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魂を震わせる愛

頭痛が痛い

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それは恐怖。

「俺、足に穴空いてる···」

「······」

沈む空気の中、ただ無言を貫く母を見つめ、思わず息が漏れそうになった。

「俺が穴開けたくて開けた訳じゃないんだ······」

「······」

沈黙に耐えられず、気付けば不自然に強張った声音で意味の分からない言い訳をこぼしていた。思わず己が放った言葉を脳内へと書き起こす。我ながら支離滅裂だ。すると緩んでしまった口元を見つめ、母が深く長いため息を一つ吐いた。何を言っても言い足りない、そんな表情をしている。空になったカップで手遊びをしていると、呆れ混じりの笑みを引っ込め、俺の頭を撫でようとした母の手が一瞬止まる。数刻行き場を探すように彷徨ったそれは、思い切り俺の鼻へと着地した。

「痛っ俺どうなっちゃうの?」

「いとし···」

唇を噛み締め、痛みを堪える母の表情が鮮明に焼き付いた。鈍った痛覚がむくむくと湧き立つ。

伝染し共鳴し合う苦痛。消し去れる者はこの世に存在しない。

「今ね···この機械で足の骨を元の場所に戻そうとしてるの」

「穴空いてる······」

改めて呟いた言葉が重く肩にのし掛かる。傷を治すために新たな傷を作っている。やはり何度考えても有り得ない事だった。抗う間もなく絶望が具現化してしまった小さな身体は自ら体温を手放し、情けなく震えみるみるうちに総毛立つ。圧倒的な未知の恐怖から逃れようともがくも、当然動けない。頭が割れて、足に穴が空いているのに痛みを全く感じない。恐ろしくない訳がなかった。

「大丈夫、大丈夫よ愛」

「······こわい」

「大丈夫」

血の気が引いてゆく。カタカタと震える俺の手を握り締め、母はゆっくりと顔を埋めた。悲鳴と胸声が握り合った手の平の中でゆっくりと互いの体温が不安を解く。

「大丈夫だから、あぁ文義さん早く来て」

やっと聞き取れる途切れ途切れの曇り声が耳を掠め、昨夜見た父の顔を思い出す。

「大丈夫」

母が繰り返し呟く文義さんとは、言わずもがな父の事だ。二人は結婚して十ウン年経つと言うのに、未だ恋人同士のように仲が良かった。付き合い出した頃と同じように互いの名前を呼び合う様は、目を細めても痛みを感じるほどだ。年季の入ったペアウォッチを潤んだ瞳で見つめる今の母を見せれば、不謹慎だが暫く父の財布の紐は緩くなるだろう。いや、今の俺に構う母を見てしまったら逆効果だろうか。あれ········?


「···俺········?」


突然、漠然とした胸騒ぎが俺の思考を襲う。

俺····俺って俺の事···僕って言ってなかったっけ。包帯を避け、やさしく頭を撫で続ける母を横目に、ふたつの一人称がグルグルと思考を巡った。数度力強く瞬かせた視界の白と青がゆっくりと歪み、ぐにゃりと混ざる合う。重さに抗えずゆっくりと円を描く頭。枕に沈んでいる筈のそれは、次第に不規則な痙攣をはじめた。

凄く気持ちが悪い、得体の知れないナニカが体内から出てこようとしているのだと俺は思った。

今まで気にもならなかった筈の空気が皮膚を撫でる度、ヒリヒリと痛覚を刺激する。一瞬、麻酔が切れてしまったのかと他人事にも似た落胆を覚える。しかし胸から下は何も感じていないと気付いてしまった時、それはどうしようもない絶望へと変わった。

「·······ぐふっ」

「いとしっ!?」

小さな身体にはキャパオーバーだったのだろう。処理しきれなかった過分な情報を押し出すように、堪らず口から吐き出した。しかし白い布団に広がるのは透明な水気ばかりで、口内には覚えのある酸味が広がる。俺は体内に吐き出せるものが何も無いのだとその時、悟った。

今はいつだ。この母たる女性は一体何者なんだ。此処はどこの病院なんだ。

どのくらい食事を摂っていないのだろう。俺は何故僕だと思ったのだろう。まるで自分で自分が分からない。

何が分からないのかが分からなかった。

その唯一分かる事実が、何よりも恐ろしい。必死に訴える母の顔を見つめ、憂いを晴らしたいと視覚と僅かな痛覚が、言葉を紡ごうともがく。裏腹に、何をどうすれば良い、今にも見切り発車で人助けをしようとする体内の素粒子に必死に抗う。

少しでも思考をしてしまえば俺は俺では居られなくなる、確信的にそう思った。

確か以前も走りすぎた時にこんな事があった筈だ。まるで幽体離脱でもしたかのように、訳の分からない解離を感じる。耳元で発せられた劈くような悲鳴は、同室の患者を叩き起こし廊下をも騒然とさせたが、俺の耳には全く届かなかった。

「いとっいとしっ愛っ」

騒然とした病室内、血相をかいた母が力強くナースコールのボタンを連打し、勢い良く走り去って行く。

「····ぃと······」

不安を拭いたい。ただ当てもなく、縋るように辺りを見渡した。白に、白に、白。自然と視線は、窓の青に引き寄せられる。妙に落ち着くそこには、当然俺の顔が反射して写り込んだ。さっきだってそうだった。何も変わらない。この顔は、俺だ。しかし、青に薄く反射する顔は酷く怯えている。今にも泣き出しそうだ。

「いと、し···」

泣き止ませたい。手を差し伸べて大丈夫って言ってやりたい。しかしそれをしたところで、その子供は紛れもく俺なのだ。これは、この顔は俺で、僕でもあって。源愛の僕だ。

ついさっきまで何の違和感もなかった俺の顔。


何の違和感もなかった俺の顔。



もなかった俺の顔。




俺の顔。


「いとし····源愛だ········」


自分の名を呟いた瞬間、手が自然と何かを握り締めるような形になる。しかし、そこには何もなかった。


「ここは、俺がいるべき場所じゃない」


早く、この乙女ゲームの世界から脱出しなければ。






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