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第5章 葛州攻防戦
伏羲先天八卦の陣
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~閻軍陣営・麒麟浦~
張雄の騎兵の牽制で、徐畢の敷いた六花の陣の完成度が分かった。
どうやら強みである筈の方陣と円陣の連携は上手く機能していない。
八門金鎖の陣といい、六花の陣といい、大方朧軍の軍師が徐畢に教えたのだろうが、朧軍の軍師は陣形の形を知っているだけでそれを使いこなす事は出来ていないようだ。
「朧軍の軍師は外面的な勉強ばかりで実戦を想定してはなさそうですね。学者か何かかなー」
羽扇で顔をパタパタ扇ぎながら宵は涼しい顔で言った。
「流石は軍師殿。張雄殿の部隊をぶつけただけでそこまで見破るとは。ならば案外早く片が着くかもしれませんね」
副官の鄧平は嬉しそうに言った。
「いえ、油断は禁物ですよ。軍師が未熟でも、徐畢を初めとする朧軍の将軍達は優秀なようですから」
「仰る通りです。……ところで軍師殿。楽衛殿に授けたという必勝の陣形とはどのようなものなのですか?」
鄧平の質問に宵はこれ以上ないくらいの笑顔を見せる。
「どの兵法書にもない、私が考案した陣形です。人を極力殺さず、包囲し降伏させる。名付けて『伏羲先天八卦の陣』」
「素晴らしい。人を殺さずという信念の込められた陣形なのですね」
鄧平は感心して頷いた。
宵が大学4年間でたった1つだけオリジナルで作った陣形。この陣形は、三国志にて、祁山で司馬仲達が諸葛孔明に披露した「混元一気の陣」を元に研究に研究を重ねて作り出した陣形で卒業論文にも記載した。
もちろん、実戦を想定して教授の司馬勘助と共にコンピューターを使って何度も戦闘シミュレーションまでした傑作である。
ついに自分の陣形が戦場で動く時が来た。破られる気はまったくしない。何せこの陣形を知る者などこの世界には存在しないのだから。
宵は大きく息を吸い込む。そして堂々と伝令の兵士に命を伝える。
「楽衛殿に伝令です! 予定通り攻撃開始! 『囲師には必ず闕き、窮冦には迫ることなかれ』!」
宵は兵士に復唱させると、兵士は拱手してすぐに馬で楽衛の軍へと駆け去った。
「朧の軍師さん。6枚の花びら、八卦にて包んであげますよ」
宵は口元を羽扇で隠してそう呟いた。
自分が下した攻撃命令で人が死ぬかもしれない。それは一度たりとも忘れた事はない。だが、自分の考案した陣形が威力を発揮するところを見れると思うと嬉しい気持ちもあり複雑だ。
やがて太鼓が打ち鳴らされ始めると、楽衛の巨大な円陣はゆっくりと前進していった。
***
目の前にはためく『楽』の旗。閻の指揮官は徐畢が戦いたかった姜美ではないようだ。
「ふん! ただの円陣如きで……先程の下級将校の攻撃でもビクともしなかったこの六花の陣をどうにか出来るとでも思っているのか!」
徐畢は六花の陣の中央の円陣の中で強気にそう言うと、偃月刀を空高く掲げた。
「太鼓を鳴らせ!! 前進する!! 各方陣は円陣から離れ過ぎるな!!」
六花の陣の後方にある太鼓が鳴らされ始めた。すると兵達は鬨の声を上げ前進を始める。
閻軍の円陣は真っ直ぐにこちらに近付いて来る。
「攻撃ーーー!!! 一気に推し潰せ!!!」
先頭の方陣が敵の円陣にぶつかる瞬間、円陣は綺麗に二手に割れた。そのまま左右に広がり、即座に方陣へと体形が変化し六花の陣の左右に回り込む。
「小癪な! 両翼槍で突けーー!! 弓兵は援護始めーー!!」
徐畢の号令で左右の方陣が敵の分裂した方陣を突く。さらには花びらの中の円陣から弓兵が次々と矢を放つ。
閻軍も槍で応戦。朧軍の矢は盾持ちの兵に防がれている。
「押せ! 押せーー!!」
徐畢は偃月刀を指揮棒の如く前方に振って叫ぶ。
だが、ある程度押し合うと、左右に別れていた閻軍はまたしても分裂した。六花の陣を取り囲むように四隅に小さくなった方陣が展開する。
「今度は4つに分かれたか……なるほど、六花の陣を包囲するつもりだな」
「徐畢将軍!! 助太刀致す!!」
