21 / 45
思いがけず近づく
3
しおりを挟む
質問が核心をついていたのか、和颯さんは困ったように眉をさげる。
「どうだろうな。俺にもよくわからん。あいつは読みづらいんだ。それでも最初に比べたら随分とマシになった」
「そんなに接しづらかったんですか? 意外です」
「愛想はいいんだ、隙がないほど。本音も言ってる。嘘なんかつこうものなら、朔が黙っちゃいないからな」
そう、愛想は抜群にいい。出会ってから現在までブレることなく。嘘に関しても、朔くんが八雲さんに文句をつけているのは見たことがない。こちらの問いにだって惜しみなく答えてくれて、隠しごとをしているようでもない。
八雲さんは赤裸々だった。ただし、ものすごく頑丈なバリアがはられていて、心のありかに届かない。透明でまるっと見通せるのに、どうあがいても絶対にそこにたどり着けないのだ。
「八雲が心をひらいたのは、ばあさんだけだな」
残りのカレーをたいらげ和颯さんが言う。いかにも軽く補足しただけで、悲嘆の色などもない。けれども時雨さんの名を聞くと、どうしても私は身がまえてしまう。
和颯さんのおばあさんで、育ての親。あの朔くんが手放しで懐いて、八雲さんのバリアを突破した人物。
三人にとって時雨さんが特別であるのは明白で、そのことは重々承知している。だからこそ不用意な発言でもして、悪気なく彼らを傷つけるようなことがあってはと思うと恐ろしかった。
そして、よりどころを失うことに対しても。頻繁には会っていなくても、九州のおばあちゃんは私のシェルターだ。それがもし時雨さんのように、なんて想像もしたくない。
黙りこくってしまった私に気づき、和颯さんが話題を変えてくれる。
「そういや昼間、蓮花が来たらしいな。さっき本人から連絡があった。ひよちゃんに、また会いたいとさ。嫌じゃないなら適当に相手してやってくれ」
すがすがしい凛とした姿がよみがえる。同性で楽しくお喋りできたのは、ここ最近じゃ蓮花さんだけだ。なので、たとえ社交辞令だったとしても、
「嬉しいです。蓮花さん、綺麗な人でした。彼女さんですか?」
お二方とも見目麗しく気さくで、お似合いのカップル。その日のうちに連絡をとりあう親しさもあって、疑いもせずそう思いこんでいた。が、和颯さんは、それこそ眼球が飛びでそうなほど大きく目をひんむき、
「彼女? 蓮花が? 俺の?」
笑声がはじけたのを聞いたとたん、体中の熱が顔に集まった。どうやら、とんでもなく見当はずれだったらしい。
「そんなふうに思われたとはな。あいつとは高校のときからの腐れ縁なだけだ」
「……すみません、早とちりしました」
恋愛ごとにうといのが露見して不面目。そういえば学生時代もこういう勘ちがいは何度もあった。同様のケースだけでなく反対に、たんに仲のいい二人だと思っていたら交際約一年と聞いて仰天したり。
「蓮花が聞いたら驚くだろうな。いや、へそを曲げるかもしれない。そんなに趣味悪くないって」
相当おもしろかったのか、和颯さんはまだ喉を鳴らしている。この場に蓮花さん本人がいたとしても同じように軽口をかわすのだろうと想像できるほど、やましさがない。
彼らの関係は純粋に理想だった。わだかまりのない友人同士。私も麻衣ちゃんと、そんなふうになれたなら――。
「あのう、ご相談したいことが」
この場にいすわった動機にたち戻る。初対面のとき和颯さんは、うっとうしいだけの私の話を嫌な顔ひとつせず聞いてくれた。その記憶もあり、この人にならと打ちあける。麻衣ちゃんとの関係性や、これまでの経緯、うしろ暗い胸中以外はすべて。
「因縁の相手だな。そりゃ迷うさ」
和颯さんは同調だけでなく、親身に助言もしてくれる。
「俺なら、とりあえず会ってみるかな。それで楽しくなかったら、さっさと帰って次から断る」
「けど、やっぱり会わなきゃよかった、ってことになったら」
「だとしても、俺は好奇心に勝てない性分なんだ。相手の近況が気になる。だが、あくまでも俺の場合だ。ひよちゃんは無理することない。心の安寧が大事なら、はなから断ればいいさ」
私の心持ちが清純である、という前提で和颯さんは言うが、胸の内はとっくに煤け、安寧は崩壊している。そこが一番の悩みどころなのだ。私自身が原因であることが。
