上 下
68 / 173
第4章 真の軍師

不運な事故

しおりを挟む
 ~閻軍えんぐん李聞りぶん陣営~

 それは瀬崎宵せざきよい姜美きょうめいの陣営への移動の為、劉飛麗りゅうひれいと共に部屋で荷物を纏めている時の事だった。
 いつも通りの感情を読み取らせないクールな表情で劉飛麗が言った。

「宵様。廖班りょうはん将軍は明日にはここを発ちますね。宵様も姜美様の陣営に移る事になり清々するのでは?」

「……でも、あの人も大怪我して自分の夢が遠ざかってしまったのは不憫だなぁと思います」

「不憫……。宵様は散々不当に扱われ、酷い事も言われておりました。それなのに、廖班将軍にそのよう感情を抱かれるのですか?  怨んだりしておられないのですか?」

「うーん……『恨みは解くべし、結ぶべからず』ですから。もう済んだ事ですし、その事は忘れます」

 宵が微笑むと、劉飛麗は何故か不満そうな顔をした。そして長い黒髪を片手でサッと払うと、頭に付けた桃色のかんざしを触った。

「宵様は心が綺麗なのですね」

 今度は悲しげな顔をする劉飛麗。珍しく宵には劉飛麗の心が揺れているように見えた。

「荷造りは終わりました。少しだけ、席を外させてください。こちらはお返し致します」

 そう言って劉飛麗は宵の祖父の竹簡を差し出した。今も祖父の形見の大切な竹簡は劉飛麗に預かってもらっている。宵が管理するより、何事も完璧な劉飛麗が管理した方が遥かに安心出来るからだ。

「ありがとうございます。助かりました。もちろん構いませんよ。夕飯までには戻って来てくださいね」

 宵は竹簡を受け取ると笑顔でそう言ったが、劉飛麗は返事をせず、ただ淑やかに頭を下げ、そして部屋から出て行った。
 その行動に、宵は胸騒ぎを感じた。何か嫌な予感がする。
 そんな事を考えながら、宵は無意識に祖父の竹簡を開いていた。

「あれ?  嘘!?  凄い!!」

 宵は竹簡に書かれている文字を目の当たりにし、驚愕のあまり歓喜した。
 歯抜けだった竹簡の文章が、8割り方埋まっていたのだ。

「ちょっと待って何何何?  もしかして、元の世界へ帰る為のピースが揃ってきた感じ??」

 嬉しさのあまりにやけながら独り言を言う宵。
 “元の世界”などという言葉は無闇に口に出してはいけないというのに、そんな事を忘れる程に宵は夢中になって浮かび上がっていた文章を読み上げる。もちろん漢文だが瞬時に現代語訳して読んだ。

「『己に足りないものを、己の力でもって見つけ出した時、在るべき場所へと導かれる。竹簡は失くすべからず。足りないものは全部で5つ。1つに“挑戦”、2つに“感謝”、3つに“覚悟”、4つに“自……』……え~あと2つが分かんないのかぁ~……でも」

 宵はその内容に心昂っていた。今まで内容が分からなかった文章が意味が通るようになり、そして──

「多分この5つを見つけた時、元の世界に帰れるんだ!」

 こんなに嬉しい事はない。この世界に来てからというもの、元の世界へ帰る方法は見当すらつかなかったのだ。それが何故だか徐々に竹簡に文字が浮かび上がり、今こうして文章の大部分が読み取れるまでになった。もちろん、どういう仕組みなのかは分からない。異世界でそんな事考えても無駄というものだろう。

「ん?  待てよ?  もしかして……」

 宵は5つの足りないものを指さしてもう一度読み上げた。

「“挑戦”、“感謝”、“覚悟”……これだけ浮かび上がったのって……もう手に入れたから?  手に入れたものが浮かび上がる感じかな?  だとしたら、残り2つを手に入れようとしても、何が足りないものなのか分からないじゃん!  何だよ~無理ゲーじゃーん!」

