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己を知らぬ大魔法使い

36、一度染み付いた癖は中々抜けない話をしよう

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「重っ」

部屋に戻りテラスのガラス戸を引くと、ふわりと身体が浮かび上がる。びくともしない戸を前に呆気にとられつつ、軽々と開けていた小さな給士を思い出した。

「メルリアすげーな」

デッキ側から全体重を掛け、戸を押す。閉じるまでの僅かな合間に、勢い良く部屋へと飛び入る。

静まり返った部屋の中で俺だけに届く、声にならない声。陽の差し込んだ部屋は、家具や装飾品が照らされ幾分騒がしく、俺の気を散らす。

文化に触れたからには、金を稼がなきゃいけないし、身分を示さなきゃならない。早々に税も納めなければならないだろう。

「ずーーんって感じだな」

ゆくゆくは『食い物を探す仕事』から『仕事をして食べ物を探す』くらいにはしたい。今は勿論、前者だが。

コンコンコンッ

モヤモヤと今後の進路を考えていると、ノックと共に重そうな木戸が開かれた。

えーと貴方は、えーと。

「{カルディっ!!}」

「{カルドネにございます。ペテン様}」

「{カ、カルデ···おはよう}」

外国人でも滅多に見かけない高身長。目の前に立たれると、途端に首が反り上がる。

俺も知らずメルリアに苦労をさせていたのではないか、ほんのり苦味を感じた。

「{おはようございます。ペテン様、メルリアよりご要望を伺いました。こちらがお預かりしていた、お召し物とアクセサリーにございます。僭越ながら、こちらで手直しをさせて頂きました。また、懸念されている滞在費などの請求は一切ございませんのでどうぞご安心くださいませ。そして、領内には大小様々な街がございますので、お着替えの後、ご案内をさせて頂こうと存じます。また····食肉をご所望との事。失礼ですが、何に使われるのか用途を伺っても宜しいでしょうか?一般的な食肉でしたら屋敷内に備蓄しておりますので、専属給士等に必要分をお申し付けくださればご用意させて頂きます。また、最後に専属給士等より、ペテンさ····}」

何を言っているのか分からないのに、話しが長すぎて円周率を聞課されている気分になる。絶え間なく放たれる音。合わない視線。無尽蔵にも思える肺活量。どの要素をとっても、微動だにしない執事からは強い自己主張が感じ取れた。

「{ありがとう}」

取り敢えず、ようやく見えた音の途切れ目に散々練習したありがとうを言ってみた。

『放心』どうやら話はまだ続いていたらしい。察するに説教をされているのでは無いとは分かる。しかし、目の前の執事は何故か頑なに俺と視線を合わせようとはしなかった。櫨染の瞳は薄ら白い壁を向いたまま、微動だにせず今も円周率を唱えている。

「メルリアパターンか??」

『恐怖』のきょの字も存在しない室内。あるのは『関心』と少しの『苛立ち』思ってもみなかった反応に少しだけ目の前の執事が気になった。目の前と言っても近すぎて顔色が伺えない。聞き手に徹している筈が、何故か次々に話したい事が溢れ、高揚している自分に気付く。窓辺の陽が鉄紺を照らし、繊細な毛羽が透けて見え、薄らぬくもりのある表情を魅せた。壁か?

「壁だな」

「{ペテン様?}」

「圧が凄いな····あれ?」

一歩二歩と後ずさると、素足が床を擦る音がやけに響いた。この間、見かけた時とは何かが異なる執事。思い出せそうで思い出せない。喉に小骨が引っ掛かったようなもどかしさが俺を襲う。

一瞬の『歓喜』を塗りつぶす『哀愁』俺を毛嫌いしている執事の口から円周率が止まる事はなかった。

「{ありっ····オホンッ失礼致しました。専属給士よりペテン様が心を痛めているとの報告を受けております。何か我々に至らぬ点があったでしょうか?}」

「····」

「{····}」

「····え?」

どうやら終わったらしい。

「え?···えーとっ?{ありがとう。メルリア}呼んで?」

「{メル、リアに、ございますか?}」

首を勢いよく縦に数回振ると、何故か『哀愁』『苛立ち』が頭上からシトシトと降り注ぐ。数刻前のクレイン、ダミアンとのやり取りが色褪せていくのを感じる。頭の芯がぼーっと沸騰し、世界から色が消えていく。

塞がった、そう思った。

「お手数ですがよろしくお願いします」

頭を下げ、バレないよう温度の上がった溜息を口から逃す。

正直、意思疎通の叶うメルリアを呼んでくれた方が幾分手っ取り早いだろう。あまり依存しても良くないとは思うが、今日明日は辛抱して欲しい、思考はどこか刺々しく湧き立つ熱が冷めなかった。

「{ですが···}」

お願いします、再び始まろうとする円周率を前に思わずたじろぎ、言葉を塞ぐ。

早く話を終わらせたいと思っているのはそちらでしょうに、弾かれた神経が波立った。

「沸点3度かよ···」

手元には執事から渡された見覚えのある光沢。綺麗に畳まれた塊を見る限り、俺の意図は大体伝わっているようだ。名残惜しいが、肌触りの良すぎる生成のネグリジェを脱ぎ、元着ていた馴染み深い服に袖を通す。

「{ぺ、ペテンさま、お待ち下さいっ只今、専属給士をお呼びしますのでっお着替えは、あぁ}」

パチンッ

何かが弾けた音の中、懐かしいツルッとした肌触りに気を取られる。民族衣装風のそれは生地量が多い分、やはり着ずらい。頭上でもたついていると、誰かの焦った声がくぐもって聞こえた。陽に照らされているからか、視界いっぱいに七色の彩光が輝く。まるで万華鏡の中に放り込まれたように幻想的な世界が俺の頭上で広がった。