「会いたくないわけじゃないんです。でも……ひどいこと思ってしまうかもしれません。悔しいとか、妬ましいとか」
体裁をとり繕いたいがため、ずるい言い方をする。すでに思っているくせに。
朔くんがいたら即バレで激怒されそうなしらじらしさ。おそらく和颯さんも感づいているはずだが、ふれずにいてくれる。
「けどそれは、ひよちゃんが自分を諦めてない証拠でもあるだろう。そんなふうに思うのは、相手みたいになりたいからじゃないか?」
胸のあたりに、がつんと衝撃。目から鱗。和颯さんの言葉が、さながら灯のように暗闇に沈んだ心を優しく照らし、まぎれこんでいた禍々しいものの正体を教えてくれる。
複雑怪奇な世の中でも器用に立ちまわり自信に満ちあふれている、キラキラ輝く麻衣ちゃんみたいになりたくて、なれなくて、それでも往生際悪く諦めきれなくて、悔しくて妬ましくて、がんじがらめになって。
「度をこなさなきゃいいさ。みんな大なり小なり持ってる感情だ」
目の前の節くれだった指がグラスを揺らす。ほとんど炭酸の抜けた水が底のほうで、のたりと波うつ。
「自分を諦めてるやつは他人を見ても、なんとも思いやしない」
独白じみた呟きに、八雲さんが思い浮かんだ。なにに誘っても決まって「僕はいいんです」と断る。ひねくれじゃなく、まるで楽しみや幸せを放棄することを望んでいるかのように。
たとえば、身近に宝くじが当たって億万長者になった人がいたとしても、深く思いをよせる相手が自分以外と恋仲になったとしても、八雲さんはこだわりなく祝福するだろう。それどころか、そもそも大金や恋愛を欲しているのかすら疑問だ。
八雲さんが誰かに嫉妬するのを想像できなかった。和颯さんの理屈からしたら、それはつまり……。
「どうだろうな。俺にもよくわからん。あいつは読みづらいんだ。それでも最初に比べたら随分とマシになった」
「そんなに接しづらかったんですか? 意外です」
「愛想はいいんだ、隙がないほど。本音も言ってる。嘘なんかつこうものなら、朔が黙っちゃいないからな」
そう、愛想は抜群にいい。出会ってから現在までブレることなく。嘘に関しても、朔くんが八雲さんに文句をつけているのは見たことがない。こちらの問いにだって惜しみなく答えてくれて、隠しごとをしているようでもない。
八雲さんは赤裸々だった。ただし、ものすごく頑丈なバリアがはられていて、心のありかに届かない。透明でまるっと見通せるのに、どうあがいても絶対にそこにたどり着けないのだ。
「八雲が心をひらいたのは、ばあさんだけだな」
残りのカレーをたいらげ和颯さんが言う。いかにも軽く補足しただけで、悲嘆の色などもない。けれども時雨さんの名を聞くと、どうしても私は身がまえてしまう。
和颯さんのおばあさんで、育ての親。あの朔くんが手放しで懐いて、八雲さんのバリアを突破した人物。
三人にとって時雨さんが特別であるのは明白で、そのことは重々承知している。だからこそ不用意な発言でもして、悪気なく彼らを傷つけるようなことがあってはと思うと恐ろしかった。
そして、よりどころを失うことに対しても。頻繁には会っていなくても、九州のおばあちゃんは私のシェルターだ。それがもし時雨さんのように、なんて想像もしたくない。
黙りこくってしまった私に気づき、和颯さんが話題を変えてくれる。
「そういや昼間、蓮花が来たらしいな。さっき本人から連絡があった。ひよちゃんに、また会いたいとさ。嫌じゃないなら適当に相手してやってくれ」
すがすがしい凛とした姿がよみがえる。同性で楽しくお喋りできたのは、ここ最近じゃ蓮花さんだけだ。なので、たとえ社交辞令だったとしても、
「嬉しいです。蓮花さん、綺麗な人でした。彼女さんですか?」
お二方とも見目麗しく気さくで、お似合いのカップル。その日のうちに連絡をとりあう親しさもあって、疑いもせずそう思いこんでいた。が、和颯さんは、それこそ眼球が飛びでそうなほど大きく目をひんむき、
「彼女? 蓮花が? 俺の?」
笑声がはじけたのを聞いたとたん、体中の熱が顔に集まった。どうやら、とんでもなく見当はずれだったらしい。
「そんなふうに思われたとはな。あいつとは高校のときからの腐れ縁なだけだ」
「……すみません、早とちりしました」
