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明日を望む場所
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翌日。お礼かたがた辰之介さんとのことを報告しに、蓮花さんのお店を訪問した。八雲さん作のジンジャーブレッドマンを手土産にして。
「和颯、酔うと泣き上戸になるの。八雲も朔も大変だったでしょうね、面倒くさくて」
箸が転んでも泣くのよ、と数々の泥酔エピソードを教えてもらい、ヒヅキヤに戻る。ドアをひらくなり目に飛びこんできたのは、青い顔の朔くんだった。
「おかえり。そのへんで八雲見てないか」
「見てないけど、どうしたの」
「やばい、帰ってこない……」
おやつのあと買い出しに行ったきり、かれこれ二時間以上たっているそうだ。八雲さんはスマホを持っていない。こちらから連絡のとりようがない。
「まさか事故とかじゃないよね」
「わかんない。探したほうがいいよな」
出ていこうとする朔くんを、和颯さんがひきとめる。
「まあ待て。闇雲に探したって行き違いになるかもしれない。こういうときの俺だ」
SNSなどを駆使し知人らに呼びかける。人脈はダテじゃない。ほどなくしてスマホが反応する。
「野毛で見たってやつがいるぞ」
それを皮きりに、ぽつぽつ情報がはいってきた。みなとみらい、中華街、元町……。
「電車に乗ってるかんじでもなさそうだ。徒歩圏内。案外、近くにいるんじゃないか」
和颯さんの見解で思いつく。
「ちょっと行ってきてもいいですか」
「ひよちゃん、心あたりでもあるのか」
「そういうわけでもないんですが……」
確信がもてず言いよどんでしまったが、和颯さんは私の案を却下することなく、
「よし、頼んだ。なにかわかったら、こっちもすぐ連絡する」
二人に見送られヒヅキヤを出る。一か八かで向かったのは山下公園。はやる気持ちに呼応し、歩く速度があがっていき――芝生広場の付近。ライトアップされた氷川丸を眺める八雲さんをベンチで見つけたときには、ほとんど走っていた。
「あ、日和さん。どうしたんですか」
駆けよる私に気づき、笑顔をみせる。日ごろの運動不足がたたり、呼吸が乱れて即座に返事ができない。
「大丈夫ですか。ここ座ってください」
すすめられるまま、隣に。
「買い物の前にあちこち歩きまわったら疲れてしまって。ちょっと休憩したらスーパー行ってきます。遅くなってすみません」
事情を聞きつつ、とり急ぎ和颯さんに『発見、確保』とメッセージを送る。息が整い、やっとこ普通に喋れるようになって理由を問う。
「どうして歩きまわってたんですか」
「日和さんが話してくれた場所、急に見てみたくなったんです。けど、全部まわれませんでした。スマホないから、道とかもよくわからなくて」
予想どおり。やっぱり、私がでかけた場所を巡っていたのか。
「明日、晴れたらでかけますか。案内しますよ。どこがいいですか」
「ありがとうございます。じゃあ、山下公園で」
「……今、いますよ?」
「昼間の山下公園も見たいです」
これまで誘いをことごとく断ってきた八雲さんだ、最初で最後のリクエストかもしれない。
「わかりました。そうしましょう」
「よかった。僕、ここで時雨さんと出会ったんで大好きな場所なんです。お腹すいてたしお金もなかったんで、とても助かりました」
当時の八雲さんは失業し、身一つで家をとびだしたそうだ。なけなしの手持ちで、母親との唯一の思い出がある、横浜でバラの咲く場所をめざして。あとさき考えない行動にでた原因までは語られなかったが、温和なこの人がそんな暴挙にでたからには相当なことがあったのだろう。
「ヒヅキヤに来るまでは一日が始まるのが憂鬱だったんです。でも今は、毎日が新しくて楽しいです。起きて、ごはん作って、おやつ作って、寝て。同じことくり返してるだけなのに変ですよね」
困ったように眉をさげたけれど、その笑顔にはまじりけがない。
「そんなことないです。私もです。ヒヅキヤに来てから楽しくて……」
真情であるはずなのに、八雲さんみたいに笑えない。それどころか、まぎれていた胸のもやもやがぶり返す。
「けど私は、八雲さんみたく料理ができるわけでもなければ、和颯さんみたく器用でも人脈があるわけでもないです。朔くんみたく目標や将来があるわけでもないですし」
言えば言うほど、どつぼ。
「そのうえ仕事もないし、お金もないし、特技もないし。なんにもないですよ、ほんとに……」
あーあ、やらかした。こんなの聞かされたって「知らんし」ってなるよね。確実にうんざりされたわ。
おそるおそる横目で見る。と予想に反し、八雲さんは嬉しそうに私の手をとり、
「日和さん、すごいです! なんにもないのに、みんなに好かれてて!」
「えっ、いや、はい、ありがとうございます……?」
あれ? 私、褒められてるの? けなされてるの?
