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記憶を持たぬ大魔法使い

23、いつか知るある騎士の話をしよう

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俺の心配を他所に、会話はまだ続いているようだった。

婦人は優雅に首を傾げ、背後へと問う。胸元に輝く髪留めと揃いのペンダントが、退屈そうに大きく揺れた。

「{暗殺と仰ったわ、チャッター子爵。怖かったでしょう?恐ろしかったでしょう?怪我はなさらなかったかしら、チャッター子爵}」

突然の婦人の心遣いに、右扉の騎士は大人しくその時の出来事を思い浮かべる。

肉片と血溜まりの中、七色に輝くそれは、祭りの光をその身に纏い、それはそれは美しく輝いていた。滑らかでいて雄々しい手触り。どす黒い深紅に染まった柄を握ると、気付けば涙を流していた。『剣舞のトリガー』トリガー伯爵家、次男として生を受け、剣など消耗品でしかなかった家系で育った右扉の騎士にとって、その出逢いは天と地がひっくり返るほどの衝撃だった。

「{あれ?なんか違う気がする}」

そうだ、心の中で激しく頷く左扉の騎士は、初めて自ら軌道修正が出来た問題児に思わず目を細め、子などいやしないのに、初めてのお使いを見守る親の気持ちに浸る。

右扉の騎士はその時の出来事をもう一度、正確に思い浮かべた。あれは確か、黄の刻の鐘が鳴り響いた洗礼祭の帰り道。夜勤のクレインとチャンドルと別れ、一人近道の裏路地を歩いていた時の出来事。祭りだけあっていつもとは違う鐘の音が、薄暗い路地裏にまで聞こえてきた。そして、出逢ったのだ。運命と。美しく妖艶に輝く······

駄目だっ思い出せない、右扉の騎士の呟きに、ギョッと目を見開きその真意を視線で問う左扉の騎士。

殺した奴を一々覚えてる剣なんてねぇだろ、白目を剥き下唇をひん剥く姿は、曲がりなりにも爵位を持った貴族とは到底思えなかった。

「{え、えぇ。奥様、この通り、ピンピンしておりますっ}」

右扉の騎士は霞色の袖を無造作に託し上げ、婦人へと見せつける。しかし、当の本人はガラス戸の先の青空を見つめたまま振り向こうとはしなかった。

「告ったのか!?告ってないのか!?」

西陽が眩しいわね、遮光カーテンを出す季節かしら、鉄朱がつぶやいた言葉は決して同意を求めたものではない。昼よりも格段に明るい部屋。婦人の色素の薄いまつ毛が、陽に照らされその身を透かす。

「{それは幸いだったわ、チャッター子爵。子爵は我がリマインダー公爵家の財産だもの}」

ところで、婦人はようやく本題へと入った。

「{····奥様?}」

何か様子が可笑しい、剣技以外何も興味を持たない朴念仁でも流石に気付いた。後ろ手に組んだ腕が微かに強張る。一つに結わった切り損ねた長い髪が、指先を徐に擽った。

しかし遅い、あまりにも遅すぎた。左扉の騎士の表情から憂いが消える事はない。なぜなら数刻後、問題児がどう成り果てているのかが容易に想像できたからだ。

「{チャッター子爵。きっと出不精な貴方の事ですから、その恐ろしい出来事は領内での事だったと思うのだけれど。という事はですよ、チャッター子爵。貴方が宝物のように毎日磨いている、右脚に携えたそちらのとっておき。勤務中に得た公爵家の拾得物という事になると思うのだけれど}」

「{······ッ···}」

「振られたのかーー!?」

恐らく行われていた談笑が突如、鳴り止む。

何が起こっているのか分からず、時間を持て余した俺は、散らばった枕カバーを畳んでは広げを繰り返していた。微笑みや笑顔が見えていたあたり、悪い話をしているのではないとは分かるが、『後悔』『悲嘆』『感傷』和やかな表情のわりに挿す感情は暗いものばかりだった。初めてチグハグさを垣間見る。やはりこの婦人は貴族なのだろうか。以前の会社員の俺だったらそそくさと珈琲を入れに行っていたところだ。

漂う重い空気の中、右扉の騎士は理解した。

「{私の旦那様はご存知なのかしら?}」

「{······退勤、13分後の出来事でしたっ!}」

「{そう、そうね。では、何故、私は、知らないの、かしら?}」

「{·····お、おくさま}」

厳密に言えば、公爵家を仇なす大事でなければ、退勤後の出来事に報告の義務はない。しかしそれも本当に退勤後の出来事だったらに限る。幸か不幸か、常時稼働している防犯用の魔導記は大通りにしか設置されていない。故にそれをおもてだって証明する手立てはないのだ。全ては日頃の行い、信用の問題だ。

信用貯金に負債を抱えた右扉の騎士は、思わず右脚をおさえ、ゆっくりと野蛮な覚悟をする。

当主様が留守で助かった。いっそ奥様以外を切ってしまおうか。団長は今頃鍛錬場か、バテていると助かるんだが。チャッターの邸宅は·····家なんて消耗品か。カルドネは兎も角、クレインにどう勝ってやろう。考える程に邪悪が邪悪を呼んだ。『期待』『攻撃』『信頼』唸り声が負の感情を煮詰め、右扉の騎士を黒く染める。それは『エクリュの死神』が顔を出した瞬間だった。

しかし、右扉の騎士がどう思考を巡らせるかなど一同には分かりきっていた。何故なら、右扉の騎士が立っている木目の細かい艶やかな床は、公爵家であり公爵領なのだから。ここでは何を感じようが、何を思おうが、そんな事は造作もない事だった。

