西園寺家の末娘

明衣令央

文字の大きさ
上 下
106 / 115
第6章:不和

9・大樹さんの怒り

しおりを挟む
「それと、はるかさん」

 もう喋らないという意思表示を破られ、しかたなく目を開ける。「珍しい」が続いたからだ。普段であれば、岩見はそう何度もレールを外さない。

「ちょっとしたお願いなんですけど、いいですか」

 けれど、ミラーに映る岩見の表情はいつもどおりのものだった。その調子で淡々と時東に告げてよこす。

「しばらく行くのやめてください。その、はるかさんがお邪魔してる食堂」
「なんで?」

 笑顔が剥がれかけたことを自覚したまま、問いかける。なんでそんなことを言われないといけないのか、まったく意味がわからなかった。

「ご存じないならご存知ないでいいと思うんですけどね。はるかさんの責任ではないですし。ただ、揉めるとちょっとよろしくないので。このご時世、ネット発信の情報は怖いですから。炎上、拡散」
「いや、だから、岩見ちゃん。話が見えないんだけど」
「まぁ、大炎上してるのは、はるかさんの自称ファンのほうなんですけどね。食堂はとばっちりというか、気の毒がられているというか」
「だから!」

 読めない話に声を尖らせると、岩見が瞳を瞬かせた。

「あれ、珍しいですね。はるかさんが声を荒げるの」
「……岩見ちゃんが、まどろっこしい言い方するからでしょ」
「はるかさん、エゴサしないですもんね。いや、しないほうがいいと思うんで、それはいいんですけど」

 あくまでものんびりとした口調を崩さない岩見に、しびれを切らしてスマートフォンを手に取る。
 自分の名前で検索はしない、と。随分前から時東は決めている。
 見たくないものを見てメンタルを崩すなんて馬鹿らしいし、なにを撮られようとも、なにを書かれようとも、どうでもいいと思っていたからだ。

「はるかさんの名前とその食堂の名前で検索したら、引っかかるんじゃないですかね。まぁ、はるかさんは本当に悪くないと思いますけど。知らないってことは、お相手もはるかさんに物申すつもりはないんでしょうし」

 事務所に守られた、手の届かない芸能人の時東はるかには、影響はない。だから、どうでもいいと傲慢に思っていた。でも。
 なにが嘘でなにが本当なのかもわからない、文字と画像の羅列。ただひとつはっきりとしていることは迷惑をかけたということだった。
 じっと画面を見つめたまま、時東は小さく息を吐いた。

 ――怒ってる、かな。それとも、悲しんでるかな。

 けれど、悲しんでいるという表現は、自分の知る彼と合わないな。そう思い直した直後、いつかの夜に見た静かな横顔を思い出した。ぐっと胸が詰まる。
 そうやって、ひとりですべてをなかったことにするのだろうか。それとも、彼の傍にいる幼馴染みが彼を癒すのだろうか。

 逢いたい、と思った。謝罪を告げたい気持ちも、罪悪感ももちろんある。だが、逢いたいという欲求のほうが強かった。こんなふうだから、自分は駄目なのだ。声にならない声で笑う。
 いつも、いつも。自分のことばかりで余裕がない。五年をかけて、大人になったふりで、余裕があるように見せかけることはうまくなった。けれど、それだけだ。根本的なところは、きっとなにも変わっていない。

 ――俺はおまえが嫌いだ。もう無理だ。だから勝手にしろよ。勝手に一人でやってくれ。俺も美波も、おまえと一緒にやっていけない。

 あの当時の記憶と一緒に封印した声が、数年ぶりに鼓膜の内側から響いた。スマートフォンを閉じて、顔を上げる。

「南さん、俺の連絡先、知らないもん」
「あ、そうなんですか」
「俺も知らない」
「えぇ? 合鍵持っていて、お家に置いてもらっていて、連絡先なにも知らないんですか? ラインとか……、知らなそうですね、すみません」

 勝手に納得して謝ったものの、岩見の声は笑っている。

「なんか、いつものはるかさんで安心しました。なにをそんなにその食堂に肩入れしてるのかなって、ちょっと不安だったんですけど。いつもどおりでしたね」

 いつもどおり。普段だったらなにも思わないそれに、妙にカチンときてしまった。

「いつもの俺って、なに?」

 いつもどおり。笑顔で遠ざけて、壁を作って、特定の誰とも親しくせず、誰とも連絡先を交換せず、だから、行き詰っても、相談できる誰かもいない。
 自分のせいで迷惑をかけただろう相手にさえ、ドライな距離を保ち続ける。それがいつもどおりの時東はるか、か。

「はるかさん」

 宥める呼びかけに、時東は我に返った。どうかしているのは、今の自分だ。いつもどおりを貫けなくなろうとしている。

「僕の発言が気に障ったのなら謝りますけど。予定キャンセルとか、無理なこと言い出さないでくださいね」

 そんなことはできるわけがないと承知している。意識して、時東は深く息を吐いた。そうしてから、にこりとほほえむ。

「言うわけないって。今日は夜まで生放送。明日も朝から収録二本。それに、どう考えても、俺が今押しかけたほうが迷惑でしょ。岩見ちゃんが言ったとおり」
「ですよね。うん、そう思います」
「落ち着いたころに菓子折りでも持っていこうかな。いらないって言われちゃいそうだけど」

 岩見のほっとした相槌に軽口を返し、時東はもう一度目を閉じた。いつもどおり。自分は、南の家にいるときも、いつもどおりなのだろうか。
 安らぐ。落ち着く。安心できる。実家のことを評しているような感想だ。だが、そうなのだ。あの場所が、自分は好きだ。あの人のいる、あの場所が。どうしようもなく好きになってしまっている。
 否定して、否定して、有り得ないと嘲って、けれど、すとんと染み入ってしまうのだ。
 もうすでに身体の一部になったみたいだ。あの人は、間違いなく、自分の中の特別な枠組みに入っている。
 それがどういった枠組みなのかは、わからないけれど。
しおりを挟む
感想 2