「{ペテンさまっ}」

「すげー綺麗だなー{メルリアー?}ちょっとごめん、久しぶりに着たからっ何だこれっ」

「{ペテン様、下着がっ}」

「{ごめん}助けてー」

早々に呼んできてくれたのだろうか、この数日で慣れ親しんだ『不安』が部屋に充満する。

「俺も今、自分がどんだけツンツルテンになってるか想像はついてるんだよ。ほんと{ごめん}」

もごもごと頭上の迷宮で彷徨っていると、布越しで誰かが助けてくれているのが透けて見えた。どうやら横着をしたのが仇になった。億劫がって一緒に被ってしまった首飾りと俺の髪が絡まっているようだ。服の外では、荒い息遣いに混じり唸り声がする。

メルリアの身長に合わせ膝を折り、行く末を布越しで静かに見守る。布目を数えながら待っている数刻、とんでもなく懐かしい香りが鼻を掠めが、またしても思い出せない。

「まじ{ごめん}だわ」

「{····}」

「{ごめん、メルリア}」

段々と頭上の出口が開け、作業をする隙間から光が差した。

「{····}」

「{ありがとう、メル}···ん?{カルディ}じゃん」

「{······カルドネにございます}」

やっとの思いで抜け出せた服。新鮮な空気が肺一杯に入り込むと、乱れた髪が宙を舞った。漂う沈黙、ひんやりとした床が半身の熱を奪う。視界に広がるのは見慣れた部屋の景色ではなく、ほんのり既視感のある鉄紺だった。膝立ちだからか、更に身長差が生まれる。真上を見ても全く櫨染が見当たらなかった。

「見捨てずに居てくれたのね{ありがとうカル、カルデ、ド、ド、カルド}」

よく通っていた店の名前が刷り込まれているからか、どうしてもそっちに引っ張られる。

「{ペテン様?}」

「もう諦めても良いかな?{カルデ、カル、ありっ、きらい}」

「{······ッき···}」

諦めた。今なんか言葉を間違えた気がするけど、もう諦めた。明日にでもメルリアに復習させてもらおう、愛らしい微笑みを思い浮かべていると、突如空気が張り詰める。

「····え?今度は何?」

「{きらい}」

『驚き』『失望』どうしようか『畏怖』目眩を伴う負の感情が『嫌悪』止まらない『悲嘆』凄く騒がしい。

「どうしたんだよも~」

革手袋の擦れる音に混じり、小刻みに聞こえる切羽詰まった呼吸音。それは目で追えてしまう程鋭く、濁った息だった。

「{嫌いと仰った·····}」

ドスンと膝から崩れ落ち、何故か塞ぎ込む執事。立てた爪が途端に床板へと吸い込まれ、メリバリと痛みを伴う音と共に幾重もの亀裂をうむ。逆立つ似せ紫。剥き出しになった犬歯。執事は野獣のような瞳をこちらに向け、絶えず鋭い『怒り』を撒き散らす。大きな影が湧き立つ中、空気を歪ませる程の殺気が、鉄紺を中心に渦を巻くように止めどなく放たれた。

硬直する身体。逆立つ産毛。妙にリズミカルな心拍。耳が、関節がガタガタと鳴り続け、振動が脳を揺らす。思わず身体を縮こめてしまいたくなるような『恐怖』しかし何故か釈然としない。身体に現れるどの要素を取っても『恐怖』だと分かるが、思考はそれを拒絶した。悔しい。

負けたくねぇ、そう思った。

「なんかムカつくな全部ムカつく」

何に、と聞かれても全く分からない。感情を撒き散らす癖に心を閉ざした執事にか、はたまた対象の存在しない『恐怖』にか、いつまでも分からない言葉にか、きっと上げ出したらキリなんてない。いや、嘘だ。分かっている。こんな事は単なる理由付けでしかない。

何故いつも俺から歩み寄らなければならないのか、というみみっちい不満。

真っ先に気付いてしまう俺が悪いのか。気付くまで待つ事の何がいけないのか。

『見ている人は見てる』なんて言葉がある。この言葉を初めて聞いた時は確かになんて思った。

あぁ俺が見えている以上の事が見えている人が居るんだ、安堵と希望がこの言葉にはあった。

しかし、現実は違った。誰も見えてはいない。

それが分かってしまった俺の心には、邪悪な塊しか残らなかった。

何故、他人の感情の世話をしなければならないのか。しかも無休無償で。ただ人より早く気付くだけなのに、何故俺から歩幅を合わせなければならないのか、何故俺から何故俺から何故俺から、全てはそれに集約される。仕事だったら簡単だった。好き嫌いの問題ではなかったから。しかし真っ新になってしまった今はどうだろうか。一緒にいたいか、いたくないかの決め手がまるで分からない。

「あ”ぁみみっちいっ本当嫌いだ、どうしたら自分に勝てんだよ」

最終地点は必ず自己嫌悪だった。

「{き、らいきらいきら、いき、ら、い}」

いつまでも譫言のように何かを話す執事に、苦笑いをこぼす。

狩場ですかここ、いつの間に狩場になったんですか、呆れ混じりの呟きが、歪んだ空気に溶けていく。

「此処、お金持ちの何処ぞの一室ですよっ」

「{········}」

黙り込む執事は下唇を力強く噛み、何かを抑え込もうとしているようにも見える。

「情緒大丈夫かよ。あれ?今、影に耳生えてなかった?」

鉄紺の背後の暗がりから、獣のように大きな耳が生えていた。

「いぬ??????」









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