙な顔をする宵を横目で見るとまた話を続けた。

「劉飛麗。軍師殿の下女でしたね。彼女も国に翻弄された1人だったのですね」

「私、この国にそんな辛い思いをしている人々がたくさんいるなんて知りませんでした。……だって、私が見て来た街はどこも平和そうで……」

「軍師殿が見て来た街……それは、何処の事です?」

麁州そしゅう荒陽こうよう豊州ほうしゅうきょう、あと葛州かっしゅう高柴こうし

「ああ、それらの街は、皆英雄が統治していた街だからですよ」

「英雄?」

「知りませんか?  高柴には民からの人望の厚い聖人・成于せいう殿、そして、荒陽ときょうには」

「李聞殿」

 宵が呟くと、姜美は微笑んで頷いた。

「閻の地方には、李聞殿や成于殿のような民の事を想う高潔な武将が少なからず居るのです。彼らが統治する地域では賊はすぐに討伐され、朝廷とも上手く交渉して民の負担が少なくなるように動いてくれていた。しかし、そのような人物が居ない地域では朝廷の無茶な要求を退けるすべはなく、ただ従うしかない」

「そうだったのですか。朝廷の思うがままに民は搾取されていたなんて……何の見返りもなく」

「見返りはあるにはあります」

「え?」

「私のように軍人になれば満足のいく食料や銭が手に入ります。軍人になりたくない者、なれない者でも、民屯や塩の生産に従事すれば、兵役が免除されますし、人が最低限生きていける食料が手に入ります。また、民屯以外の国が指定した仕事をすれば、食料の配給と雀の涙程度の銭が支払われる。これらの権利は閻帝国の全ての民に約束されています。だから、貧しくても飢え死ぬ事はないのです」

 宵は俯いたまま、手に持っている真っ白な羽扇の羽根を撫でた。

「でも、それって、やっぱり幸せじゃないですよね」

 姜美は宵の言葉に顔を背ける。

「生きている事が幸福である。それが、閻帝国宰相・董炎の考え方であり、閻帝国の闇です」

 生存権の確保。董炎はそれだけを民に許し、幸福追及の権利は許さなかったのだ。

「民や兵に働かせて得た収益が民に行き渡らないという事は、董炎の私腹を肥やす為のお金になっているんですか?」

「実態は分かりませんが、そうなのでしょうね。莫大な資金を何に使っているのかまるで分からない。少なくとも軍備に使ってはいない。それも、この国の闇ですよ」

「姜美殿は、何故戦うのですか?  閻が酷い国だと知っているのに、命を懸けて何故国を守るのですか?」

「例え酷い国だったとしても、閻は私の祖国であり、大切な人達が暮らす国です。閻に住む民に罪はないのだから、敵が攻めてくれば守る。私は、私の正義を全うしているだけ」

 姜美からは迷いを感じなかった。国の悪行を知りつつも、大切な人達、そして民を守る為に命を懸けて戦う。それが姜美の正義。

「それで、軍師殿はどうしますか?」

 当然の質問である。
 閻帝国の闇の部分を知ったからには、少なからず心境の変化がある筈だ。このまま閻を守る為に戦い続けるのか、それとも、朧国に投降するのか。もしくはそのどちらでもない、閻も朧も捨てて逃げるのか。

 宵は俯いた。
 黙り込んでしまった宵へ、姜美は言う。

「私は、貴女と一緒に戦いたい」

「……姜美殿」

「嫌なら逃げ出してもいい。私は貴女が逃げたからといって、敵前逃亡の罪には問いません。ただ……」

 姜美は言葉を溜めた。
 姜美の大きく綺麗な瞳は涙で潤んでいた。

「私の敵には、ならないでください」

 その言葉に、「もちろん」と返したかったが、宵の口から言葉は出なかった。

「話していただきありがとうございます。……少し、考えさせてください」

 宵はか細い声でそう言うと立ち上がり、姜美に背を向けた。
 そして、振り返り姜美に視線を送る。

「お大事に」

 宵はそれだけ言って部屋を出た。
 寂しそうな姜美の顔が頭から離れなかった。


 ***

 李聞軍陣営のとある幕舎裏。
 厳島光世いつくしまみつよ清華せいかに自らの秘密を打ち明けた。
 光世と宵が日本という異世界の国から来た事。今、洪州こうしゅうにいる桜史おうしも仲間である事。清華は驚いていたが、疑う事なくそれを受け入れてくれた。
 そして鍾桂しょうけいには、閻帝国の民が苦しんでいて朧国はそれを助ける為に戦を仕掛けている事を話した。

