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魂を震わせる愛

団地住まいの大学生だった俺

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「俺が攻略対象········」

呟いた言葉の小気味良い異質さに、思わず腹底から笑みが湧き上がる。画面に写った静止画の源愛を想像するも、どうしてもそれが自分だとは思えなかった。

「まぁ当たり前だよな」

スマホ、スマートフォンなんて新しいもの好きの友誠でさえも持っていなかった。知っていたら飛び付くに決まっている。

この世のスマホに替わる物は、16歳以上でないと持つ事が許されていない。機能はほぼ変わらないが、その使用は厳しく制限され、個人の証明が法律で義務付けられている。

あぁ知っている知っているんだ、俺は項垂れた。

俺の思い浮かべるそれは、この世には存在しないもの。この世の人間は想像も出来ないもの。想像が出来ないと言っても決してこの世界の技術水準が低いからではない。医療も福祉も前世の俺の世界と大した差はないだろう。恐らくこれは強制力。この世界の住人の意志がゲームのシナリオに引っ張られているのではないかと思う。悪趣味だ。

疑念と確信が右往左往していた俺を確信へと突き落とす。俺は源愛になってしまった。そして大切な人を傷付けた。もしかしたらこの表現も間違っているのかもしれない。気を失う前のあの一瞬、俺は確かに俺だった。


吹っ飛ぶ瞬間、鼻の奥をツンとさせたのは前世の俺の記憶だ。


似たような世界なのに目の前の両親よりも、遥かに冴えない俺の父と母。そしてキャンキャンと煩い妹に、どこからか妹が拾ってきたアライグマのような雑種の犬。団地の色んな人に頭を下げに行ってようやく飼育の許可を勝ち取ったのは俺なのに、思い出す記憶のどれもこれもが愛犬よりも家族カーストが下だったと主張する。5階まで階段を上がってようやく着く狭い家。自分の部屋など存在しない。妹に占領されていたから。しかし源愛の家族と変わらない物凄くあったかい家族だった。と記憶の補正が告げている。

鮮明に思い出される家族の顔に反して、あまり自分の顔を思い出せない。鏡を見るのも、写真を撮られるのもあまり好きではなかった。理由は簡単、地味だから。じめっとしている。よく数少ない友人に言われていた言葉だが、特に反論めいた言葉は思いつかなかった。

「名前が······思い出せない」

俺は21歳で当時、推薦で入った大学で、間も無く本格化する就職活動に勤しんでいた。

おぼつかない記憶を辿る。確か大学のリソースセンターの模擬面接でケチョンケチョンにされた帰り道だったと思う。いつもの歩道を逸れ小さな用品店で犬用の歯磨き骨を買って帰った。前日に観た飼い主を慰める犬のハートフル映画に憧れてしまったのだ。簡潔に言うと慰めて欲しかった。

今日こそお手してくないかなー、なんて考えていた時には既に俺の運命は得体のしれない方向にひん曲がっていたと思う。

『ん······?』

漆黒が広がる路地裏から、愛犬のものとは比べ物にならない唸り声と、気持ちの悪い荒い息が微かに聞こえた。得体の知れない鼓動の高鳴りと共に、今し方それが原因で顔を歪めたばかりのレジ横に貼ってあったポスターが脳裏を横切る。

気付けば走っていた。脚が勝手に動き、戸惑いを感じる前に目の前の醜い人間に飛び蹴りをしていた。

ごめんなさー!!、薄汚れた室外機が忙しなく温風を飛ばす路地裏に俺の濁声が反響した。

勘違いでも良かった。むしろ、そっちの方が数億倍良かった。しかし俺の願いも虚しく、同種のものとは思えない鈍い唸り声と共に、小さな生き物が駆ける音が響く。小さな命に向け、振り下ろされたそれはギラリと醜い光を放ち、俺の身体へと突き刺さる。