恋愛ごとにうといのが露見して不面目。そういえば学生時代もこういう勘ちがいは何度もあった。同様のケースだけでなく反対に、たんに仲のいい二人だと思っていたら交際約一年と聞いて仰天したり。
「蓮花が聞いたら驚くだろうな。いや、へそを曲げるかもしれない。そんなに趣味悪くないって」
相当おもしろかったのか、和颯さんはまだ喉を鳴らしている。この場に蓮花さん本人がいたとしても同じように軽口をかわすのだろうと想像できるほど、やましさがない。
彼らの関係は純粋に理想だった。わだかまりのない友人同士。私も麻衣ちゃんと、そんなふうになれたなら――。
「あのう、ご相談したいことが」
この場にいすわった動機にたち戻る。初対面のとき和颯さんは、うっとうしいだけの私の話を嫌な顔ひとつせず聞いてくれた。その記憶もあり、この人にならと打ちあける。麻衣ちゃんとの関係性や、これまでの経緯、うしろ暗い胸中以外はすべて。
「因縁の相手だな。そりゃ迷うさ」
和颯さんは同調だけでなく、親身に助言もしてくれる。
「俺なら、とりあえず会ってみるかな。それで楽しくなかったら、さっさと帰って次から断る」
「けど、やっぱり会わなきゃよかった、ってことになったら」
「だとしても、俺は好奇心に勝てない性分なんだ。相手の近況が気になる。だが、あくまでも俺の場合だ。ひよちゃんは無理することない。心の安寧が大事なら、はなから断ればいいさ」
私の心持ちが清純である、という前提で和颯さんは言うが、胸の内はとっくに煤け、安寧は崩壊している。そこが一番の悩みどころなのだ。私自身が原因であることが。
「会いたくないわけじゃないんです。でも……ひどいこと思ってしまうかもしれません。悔しいとか、妬ましいとか」
体裁をとり繕いたいがため、ずるい言い方をする。すでに思っているくせに。
朔くんがいたら即バレで激怒されそうなしらじらしさ。おそらく和颯さんも感づいているはずだが、ふれずにいてくれる。
「けどそれは、ひよちゃんが自分を諦めてない証拠でもあるだろう。そんなふうに思うのは、相手みたいになりたいからじゃないか?」
胸のあたりに、がつんと衝撃。目から鱗。和颯さんの言葉が、さながら灯のように暗闇に沈んだ心を優しく照らし、まぎれこんでいた禍々しいものの正体を教えてくれる。
複雑怪奇な世の中でも器用に立ちまわり自信に満ちあふれている、キラキラ輝く麻衣ちゃんみたいになりたくて、なれなくて、それでも往生際悪く諦めきれなくて、悔しくて妬ましくて、がんじがらめになって。
「度をこなさなきゃいいさ。みんな大なり小なり持ってる感情だ」
目の前の節くれだった指がグラスを揺らす。ほとんど炭酸の抜けた水が底のほうで、のたりと波うつ。
「自分を諦めてるやつは他人を見ても、なんとも思いやしない」
独白じみた呟きに、八雲さんが思い浮かんだ。なにに誘っても決まって「僕はいいんです」と断る。ひねくれじゃなく、まるで楽しみや幸せを放棄することを望んでいるかのように。
たとえば、身近に宝くじが当たって億万長者になった人がいたとしても、深く思いをよせる相手が自分以外と恋仲になったとしても、八雲さんはこだわりなく祝福するだろう。それどころか、そもそも大金や恋愛を欲しているのかすら疑問だ。
八雲さんが誰かに嫉妬するのを想像できなかった。和颯さんの理屈からしたら、それはつまり……。
0
お気に入りに追加
7
あなたにおすすめの小説
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/love.png?id=38b9f51b5677c41b0416)
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/love.png?id=38b9f51b5677c41b0416)
誰も知らない幽霊カフェで、癒しのティータイムを。【完結】
双葉
キャラ文芸
【本作のキーワード】
・幽霊カフェでお仕事
・イケメン店主に翻弄される恋
・岐阜県~愛知県が舞台
・数々の人間ドラマ
・紅茶/除霊/西洋絵画
+++
人生に疲れ果てた璃乃が辿り着いたのは、幽霊の浄化を目的としたカフェだった。