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

冤罪だと誰も信じてくれず追い詰められた僕、濡れ衣が明るみになったけど今更仲直りなんてできない

一本橋
恋愛
女子の体操着を盗んだという身に覚えのない罪を着せられ、僕は皆の信頼を失った。 クラスメイトからは日常的に罵倒を浴びせられ、向けられるのは蔑みの目。 さらに、信じていた初恋だった女友達でさえ僕を見限った。 両親からは拒絶され、姉からもいないものと扱われる日々。 ……だが、転機は訪れる。冤罪だった事が明かになったのだ。 それを機に、今まで僕を蔑ろに扱った人達から次々と謝罪の声が。 皆は僕と関係を戻したいみたいだけど、今更仲直りなんてできない。 ※小説家になろう、カクヨムと同時に投稿しています。

元おっさんの俺、公爵家嫡男に転生~普通にしてるだけなのに、次々と問題が降りかかってくる~

おとら@ 書籍発売中
ファンタジー
アルカディア王国の公爵家嫡男であるアレク(十六歳)はある日突然、前触れもなく前世の記憶を蘇らせる。 どうやら、それまでの自分はグータラ生活を送っていて、ろくでもない評判のようだ。 そんな中、アラフォー社畜だった前世の記憶が蘇り混乱しつつも、今の生活に慣れようとするが……。 その行動は以前とは違く見え、色々と勘違いをされる羽目に。 その結果、様々な女性に迫られることになる。 元婚約者にしてツンデレ王女、専属メイドのお調子者エルフ、決闘を仕掛けてくるクーデレ竜人姫、世話をすることなったドジっ子犬耳娘など……。 「ハーレムは嫌だァァァァ! どうしてこうなった!?」 今日も、そんな彼の悲鳴が響き渡る。

【完結】兄の事を皆が期待していたので僕は離れます

まりぃべる
ファンタジー
一つ年上の兄は、国の為にと言われて意気揚々と村を離れた。お伽話にある、奇跡の聖人だと幼き頃より誰からも言われていた為、それは必然だと。 貧しい村で育った弟は、小さな頃より家の事を兄の分までせねばならず、兄は素晴らしい人物で対して自分は凡人であると思い込まされ、自分は必要ないのだからと弟は村を離れる事にした。 そんな弟が、自分を必要としてくれる人に会い、幸せを掴むお話。 ☆まりぃべるの世界観です。緩い設定で、現実世界とは違う部分も多々ありますがそこをあえて楽しんでいただけると幸いです。 ☆現実世界にも同じような名前、地名、言葉などがありますが、関係ありません。

「魔王のいない世界には勇者は必要ない」と王家に追い出されたので自由に旅をしながら可愛い嫁を探すことにしました

夢幻の翼
ファンタジー
「魔王軍も壊滅したし、もう勇者いらないよね」  命をかけて戦った俺(勇者)に対して魔王討伐の報酬を出し渋る横暴な扱いをする国王。  本当ならばその場で暴れてやりたかったが今後の事を考えて必死に自制心を保ちながら会見を終えた。  元勇者として通常では信じられないほどの能力を習得していた僕は腐った国王を持つ国に見切りをつけて他国へ亡命することを決意する。  その際に思いついた嫌がらせを国王にした俺はスッキリした気持ちで隣町まで駆け抜けた。  しかし、気持ちの整理はついたが懐の寒かった俺は冒険者として生計をたてるために冒険者ギルドを訪れたがもともと勇者として経験値を爆あげしていた僕は無事にランクを認められ、それを期に国外へと向かう訳あり商人の護衛として旅にでることになった。 といった序盤ストーリーとなっております。 追放あり、プチだけどざまぁあり、バトルにほのぼの、感動と恋愛までを詰め込んだ物語となる予定です。 5月30日までは毎日2回更新を予定しています。 それ以降はストック尽きるまで毎日1回更新となります。

婚約破棄騒動に巻き込まれたモブですが……

こうじ
ファンタジー
『あ、終わった……』王太子の取り巻きの1人であるシューラは人生が詰んだのを感じた。王太子と公爵令嬢の婚約破棄騒動に巻き込まれた結果、全てを失う事になってしまったシューラ、これは元貴族令息のやり直しの物語である。

不貞の子を身籠ったと夫に追い出されました。生まれた子供は『精霊のいとし子』のようです。

桧山 紗綺
恋愛
【完結】嫁いで5年。子供を身籠ったら追い出されました。不貞なんてしていないと言っても聞く耳をもちません。生まれた子は間違いなく夫の子です。夫の子……ですが。 私、離婚された方が良いのではないでしょうか。 戻ってきた実家で子供たちと幸せに暮らしていきます。 『精霊のいとし子』と呼ばれる存在を授かった主人公の、可愛い子供たちとの暮らしと新しい恋とか愛とかのお話です。 ※※番外編も完結しました。番外編は色々な視点で書いてます。 時系列も結構バラバラに本編の間の話や本編後の色々な出来事を書きました。 一通り主人公の周りの視点で書けたかな、と。 番外編の方が本編よりも長いです。 気がついたら10万文字を超えていました。 随分と長くなりましたが、お付き合いくださってありがとうございました!

英雄一家は国を去る【一話完結】

青緑
ファンタジー
婚約者との舞踏会中、火急の知らせにより領地へ帰り、3年かけて魔物大発生を収めたテレジア。3年振りに王都へ戻ったが、国の一大事から護った一家へ言い渡されたのは、テレジアの婚約破棄だった。

処理中です...