いってええ”え”え”、意図せず俺の叫びが繋がった。

―――ドスンッ

身体に受けた衝撃に気を取られ、受け身を取れずコンマ0秒で勢いよく地面に叩き付けられる。

咄嗟の事で身体を止められなかったのだろう。フードを深く被った男は、目の前の光景が理解できないのか、言葉にならない奇声を発しただ呆然と立ち尽くしていた。

『俺は何も悪くないっ俺は何も悪くないっ俺は何も悪くないっ俺は何も悪くないっ俺は何も悪くないっ俺は何も悪くないっ俺は何も悪くないっ俺は何も悪くないっ俺は何も悪くないっ俺は何も悪くないっ俺は何も悪くないっ俺は何も悪くないっお前が急に出て来たのが悪いんだっ·······ッ····ああああああ”あ”あ”あ”あ”』

いやお前が全部悪い、上手く回らぬ俺の思考は思いのほか雄弁だった。

途方もない熱さが全身に駆け巡る。熱い。気持ちが悪い。どこが熱源かが分からない。ただ全身がズキズキと熱かった。大事の時、呼吸は鼻で行う方が良いと聞いた事があった。しかし迫り上がる不快感に最早、口を閉じる事さえ叶わない。そして、俺は知っている。こういうものは、見てしまったら物凄く痛く感じると。

『おいっ警察にチクッたらぶっ殺すぞっっ』

止まる事を知らない癇癪声が無慈悲に脳味噌を揺らす。

ほぼ死にかけてる人間によくそんな事言えるな、空を切る悪態が恨めしそうに木霊した。

朦朧とする意識の中、微かに動いた指先でズボンを弄りポケットからスマホを取り出すも、鼓膜をつん裂く強烈な叫び声に思い切り踏み付けられる。汚いスニーカーが赤く染まった俺の手を執拗にすり潰した。

『クソッ何で俺がこんなめにっ』

それはこっちのセリフだ、最早恨み言を口にする余力も残されてはいなかった。

ガツガツと汚い足を振り下ろされる度に、買い換えたばかりのスマホが軽快な音を立て潰れてゆく。衝撃で飛び散る割れた液晶が画面の光に反射しキラキラと輝いた。まだローンが残っているのに。呆気ない。

荒い息が地面に転がった俺の顔に近づいてくる。男はヤニだらけの血走った目を覗かせ、まるで物を見るような視線で俺を見つめた。案の定、俺の身体から乱暴に肉を抉りながらナイフを抜き取ると、脇目も振らず繁華街へと逃げて行った。

全てが呆気ない。男の駆け足に合わせたかのように、口から鮮血が噴き出し、飛沫が地面の黒に呑み込まれてゆく。

なんじゃこりゃ、思わず言いたくなってしまったセリフが懸命に俺の口を動かした。

身体に空洞ができている。笑う以外に俺に出来ることは残されていなかった。

『····ヒューヒュー···』

どうやら肺をやられたらしい。聞いたことの無い呼吸音が暗闇の地を這う。途端、鮮血が溢れ出した。呼吸を浅くしても手を添えて塞いでみても最早止められない。すると猛烈な寒さが俺を襲った。全く騒がしい身体だ。まるで癇癪を起こした妹みたいじゃないか。諦めが良すぎる自分に思わず笑みが溢れる。

『····ヒュ、ゲ、ゲホホッ···』

あいつは自分の部屋を完全に手に入れられて喜ぶだろうか。このまま誰にも気づかれないで腐ってしまったらどうしよう。

奇天烈なロゴが描かれたビニール袋から俺を覗く犬のキャラクターが、含みのある笑みを向ける。もがき苦しむ先、排気で燻んだ星一つない夜空に俺の鼓動の停止はこの世界になんの影響をなさない。

虚しさが込み上げる。何か、何か一つでも欲すれば良かった。

あと残り数秒か、物になりかけた心と身体が最後の足掻きとばかりに癇癪を上げる。

俺は目の前にある選択肢を見えない目で見つめた。雑草の肥料になるか、嫌な顔をされ処理されるか。選択する権利を失いかけた俺は、昨日も明日も変わらずあり続ける空と向き合い、何故かそれが強烈に汚いと感じた。

『······笑っ··て、ん···じゃ、ねぇ···よ』

そして愛犬の為に買った歯磨き用の骨に手を伸ばし、俺は早々に事切れた。







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