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記憶を持たぬ大魔法使い

10、ようやく始まった冒険記の話をしよう

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目が覚める。色素の薄いまつ毛に雫が跳ねる森の中。どうやら上陸はできたらしい。服はびちょ濡れで、それが抱きつくように身体に引っ付き、なんだか気持ちが悪い。髪や脚には、しなしなに湿った葉や泥が付いていた。

どうも関節の動きが鈍い。固く冷たい地面に体温を奪われたせいか、身体の強ばりを感じる。ゆっくりと起き上がりながら、手や足をグーパーと動かし痛みの出処を突き止めた。どうやらどこも折れてはいないらしい。視界の端には、屍のようになった筏擬き。辛うじて形を保っている事に安堵の息が漏れた。

「う"ぅぅ」

寒い。冷えきった身体がカタカタと自身を揺らす。折角、着替え用に持ってきたシーツも、もれなく濡れて頭上で重くなっていた。

葉の揺れる音に誘われ視線を上げると、全くどうって事なさそうな様子のアゴヨワが、木の枝で寝こけていた。毛は当然のように乾き、光沢さえ増したように見える。なんとも憎たらしい。

「アゴヨワー大丈夫かー?」

近く離れずの場所で寛いでいる獣。皮肉を込めた社交辞令を言ってみる。

まぁ自分のパワーで一々どうにかなってたらキリないわな。

うんともすんとも言わない獣は、どうやら木陰の下で俺が起きるのを待っていたようだ。一応、目線をくれるのが、なんともアゴヨワらしい。

「あのさ、本当に有難いんだけど。出来ればもっとこう、0か100じゃなくてさ、70とか50かにしてくれない?せめて30とかから頑張ってさ?いや、本当に有難いんだけどな?じゃないとさ?この身体ぶっ壊れちゃうからさー?」

服とシーツを絞りながら、適当な木に干す。わざとらしく濁った水溜まりを蹴り上げるも、くすんだ飛沫は、すんでのところでアゴヨワまで届かない。

『ガル』

牙を向けられ、逃げるように湖に飛び込むと、身体に付いた泥を洗い落とした。

澄んだ水が俺を中心に濁る。水中でブクブクと息を吹き出しながら、懐かしむように来たはずの無い道を見た。やはり、小屋は微塵も見えない。なんとまあ、ここまで長い道のりだった。太平洋を越えた気さえする。今なら海賊にさえなれそうだ。

なすがまま水面に浮かぶ俺。湖の方が幾分温かく感じる。ほわほわと耳元で水面が揺れ、拾う音を吃らせる。なんだかんだ、生まれたままの姿で過ごすのにも慣れてしまった。

「はぁ」

波と一緒に魚も打ち上がってないかと探したが、上陸したのはどうやら俺等だけのようだ。視界に広がる、どうって事ない森に安堵の息が漏れる。

芝がない分、孤島の地面より固く冷たい。治まらない鳥肌。規則的に震える歯。吐く息さえ白い。これはまずい。身体の芯が硬くなっているように感じる。ゴツゴツと足裏を荒い砂利が刺激し、裸足には幾分堪えた。

木々がざわめき、あちこちで花が咲く。全くどうって事ない景色だが、きっとよく見れば俺の知らないものしかないのだろう。

「やっと始まったって感じだー」

大きく伸びをする。空に手を翳すと血管が透け、当たり前のように脈が無数に別れている。

俺もきっと、これから何処へでも行けるのだろう。道の無い目の前の森。しかし、やっと道が開けた気がした。 

目線を下ろし、近場に落ちている枝や葉を掻き集める。頭上に抱えていた包丁で、太さの違う枝の端を削り落とし、火起こしを試みる。まずは、身体を温めなければ。

「いざっ!!原始人の火起こしっ!!」

体重をかけながら枝を思い切り擦り合わせると、見た事のある描写と重なる。髪を伝った雫がぽたぽたと滴り、影を被った地面を静かに濡らした。ひとしきり擦り続けると、やっとの思いでぽわぽわと小さな煙が現れる。

