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己を知らぬ大魔法使い

32、いつか知る謎の青年の話をしよう

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それはほんの気まぐれだった。カルドネと共に、王都へと出かけた旦那様に代わり、半年に一度の領地視察をした帰り道。景色を流れるように見ていると、土道に奇妙な線が永遠と続いていたのがマライヤの目に入った。それはナメクジが這った跡のように歪で、妙に神経を逆撫でさせる色をしていた。護衛を数名先へ向かわせると案の定、数刻で馬車は行く手を塞がれた。何事かと思えば、傷だらけの人影が地を這っていたのだ。

よく見れば、少女がおぶっていただけなのよね、マライヤが呆れた顔で頬を抑える。

聞けば、その少女は名をテルンと言い、リマインダー領が運営する孤児院を昨年卒業したとか。更に聞けば、院長を任せているサンドラの押し掛け部下をしているのだとか。褒美を見せると目の色を輝かせ、最も簡単に包み隠さず話すテルン。護衛のクレインを介して覗いた姿は何処か興奮気味でその目は血走っており、小刻みに揺れていた。

『 {ヤっております} 』

クレインの言葉は簡潔だった。

その後、カルドネ経由で聞いた話によれば、孤児院裏に生えたタスカスの実を自力で発酵させ、夜な夜な密造酒をつくって呑み明かしていたと言う。

夕食時や、子供達の自由時間だけ妙に騒がしい天井。隠れて何かを運び込む影。孤児院、倉庫上の階にはテルンの部屋しかない為、最初は野生動物を無断で飼っているのかと疑ったと話すサンドラ。テルンの部屋には不定期に子供達を送り込み、点検を入れていたという。しかしそこにあったのは、あっけらかんとした表情に、必要最低限の物しかない質素な部屋。流石に不審がった職員の一人が、ギャンブルの話でカマを掛けても全く食い付かなかった。その後も牛乳配達の青年を送り込んだり、鼻歌で禁止薬を口ずさむも悉く空振りした。

しかし決着は思いの外、早かった。痺れを切らし、プッツン切れたサンドラが床板を剥がすと、それはそれは立派な酒造蔵が現れ、ジャム瓶に入った無数の蒸留酒が見つかったのだ。

そもそもタスカスは木から摘んで食べる分には栄養価が高く成長期の子供達のおやつに最適だった為、マライヤが孤児院建設時に植えた木だった。

しかし子供と大人ではその実に大きな認識の違いがあった。

大人達はタスカスの実を『運弾』と呼んでいる。それは、どんぐり程の実を無数に集めて発酵させると血が酒で出来ているといわれるドワーフでさえぶっ倒れる闇酒が出来上がからであり、蒸留を11回繰り返すだけで手軽に火を近づけると忽ち引火する程のとんでもない蒸留酒が出来上がるからだ。故に『運弾』には一口呑んで息があれば運が良いという意味が込められている。

アルコール度数を見ただけで目がひん剥くそれだが、屋根裏の酒造蔵で見つかったのは、なんと蒸留を50回以上繰り返した、執念の塊のようなシロモノだった。

マライヤもこの事態を考慮しなかった訳ではない。実際に木は3本しか植えなかった。それは子供達が食べる量をふまえても、とても酒をつくれる量ではなく、まともな成人だったら考えもしない事だった。

そして何の偶然か、テルンと出会った日が、サンドラの課した一ヶ月の謹慎が晴れて解けたその日だったのだ。

「{まったく執念が凄いわ。売っていたらと思うと···領法だったらアウトだったわね。いえ、騎士道でも王国法でも密造酒販売は一発アウトだわ。まったく本っ当にまっったく}」

孤児院の闇酒は全て没収され、その8割が感染症の予防や治療、消毒、体臭対策などに使用するため領内の医療施設に再分配された。公爵領、鉄道駅前の病院にはカラフルで不揃いなジャム瓶が並び、今では窓辺が小洒落たブティックの様になっている。

カルドネの提案により、屋根裏の酒造蔵はそのままに規模を多少縮小し、領内でのみ孤児院製の消毒薬を販売する事になった。その収入は孤児院の運営費や卒院する子供達の支援金として運用され、子供達には思わぬ漁夫の利となる。

そして酔い潰れたテルンがおぶっていた『白い塊』こそ、今渦中にいるコンマンだった。

その後のテルンの話は実に支離滅裂で、脱走奴隷だとか空から降ってきたとか、ずっと唸っていたとかなんとか。意思疎通の難解さは騎士団一、温和なクレインでさえ片側の広角を引き上げた程だった。

