山下町は福楽日和

真山マロウ

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明日を望む場所

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「で、そんなに悩んでるってわけね」
「はい。仕事探しが難航してるのはいいんです、覚悟してましたから。けど、メンタル面が深刻で」

 翌々日。蓮花さんのお店に、おすそわけの茶葉をもらいにいく。和颯さんとのいざこざもおさまってヒヅキヤを訪れるようになってはいたが、ここ数日のもやつきを相談したくて私からでむいた。

「余裕がないと、たいていそうなるものでしょう。しかたないわよ」

 愚痴だらけな話にも、蓮花さんは耳をかたむけてくれる。私はありがたいが、聞かされるほうは災難。麻衣ちゃん、あのアプリの企画、早く通してくんないかな。これ以上まわりに迷惑かけないようにしたいよ。

 ため息。目の前のボックスから、わずかにあたたかさの残る白い塊を一つとる。本日持参した八雲さんお手製おやつは点心二種。小ぶりとはいえ、すでに蓮花さんは四個めに手をつけている。肉まん、あんまんを交互に。あいもかわらぬ、胸がすく食べっぷり。感心しきりでいると意表をついて顔が近づいた。

「そのせいもあるのかしら、トラブルの兆しね。人間関係。あまり感情的にならないほうがよさそう」

 蓮花さんから発せられる神秘的な雰囲気も相まって背筋が冷たくなる。
「手相だけじゃなく、そういうのもわかるんですか」
「ただの勘。けど、思いあたるふしでもあった?」

 尋ねられ、まっさきに浮かんだのは美咲さんだった。先日の対面でさえ、あのざま。もしまた会うことがあったら、はたして感情的にならずにいられるだろうか。

 しょぼくれる私に、蓮花さんがプーアル茶をすすりつつ、
「しょせんは勘だから、そんなに気にしなくていいわよ」
「でも、前に八雲さんが『蓮花さんは当たる』って言ってましたよ」
「そう? たまたまじゃないの」
 小さく笑い、新たに肉まんに手をのばす。
「まあ、なにかあればいつでもいらっしゃい。助勢したげる」

 ぱくんぱくんと二口三口ふたくちみくち。この人にとっては点心ですら、もはや飲み物カテゴリなのかもしれない。



 とり払えない鬱屈と、心情を吐きだしたすがすがしさ。今後の不安。味方をえた心強さ。それらの複雑にまじりあう混沌とした胸のうちで帰路につく。

 いっきに万事解決とはいかなくても、確実かつ効果的な方法はわかっている。職につくこと。それで悩みの大半は解消されるはず。こうなったら四の五の言っていられないぞ、最短でバイト決める! と意気ごんでヒヅキヤの扉をあけたのに、

「こんにちは。お邪魔してます」

 挨拶してきたのは目を疑う相手――美咲さん。なんでここに。しかも私の席に。

「おかえりなさい。お邪魔してます。日和さん、お仕事だったんですか?」
「いえ、ちょっと用事で……」
 面くらう私にかわり、八雲さんが会話をひきとる。
「蓮花さんのとこです。茶葉を受けとりに」

 そこに、和颯さんと朔くんがキッチンからやってきた。美咲さん用のお茶と点心を乗せたトレイをテーブルにおき、
「おかえり、日和。けっこう早かったな」
「あ……うん、朔くんも」
「今日は生徒会の仕事あんまりなかった」

 警戒も威嚇もせず、美咲さんの斜めに座る。あの朔くんが。

「おかえり、ひよちゃん。そっち座っていいぞ」
 和颯さんが定位置を譲ろうとするのを、美咲さんが制す。
「すみません、私がカウンターに移ります」
「気にしなくていい。きみはお客さんじゃないか」
「そうだよ。美咲が移動するより和颯のが近いし」
「さ、遠慮せず食べてください。今日はたくさん作ったんです」

 美咲さんはみんなに歓迎されているどころじゃなく、まるで以前からそこにいたようにしっくりなじんでいる。この精神状態で、それをのあたりにするのはきつい。どす黒いもやが体中に充満して爆発しそうだ。

「私、蓮花さんのとこに忘れものしてきたんで……」

 手遅れになる前にヒヅキヤを去り、もときた道をとんぼ帰り。蓮花さんは私を見るなり「こんなに早くだとは思ってなかった」と目を丸くした。
 ですよね。驚異の的中率。もういっそ本業にしたらいいですよ。

「それで、なにがあったの」
 優しく声をかけられ、張りつめていた糸がぷちん。堰をきったように涙がこぼれる。
「私、めちゃくちゃクズでした……」

 洗いざらい話す。美咲さんに対する、とげとげした意地悪な気持ち。それをコントロールできない自分への嫌悪。そして、そんな姿をヒヅキヤメンバーに見られてしまった羞恥と恐怖。八雲さんならいざ知らず、和颯さんと朔くんの目はごまかせない。軽蔑されたかもしれない。

「どんな顔して戻ればいいのやら」
 とほうに暮れ、ぐすんぐすん鼻を鳴らす。蓮花さんは真摯に話を聞きつつも、必要以上に甘やかすわけでも変にあおるでもなく、ごく普通のテンションで接してくれる。

「うちに泊まれば。新山下しんやました。ここから歩いて十分くらい」
「……いいんですか?」
「もちろん。荷物とってくる? もうちょっとで閉店するから」

 戻るのは避けたくて、なけなしの手持ちでお泊まりセットを調達。それから、外泊の旨と『朔くんのお弁当つくるんで朝には戻ります』を和颯さんにメッセージ。返信は『終業式で弁当不要。ゆっくりしてくるといい』とのこと。私を思っての三人の優しさなのは重々承知だけれど、いなくてもまったく問題ないと言われてるみたいで勝手にへこむ。

「……まあ、実際まったく問題ないですけど」

 中華街でテイクアウトしてきた夕食をいただきながら、しつこく愚痴を吐きだす。蓮花さんのお宅は1DKの間取りで、シンプルモダンなインテリアコーディネート。白を基調としているせいもあり、実際よりも広く見える。

「大丈夫。あの三人は、人を粗末に扱ったりしないわ。とくに和颯は。自分がされたしうちを誰かにするなんて趣味じゃないもの」
「それって、はみだし者だった過去と関係あるんですか?」
「まあ、そうかもね。人の輪にとけこめてるようでも、そのじつ利用されたり馬鹿にされてたから」

 たしかに和颯さんの気前のよさは、人によってはさぞ都合がよくて便利で、ときに愚かしくさえ見えるのかもしれない。

「本人も悪かったのよ、毅然と線引きしないんだもの。今は心配ないみたいだけど。もともと人を見る目は、いたって正確だしね」
 食卓の中華がつぎつぎと、彼女の胃袋におさめられていく。
「そんな和颯に気に入られたんだから、自信を持ちなさい。怯えることなんてなにもないわよ」

 蓮花さんは感情を波だたせることがない。常にフラット。それでもこうして刺さる言葉をくれるから、弱い私はどうしようもなくすがりついてしまう。
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