上 下
29 / 75
第二章:ベル・ガンドール

29・西の魔の森へ

しおりを挟む


「さぁ、ベル・ガンドール。僕と僕の愛するベルのために、ここで死んでくれ」

 トマスがそう言うと、メイドだと思っていた女性がクスリと笑った。
 ベルって、この女性の事? 私と同じ名前なの?

「さようなら、ベル・ガンドール」

 トマスは再びナイフを振り上げた。
 今度は薙ぎ払うのではなく、振り下ろされて、顔を庇った私の左腕を切り付けた。
 血が飛び散る。傷つけられた腕が痛い。

「お願い、止めてっ……」

「はは、駄目だよ。死んでくれっ!」

 このままだと、本当に殺されてしまう、と私は思った。
 私と同じ名前らしい女性は、ナイフを振り回すトマスの後ろで、楽しそうに笑っていた。
 この状況を止めに来ないという事は、馭者の男もグルなのだろう。

 でも本当に、一体どういう事なの?
 私とトマスの結婚は、オウンドーラ王とギルベルトお父さんの間で交わされた契約でもあったはず。
 それなら、今私がトマスに殺されそうになっている事は、オウンドーラ王も知っているという事なの?
 ギルベルトお父さんは、オウンドーラ王に騙されたっていう事なの?

「ふふふ、逃げないで、このナイフに刺されて、大人しく死んでおくれよ」

 私はトマスのナイフを、必死に避けていた。
 だけど、ここは狭い馬車の中。
 いくらトマスの運動神経が悪くても、避け続けるのも限界があった。
 このまま馬車の中に居れば、いずれ殺されてしまうだろう。
 そして哀れな私の亡骸は、この西の森の中に捨てられて、魔物に食べられて骨の欠片さえ残らないのだろう。

 私が生き残るためには、逃げなくてはならない。
 でも、逃げるって、一体どこへ?
 この人たちが、追いかけてこない所。
 そんなところ、この西の森の中しか、思い浮かばなかった。

「行くしか、ないっ……」

 私は馬車の扉を開けて、外に飛び出した。
 だけど、着地する時に派手に転んでしまう。
 トマスに大笑いされて腹が立ったし、転んだ時に地面に打ち付けた膝がとても痛かったけれど、私は必死に立ち上がって逃げ出した。

「くそ、待て!」

 トマスが追いかけてくる気配がしたけれど、すぐにそれはなくなり、馬車が動き出して遠ざかっていく音が聞こえた。
 追いかけて来なかったのは、西の森の魔物の気配に気づいたからだろう。
 トマスたちはきっと、慌ててここを離れたのだ。
 私を囮に、ここへ置き去りにして。
 だから私は、トマスたちから命を狙われる事はなくなったけれど、今度は魔物たちから命を狙われる事になってしまった。
しおりを挟む
感想 5

あなたにおすすめの小説

断る――――前にもそう言ったはずだ

鈴宮(すずみや)
恋愛
「寝室を分けませんか?」  結婚して三年。王太子エルネストと妃モニカの間にはまだ子供が居ない。  周囲からは『そろそろ側妃を』という声が上がっているものの、彼はモニカと寝室を分けることを拒んでいる。  けれど、エルネストはいつだって、モニカにだけ冷たかった。  他の人々に向けられる優しい言葉、笑顔が彼女に向けられることない。 (わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)  そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。  ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。  そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?

この度、皆さんの予想通り婚約者候補から外れることになりました。ですが、すぐに結婚することになりました。

鶯埜 餡
恋愛
 ある事件のせいでいろいろ言われながらも国王夫妻の働きかけで王太子の婚約者候補となったシャルロッテ。  しかし当の王太子ルドウィックはアリアナという男爵令嬢にべったり。噂好きな貴族たちはシャルロッテに婚約者候補から外れるのではないかと言っていたが

英国紳士の熱い抱擁に、今にも腰が砕けそうです

坂合奏
恋愛
「I love much more than you think(君が思っているよりは、愛しているよ)」  祖母の策略によって、冷徹上司であるイギリス人のジャン・ブラウンと婚約することになってしまった、二十八歳の清水萌衣。  こんな男と結婚してしまったら、この先人生お先真っ暗だと思いきや、意外にもジャンは恋人に甘々の男で……。  あまりの熱い抱擁に、今にも腰が砕けそうです。   ※物語の都合で軽い性描写が2~3ページほどあります。

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

月の後宮~孤高の皇帝の寵姫~

真木
恋愛
新皇帝セルヴィウスが即位の日に閨に引きずり込んだのは、まだ十三歳の皇妹セシルだった。大好きだった兄皇帝の突然の行為に混乱し、心を閉ざすセシル。それから十年後、セシルの心が見えないまま、セルヴィウスはある決断をすることになるのだが……。

つまらなかった乙女ゲームに転生しちゃったので、サクッと終わらすことにしました

蒼羽咲
ファンタジー
つまらなかった乙女ゲームに転生⁈ 絵に惚れ込み、一目惚れキャラのためにハードまで買ったが内容が超つまらなかった残念な乙女ゲームに転生してしまった。 絵は超好みだ。内容はご都合主義の聖女なお花畑主人公。攻略イケメンも顔は良いがちょろい対象ばかり。てこたぁ逆にめちゃくちゃ住み心地のいい場所になるのでは⁈と気づき、テンションが一気に上がる!! 聖女など面倒な事はする気はない!サクッと攻略終わらせてぐーたら生活をGETするぞ! ご都合主義ならチョロい!と、野望を胸に動き出す!! +++++ ・重複投稿・土曜配信 (たま~に水曜…不定期更新)

タイムリープ〜悪女の烙印を押された私はもう二度と失敗しない

結城芙由奈@12/27電子書籍配信中
恋愛
<もうあなた方の事は信じません>―私が二度目の人生を生きている事は誰にも内緒― 私の名前はアイリス・イリヤ。王太子の婚約者だった。2年越しにようやく迎えた婚約式の発表の日、何故か<私>は大観衆の中にいた。そして婚約者である王太子の側に立っていたのは彼に付きまとっていたクラスメイト。この国の国王陛下は告げた。 「アイリス・イリヤとの婚約を解消し、ここにいるタバサ・オルフェンを王太子の婚約者とする!」 その場で身に覚えの無い罪で悪女として捕らえられた私は島流しに遭い、寂しい晩年を迎えた・・・はずが、守護神の力で何故か婚約式発表の2年前に逆戻り。タイムリープの力ともう一つの力を手に入れた二度目の人生。目の前には私を騙した人達がいる。もう騙されない。同じ失敗は繰り返さないと私は心に誓った。 ※カクヨム・小説家になろうにも掲載しています

にせかの〜脚本家見習い家政婦はイケメン俳優と同居中。ご主人様、この恋は時給発生しますか?〜【加筆修正版】

いとくめ
恋愛
脚本家見習い家政婦はイケメン俳優と同居中。 ご主人様、この恋は時給発生しますか? 訳あって住み込み家政婦として働くことになった脚本家見習いのかのこ。 彼女の雇い主は、神経質で口うるさいワケあり俳優だった。 金欠のかのこは、お金のために彼の妻になりすます「にせ妻」業務も引き受けることに。 横暴なご主人様に反発するかのこだったが、何故か彼のことが気になってしまい・・・。 にせ妻かのこの恋が成就する日は来るのか? じれったい恋愛小説。 この物語はフィクションです。実在の人物・団体・事件などには一切関係ありません。 ※旧作を加筆修正しながら投稿していく予定です。 ※タイトル変更しました。

処理中です...