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記憶を持たぬ大魔法使い

13、暫く緑は見ないと決心した話をしよう

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「あれ?」

ちょっと待ってくれ。忘れている。滅茶苦茶大事な何かを忘れている気がしてならない。

既存感のある違和感に襲われたのは帰路を如何に楽して帰るか、考える事を諦めた時だった。

「あっれー?」

無意味に眉間の皺を寄せ頭を揺するも、落ちてくるのは髪にしぶとく絡まっていた葉や小枝ばかりで、肝心な事が何も思い出せない。視線でアゴヨワに助けを求めるも、二股の尾をばたつかせるばかりで、こっちを見向きもしてくれない。

どうしようもない。気になりだしたら全身がムズ痒くなってきた。

「ん"ーん?ん""ー」

唸るも微塵も思い出せない。

「包丁を忘れて行ったことか??」

早く帰りたいけど面倒臭くてー、アゴヨワが結構弱っていてー耳をどうにかしなきゃいけなくてー疲れて、眠くて····。

手元を見ると水分を含みすぎてふやけた、ささくれまみれの筏擬き。それは行きに乗った時よりも、幾分くたびれている。

オール代わりにしていた床板は、不自然な程の緑を放っている········放っているっ!?

「だはぁっ!!」

完全に思い出した。

水中に潜り、筏擬きの裏側を見る。やはり、全ての板が緑になりかけていた。ゴボゴボと言葉にならない焦りが大袈裟な泡となって消えていく。額を伝う冷や汗が、水滴と混ざり滴り落ちた。

「やばいっ!!」

そもそも床板で作ったのは俺じゃないか。

「アゴヨワっ完全に時間忘れてたっ!!」

アゴヨワが動かなくなるのは夜だ。体感だとここまで来るのに2時間はかかっている。気づけば辺りは薄暗く、日が傾きかけていた。もう時刻はとっくに午前を過ぎているだろう。今すぐ孤島に戻らなければ。

「アゴヨワっ!!」

「床に色が出るのは午後だろうがっ」

『なんで当の本人はこんなに落ち着いているんだ』とか『教えてくれれば良かったのに』とか、思考をしてちゃんと話さないとアゴヨワを非難する言葉が思わず溢れてしまいそうだ。お門違いも甚だしい。下唇をグッと噛み、自分を戒めた。

「っ····もう一回あの超パワー使えないか?」

『ガルルッ』

「だよな」

今日だけで五歳は老けた気がした。一難去ってまた十難とは良く言ったもので、こんなにこの言葉がしっくり感じる日は生まれて初めてだった。

「いや、こりゃ百難だわ。もう元気残ってないよなー」

初日から遠出をし過ぎた。元はと言えば、時間を餌にアゴヨワを誘ったのはこの俺だ。

無理をさせてしまったんだから元気など残っている筈がない。考えたところで進まない事は目に見えていた。限界まで空気を吸い込み、肺を少し冷えた空気で満たす。すると全身の固まった筋が少し緩んだ気がした。

「大丈夫、ちゃんと連れて帰るから。俺ってなんだかんだで使える奴だからなー。まぁ泥船に乗ったつもりでいなさいよー」

くたばった蛇をたすき掛けにし、服とシーツが嵩張らないよう巻き直す。気合いを入れ湖に入ると水面を永遠と蹴り上げ、空気を含んだ水が煌めく飛沫をつくりだす。

バタ足がなんとも滑稽だが、こっちは大真面目だ。バチャバチャと拙い飛沫を上げ、ビート板の要領で確実に前へと進んでいく。

手で漕ぐより早く着けると思いたい。勿論、完全に俺の体力次第だが。

「ははっ水泳上手くなるかもなっ」

バタ足なんて、いつぶりにしただろう。筏擬きは水分を吸いすぎて段々と崩れかけている。触れてる手の平からもそれがひしひしと伝わってきた。『刻々と自分の首が締まっている』俺はそう確信した。

「もう、ちょっ、とだぞー」

自分に言い聞かたかったのか、でまかせが口から自然に溢れた。時間内に台座に戻らないとどうなってしまうんだろう。考えれば考えるほど最悪の結果にしか辿り着かず、罪悪を含んだ申し訳なさでいっぱいになる。

「ごめん、アゴヨワっ」

進む度に一枚二枚と板が減っていき、焦る気持ちに比例したかのように筏擬きの体積がどんどん減っていく。もう今にも紐が千切れ、水面に散らばってしまいそうだ。

「お前っこの筏擬き崩れる前に、助走で小屋まで飛べないかっ!?」

『············』

「おいっ聞いてんだろっ?お前一人だったら行けんだろっ」

『············』

「俺、お前がどうなるか分かんないんだよ!後から追いつくから先行けないか?」

『············』

すると、落ち着けとばかりに優雅に立ち上がり、筏擬きの上から俺を見下ろす獣。後光を背負ったその姿はあまりに神々しく、その一連の仕草は時間が止まったかのような不思議な錯覚をさせる。

「·······ッ」

切羽詰まった中、不意に闇から拾い上げられた気がした。本物のそれは、唐揚げの比ではなかった。こんな時、人はナニカを信じたいと思ってしまうのだと初めて体現した瞬間だった。

表情からは何も読み取れない。『何を考えているのか分からない』を噛み締める。硬化してしまった琥珀色の耳が沈みかけた夕日に照らされいつまでも輝いている。俺は、皮肉にもその光景を美しいと思ってしまった。

