山下町は福楽日和

真山マロウ

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思いがけず近づく

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 昼さがり、蓮花さんのお店にむかう。中華街のはずれにある、三階建てのビルの一室。わかりづらい場所にあるそうなので、あらかじめマップを頭にいれて。

 土曜の日中で混みそうだったが迂回せず、せっかくなので中華街を通っていくことにした。ヒヅキヤに来てからというもの引越し前より格段に近くなったせいか、逆になかなか訪れる機会がなかったのだ。

 東側の入口、朝暘門ちょうようもんをくぐる。進むごとに建物も異国情緒をかもす。飛びかうのが外国語だったり片言だったりするのもいい。海外からの観光客も多くプチトリップ気分だ。

 このまま人の波にのり、お気に入りのお店とかを巡りたい欲にかられる。パワースポットで名高い関帝廟かんていびょう媽祖廟まそびょうも。久々におみくじをひきたいな。蓮花さんの手相鑑定を疑うわけじゃないけど、多角的な見解がほしいというか。もしかしたら五十歳より前倒しで開運するかもしれないし。

 歩くにつれ、魅力的な文字や香りも私を刺激する。焼小籠包、パンダまん、杏仁ソフトクリーム、などなど。足をとめそうになるも、ぐっと我慢。私にはやらねばならないことがある。また日をあらためて満喫しにこよう、必ず。絶対。なにがなんでも!

 どうにか誘惑にうち勝ち、茶色い壁の雑居ビルにたどり着く。古めな建物のせいか沈んだ印象で、どことなく近よりがたい。折り返し階段をのぼった二階の右手、森羅堂しんらどうと木製札のかけられたドアを緊張しながら押しひらく。カウンターの蓮花さんが笑顔で迎えてくれた。

「あら、いらっしゃい。本当に遊びにきてくれたの」
「こんにちは。先日のお礼の品を持ってきました」

 渡した手土産を、さっそく蓮花さんが開封。中身は、いちじくとナッツのマフィンが四つ。ぽってりとした手のひらサイズで、なかなかのボリュームだ。

「ありがと。おすそわけで八雲のスイーツが返ってくるなら海老鯛ね。日和ちゃんも一緒にいかが。お茶いれるわよ」
「でも、お店が営業中なんじゃ」
「ごらんのとおり、とっても暇なの」
「……じゃあ、お言葉に甘えて」

 蓮花さんがバックヤードでお茶をいれてくれているあいだ店内を見る。ヒヅキヤの内装を思わせる白漆喰とこげ茶の板張りで、さほど広さのない細長いつくり。大股なら五六歩で端までいけそうだ。両サイドの棚にはアクセサリーやキーホルダーといった小物のほか、ちょっとした置物などが並んでいる。開運をうたっているだけあって天然石を使ったものや縁起物モチーフが多いが、テイストは土地柄の中華風にかぎらず、和風、洋風、エスニック風、と幅広い。

「お待たせ。遠慮せずくつろいで。たぶん今日はもうお客さん来ないだろうから」
 うながされスツールに腰をおろす。蓮花さんいわく、オンラインショップがそこそこ繁盛しているので店舗が閑古鳥でもさして問題ないそうだ。

 カウンター横のミニテーブルに用意されたのは、鮮やかな赤をたたえたガラスのティーカップ。ローズヒップとハイビスカスのブレンドティーだ。マフィンを手にとった蓮花さんは気どることなくかぶりつき、とろけるようにほほえんだ。

「こんなに上達するとは思わなかった。和颯のとこに来るまで包丁も握ったことなかったのが嘘みたい」
「えっ、そうなんですか!」

 もとから得意なのかと思いきや、八雲さんはヒヅキヤの住人となってから料理をするようになったそうだ。それはそれで才能のなせるわざにも思えるが。

「時雨おばあちゃまが亡くなってどうなることかと思ったけど、このぶんなら安心ね。和颯も朔も料理はからきしだから」

 蓮花さんの情報は、はじめて聞くことばかり。ヒヅキヤメンバーのうち八雲さんとはもっとも多く過ごすくせに、彼のことはほとんど知らない。和颯さんたちとの関係も、身をよせた経緯も。

「そういや聞いたわよ。和颯と私の仲、誤解したらしいじゃない」
 にわかにトーンダウンしたのを見てとったのか、蓮花さんがわざと睥睨してちゃかす。

「すみません、てっきり」
「勘弁してちょうだい、ただの友達よ。というより、弟みたいな感覚かしらね。ちょっと目を離すとどこかに消えてるから、危なっかしくて放っておけないの」

 笑声をもらしカップをとる。ゆうべ本人も言っていたけど、和颯さんはじっとしていられない回遊魚みたいな性質であるようだ。

「和颯、そろそろ一段落ついたかしら」
「一時期よりは、だいぶ。それでも、ちょこちょこでかけてます。今日も八景に。夕飯までには帰ってくると言ってました」

 喉を潤した蓮花さんが、あきれたように肩をすくめる。
「話があるから森羅堂うちにくるように、って伝えてもらえるかしら。私が言っても聞きゃしないけど、日和ちゃんになら従うはずよ」
「いえ、そんなことは……」
「間違いないわ。腐れ縁の私が言うんだから」

 とたんに蓮花さんが、ぐっと前のめりになった。美麗なお顔が間近に迫り、思わずどきんと心臓が縮む。
「ついでに、もうひとつ」
 ほおずき色の唇が、蠱惑的に弧を描いた。



 夕方。ヒヅキヤに帰ったあとも蓮花さんの伝言を反芻。そのくらい強烈かつ衝撃的だった。私に託されても、というのが正直な気持ち。そういったことこそ、親しい間柄の蓮花さんが伝えるべきじゃないのか。いや、それよりも、どのタイミングで本人に切りだせばいいんだ。

 もだもだ悩みつづけるなか、スマホが鳴る。麻衣ちゃんからの着信だ。

「ごめん日和、いま大丈夫?」
 応答するなり告げた声は、なんだかふわふわしていて不明瞭だ。
「大丈夫だけど、もしかして麻衣ちゃん、酔ってる?」
「酔ってないけど飲んでる。たぶん五時間くらい」
「ごっ、五時間! 麻衣ちゃんこそ大丈夫なの? あんまり飲みすぎるのは……」
 時計を見る。午後五時すぎ。お昼から飲みっぱなしってことになる。
「大丈夫。いいじゃん、このくらい。一人暮らしの醍醐味でしょ」

 学生時代、横浜市内の実家暮らしだった麻衣ちゃんは、社会人になったのを機に都内で一人暮らしを開始した。「なんでも自分でやらないとだけど、自由度が高いのはいいよね」と言っていたが、よもやこんなていたらくだったとは。
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