喧騒の中に微かに聴こえるその声に徐畢が振り向くと、砦から夏候譲の軽騎兵部隊が加勢にやって来ていた。
「夏候譲? 何故出て来た? この俺が苦戦しているように見えるのか?」
夏候譲の意図は徐畢には分からなかった。だが、味方が多いに越したことはない。邪魔さえしなければそれで良い。
しかし、閻軍も黙ってはいなかった。
夏候譲が出て来たのを見ると、先程ちょろっと出て来た張雄の軍が再び動いたのだ。
夏候譲は仕方なく張雄の騎兵を止める為に徐畢の加勢を諦め進路を六花の陣から逸らす。
「閻の雑兵共め!」
徐畢は叫ぶ。次第に押され始める六花の陣。最強の陣形の筈なのに何故押されているのか。
徐畢は6枚の花びらが少しずつ崩れているのを見ても怯む事なく号令を掛け続けた。
♢
このままでは徐畢は負ける。
そう感じた厳島光世は校尉の夏候譲に加勢を命じた。
勇んで出撃した夏候譲だったが、またしても邪魔しに出て来た張雄の部隊に引き付けられ、徐畢の救援には行けずにいた。
張雄の最初の攻撃は六花の陣の動き方を見るもの。攻撃を受けた際に柔軟に防御し反撃に転じられるか。それを見極める為の攻撃だった。
残念ながら、徐畢の六花の陣は完成していない。調練の時間が足りなかったというのもあるが、そもそも光世自身が六花の陣の動き方を完全に理解しておらず、徐畢に伝え切れていなかった事も原因の1つだ。
確かに兵法には興味があり大学では熱心に本を読み、教授に教えを乞いながら研究した。決して適当にこなしていたわけではない。ただ、実際の戦を想定して研究していたわけではない。それがここに来て明暗を分ける結果になったという事だ。
閻の軍師はその弱点を見抜いた。
光世の兵法、それはまさに生兵法。
親友の瀬崎宵ならば光世と違い実戦でも使えるように兵法を研究していた。彼女と同じように研究していれば六花の陣が苦戦する事もなかったかもしれない。
光世の額に汗が滲む。
「このままじゃマズイな……まさか夏候譲殿をひきつけられるなんて……。全部想定の範囲内だったって事ね。一度撤退して体勢を立て直さなきゃ……」
そう呟きながら、光世はある事に気付いた。
戦場は目の前の麒麟浦だけだろうか。
閻軍の目的は景庸関。閻にここまで有能な兵法に精通する軍師がいて正攻法のみで攻めるだろうか。孫子では敵の虚を攻めろと説いている。
茶色い髪を指先で弄りながら考えていた光世はハッとして後方に聳える邵山と琳山を見た。
「ヤバい……後ろだ……山だ」
突然青ざめた顔をして呟く光世。何事かと背後に控えていた下女の清春華が首を傾げて訊く。
「光世様?」
「陸秀将軍に伝えなきゃ……」
清春華の両肩に手を置き、落ち着きを失う光世に、清春華は一度落ち着くようにと宥める。
と、その時。周りで戦場を見ていた兵士達が急に慌ただしくなった。
「見ろ! 敵の陣形がまた変形したぞ! 今度は8つに別れた!」
光世はすぐに兵士達が指差す方を見た。
そこには、先程まで4つの方陣で徐畢の六花の陣を挟み込んでいた楽衛の陣形が8つに分裂し、六花の陣を四方から囲むようになっていた。六花の陣はその6つの方陣をまるで活用出来ておらず楽衛の8つの方陣に押されている。
「1つが2つ、2つが4つ、4つが……8つ……」
光世は目を見開いて呟いた。
「光世様??」
清春華は様子のおかしい光世の手を握り必死に問い掛けてくるが返事をする事も忘れただ一点を見つめる。その視線は戦場に広がる六花の陣を囲んだ8つの方陣に釘付けになっている。
「太極は陰陽の両儀を生じ、両儀は四象を生じ……四象は八卦を生ず……」
光世は震える唇を噛み締める。
涙が溢れ、頬を伝い床へと滴る。
「これは……八卦の陣で敵を包囲し閉じ込める『伏羲先天八卦の陣』」
そう言った光世は膝から崩れ落ち手すりに額を付けて俯く。
伏羲先天八卦の陣。その陣形を目の当たりにした光世は確信した。それと同時に涙が止まらず嗚咽を漏らす。
「……宵が……宵がいたよぉ……」
光世のほんの微かな呟きを、清春華は聞き逃さなかった。
張雄の騎兵の牽制で、徐畢の敷いた六花の陣の完成度が分かった。
どうやら強みである筈の方陣と円陣の連携は上手く機能していない。