「{結局、サンドラに全部投げちゃたのよね。今度の視察にブランデーでも贈ってあげましょ}」

テルンの前で美味しそうにブランデーを愉しむサンドラを思い浮かべながら、実際は報告書を抱え真っ青になった孤児院長を憂うマライヤ。まだあたたかい紅茶をそっと一口含んだ。

「{手配いたします}」

コンマンが眠っていた約10日間じつに色々な事が起こった。ズブエクメーネの異常。突然の旦那様の王都への招集。瞬く間に広がった風聞の後処理。

『 {テルンはそ、の·········ざっ····ザルなんです!!} 』

サンドラの言葉により、テルンのペテンとタスカスに関する記憶は専属魔導士によって即刻消された。まっさらになったテルンは孤児院から離れた地区にある商業ギルドに派遣され、今は懸命に針子修行に勤しんでいる。早い話、思考させる時間を奪う作戦だ。

「{ため息はどうしたら止められるのかしら}」

おまけに爺やのぎっくり腰まで重なり、マライヤの憂は募るばかりだ。ここ数日で集められたチェスプリオ大戦についての無数の書物。机の上に積み上げられたそれ。徐にめくったページ、その挿絵はまさしくかの青年だ。

「{·····白を持つ者}」

「{申し訳ありません。出過ぎた事を申しました}」

つぶやいた言葉のあまりの現実味のなさに、カルドネの謝罪が右から左に流れていく。

「{いいえ、違うのカルドネ。私は嬉しいのですよ。だって貴方、出会った時と同じ顔をしていたのですもの}」

「{奥様っお戯れを}」

蝋燭の暖色がかった灯火で紛らわせてはいるが、カルドネの頬はほんのり色付き、数刻前まで鋭かった櫨染の瞳にも敬愛からくる焦りが見える。

「{彼についての調査はあと、どれくらいかかるかしら?}」

「{善処致します。と申したいところですが、数日の報告書を見る限りこれ以上の調査は困難かと存じます}」

マライアは、やけに言い切るカルドネを見て、もやもやと考え込んだ。次の瞬間、はっと思い出す。

「{ムーンショットでも?}」

カルドネは再び言い切った。

「{はい。どの情報ギルドをかえしたところで結果は変わりません。そして一点、ご報告がございます、奥様。コンマン様がお召になっていた服の破損が酷く、タイリン等、針子に補修を依頼したところ·····}」

「{···?······どうしたと言うの?あの子達は優秀でしょう?}」

「{はい···その、タイリン含む工房の筆頭針子二名が手を·····欠損致しました。また、見習いの獣人族数名に至っては、その···なんと言いますか、眠っている。いえ、簡潔に申しますと昏睡状態が続いております。幸い、ペテン様の為に呼び寄せていた治癒士のご尽力もあり、事なきを得ておりますが·····}」

暗がりから遠慮がちに放たれた言葉に、理解が追いつかないマライア 。動揺を隠そうと口に添えた手の平に紅の赤がほんのり移る。

「{····なん、なんて事}」

「{コンマン様がお召になっていた服は····ドラゴン、恐らくリントヴルムの鱗で作られた繊維だと思われます。いえ、繊維と言うのも烏滸がましい。あれはリントヴルム本体と言ってもなんら遜色がなく···}」

「{カルド、貴方····今、なんて言ったの、かしら?}」

衣服の生地繊維にドラゴンの鱗を用いる?そんな奇天烈な事が本当に有り得るのだろうか。まるで御伽噺のような現実味のない話に、マライアはただ大きく目を見開きながらもどうにか思考する。

カルドネが冗談を言ったことなんて今まで一度もないのですもの。きっと真実なのでしょう、飲み込んだ衝撃を小さな息にして吐き出す。

カルドネから放たれる言葉は全て事実。幼いカルドネを拾い育てたマライアは、絶対的な自信を持ってそう言えた。

「····本当なの、ね」

そもそも鉱物等、質量のある有機物を繊維にする事自体が有り得ない話だった。通常、それらは冒険者や騎士などの防具や武具として使われる。成型方法も、稀に錬金術を用い作られる場合もあるが、基本的にはドワーフ等の職人によって『熱して叩いて固める』が主流とされている。それは、衣服の繊維をつくる工程とは、分野も技術もまるで似ても似つかないものだった。

「{聴取にある『触れた瞬間、流れ星のように肌を裂かれた』という証言と、採取させた解れた繊維をキールス殿に鑑定して頂いた結果の一致などから間違いはない、かと·····}」

自分でも言っている事に困惑しているのか、それとも自分に言い聞かせようとしているのか、言葉が少したどたどしくなるカルドネ。

頭を悩めせる珍事が部屋の温度を一気に下げ、乾いた笑みを浮かべる二人を凍えさせた。

「{なんて、事、なのかしら······}」

鉄朱が大きく揺れた。






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