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記憶を持たぬ大魔法使い

22、やっぱり苦手な櫨染の話をしよう

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そんっなに菌に触れるような扱いをしなくても···ショックというか、なんというか。『身分の違いを自重しろ』そう言われた気がした。

倒れ込んだ先、再び見上げた天井。最初に見た時は感動したが、今はその微笑みも俺を嘲笑っているように見える。本当にこの世界の人間は装う文化がないのだろうか。それとも俺はそれに値しない人間なのか。この身体と縁があるんじゃないのかよ。

思わず苦笑いが零れた。

「え?一段落したんじゃないんかーい」

色鮮やかな天井ばかり見ていたからか、改めて視界の端に控える霞色が気になった。切られるか、撃たれるか。現状の最大懸念はそこだろう。『優越』『期待』右扉の騎士と初めて視線が絡む。その瞬間、何処からか挿した『悲しみ』が混ざり合い『悲観』へと孵化した。

やはり人が多いと二日酔いのように、その分身体がだるくなる。処理しきれなくなった感情が、忽ち身体から出ようと暴れた。

「····う”っぷ」

滲む視界に騎士が歪む。霞色の制服を纏い、長い金髪を一つに束ねたその様は、童話に登場する典型的な王子にも見えるが、手は相も変わらず懐に添えられ、緑黄色輝く瞳の奥には、捕食者の鋭さが見え隠れする。

アゴヨワの親戚か、目や髪の色も合いまって何処ぞの獣を思い出す。

「{ルルっルルっ}」

似非王子を凝視していると、何処からか微かに音が聞こえるが俺以外、誰も反応をみせない。

「{ルルルルルルルルルルル}」

「モスキート音??」

異世界の人間を判別する類の音だろうか。はたまた、切る撃つ以外に怪物を召喚するなんて選択肢もあるのだろうか。

「え?え?」

俺の嫌な予感を煽るように、いつまでも聴こえる妙な音。今からでも聞こえないふりをするべきだろうか。

「{ルルルルルルルルルルルルルルルルルルル}」

無理矢理つくった真顔、耳を澄ますと今日初めて聞くテノールが規則的に音を放つ。目を凝らせば大抵の事が見えるこの身体。やはり見えた。赤白橡のカール掛かった横髪から微かに震える口元、左扉の騎士だ。

「{ルルルルルルルルルルル}」

「え?貴方に話しかけてるんじゃないですか、彼?」

見合う左右。右扉の騎士は素知らぬ顔であくびを噛み殺し、意図せず俺にそれを移す。

別の土俵にいる俺が気付いて、同じ土俵の貴方が気付かないなんて事、それはちょっと無理があるのではないでしょうか、あいも変わらず情けない俺の声が良く響く。

案の定、左扉の騎士の顔には『尽力は尽くしました』滲み出る疲労が見えた。背中越しに『いつものこと』を察した執事はふぅ、と一つ息を吐くと諌めるように口を微かに動かす。

「{ルルタージュ、いい加減にしなさい}」

婦人とは真反対とも言える、低く地を這うようなバリトン。一瞬、俺が話しかけられているのかと構えるも、次に口を開いたのは似非王子だった。

「{すみません、奥様。ですがこの坊、恐らく俺が脚に隠した短剣にも気付いてますよ}」

「{それって確か、貴方のとっておきでしょう?}」

婦人が扉へと顔だけ向け、グレーヘアの隙間から銀細工が華やかに揺れる。

「{はい、奥様。この短剣は、隣国フェーリ帝国名誉鍛治士にして生産ギルド唯一の人間族、ベアトリクスがつくったミスリル製の短剣、を以前襲ってきた暗殺者からパクった名刀でして、名を···}」

殺して奪っただけじゃねぇか(ないの)、一瞬で凍った空気の中、意見が一致した事は言うまでもない。三者から漂う負の感情。漏れなく俺へと届いた澱みのない『苛立ち』。

この人数で、こうも感情が一致するか、察するに右扉の騎士はきっと『テンサイ』なのだろう。

もう黙ってくれお願いだから、油断すれば膝から崩れ落ちそうになる左扉の騎士。その様子を真正面で見えている筈の右扉の騎士は、挑発するようにピンクに染まった舌を見せる。どうやら右扉の騎士は要領が良いようだ。雇用主が背を向けているからか数刻前から飄々とした態度を一向に崩さない。前言撤回、アゴヨワの方が多分良い奴だ。

他人事を良い事に妄想に妄想が膨らむ。

「隣の騎士さん。ちょっとあの人怖いんですけど。俺が無害だって教えてあげてくれませんかっ」

通じない事が分かっているのに、ペラペラと誰にも分からない言葉がバカになった口から溢れ出す。

執事は大袈裟に嘆声上げた。

「{おふざけがすぎますよ}」

「あっあそこに、まだ剣を抜こうとしてる人がいますよ。阿吽の呼吸取りこぼしてますよあのお兄さん。ちゃんと彼にも合図送ってあげないとー」

もう一人もちゃんと回収してってよっ、我ながら続く言葉のなんと情けないことやら。

俺はざわついた胸を抑え、鼻息荒く執事に訴えた。その様子を静かに見つめる執事。どこか冷たく微動だにしないその様は、何処ぞの剥製を思わせる。

「え?えーー?」

伝わっていないのか····そっんな訳はないだろう。

どの洋画を見ても。いや、仏画でも独画でも、突然踊り出す印画でさえも、言っている言葉は分からないが、言わんとしている事は分かる。俺だけの特別な能力?俺がエンパスだから?っんな馬鹿な。そっっんな訳がないだろうがっ。

