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魂を震わせる愛

源愛は愛を背負う

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「愛」


生まれたばかりの僕を見て、父と母が呟いた。

「なんて愛しい子」母が言う。「愛している」父が言う。「あぁ私の愛し子」祖母が言う。「この子こそが愛だ」祖父が言う。

「この子は愛の根源だ」家族が口を揃えて言った。

消灯時間はとうに過ぎた、都内某病院。個室病室は異様な熱気で包まれる。高級ホテルと見間違う程の豪華な室内は、家族全員揃ったというのに、過分にスペースを余らせた。この病室の最大の売りとされる大きな窓からは、都心のきらびやかな夜景が顔を覗かせる。夜空を遮るようにベストポジションを陣取った街のシンボルが華美なライトアップを纏い自慢げにその身を輝かせるも、それを観る者は誰一人として存在しない。

産声と共に、壁紙の小花が新たな生命の誕生を祝福し、テーブルに積み上げられた数え切れない程のベビー用品が、その子に使われる事を今か今かと待ち望む。流れるように分針が回るこの部屋では、時を刻む音さえ聞こえない。しかし、誕生の日はあと数刻で終わろうとしていた。

「元気な男の子ですよ」大事なセリフを取り上げられた医師と看護婦は、ただただ異質とも言える光景を見つめ続ける事しか出来なかった。


「おとうさん」「おかあさん」「おじいちゃん」「おばあちゃん」「だいすき」「すき」「ありがとう」

5歳になるまで、家族に対して僕はこの言葉しか発した事がなかった。話せなかったわけではない。話さなかった。「万物を愛し、愛される為に生まれた子」家族は僕を全身全霊で愛し、育てた。

何かを欲する前に何かを与えられる日々。玩具や衣服を惜しげもなく買い与えられ、母の部屋は持て余した僕の物で溢れ返り、もはや物置と化している。

リビングよりも大きな子供部屋には、毎日のようにその分野で名の知れた家庭教師が足繁く僕の元へ通い、上質な教育を施した。合間を縫って、キラキラと瞳を輝かせる家族は休日問わず様々な場所に僕を連れて行き沢山のものを見せ、触れさせた。

与えられる食事は誰が作ったのかも分からない。僕の前に出される全てが、誰かに栄養バランスを整えられ、時間きっかりに何処かからか出来立てが届けられる。

起きる時間から寝る時間まで、全ての時間を分刻みで管理された。

全ては、愛すが故、愛されたいが故に。しかし僕は知っていた、与えられているものが身の丈に合っていない事を。

事実、僕は確実に家計を圧迫していた。

特別、裕福なわけでは無いが困窮しているわけでもない。いわゆる中流家庭に生まれた僕は、家でテーブルに頭をぶつけるとそれを捨てさせ、楽しそうにアニメを見ると、その日の内に大画面のテレビを設置させ、それを見ていた。また窓の外を数刻眺めてしまった日には、都心とは思えない程の大きな庭を携えた豪邸に翌日には住み移り、血統書付きの犬と広い庭で駆け回っていた。


そして、その日を機に祖父母が一緒に住む事になり、父と母の自室にはそれぞれ鍵が掛けられた。


一度、父の部屋を純粋な好奇心で覗いてしまった事がある。油断した父の隙を縫って、ほんの出来心に釣られ隠し持っていた硬貨で鍵を開けてしまった。それは、誰にも言っていない僕の秘密。小学校に入学してしばらく経った時の事だったと思う。その光景は忘れられないほどの衝撃を僕に与え途端、胸を熱くドロドロと溶かした。

家具が何も無い部屋。壁が不自然に黄ばんだ部屋。嗅いだ事の無い鼻をつん裂く臭いが、僕の脳を覚醒させる。

踏み場の無いフローリングの中心には、栄養ドリンクと簡易栄養食が買い溜めされた段ボールの山。目を凝らすと、その上に薄い布団が敷かれベッドの役割を果たしていた。汚い。その事実はあまりにも衝撃だった。そこら中に散らばるエナジードリンクやコンビニ弁当の空ゴミが灰皿の役割を担い、黒ずんだ床を無意味に灰で汚す。床に投げ捨てられたスーツやシャツには、踏み跡がくっきりと残り、それが二三日の出来事ではない事を告げていた。