もう少しだっ頑張れ俺ー。

蛍ほどのか細い火種を、選りすぐんだ一軍の枯葉に入れ、慎重に息を吹き込む。

「いい子だぞーもっと育てー」

もくもくと煙と共に葉が焼ける匂いが漂う。近づきすぎたせいか、歪む視界に涙が滲み、目がしばしばと乾きだす。

「何これっすっげー嬉しいっ!!」

数刻前まで弱々しかった火種が、パチパチと枝の水分を飛ばした。開放感と共に、ふやけて先が赤く染った手を焚き火にかざし暖をとる。幾つになっても出来る事が一つずつ増えていくのは、なんとも心地の良いものだ。少しづつ大きくなる火を見つめ、緩む口元を結んだ。

「ほらっアゴヨワもおいでー風邪ひくぞー」

何だかんだで呼べば反応し、近づいて来るアゴヨワ。全く素直じゃない。




✻ ✻ ✻



焚き火の側で乾かしていたお陰で、すぐに服は乾いてくれた。再び玉虫の生地に袖を通す。達成感も相まって気持ち、肌触りがふっくらした気がした。

今日の目標を半分やり遂げた安心感からか、はたまた気の緩みからか、広い場所で見るとどうしても回りたくなってしまった。よろよろと回る度にドレープが綺麗にさんざめき、様々な色を放ちながら俺の周りを優雅に舞っている。まるで、キャンプファイヤーの火種になった気分だ。まったく、ちゃんとした鏡が無いのが残念でならない。

先程から横目に感じる不快なものを見るような視線が、俺のガラスのハートをグサグサと砕き割る。回りながらも、湖面越しにチラチラと見えるソレ。大事な事に気付いた気がした。

もう一々驚く事はないが、そう言えばこの男パンツは履かない派なのだろうか。確か床穴から出た時点で履いていなかった筈だ。小屋でもその類のものは見当たらなかった。既に慣れてしまった開放感に苦笑いを禁じ得ない。

「いやっ履かない派って何だよっ」

早々に下着の調達も目下の目標に加える。目が回り、歪む視線に進む道。焚き火の匂いが服に移り、若干煙たさを感じながらも、一人と一匹は森の中へと歩き出した。

葉の間から日が差し、俺とアゴヨワに模様をつける。どの木も青々と葉が茂り、春と夏の間のような季節感。しかし梅雨のようなジトッとした湿気は感じられず、なんとも快適だ。

後ろをゆっくりと付いてくるアゴヨワ。見てくれは完全に子守りのそれだ。

「なー食べられたり薬に出来そうなのあったら教えてくんない?」

肩に巻いたシーツに使えそうな枝を入れていく。好奇心が足取りを軽くさせるも、微かに残した警戒心が帰りの為、道が分かるようにちゃんと通った木に包丁で印を付けて進んだ。いつかナイフが欲しいものだ。なんなら水筒も作りたい。森を進めば進む程に気付きが増え、やりたい事もどんどん増える。

「あっ今リスっぽいの居なかった!?」

微かにどこからか鳥の鳴き声もする。アゴヨワは耳をピクピクと動かしながら獲物の居場所を探っているようだった。一体、どんな姿をしているのだろうか。どうせだったら持って帰れる大きさが良い。可愛かったら可愛がるし、怖かったら食ってやろう。

「アゴヨワー居るよなー」

草藪がざわめくと反射的に肩が跳ねた。緑が深くなるにつれ、唯一の自衛である包丁を構えながら歩き続ける。今の俺は、好奇心よりも不安の方がはるかに大きい。なんせ、この世界の植物や昆虫はどれも見た事がないものばかりだ。森自体に馴染みはある筈なのになんだか不思議な気分になる。

アゴヨワもどうやら協力してくれる気はあるようで、草の前で立ち止まったり、実のなっている木があるのに通り過ぎたりと、ぶっきらぼうではあるがちゃんと教えてくれている。

「ははっ」

唐突にアゴヨワが立ち止まり、俺にジトっとした視線を送る。つられて足元を見て固まった。バナナ一本分はありそうな中々のデカさの塊。ムカデだ。嫌々、細目で見る。そこには無数の足を携え、毒を持っていそうな槌色の如何にもな胴。なんだかデカいぶん、俺の知っているムカデより幾分グロテスクな気さえする。