あぁ、相棒以外研ぎ直してるんだった、案の定、項垂れた緑黄色の瞳には輝きが蘇る。

「{覚えているかしら、3年前の騎士叙任式。狂い咲いたライラックは、まるで子爵の内を表しているようだったわ。私、あの時の子爵にもう一度逢いたい。剣を捧げてくれた子爵はとても、とても頼もしかったのですもの}」

婦人の言葉に右扉の騎士は小さく頷いた。その様を俯瞰して眺めていた左扉の騎士は、問題児のあまりの従順な豹変ぶりに、気付けば口角を顎につく限界まで下げていた。未だ視線を崩さない執事に至っては、今回こそどう騎士団長とメイド長に奴をとっちめて貰おうか、僅かな隙もなく入念に思案をしている。

騎士叙任式。その出来事は右扉の騎士もよく覚えていた。当時はまだ騎士見習いだった青い自身。実家の伯爵家から列車を乗り継ぎ、曇天の中降り立ったリマインダー公爵領。地方出身とはいえ、曲がりなりにも貴族を名乗る自身の、領地という概念を逸脱したその領地は、広大な土地に、独自に発展した産業を携え、そこに鎮座していた。その規模はそこらの小国よりも凄まじく、一歩自身が選択を誤れば二歩目は血の海だと確信した。雨雲を背に、幼少期乳母に読み聞かせられた『英雄伝』が右扉の騎士の頭をよぎる。

公爵家に着いて早々始まった修練。慣れ親しんだ剣舞と、初めて触れる剣技の違いに打ちひしがれ、挫けそうになる心。自身が領地でどれだけ井の中の蛙になっていたのか、眠れぬ夜が続いた。

ぐっ、無意識に噛んだ下唇から深紅が溢れる。3年経った今でも思い出すだけで、途端に胸が苦しくなった。その後、右扉の騎士は何度も何度も公爵家で挫折を繰り返したが、一味違うその特別な挫折は、目を瞑っただけでも今なお鮮明に思い出せた。

リマインダー公爵領、貴族居住地区、第三区通称トロモア内にある大聖堂『クリッターサタデー』皮肉とも思える名に似合わず重々しい扉を潜れば、何処までも続く美しいステンドグラスに、壁一面を覆う、22222本のパイプからなる大陸最大のパイプオルガン。反響に反響を重ね、生み出される独特な音は何処を探しても此処でしか聴けない。

浮き足だつ貴族。華やかなミサ。筒がなく執り行われた佩剣の儀式。

大貴族出身の騎士が次々と選ばれていく中、目星の騎士を取られまいと躍起になる貴族達。様々な思惑が絶えず飛び交う美しい聖堂は、あまりに不憫だった。時間が経つにつれパイプオルガンの音色を掻い潜った下品な呟きが、チラホラと聞こえ出す。

吐き気がする。

万をゆうに超える騎士の塊。吹き抜けから見下げるグラデーションは圧巻だった。その証拠に、前列ほど身に纏う装備が華やかで、対照的に最後列ともなると浮浪者に近い者まで居る。その中21列目中央に右扉の騎士は並んでいた。

周りを見ても顔が分かる者はいなかった。『剣舞トリガー』と言えど所詮は田舎貴族。案の定、当日まで事前に声が掛かることはなかった。

前列の空白が目立つようになり、10列後方になると昨年のタルタイン領での叙任式で選ばれなかった者達が並ぶ。また来年、また来年を繰り返す者に許される期限は7年。数字で見える歳とは違い、気力や体力は知らず知らずの内に削られる。名誉を夢見る若いままの心に、剣を振るえぬ老いた体。その者の末路は傭兵だ。

色辰儀の色が変わるにつれ、足下の艶めくタイルが足場を削っていく。そんな気がした。

右扉の騎士に、中央貴族が持ち合わせる『品位』や『プライド』はなかった。野心がない訳ではないが。特別、騎士になりたい訳でもない。傭兵も良いと思う。

諦めた奴、祈る奴、揺るがない自信を見せる奴。周囲の情緒が歪む中、右扉の騎士はただ自身を探した。

腕さえあれば、剣さえあれば。

今は本気でそう思っているが、その見えない屈辱は、堕ちてみないと分からない。しかし這い上がるには途方もない気力が必要なのは分かる。脳内で未来を描くほどに、それは益々見えなくなった。

降り注ぐ光の中心に跪く自身が、ちっぽけな存在に思えてならなかった。そんな時だった。

『{卿を叙任するわ}』

初めてお目にかかった奥様は、日差しを纏い、秘色にも見える艶めくグレーヘアに鉄色の瞳を輝かせ、まさに女神を具現化されたような美しさを放っていた。

右扉の騎士は『敬愛』を込め、部屋の先に佇む葡萄色のドレスを見る。重なる情景、その日も今日と同じ葡萄色のドレスを纏っていた。

あの日とはまるで正反対の天気。右扉の騎士の口元が歪に震える。どんなに年老いて何度脳が記憶を書き換えようとも、あの日のままろくに成長しない心が絶対に忘れない。熱を帯びた緑黄色は瞬きひとつせず、ただ葡萄色を捉える。

一言一句違わず思い出せます、今にも泣き出しそうな笑顔が、声にならない思いを溢れ出させた。

それは、左扉の騎士へ執事へ、そして婦人へと柔らかく届く。

俺は、突如挿した『敬愛』に畳んだばかりの枕カバーの端をぐしゃりと握った。





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