この獣も少しは俺に心を砕いてくれたのだろうか。自分の事を棚に上げて微かに胸が綻ぶ。

「俺乗せては絶対無理だろ」

遠慮がちに聞いてみる。

『············』

「····ッ···」

乗せてなど烏滸がましかった。アゴヨワは俺の胴を蛇ごと甘噛みで咥えると、俺が抵抗する間もなく空高く飛び上がる。視界の端で筏擬きが霧散し水中へ静かに沈んでいくのが見える。『あぁ、俺の努力の結晶が·····』しんみり浸る余裕など当然なく、もう何度目か分からない絶叫が水面を駆けた。

さながら、捕まった兎になった気分。身体の水滴を弾く風が冷たく、気持ちの悪い浮遊感が全身を襲った。

「おおおおおおおおぉぉぉぉいっ」

ザブーーン

やはり俺を咥えたままでは、孤島にたどり着く事が出来なかった。一匹と一人と一尾が派手な音をたて、湖に叩きつけられる。もう湖に住もう。水中を彷徨いながら、俺は固く決心をした。

「おいっ溺れるぞっ」

しかし水中から覗く視界に、うっすらと歪む小屋を捉える事ができた。いよいよ本当に自分しか頼れない。危うさが俺の胸を握り潰そうとしている。

何故か沈んだまま、中々水面から顔を出さないアゴヨワを慌てて引き上げる。鼻に手を翳すとまだ、息はしている。

「一緒に帰るぞっ」

なんとか進もうと今まで見せなかった犬かきをするアゴヨワ。しかし非情にもブリキ玩具のように、水を掻く動きが不自然なくらい鈍くなる。

目と鼻の先に岸が見えるのに、それがこんなにも遠い。

バタ足で後ろから押し進むも、琥珀色の塊と化したアゴヨワは益々水中へ沈むばかりだった。

「おいっ嘘だろっ頑張れアゴヨワっ」

時間がっ時間が時間が。

まただ。

奥底に蠢く諦め癖が顔を出す。見えない手がアゴヨワ諸共、水中へと引き摺りこもうとしている。

目は生気を失い身体は岩のように硬い。俺は固まってしまい、融通の効かない胴の中に潜り込み、背負うようにして最後の力を振り絞る。水中だからこそ担げてはいるが、重い事には変わりない。圧がかかったように心と身体が沈む。呼吸をする度、ガプガプと口の中に水が入り込み、幾度となく溺れかける。

「大、丈夫っ」

自分に言い聞かす声が震える。

「もう、ちょっ、とっ」

思い切り手を伸ばす。滾り寄せた先、水に浸かり続け、ふやけた手に土がつく。視界を捉えた微かな希望に思わず叫び出しそうになった。

「陸に着いたぞっ!!」

後ろから力任せに押すも、思うように上がってくれない。

当然だ。

憎たらしいアゴヨワはもう動いていないのだから。

押しても押しても岸に登ってくれない。

当然だ。

答えなど分かりきっている。

失敗したら別の方法を探して、試して、また失敗して、考えて、成功するまで同じ事を繰り返せば良い。

ただそれだけだ。

熱の篭った目尻から、ボロボロと生暖かい涙が零れる。

「諦め、たっ諦めたっ、諦め、た諦めたっ、俺はっ諦めたんだっ!!」

何度諦めたと言っても、言い聞かせても、心の奥底の何処かで子供の姿をした俺が、手が差し伸べられると思い込んでいる。

愚かだ。

分かっている。

しかし、未来に希望を持つと邪念を含んだ欲も絡み付く。他人に縛られない新たな自分に期待してしまうと、振り切った筈の他人にも身に余る期待をしてしまう。

だってここはフィクションの世界なんだから。

きっと得体の知れない俺という存在はこの世界の中心で、当然として救われる。だから困った振りをしていれば絶対、誰かが助けてくれると。

フィクションを信じたいと思っている幼い俺がいる。

手を掛けた岸の岩場に、全てを振り切るように頭突きをした。

途端に鮮やかな赤が湖を染める。

「い"ってーんだよ、クソがっ」

重くなった服を背負い、陸に上がる。動かぬ獣の両手を引っ張り、上から力の限り引き摺り上げた。

「誰も助けてくれねぇんだよっ諦めろクソがああああっ」

思考のない声が口から漏れる。

コイツを助けるのはっ助けられるのは俺だけなんだよっ。

痺れる手足を抓り、立ち上がる。さっき、アゴヨワを見て確かに俺は救われたと思った。元の姿に戻った剥製が動いていた時と同じように感情も感覚も感じていたとしたら。

「俺をっ信仰しても、いいっんだぜ、アゴヨワ」

芝の上を滑りながら、無心で部屋からアゴヨワの台座を運び出し、やっとの思いで上に乗せる。

「はぁっ、はぁはぁっ」

台座に乗せたアゴヨワが、おぶさった状態で固まっている。そこに王者の風格などはない。本人からすればこんな屈辱、さぞ無念だろう。明日になったら怒られそうだが、生憎俺にはコイツの言っている事が分からない。

よろよろと部屋に散らばったメモ書きでアゴヨワの濡れた体を拭き取る。身体に絡まった蛇を投げ捨て、びちょびちょに濡れた服とシーツを脱ぎ捨てると、緊張の糸が切れたかのように芝の上になだれ込んだ。

もう無理だ。動けない。

若干の湿りは明日の日差しがなんとかしてくれるだろう。全身を擽る芝の感覚がこんなにも恋しいものだったなんて知りたくもなかった。

「はぁあああああああっ」

本当に疲れた。身体にぽっかり大きな穴が空いたような浮遊感。指一本動かす体力も残っていない。もう一歩も動きたくない。

でもやりきれた。失敗したけどやりきれた。そのたった一つの事実が喜びと現実をアメとムチのように突き付ける。





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