「閻の闇……ね」

「鍾桂君も清華ちゃんも、閻の人なら分かるでしょ?  民が苦しんでいる。それを朧は救おうとしているの」

 2人に問い掛ける光世。鍾桂も清華も難しい顔をしている。

「そんな事言われても、信じられるわけないよ」

「どうして?」

 否定的な鍾桂に光世は疑問をぶつける。

「俺の家は貧しかった。兵士だった俺の父さんは、賊徒の討伐に行ったきり帰らなかったから、残された母さんは俺と妹の為に、国がくれた麻を織る仕事をしてくれていた。贅沢出来る程の銭は稼げなかったけど、国からは決まって食料が配給された。だから飢えて死ぬ事はない。国は民の為にちゃんとやってるよ。朧の連中は上に唆されてるだけだよ」

「そんなわけ……せ、清華ちゃんは信じてくれるよね?」

 光世は隣に座る清華に問うた。

「あたしは……閻のそういう事情は良く分からないんです。両親は幼い頃に亡くなり、それからは雹州ひょうしゅうのお金持ちの役人の家に引き取られて育ったので……苦労をした記憶がありません。けど、朧の皆さんが仰ってた事は嘘だとは思えませんでした」

「そうなのよ。朧の人達は本気だった。本気で閻の民を救おうと──」

「光世が何を言おうと、閻帝国が国を守ろうとする行為は正当なものだよ。俺は軍人だから閻を守る。それだけだ。ここにいる人達はみんなそうさ。李聞殿だってね。朧にどんな理由があろうと、奴らは俺達にとっては侵略者・・・なんだから」

「キミなら分かってくれると思ったんだけどな」

 全てを否定された気分になり、光世は口元だけ笑って力なく言った。
 清華は、鍾桂の話を否定する事なく、また、光世の話を擁護する事もない。どちらの味方をすれば良いのか決めかねているようだ。

「宵が光世の話を受け入れなかったのも無理はないよ。宵はこの国に愛着が湧いたから軍から離れないんだって、李聞殿が言ってた」

「鍾桂君の意見も分かる。宵の気持ちも……分かる。じゃあ、私、どうしたらいいのかな。私は、宵に朧と戦って欲しくないの。私は閻に居るけど、志半ばで散っていった朧国の皆さんの想いも届けたい……」

「2人共、気持ちが落ち着いたらまた話してみればいい。この前は、お互い急だったから上手くいかなかったんだろ?」

「鍾桂君……」

「宵も光世も頭良いんだから、きっとお互いが納得出来る策を見付けられるさ」

 鍾桂は微笑んで光世の肩をポンと叩いた。
 鍾桂という男は、完全に敵国の思想を持った光世を否定してはいなかった。互いの意見を尊重し、むしろ光世を励ましてくれた。
 そんな鍾桂に、光世は好感を持った。

「ありがとう。鍾桂君。キミは良い人だね」

 光世は精一杯の笑顔を作り鍾桂に見せる。

「礼なんて要らないよ。俺は話を聞いただけで答えを出せてないから」

 照れ臭そうにポリポリと頬を掻きながら、鍾桂は立ち上がった。

「光世様。宵様にはりゅうさんという、とても聡明な下女が付いています。ですから、きっと良いお考えを授けてもらっていますよ」

 光世を勇気付けようとした清華の話に、鍾桂は顔色を変えた。

「鍾桂殿?  何ですか?  そんな怖い顔して……」

「劉飛麗は、もう宵のそばには居ないよ」

「……え?」

 清華は首を傾げた。
 光世の知らぬ人物の名。その人物が、宵のそばに居ない事がどういう意味を持っているのか、閻に来たばかりの光世には分からなかった。
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