 あと一歩のところで手詰まりになってしまい、宵は竹簡を卓に置いて天井を仰いだ。

「“挑戦”、“感謝”、“覚悟”……何を指してるんだろ……」

 今までの自分の行いを振り返り、何が竹簡に文字を浮かび上がらせる要因になったのかを考えた。

「えっと……」

「軍医!  軍医は何処だ!?」

「早く連れて来い!」

 突然、外が慌ただしくなった。
 兵達が騒いでいる。
 宵は慌てて外に出た。
 あちこちで兵士が走り回っている。

「あの、どうしたんですか??」

 宵は1人の兵士を捕まえて問うた。

「軍師殿……!  廖班将軍が血を吐いて倒れて……う、動かなくなったのです!」

「え!!??」

 衝撃の言葉に宵は耳を疑ったが、青白い顔をした兵士はすぐに他の兵士のもとへ走って行ってしまい詳細を訊く事は叶わなかった。
 宵は一度部屋に戻り落ち着きを取り戻そうと部屋の中を無意味に歩き回る。

「待って待って待って……激しく動かなければ大丈夫なんじゃなかったっけ??  死ぬような怪我じゃないって言ってなかったっけ?? どうしよう……飛麗さんは……」

 劉飛麗の名を無意識に口にしていた事に気付き、宵は足を止めた。

「駄目だ!  狼狽えちゃ駄目!  飛麗さんがいたら怒られる!」

 そう自分に言い聞かせ、卓の上に置いた竹簡を手に取ると、宵は部屋を出て廖班の幕舎へと向かった。


 ♢

 廖班の幕舎の前には大勢の兵士が群がっていた。野次馬のように幕舎の中を覗いている。

「あの!  廖班将軍は!?」

 駆け付けた宵が兵士の1人に訊ねると、兵士は俯いて首を横に振った。

「亡くなりました」

「え!?  何で!?  どうして!?」

「軍師殿!  中へ!」

 取り乱しそうになる宵を、別の兵士が幕舎の中へと招く。
 言われるがままに幕舎へと入ると、そこには寝台から転げ落ち目を見開き、口と胸から大量の血を流して倒れている廖班の姿があった。

「そんな……」

 床まで鮮血に染まったあまりにもおぞましい光景に、宵は涙目になりながら廖班から顔を背ける。

「軍師殿。残念ながら手の施しようがありませんでした」

 顔を背けたまま目を瞑り、聞こえてきた男の言葉の意味を理解しようとする。話し掛けたのは恐らく軍医。廖班の状態を見て死んでいると判断したのだろう。
 だが、宵は軍医のように冷静にはなれず、目の前に知り合いの遺体があると思うと目を開ける事さえ出来ない。

「ど、どうして、亡くなったのですか?  死なない……筈でしょ?」

「死因は胸の傷が開いた事による失血死です」

「何で?  何で突然傷が開くんですか??」

「さあ……私には分かり兼ねます。その……初めからこの幕舎にいらっしゃったそちらの女性の方に事情をお聞きした方が……」

「え……?」

 軍医の言葉に、宵は恐る恐る目を開いた。
 目を瞑っていた宵は気付かなかった。隣には宵の下女、劉飛麗が立っていた事に。

「……飛麗……さん?」

 劉飛麗は何も答えず、大きな目を細め、宵から目を逸らした。
 軍医は劉飛麗が初めからこの幕舎にいたような事を言っていた。
 それは、つまり廖班が死ぬ場面に立ち会っていたという事なのか。

 宵は劉飛麗の閻服の袖をぎゅっと掴んだ。

「飛麗さん……何でここに居たんですか?」

「わたくしは廖班将軍に会いに参りました」

「何で?」

「いけませんか?」

「何でって……聞いてるんです」

「廖班将軍はかつてのわたくしの主人。荒陽こうようへ戻られてしまう前に、下女のわたくしがお別れを言いに来る事が不自然な事でしょうか?」

 劉飛麗は宵の質問に淡々と答える。

「じゃあ……廖班将軍は……何で傷口が開く程暴れたんですか?  他に誰かこの部屋に居たんですか?」

「部屋にはわたくしだけ。廖班将軍は暴れたわけではありませんでした。突然何かに怯え、発狂し、寝台から転げ落ちたのです」

「何かに……怯えた?」

 劉飛麗は廖班が死んだのに、自分が疑われるような状況なのに、まるで動揺した様子を見せず、いつもの様にただただ美しかった。だが、今はその美しさが不気味にさえ思える。

「わたくしが殺した、と思っているのですね。宵様」

「いや……そんな事……」

 宵は首を横に振った。そんな事思いたくないが、状況的に一番怪しいのは劉飛麗。それに、劉飛麗には廖班にぞんざいに扱われた恨みがある。しかし、それだけで廖班を殺すだろうか。