「料理できなかったときの僕なんて、誰も相手にしてくれませんでした。でも日和さんは、いてくれるだけで楽しいです! 本当にすごいです!」
今度は私が大きく瞬く。そんな返しがくるとは思ってもみなかった。
互いに顔を見あわせる。八雲さんの目が温和な形になった。最初に会ったときから変わらない、不思議と心を和らげるほほえみで。
「日和さんが日和さんなら、僕はそれでいいです」
時間がとまる、という感覚を生まれてはじめて知る。それから視界のあらゆるものがぼやけて、喉の奥が熱くなった。ぽろぽろぽろ。涙がこぼれ落ちて、とまらない。
「どうしたんですか? お腹すきましたか? すぐスーパー行って、ごはん作りますから、泣かないでください」
この状況でそんなふうに思われるなんて。私どんだけ食いしん坊モンスターだよ。
「嬉しかったんですよ、八雲さんの言ってくれたことが」
「えっ、そうなんですか。気づきませんでした」
「あと、これからは急にいなくなったりしないでください。みんな心配してます」
「わかりました。そうします。すみません」
そういって海のほうに向きなおる。ふふっと笑った息が白い花になる。
「僕には心配してくれる人がいたんですね」
「いますよ。私も、和颯さんも、朔くんも。蓮花さんや辰之介さんだって」
「嬉しいです。時雨さんの言ったことは本当でした」
当初、八雲さんは早めにヒヅキヤをでていくつもりだったそうだ。迷惑にならないうちにと思ったのもあるが、自分のようなできそこない(嫌な言葉だ)は、どこだろうと受けいれてもらえるはずがないと諦めて。
『ここは開港以来、さまざまな人やものを受けいれてきた懐の深い土地だよ。だから、なんにも心配することないよ』
心情を聞いた時雨さんはそういって励ましてくれた、と八雲さんは語る。
「僕、ここに来てよかったです。みんなと出会えて」
遠くをのぞむ横顔に、とくだん表情はない。けれども、それはバリアの解除された真実の八雲さんであるように思えて、私もしみじみ同じ気持ちを噛みしめた。
「和颯、酔うと泣き上戸になるの。八雲も朔も大変だったでしょうね、面倒くさくて」
箸が転んでも泣くのよ、と数々の泥酔エピソードを教えてもらい、ヒヅキヤに戻る。ドアをひらくなり目に飛びこんできたのは、青い顔の朔くんだった。
「おかえり。そのへんで八雲見てないか」
「見てないけど、どうしたの」
「やばい、帰ってこない……」
おやつのあと買い出しに行ったきり、かれこれ二時間以上たっているそうだ。八雲さんはスマホを持っていない。こちらから連絡のとりようがない。
「まさか事故とかじゃないよね」
「わかんない。探したほうがいいよな」
出ていこうとする朔くんを、和颯さんがひきとめる。
「まあ待て。闇雲に探したって行き違いになるかもしれない。こういうときの俺だ」
SNSなどを駆使し知人らに呼びかける。人脈はダテじゃない。ほどなくしてスマホが反応する。
「野毛で見たってやつがいるぞ」
それを皮きりに、ぽつぽつ情報がはいってきた。みなとみらい、中華街、元町……。
「電車に乗ってるかんじでもなさそうだ。徒歩圏内。案外、近くにいるんじゃないか」
和颯さんの見解で思いつく。
「ちょっと行ってきてもいいですか」
「ひよちゃん、心あたりでもあるのか」
「そういうわけでもないんですが……」
確信がもてず言いよどんでしまったが、和颯さんは私の案を却下することなく、
「よし、頼んだ。なにかわかったら、こっちもすぐ連絡する」
二人に見送られヒヅキヤを出る。一か八かで向かったのは山下公園。はやる気持ちに呼応し、歩く速度があがっていき――芝生広場の付近。ライトアップされた氷川丸を眺める八雲さんをベンチで見つけたときには、ほとんど走っていた。
「あ、日和さん。どうしたんですか」
駆けよる私に気づき、笑顔をみせる。日ごろの運動不足がたたり、呼吸が乱れて即座に返事ができない。
「大丈夫ですか。ここ座ってください」
すすめられるまま、隣に。
「買い物の前にあちこち歩きまわったら疲れてしまって。ちょっと休憩したらスーパー行ってきます。遅くなってすみません」
事情を聞きつつ、とり急ぎ和颯さんに『発見、確保』とメッセージを送る。息が整い、やっとこ普通に喋れるようになって理由を問う。
「どうして歩きまわってたんですか」