「ごめん。まだ俺にそれを食べる勇気はない」

『フッ』

鼻で笑われた。どうやら、さっき笑っていた事がバレていたようだ。元の世界でも昆虫食は最終手段とされている。俺もまだ自分を諦める訳にはいかない。

「これは食べれる?」

『············』

「毒?」

『······ガルッ』

そんな事を続けていると思ったよりも早くシーツの中が実や葉でいっぱいになっていた。

待っていたと言わんばかりに腹の虫が騒ぎ出す。そういえば、俺もアゴヨワも今日はまだ葉っぱしか食べていない。

「アゴヨワどれ食いたい?葉っぱだけじゃ腹減るだろ?これは?生で食える?」

反応が良さそうなものを適当にシーツで拭き、好物の葉っぱと一緒に差し出す。果物なんか食べてお腹は壊さないのだろうか。俺の心配をよそにそれを訳の分からない実を頬張る姿は、やはり雄々しい。釣られて手近な実をひとつ齧る。

恐らく数時間は歩いたが、まだ野生のアゴヨワ葉っぱを見つけられていない。今日はノセる為とは言え、ちょっと好物をやりすぎたか。畑の葉っぱが無くなったらどうやってアゴヨワの機嫌をとろう。暫く天然ものが見つかるまでアゴヨワには一日一葉っぱにした方が良いかもしれない。

「旨いか?」

『············』

採っては食べ、拾っては食べを繰り返す。

「うわっ何だこれっ!!」

思わず、口に含んでしまった渋みを吐き出した。

「ずげぇ渋いんだげど、ごれ本当に食えんの?」

俺が選んでしまった紫の実は、色以外は完全に小ぶりのスイカだ。黄緑の果実には種がぎっしり詰まっており、齧った部分から水分が染み出てくる。見てくれは美味しそうだったのに。

口の中に苦味がじんわりと広がった。もごもごと飲み込みかけた種を取り出す。

ここは異界だ。何が起きるか分からない。

油断すると警戒心が薄れてしまうのは元居た世界が平和だったからだろうか。

「やべっまた他人のせいにするところだった」

口内で舌を踊らせる。子供の頃、スイカの種を飲み込んでしまい『寝ている間に腹を突き破って生えてくる』親戚に言われた言葉を思い出す。

それでも泣きじゃくりながら最後まで食べた記憶。昔話しかり童話しかり、用心に越したことはない。確か地獄にも人に生る植物があった筈だ。

べとつく手をアゴヨワで拭きながら、齧ってしまった手前、どうにか食べられる方法を考える。

バナナみたいに色が変わる果物なのか。それなら、まだ熟れていなか可能性が高い。しかし熟れてグロテスクな色になってしまったら途端に食べる気が失せそうだ。

「なんだかなんだか」

食べられないと分かった途端、手に握った実が不味そうに見える。本当に自分でも呆れるほど現金な脳みそだ。

「食べれる?アゴヨワ」

それとも柿系の果実だろうか。だったら小屋で干して甘くなるのを待てばいい。既に何個か取ってしまった。いつか来る冬の備えにでもしておくべきか。干し柿のように甘くなる事を祈るしかない。

アゴヨワに差し出すも、俺の食いかけが嫌なのか、それともこの実が嫌なのか。見向きもしてくれないアゴヨワ。しのびないので、齧ってしまった実は木の傍に植えていく事にした。

「次の生命に幸あらんことをー」

南無。手を合わせながら、色んな宗教が混ざっていた事に思わず吹き出す。因みに俺は『唐揚げ』しか信仰していない。弁当のふにゃふにゃになったそれが俺の最高神だ。

構わず進み続けるアゴヨワ。置いて行かれそうになり、駆け足で追いかける。地面が若干固くなった違和感を感じるも、前を行くアゴヨワに追いつこうと、急いで駆け寄った。

「おーい、置いてくなよー」


その時、夢中で腹を満たそうとしていた俺は、周囲の変化に気が付けなかった。






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