「軍師殿。その方が直接手を下した形跡はありません。その方は殺してはいないと思います」

「そう……ですよね。飛麗さんが廖班将軍を殺す筈ありません。事故なんですね?  軍医殿」

「ええ。……不運な事故です」

 軍医が断言したので宵は頷き劉飛麗の手を握った。その手はとても冷たかった。

 ポタ……と、1滴、劉飛麗の足もとに雫が地面に落ちた。
 おもむろに劉飛麗の顔を見ると、その頬には涙の跡が一筋。視線は廖班の亡骸をぼうと見ていた。
 劉飛麗が何を想い涙したのか、何を考えているのか、宵には分からなかった。

 やがて部屋には李聞りぶん張雄ちょうゆうも駆け付けた。
しおりを挟む
感想 3

あなたにおすすめの小説

西涼女侠伝

水城洋臣
歴史・時代
無敵の剣術を会得した男装の女剣士。立ち塞がるは三国志に名を刻む猛将馬超  舞台は三國志のハイライトとも言える時代、建安年間。曹操に敗れ関中を追われた馬超率いる反乱軍が涼州を襲う。正史に残る涼州動乱を、官位無き在野の侠客たちの視点で描く武侠譚。  役人の娘でありながら剣の道を選んだ男装の麗人・趙英。  家族の仇を追っている騎馬民族の少年・呼狐澹。  ふらりと現れた目的の分からぬ胡散臭い道士・緑風子。  荒野で出会った在野の流れ者たちの視点から描く、錦馬超の実態とは……。  主に正史を参考としていますが、随所で意図的に演義要素も残しており、また武侠小説としてのテイストも強く、一見重そうに見えて雰囲気は割とライトです。  三國志好きな人ならニヤニヤ出来る要素は散らしてますが、世界観説明のノリで注釈も多めなので、知らなくても楽しめるかと思います(多分)  涼州動乱と言えば馬超と王異ですが、ゲームやサブカル系でこの2人が好きな人はご注意。何せ基本正史ベースだもんで、2人とも現代人の感覚としちゃアレでして……。

旦那様が多すぎて困っています!? 〜逆ハー異世界ラブコメ〜

ことりとりとん
恋愛
男女比8:1の逆ハーレム異世界に転移してしまった女子大生・大森泉 転移早々旦那さんが6人もできて、しかも魔力無限チートがあると教えられて!? のんびりまったり暮らしたいのにいつの間にか国を救うハメになりました…… イケメン山盛りの逆ハーです 前半はラブラブまったりの予定。後半で主人公が頑張ります 小説家になろう、カクヨムに転載しています

勇者召喚に巻き込まれ、異世界転移・貰えたスキルも鑑定だけ・・・・だけど、何かあるはず!

よっしぃ
ファンタジー
9月11日、12日、ファンタジー部門2位達成中です! 僕はもうすぐ25歳になる常山 順平 24歳。 つねやま  じゅんぺいと読む。 何処にでもいる普通のサラリーマン。 仕事帰りの電車で、吊革に捕まりうつらうつらしていると・・・・ 突然気分が悪くなり、倒れそうになる。 周りを見ると、周りの人々もどんどん倒れている。明らかな異常事態。 何が起こったか分からないまま、気を失う。 気が付けば電車ではなく、どこかの建物。 周りにも人が倒れている。 僕と同じようなリーマンから、数人の女子高生や男子学生、仕事帰りの若い女性や、定年近いおっさんとか。 気が付けば誰かがしゃべってる。 どうやらよくある勇者召喚とやらが行われ、たまたま僕は異世界転移に巻き込まれたようだ。 そして・・・・帰るには、魔王を倒してもらう必要がある・・・・と。 想定外の人数がやって来たらしく、渡すギフト・・・・スキルらしいけど、それも数が限られていて、勇者として召喚した人以外、つまり巻き込まれて転移したその他大勢は、1人1つのギフト?スキルを。あとは支度金と装備一式を渡されるらしい。 どうしても無理な人は、戻ってきたら面倒を見ると。 一方的だが、日本に戻るには、勇者が魔王を倒すしかなく、それを待つのもよし、自ら勇者に協力するもよし・・・・ ですが、ここで問題が。 スキルやギフトにはそれぞれランク、格、強さがバラバラで・・・・ より良いスキルは早い者勝ち。 我も我もと群がる人々。 そんな中突き飛ばされて倒れる1人の女性が。 僕はその女性を助け・・・同じように突き飛ばされ、またもや気を失う。 気が付けば2人だけになっていて・・・・ スキルも2つしか残っていない。 一つは鑑定。 もう一つは家事全般。 両方とも微妙だ・・・・ 彼女の名は才村 友郁 さいむら ゆか。 23歳。 今年社会人になりたて。 取り残された2人が、すったもんだで生き残り、最終的には成り上がるお話。