「無視だっ無視っ集団いじめの片鱗だっ」

例のごとく櫨染の瞳には俺が訴え、切羽詰まった様がありありと映し出されている。

「{へー}」

おどけた口調の右扉の騎士を遮り、左扉の騎士が真剣な表情をつくる。

「{申し訳ありません、奥様}」

婦人の背へと頭を下げる左扉の騎士。その表情は若干やつれ、どことなく苦悩が滲む。冷静に考えれば、隈なく現場が見えるのは俺だけだ。現在進行形で見てはいけないものを見てしまっている気まずさと罪悪感。いつまでも頭を垂れる赤白橡。その姿にかつての自分が重なり、妙な親近感が芽生えた。

あれか、歳は下だが身分が上的な。錯覚だろうが、装飾眩しい騎士の制服がほんの少し霞んで見える。

俺には見えない合図があったのだろう、何故か上がろうとする口角を押さえつけ、早々に結論付ける。正直、今の俺に動向を見守る余裕などなかった。

「····誰に、踏み込まれてるんだ」

心が浮つくような、くすぐったい感情。高鳴る心拍とは裏腹に、花粉が舞っているような、むず痒さが俺を襲う。何故か、今ならどんな困難でも乗り越えられる気さえする。急にこの部屋に居る全員の顔色が気になった。

「なんだ??誰が誰に恋してんだ??」

これは『愛』だ。しかも目も当てられない程に盲目的な。『期待』や『苛立ち』をはらんだ、盛り上がりの頂点とも言える厄介なシロモノ。胸焼け気味の臓を撫でながら、その根源の表情を探る。

「···とっとと告っちゃえよ」

この恋を成就させたら甘酸っぱい疑似の感情から逃れられるだろうか。はたまた、より激しい胸焼けに襲われるだろうか。ネガティブな感情に慣れてしまったせいか、ソワソワと何だか落ち着かない。一刻も早く身なりを整えたくて仕方がなくなる。『恋をしているのにその対象が存在しない』この不可解な現象は以前の世界でも度々起こった。

恋に落ちると、それに夢中になり理性や常識を失ってしまう。思い出される黒歴史は、どれもこれも『その対象』が存在しなかった。虚しい侘しいなんて問題ではない。このままだと精神異常を疑われる。学生時代は無数に散らばる多感な芽に囲まれ、薬をヤっていると度々疑われた。

それ以降、身近な芽は摘むか枯れるまで育てるかしなければ、という謎の使命感に掻き立てられた。

案の定、熱の篭る緑黄色を捉えると突如、視界を遮られる。意識の矛先を変えれば、赤白橡の不規則にカールがかった髪がふわりと風を切り、向かいの金髪を牽制していた。

「{ちょっ何でこの坊、こんなに笑ってんすか!?}」

「お前かっ金髪!今すぐ告れっ頼むからっ!」

「{言葉が分からなくても、貴方が愚かしい事は分かるのですよ}」

「{ふふっ3年前の出来事を思い出すわ}」

久方ぶりに聴こえる柔らかいソプラノ。

まずい、執事の従順な本能が今世紀最大級の危機を察知した。後身の鉄紺に無数に出来たシワ。革手袋を湿らす冷や汗。後ろ手に組んだ指先から、蜘蛛足のように気色悪く複雑に飛ばされた伝令は、左扉の騎士に即座に伝わる。

あぁ、やはり避けられなかった、左扉の騎士は自身の不甲斐なさを嘆いた。しかし今回に関しては、事の大事になすすべがない。唯一出来ることといったら、息する間も無く鶯茶の瞳を閉じ、任務以外の全てを放棄する事だった。

「{忘れもしないあの日、卿はリマインダー家と騎士の誓約を結んでくれたわね。地方伯爵家から出て来たばかりの卿はまだ爵位を貰いたてで、まるで野良猫のようだったわ。でも、剣舞に精通するトリガー家のご子息だからか。いえ、全ては卿の努力と才能の賜物ね。卿はあっという間に、我が騎士団に馴染んでくれたわね}」

「{····奥様}」

右扉の騎士は分かっていなかった。婦人は慈愛の籠った声で右扉の騎士を労う。

「{リマインダー公爵家所属騎士ルルタージュ卿。いえ、チャッター子爵。私、私ね。気が付いてしまったの。これまでどれほど子爵がリマインダーにその身を捧げてくれていたかを}」

「{······お、くさ、ま}」

珍しく人間味のある表情を見せる右扉の騎士。しかし時すでに遅し、婦人は涼しい顔で更に言葉を続ける。執事と左扉の騎士は同時刻、同場所、心の中で天を仰いだ。

「{そうして私、こうも気が付いてしまったのだけれど。聞いてくれるかしらチャッター子爵。先程、確か黄みの橙の刻だったと思うの。そうよね、カルドネ?}」

左様にございます、食い気味に響くバリトンが廊下の深紅を駆け抜けていく。左扉の騎士はその様を恨めしそうに視線だけで追いかけた。

「何が起こってしまって、いるのだろうか」

小さく呟いた俺の声を櫨染が拾う。全員が俺を見つめる油断ならない奇妙な光景。しかし恐らく渦中に俺はいない本当に奇妙な光景。寸劇じゃあるまいし、『目を見て話すと不敬になる』を念頭に入れ、俺はいざとなったら窓から落ちてでも逃げる覚悟を密かに決め、奥歯を食いしばった。








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