八門金鎖の陣といい、六花の陣といい、大方朧軍の軍師が徐畢に教えたのだろうが、朧軍の軍師は陣形の形を知っているだけでそれを使いこなす事は出来ていないようだ。
「朧軍の軍師は外面的な勉強ばかりで実戦を想定してはなさそうですね。学者か何かかなー」
羽扇で顔をパタパタ扇ぎながら宵は涼しい顔で言った。
「流石は軍師殿。張雄殿の部隊をぶつけただけでそこまで見破るとは。ならば案外早く片が着くかもしれませんね」
副官の鄧平は嬉しそうに言った。
「いえ、油断は禁物ですよ。軍師が未熟でも、徐畢を初めとする朧軍の将軍達は優秀なようですから」
「仰る通りです。……ところで軍師殿。楽衛殿に授けたという必勝の陣形とはどのようなものなのですか?」
鄧平の質問に宵はこれ以上ないくらいの笑顔を見せる。
「どの兵法書にもない、私が考案した陣形です。人を極力殺さず、包囲し降伏させる。名付けて『伏羲先天八卦の陣』」
「素晴らしい。人を殺さずという信念の込められた陣形なのですね」
鄧平は感心して頷いた。
宵が大学4年間でたった1つだけオリジナルで作った陣形。この陣形は、三国志にて、祁山で司馬仲達が諸葛孔明に披露した「混元一気の陣」を元に研究に研究を重ねて作り出した陣形で卒業論文にも記載した。
もちろん、実戦を想定して教授の司馬勘助と共にコンピューターを使って何度も戦闘シミュレーションまでした傑作である。
ついに自分の陣形が戦場で動く時が来た。破られる気はまったくしない。何せこの陣形を知る者などこの世界には存在しないのだから。
宵は大きく息を吸い込む。そして堂々と伝令の兵士に命を伝える。
「楽衛殿に伝令です! 予定通り攻撃開始! 『囲師には必ず闕き、窮冦には迫ることなかれ』!」
宵は兵士に復唱させると、兵士は拱手してすぐに馬で楽衛の軍へと駆け去った。
「朧の軍師さん。6枚の花びら、八卦にて包んであげますよ」
宵は口元を羽扇で隠してそう呟いた。
自分が下した攻撃命令で人が死ぬかもしれない。それは一度たりとも忘れた事はない。だが、自分の考案した陣形が威力を発揮するところを見れると思うと嬉しい気持ちもあり複雑だ。
やがて太鼓が打ち鳴らされ始めると、楽衛の巨大な円陣はゆっくりと前進していった。
***
目の前にはためく『楽』の旗。閻の指揮官は徐畢が戦いたかった姜美ではないようだ。
「ふん! ただの円陣如きで……先程の下級将校の攻撃でもビクともしなかったこの六花の陣をどうにか出来るとでも思っているのか!」
徐畢は六花の陣の中央の円陣の中で強気にそう言うと、偃月刀を空高く掲げた。
「太鼓を鳴らせ!! 前進する!! 各方陣は円陣から離れ過ぎるな!!」
六花の陣の後方にある太鼓が鳴らされ始めた。すると兵達は鬨の声を上げ前進を始める。
閻軍の円陣は真っ直ぐにこちらに近付いて来る。
「攻撃ーーー!!! 一気に推し潰せ!!!」
先頭の方陣が敵の円陣にぶつかる瞬間、円陣は綺麗に二手に割れた。そのまま左右に広がり、即座に方陣へと体形が変化し六花の陣の左右に回り込む。
「小癪な! 両翼槍で突けーー!! 弓兵は援護始めーー!!」
徐畢の号令で左右の方陣が敵の分裂した方陣を突く。さらには花びらの中の円陣から弓兵が次々と矢を放つ。
閻軍も槍で応戦。朧軍の矢は盾持ちの兵に防がれている。
「押せ! 押せーー!!」
徐畢は偃月刀を指揮棒の如く前方に振って叫ぶ。
だが、ある程度押し合うと、左右に別れていた閻軍はまたしても分裂した。六花の陣を取り囲むように四隅に小さくなった方陣が展開する。
「今度は4つに分かれたか……なるほど、六花の陣を包囲するつもりだな」
「徐畢将軍!! 助太刀致す!!」
喧騒の中に微かに聴こえるその声に徐畢が振り向くと、砦から夏候譲の軽騎兵部隊が加勢にやって来ていた。
「夏候譲? 何故出て来た? この俺が苦戦しているように見えるのか?」
夏候譲の意図は徐畢には分からなかった。だが、味方が多いに越したことはない。邪魔さえしなければそれで良い。
しかし、閻軍も黙ってはいなかった。
夏候譲が出て来たのを見ると、先程ちょろっと出て来た張雄の軍が再び動いたのだ。