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

学園戦記三国志~リュービ、二人の美少女と義兄妹の契りを結び、学園において英雄にならんとす 正史風味~

トベ・イツキ
キャラ文芸
 三国志×学園群像劇!  平凡な少年・リュービは高校に入学する。  彼が入学したのは、一万人もの生徒が通うマンモス校・後漢学園。そして、その生徒会長は絶大な権力を持つという。  しかし、平凡な高校生・リュービには生徒会なんて無縁な話。そう思っていたはずが、ひょんなことから黒髪ロングの清楚系な美女とお団子ヘアーのお転婆な美少女の二人に助けられ、さらには二人が自分の妹になったことから運命は大きく動き出す。  妹になった二人の美少女の後押しを受け、リュービは謀略渦巻く生徒会の選挙戦に巻き込まれていくのであった。  学園を舞台に繰り広げられる新三国志物語ここに開幕!  このお話は、三国志を知らない人も楽しめる。三国志を知ってる人はより楽しめる。そんな作品を目指して書いてます。 今後の予定 第一章 黄巾の乱編 第二章 反トータク連合編 第三章 群雄割拠編 第四章 カント決戦編 第五章 赤壁大戦編 第六章 西校舎攻略編←今ココ 第七章 リュービ会長編 第八章 最終章 作者のtwitterアカウント↓ https://twitter.com/tobeitsuki?t=CzwbDeLBG4X83qNO3Zbijg&s=09 ※このお話は2019年7月8日にサービスを終了したラノゲツクールに同タイトルで掲載していたものを小説版に書き直したものです。 ※この作品は小説家になろう・カクヨムにも公開しています。

せっかくのクラス転移だけども、俺はポテトチップスでも食べながらクラスメイトの冒険を見守りたいと思います

霖空
ファンタジー
クラス転移に巻き込まれてしまった主人公。 得た能力は悪くない……いや、むしろ、チートじみたものだった。 しかしながら、それ以上のデメリットもあり……。 傍観者にならざるをえない彼が傍観者するお話です。 基本的に、勇者や、影井くんを見守りつつ、ほのぼの?生活していきます。 が、そのうち、彼自身の物語も始まる予定です。

異世界転移の……説明なし!

サイカ
ファンタジー
 神木冬華(かみきとうか)28才OL。動物大好き、ネコ大好き。 仕事帰りいつもの道を歩いているといつの間にか周りが真っ暗闇。 しばらくすると突然視界が開け辺りを見渡すとそこはお城の屋根の上!? 無慈悲にも頭からまっ逆さまに落ちていく。 落ちていく途中で王子っぽいイケメンと目が合ったけれど落ちていく。そして………… 聞いたことのない国の名前に見たこともない草花。そして魔獣化してしまう動物達。 ここは異世界かな? 異世界だと思うけれど……どうやってここにきたのかわからない。 召喚されたわけでもないみたいだし、神様にも会っていない。元の世界で私がどうなっているのかもわからない。 私も異世界モノは好きでいろいろ読んできたから多少の知識はあると思い目立たないように慎重に行動していたつもりなのに……王族やら騎士団長やら関わらない方がよさそうな人達とばかりそうとは知らずに知り合ってしまう。 ピンチになったら大剣の勇者が現れ…………ない! 教会に行って祈ると神様と話せたり…………しない! 森で一緒になった相棒の三毛猫さんと共に、何の説明もなく異世界での生活を始めることになったお話。 ※小説家になろうでも投稿しています。

異世界で神様になってたらしい私のズボラライフ

トール
恋愛
会社帰り、駅までの道程を歩いていたはずの北野 雅(36)は、いつの間にか森の中に佇んでいた。困惑して家に帰りたいと願った雅の前に現れたのはなんと実家を模した家で!? 自身が願った事が現実になる能力を手に入れた雅が望んだのは冒険ではなく、“森に引きこもって生きる! ”だった。 果たして雅は独りで生きていけるのか!? 実は神様になっていたズボラ女と、それに巻き込まれる人々(神々)とのドタバタラブ? コメディ。 ※この作品は「小説家になろう」でも掲載しています

処理中です...