「日和さんが話してくれた場所、急に見てみたくなったんです。けど、全部まわれませんでした。スマホないから、道とかもよくわからなくて」
予想どおり。やっぱり、私がでかけた場所を巡っていたのか。
「明日、晴れたらでかけますか。案内しますよ。どこがいいですか」
「ありがとうございます。じゃあ、山下公園で」
「……今、いますよ?」
「昼間の山下公園も見たいです」
これまで誘いをことごとく断ってきた八雲さんだ、最初で最後のリクエストかもしれない。
「わかりました。そうしましょう」
「よかった。僕、ここで時雨さんと出会ったんで大好きな場所なんです。お腹すいてたしお金もなかったんで、とても助かりました」
当時の八雲さんは失業し、身一つで家をとびだしたそうだ。なけなしの手持ちで、母親との唯一の思い出がある、横浜でバラの咲く場所をめざして。あとさき考えない行動にでた原因までは語られなかったが、温和なこの人がそんな暴挙にでたからには相当なことがあったのだろう。
「ヒヅキヤに来るまでは一日が始まるのが憂鬱だったんです。でも今は、毎日が新しくて楽しいです。起きて、ごはん作って、おやつ作って、寝て。同じことくり返してるだけなのに変ですよね」
困ったように眉をさげたけれど、その笑顔にはまじりけがない。
「そんなことないです。私もです。ヒヅキヤに来てから楽しくて……」
真情であるはずなのに、八雲さんみたいに笑えない。それどころか、まぎれていた胸のもやもやがぶり返す。
「けど私は、八雲さんみたく料理ができるわけでもなければ、和颯さんみたく器用でも人脈があるわけでもないです。朔くんみたく目標や将来があるわけでもないですし」
言えば言うほど、どつぼ。
「そのうえ仕事もないし、お金もないし、特技もないし。なんにもないですよ、ほんとに……」
あーあ、やらかした。こんなの聞かされたって「知らんし」ってなるよね。確実にうんざりされたわ。
おそるおそる横目で見る。と予想に反し、八雲さんは嬉しそうに私の手をとり、
「日和さん、すごいです! なんにもないのに、みんなに好かれてて!」
「えっ、いや、はい、ありがとうございます……?」
あれ? 私、褒められてるの? けなされてるの?
「料理できなかったときの僕なんて、誰も相手にしてくれませんでした。でも日和さんは、いてくれるだけで楽しいです! 本当にすごいです!」
今度は私が大きく瞬く。そんな返しがくるとは思ってもみなかった。
互いに顔を見あわせる。八雲さんの目が温和な形になった。最初に会ったときから変わらない、不思議と心を和らげるほほえみで。
「日和さんが日和さんなら、僕はそれでいいです」
時間がとまる、という感覚を生まれてはじめて知る。それから視界のあらゆるものがぼやけて、喉の奥が熱くなった。ぽろぽろぽろ。涙がこぼれ落ちて、とまらない。
「どうしたんですか? お腹すきましたか? すぐスーパー行って、ごはん作りますから、泣かないでください」
この状況でそんなふうに思われるなんて。私どんだけ食いしん坊モンスターだよ。
「嬉しかったんですよ、八雲さんの言ってくれたことが」
「えっ、そうなんですか。気づきませんでした」
「あと、これからは急にいなくなったりしないでください。みんな心配してます」
「わかりました。そうします。すみません」
そういって海のほうに向きなおる。ふふっと笑った息が白い花になる。
「僕には心配してくれる人がいたんですね」
「いますよ。私も、和颯さんも、朔くんも。蓮花さんや辰之介さんだって」
「嬉しいです。時雨さんの言ったことは本当でした」
当初、八雲さんは早めにヒヅキヤをでていくつもりだったそうだ。迷惑にならないうちにと思ったのもあるが、自分のようなできそこない(嫌な言葉だ)は、どこだろうと受けいれてもらえるはずがないと諦めて。
『ここは開港以来、さまざまな人やものを受けいれてきた懐の深い土地だよ。だから、なんにも心配することないよ』
心情を聞いた時雨さんはそういって励ましてくれた、と八雲さんは語る。
「僕、ここに来てよかったです。みんなと出会えて」
遠くをのぞむ横顔に、とくだん表情はない。けれども、それはバリアの解除された真実の八雲さんであるように思えて、私もしみじみ同じ気持ちを噛みしめた。
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