山下町は福楽日和

真山マロウ

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思いがけず近づく

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 質問が核心をついていたのか、和颯さんは困ったように眉をさげる。

「どうだろうな。俺にもよくわからん。あいつは読みづらいんだ。それでも最初に比べたら随分とマシになった」
「そんなに接しづらかったんですか? 意外です」
「愛想はいいんだ、隙がないほど。本音も言ってる。嘘なんかつこうものなら、朔が黙っちゃいないからな」

 そう、愛想は抜群にいい。出会ってから現在までブレることなく。嘘に関しても、朔くんが八雲さんに文句をつけているのは見たことがない。こちらの問いにだって惜しみなく答えてくれて、隠しごとをしているようでもない。

 八雲さんは赤裸々だった。ただし、ものすごく頑丈なバリアがはられていて、心のありかに届かない。透明でまるっと見通せるのに、どうあがいても絶対にそこ・・にたどり着けないのだ。

「八雲が心をひらいたのは、ばあさんだけだな」

 残りのカレーをたいらげ和颯さんが言う。いかにも軽く補足しただけで、悲嘆の色などもない。けれども時雨さんの名を聞くと、どうしても私は身がまえてしまう。

 和颯さんのおばあさんで、育ての親。あの朔くんが手放しで懐いて、八雲さんのバリアを突破した人物。

 三人にとって時雨さんが特別であるのは明白で、そのことは重々承知している。だからこそ不用意な発言でもして、悪気なく彼らを傷つけるようなことがあってはと思うと恐ろしかった。

 そして、よりどころを失うことに対しても。頻繁には会っていなくても、九州のおばあちゃんは私のシェルターだ。それがもし時雨さんのように、なんて想像もしたくない。

 黙りこくってしまった私に気づき、和颯さんが話題を変えてくれる。
「そういや昼間、蓮花が来たらしいな。さっき本人から連絡があった。ひよちゃんに、また会いたいとさ。嫌じゃないなら適当に相手してやってくれ」

 すがすがしい凛とした姿がよみがえる。同性で楽しくお喋りできたのは、ここ最近じゃ蓮花さんだけだ。なので、たとえ社交辞令だったとしても、
「嬉しいです。蓮花さん、綺麗な人でした。彼女さんですか?」

 お二方ふたかたとも見目麗しく気さくで、お似合いのカップル。その日のうちに連絡をとりあう親しさもあって、疑いもせずそう思いこんでいた。が、和颯さんは、それこそ眼球が飛びでそうなほど大きく目をひんむき、
「彼女? 蓮花が? 俺の?」

 笑声がはじけたのを聞いたとたん、体中の熱が顔に集まった。どうやら、とんでもなく見当はずれだったらしい。

「そんなふうに思われたとはな。あいつとは高校のときからの腐れ縁なだけだ」
「……すみません、早とちりしました」

 恋愛ごとにうといのが露見して不面目。そういえば学生時代もこういう勘ちがいは何度もあった。同様のケースだけでなく反対に、たんに仲のいい二人だと思っていたら交際約一年と聞いて仰天したり。

「蓮花が聞いたら驚くだろうな。いや、へそを曲げるかもしれない。そんなに趣味悪くないって」

 相当おもしろかったのか、和颯さんはまだ喉を鳴らしている。この場に蓮花さん本人がいたとしても同じように軽口をかわすのだろうと想像できるほど、やましさがない。
 彼らの関係は純粋に理想だった。わだかまりのない友人同士。私も麻衣ちゃんと、そんなふうになれたなら――。

「あのう、ご相談したいことが」

 この場にいすわった動機にたち戻る。初対面のとき和颯さんは、うっとうしいだけの私の話を嫌な顔ひとつせず聞いてくれた。その記憶もあり、この人にならと打ちあける。麻衣ちゃんとの関係性や、これまでの経緯、うしろ暗い胸中以外はすべて。

「因縁の相手だな。そりゃ迷うさ」
 和颯さんは同調だけでなく、親身に助言もしてくれる。

「俺なら、とりあえず会ってみるかな。それで楽しくなかったら、さっさと帰って次から断る」
「けど、やっぱり会わなきゃよかった、ってことになったら」
「だとしても、俺は好奇心に勝てない性分なんだ。相手の近況が気になる。だが、あくまでも俺の場合だ。ひよちゃんは無理することない。心の安寧が大事なら、はなから断ればいいさ」

 私の心持ちが清純である、という前提で和颯さんは言うが、胸の内はとっくにすすけ、安寧は崩壊している。そこが一番の悩みどころなのだ。私自身が原因であることが。

「会いたくないわけじゃないんです。でも……ひどいこと思ってしまうかもしれません。悔しいとか、妬ましいとか」
 体裁をとり繕いたいがため、ずるい言い方をする。すでに思っているくせに。

 朔くんがいたら即バレで激怒されそうなしらじらしさ。おそらく和颯さんも感づいているはずだが、ふれずにいてくれる。

「けどそれは、ひよちゃんが自分を諦めてない証拠でもあるだろう。そんなふうに思うのは、相手みたいになりたいからじゃないか?」

 胸のあたりに、がつんと衝撃。目から鱗。和颯さんの言葉が、さながらともしびのように暗闇に沈んだ心を優しく照らし、まぎれこんでいた禍々しいものの正体を教えてくれる。

 複雑怪奇な世の中でも器用に立ちまわり自信に満ちあふれている、キラキラ輝く麻衣ちゃんみたいになりたくて、なれなくて、それでも往生際悪く諦めきれなくて、悔しくて妬ましくて、がんじがらめになって。

「度をこなさなきゃいいさ。みんな大なり小なり持ってる感情だ」
 目の前の節くれだった指がグラスを揺らす。ほとんど炭酸の抜けた水が底のほうで、のたりと波うつ。
「自分を諦めてるやつは他人を見ても、なんとも思いやしない」

 独白じみた呟きに、八雲さんが思い浮かんだ。なにに誘っても決まって「僕はいいんです」と断る。ひねくれじゃなく、まるで楽しみや幸せを放棄することを望んでいるかのように。

 たとえば、身近に宝くじが当たって億万長者になった人がいたとしても、深く思いをよせる相手が自分以外と恋仲になったとしても、八雲さんはこだわりなく祝福するだろう。それどころか、そもそも大金や恋愛を欲しているのかすら疑問だ。

 八雲さんが誰かに嫉妬するのを想像できなかった。和颯さんの理屈からしたら、それはつまり……。
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