夏候譲は仕方なく張雄の騎兵を止める為に徐畢の加勢を諦め進路を六花の陣から逸らす。
「閻の雑兵共め!」
徐畢は叫ぶ。次第に押され始める六花の陣。最強の陣形の筈なのに何故押されているのか。
徐畢は6枚の花びらが少しずつ崩れているのを見ても怯む事なく号令を掛け続けた。
♢
このままでは徐畢は負ける。
そう感じた厳島光世は校尉の夏候譲に加勢を命じた。
勇んで出撃した夏候譲だったが、またしても邪魔しに出て来た張雄の部隊に引き付けられ、徐畢の救援には行けずにいた。
張雄の最初の攻撃は六花の陣の動き方を見るもの。攻撃を受けた際に柔軟に防御し反撃に転じられるか。それを見極める為の攻撃だった。
残念ながら、徐畢の六花の陣は完成していない。調練の時間が足りなかったというのもあるが、そもそも光世自身が六花の陣の動き方を完全に理解しておらず、徐畢に伝え切れていなかった事も原因の1つだ。
確かに兵法には興味があり大学では熱心に本を読み、教授に教えを乞いながら研究した。決して適当にこなしていたわけではない。ただ、実際の戦を想定して研究していたわけではない。それがここに来て明暗を分ける結果になったという事だ。
閻の軍師はその弱点を見抜いた。
光世の兵法、それはまさに生兵法。
親友の瀬崎宵ならば光世と違い実戦でも使えるように兵法を研究していた。彼女と同じように研究していれば六花の陣が苦戦する事もなかったかもしれない。
光世の額に汗が滲む。
「このままじゃマズイな……まさか夏候譲殿をひきつけられるなんて……。全部想定の範囲内だったって事ね。一度撤退して体勢を立て直さなきゃ……」
そう呟きながら、光世はある事に気付いた。
戦場は目の前の麒麟浦だけだろうか。
閻軍の目的は景庸関。閻にここまで有能な兵法に精通する軍師がいて正攻法のみで攻めるだろうか。孫子では敵の虚を攻めろと説いている。
茶色い髪を指先で弄りながら考えていた光世はハッとして後方に聳える邵山と琳山を見た。
「ヤバい……後ろだ……山だ」
突然青ざめた顔をして呟く光世。何事かと背後に控えていた下女の清春華が首を傾げて訊く。
「光世様?」
「陸秀将軍に伝えなきゃ……」
清春華の両肩に手を置き、落ち着きを失う光世に、清春華は一度落ち着くようにと宥める。
と、その時。周りで戦場を見ていた兵士達が急に慌ただしくなった。
「見ろ! 敵の陣形がまた変形したぞ! 今度は8つに別れた!」
光世はすぐに兵士達が指差す方を見た。
そこには、先程まで4つの方陣で徐畢の六花の陣を挟み込んでいた楽衛の陣形が8つに分裂し、六花の陣を四方から囲むようになっていた。六花の陣はその6つの方陣をまるで活用出来ておらず楽衛の8つの方陣に押されている。
「1つが2つ、2つが4つ、4つが……8つ……」
光世は目を見開いて呟いた。
「光世様??」
清春華は様子のおかしい光世の手を握り必死に問い掛けてくるが返事をする事も忘れただ一点を見つめる。その視線は戦場に広がる六花の陣を囲んだ8つの方陣に釘付けになっている。
「太極は陰陽の両儀を生じ、両儀は四象を生じ……四象は八卦を生ず……」
光世は震える唇を噛み締める。
涙が溢れ、頬を伝い床へと滴る。
「これは……八卦の陣で敵を包囲し閉じ込める『伏羲先天八卦の陣』」
そう言った光世は膝から崩れ落ち手すりに額を付けて俯く。
伏羲先天八卦の陣。その陣形を目の当たりにした光世は確信した。それと同時に涙が止まらず嗚咽を漏らす。
「……宵が……宵がいたよぉ……」
光世のほんの微かな呟きを、清春華は聞き逃さなかった。
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作者のtwitterアカウント↓
https://twitter.com/tobeitsuki?t=CzwbDeLBG4X83qNO3Zbijg&s=09
※このお話は2019年7月8日にサービスを終了したラノゲツクールに同タイトルで掲載していたものを小説版に書き直したものです。
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