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卑怯な理

無責任な責任

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『貴方に分かる事なんて何も無いわ』

涙色をしていた琥珀の瞳に鋭さが宿る。

途端、俺と友誠の母との間に分厚い一線が引かれた。見上げると、いつの間にか先刻の儚げな表情は嘘のように醜く歪んでいた。思わず息を呑む俺を見据え、友誠の母はその様を怯んだと捉えたのか、動かない俺の脚をゆっくりと撫で上げ、口角を引き上げた。周囲の負の感情を吸い上げ、段々と原型を忘れさせるその歪みは、俺にしか見えていないと踏んでの事だろう。

パリンッと俺の中で何かが割れた。

あぁこれが人間の本質なのだ、『大人』『親』という圧倒的な存在に幻想を抱き、裏切られたと傷付く俺が確かに居る。しかしこの胸の痛みは、俺が一方的で盲目的な羨望を他へと押し付けてしまった事が要因だ。

「御免なさいっ愛君っ」

ガラガラと崩れ去っていく己の中の大人像。目の前の大人に見える物体は感極まった風を装い、仕切りに肩を震わせる。しかしその瞳は鋭く俺を射抜き離さない。夢に出てきそうなその様は、異様であり滑稽でもあった。器用に身体全部を使い、啜り泣いた様を演じるそれは、背後だけ見れば周囲の同情を誘うものだろう。

「謝らないでください」

謝る気もないのに、見えざる文頭を察した友誠の母はギプスと病院着の隙間から僅かに見える俺の肌に目配せをし、痣が出来ないギリギリの加減で摘み上げた。少し不安定な暗がりが漂う病室内。前世含め、今まで危害を加える他人に出くわさなかった俺は、恵まれた存在だったのだと悟った。

「脚は大丈夫?痛み止めは飲んだのかな?友誠ママも知り合いの理学療法士さんを紹介できると思うの。きっと良くなるから」

ペラペラと上部だけの言葉が俺の頭上を泳ぐ。痛覚が麻痺している事を知らない友誠の母は、俺が根を上げるまでその指を離さないと決めたらしい。その指先は段々と色を手放し、力み過ぎているせいか微かに震えていた。

「友誠も友誠ママも愛君の力になれたらなって」

友誠の母の薬指に填められた控えめなダイヤモンドが押し売りの様に発光し、瞬く間に淡褐色を曇らせた。その本物の輝きは偽物の俺にはとても眩しく、しかし全く魅力を受け取れないものだった。俺は何度だって紛い物のガラス玉の方が綺麗だと思うだろう。

途端、俺の中に漠然と漂っていた『幸福』が揺らいだ。

感情を隠す事をやめた友誠の母は酷く不愉快そうな表情を浮かべ、俺に軽蔑を孕んだ視線を向ける。しかしそこに恐ろしさはなかった。布団の中がもそりと蠢く。すると欠伸を奥歯で噛み殺した俺の視界目一杯に忽ち子供の強敵、退屈が蔓延った。

この人は友誠が今を辿った先に待つ姿なのだ、そこには鈍器で殴られたような気付きがあった。

生臭い程に己の性情を晒した友誠の母はゲーム内、幾通りもの未来で友誠を守っていた。しかしそこには善も悪も存在していない。あったのは己の利だけだ。

不意に解放された腿の皮膚は微かに爪痕が残り赤く色づいている。俺が文義とふさえに何も言わない事を見込んだ友誠の母は口をぱくぱくと動かし、そして微笑んだ。

『子供にムキになるなんて、大人気なかったわね』

『そんな事はありません、貴重な体験でした』

小さく返事をすると、子供らしからぬ俺の態度が気に食わないのか、不快に眉間を歪めた友誠の母が俺を見下ろしながら見下した。

思った。

どんな言葉を選んでも気持ちを伝えられない人は居るし、仕草を見ただけで伝わる人も居る。

明らかに前者の友誠の母を見据え、俺はどうしようもなく切なくなった。

「俺は所詮他人様なので。言いたいことは山のようにありますが、言えることはありません」

踏み込み過ぎた事を素直に謝罪し、俺は言葉を続ける。

「俺は、友誠のお母さんが羨ましいんです。責任を負えるのは友誠の家族だけだから」

告げた途端、友誠の母は何故か呆けたように口を半開いた。しかしすぐさま顔を強ばらせると、己の感情を探すようにモゴモゴと口元を動かす。一瞬垣間見れたその表情は、全ての柵をかなぐり捨てたように真っ新で、どこかあどけなかった。

どうか強制力を跳ね除けてくれ、俺は心の中で目の前の大人へと縋った。

「俺は大丈夫です。だから貴方が友誠を大丈夫にして下さい」

「··········」

頭を下げると湿った布団が頬を撫で、例えようもない不快感に襲われる。

「俺、友誠には笑ってて欲しいだけなんです。そりゃこれは俺の押し付けだし、あいつが笑いたくないって言うなら話は別だけど」

「··········」

「最近あいつのバスケを見ましたか?あいつは上手いだけじゃないだろ。俺なんかまだ一年ちょっとしか一緒に居ないし、友誠のお母さんの方が分かってると思うけど敢えて言う。今、辛うじてあいつを立たせてるのはバスケだ。でも可笑しいだろ、何もかもが可笑しいんだ」

生乾きの布団は顔を埋めたままの俺から酸素を奪い、喋る度に募る苦しさが戒めのように俺の首を絞め上げた。粘度の高い水気が、瞬きをする度睫毛に纏わり付き、重くのし掛かる。

「貴方や俺や俺の親が何を思おうとも、そんな事はどうでも良い」

「··········」

「何回だって言うよ、俺は大丈夫だ。だからっ。頼みますからっもうこれ以上、友誠に何も背負わせないでくれ」

友誠を友誠として見てくれ、嗚咽混じりの声音は俺の紛れもない本心だった。

「········愛くん」

「だから、握手しよう」

俺は布団に突っ込み続け、ぽっかぽかになった手を友誠の母へと向け、仲直りじゃない握手を求めた。

我ながら支離滅裂な言葉に自然と口角が上がってゆく。同時に友誠の母を傷付け、積極的に受難製造機になってしまった己を恥じた。人格はどうであれ、ゲームでは出番のなかった友誠の母を私情に巻き込んでしまった罪悪は拭えない。

しつこく繰り返した『大丈夫』を心の中で復唱する。すると外見が源愛の身体だからか、不思議と唱えておけば、本当に大丈夫な気さえしてきた。

「俺の事でなんか言うのはやめてください。強がりに見えるかもしれないけど、俺本当に何も思ってないし、寧ろどうでも良いから。あいつの笑った顔なんだかんだ好きだし。もう少し静かにはしてほしいけど」

「···愛くん··················そうね」

「だからっ泣かないでよ。泣くなって言って泣き止めないのも分かるけど。上手すぎると本当に自分が分からなくなっちゃうよ。俺本当に大丈夫だから、友誠がまたここに来たいって言ったら、試合に勝った報告なら聞いてやるって言っといて」

「···ありがとう、分かったわ」


全部忘れろ。全部。全部。


それはまるで、誘い惑わすように。一歩二歩と距離を狭める。

それはまるで、底の見えない沼に引き摺り込むように。強く硬く握られた。







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