僕の為にこんなになるまで頑張ってくれているんだ、ありがとう父さん。僕は本当に愛されているんだ。心の底からそう思った。

美しい、尊い、僕が言う。

俺が父さんを苦しめているんだ。俺が何も言わないから父さんが傷付いているんだ。こんなに父さんを追い込んでしまっていたのか。俺は本当に厄だ。心の底からそう思った。

汚い、醜い、俺が言う。

ぐわんぐわんと激しい頭痛に襲われる。冷や汗が止まらない。嬉しい。怖い。愛しい。カタカタと小さな身体が震える。対極の感情が脳裏をぐるぐると回り、僕の心を大きく揺さぶった。

その時、確かに頭の中の俺が言ったんだ。



『お前は呪いだ』



隈が出来ると父はコンシーラーでその跡を隠し、母は僕が寝ている間に夜の仕事をしている。祖父祖母は先祖代々守ってきた長屋を早々に売りに出し、今は1階の客間でひっそりと暮らしていた。血統書付きの花丸に至っては、僕の食べ残しが一番のご馳走になっている。日に日に疲弊してゆく家族。しかし、僕の前では綺麗な服で着飾り、身なりが常に整えられている。いつも笑顔の家族。一部の隙も無い家族。健気で愛らしい僕の家族。僕は何も言えなかった。愛すが故、愛されたいが故に。


これは愛、きっと愛なんだ。


この時からだろうか、温かいと思っていたものが偽物だと思うようになってしまったのは。



それは、鏡で自分を見る度に思う事だった。


「愛される要素が無い」「僕は愛じゃない」「誰も僕を愛してはくれない」


ごく偶に、説明のし難いカリスマ性のようなものを持って生まれてくる人間がいる事は分かる。無条件で人を惹きつける人間。その場に居るだけで人を幸せにする人間。容姿端麗、才色兼備、文武両道、十全十美、完全無欠。それらの人間はこのような言葉で例えられる。非の打ち所がない人種。出会える事さえ稀な人種。


僕はと言うと、平々凡々。以上。完結。


そんな僕が分不相応な名前を賜ってしまったばっかりに、家族を困らせてしまっている。この成恩に報いる方法がまるで分からない。容姿が飛び抜けて良い訳でも、虜にする程に愛嬌のある笑顔を持っているわけでもない。ましてや、いくら良い教育を早くから受けさせて貰っているとは言え、自慢できる程の特別に突出した才があるわけでもなかった。

「あぁ」

気付けば僕は祈っていた。

「なにか一つ、一つで良いんだ」

見下ろした先、そこにはあまりにも小さい手があった。何も掬えない小さな手だ。何も掴めやしない小さな手だ。

「なにか一つ、あぁそうか」

無理矢理に長所をあげるなら、ミミズいわゆる下手物と扱われるものへの免疫が高いくらいだろうか。自分を卑下し過ぎるのもどうかと思うが、こればかりはどうしようもない。全くもって、しょうもなさ過ぎる。そんな事もあって花壇の花担当は僕だった。僕の唯一家族の為に出来る事。それが、庭の手入れだ。毎朝父と母は三歩下がった場所で、笑顔を引きつらせながら僕の様子を見つめる。

「君は凄い子だね」

ポピーの根元に居たミミズにひっそりと話しかける。土を探しうねうねと僕の手の甲を這うそれは、目も無いのに土を探り当て、居るだけで土を良くしてくれる。知らぬうちに養分を作り、土を柔らかくし、水と養分を隅々まで行き渡らせ、花を強く美しく咲かせてくれる。


「まるで真逆だ」


僕は家族の役に立てているのだろうか。否。目を背けているだけで、歪みを作っているのは紛れもない僕だ。段々と眼鏡が乾き、ぼんやりと視界が歪む。鋭い日光が僕を責めるように肌に突き刺さった。

ただ、五体満足で人よりちょっと身体が頑丈に生まれてきただけ。それが最高にして、最大の恩恵だと人は言うだろう。僕だってそう思う。別の家庭に生まれていれば、もしかしたら元気なんて名前になっていたかもしれない。しかし僕は源愛として生を受けた。愛さなければ、愛されなければならないのだ。

無条件に愛されるなんて有り得ない。

僕はみんなにあげられるものが何も無かった。僕は何も持っていない。

「役に立たなければ」

いつからか、気が付けば身を刻むようになっていた。人はそれを自己犠牲と言うらしい。しかし当然なのだ。僕こそがこの世で唯一の愛なのだから。だから全ての不幸を被る。それくらいしか僕には出来ない。当たり前なんだ。僕が愛なのだから。僕が生きている限り、無限に無償の愛を万物に与え続ける。それが僕。


「みんなが愛を愛しているよ」父と母と祖父母が、今日も愛おしそうに僕にくり返し呟くんだ。












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