カフェを運営するのは(見た目だけなら王子様の)蒼唯&(不器用だけど優しい)朔也。そんな特殊カフェで、璃乃のアルバイト生活が始まる――。
舞台は岐阜県の田舎町。
様々な出会いと別れを描くヒューマンドラマ。
※実在の地名・施設などが登場しますが、本作の内容はフィクションです。
サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由
フルーツパフェ
大衆娯楽
クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。
トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。
いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。
考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。
赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。
言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。
たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。
極悪家庭教師の溺愛レッスン~悪魔な彼はお隣さん~
恵喜 どうこ
恋愛
「高校合格のお礼をくれない?」
そう言っておねだりしてきたのはお隣の家庭教師のお兄ちゃん。
私よりも10歳上のお兄ちゃんはずっと憧れの人だったんだけど、好きだという告白もないままに男女の関係に発展してしまった私は苦しくて、どうしようもなくて、彼の一挙手一投足にただ振り回されてしまっていた。
葵は私のことを本当はどう思ってるの?
私は葵のことをどう思ってるの?
意地悪なカテキョに翻弄されっぱなし。
こうなったら確かめなくちゃ!
葵の気持ちも、自分の気持ちも!
だけど甘い誘惑が多すぎて――
ちょっぴりスパイスをきかせた大人の男と女子高生のラブストーリーです。
断る――――前にもそう言ったはずだ
鈴宮(すずみや)
恋愛
「寝室を分けませんか?」
結婚して三年。王太子エルネストと妃モニカの間にはまだ子供が居ない。
周囲からは『そろそろ側妃を』という声が上がっているものの、彼はモニカと寝室を分けることを拒んでいる。
けれど、エルネストはいつだって、モニカにだけ冷たかった。
他の人々に向けられる優しい言葉、笑顔が彼女に向けられることない。
(わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)
そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。
ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。
そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/chara_novel.png?id=8b2153dfd89d29eccb9a)
横浜で空に一番近いカフェ
みつまめ つぼみ
キャラ文芸
大卒二年目のシステムエンジニア千晴が出会ったのは、千年を生きる妖狐。
転職を決意した千晴の転職先は、ランドマークタワー高層にあるカフェだった。
最高の展望で働く千晴は、新しい仕事を通じて自分の人生を考える。
新しい職場は高層カフェ! 接客業は忙しいけど、眺めは最高です!
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/chara_novel.png?id=8b2153dfd89d29eccb9a)
いたくないっ!
かつたけい
キャラ文芸
人生で最大級の挫折を味わった。
俺の心の傷を癒すために、誰かアニソンを作ってくれ。
神曲キボンヌ。
山田定夫は、黒縁眼鏡、不潔、肥満、コミュ障、アニメオタクな高校生である。
育成に力を注いでいたゲームのキャラクターを戦死させてしまった彼は、
脱力のあまり掲示板にこのような書き込みをする。
本当に素晴らしい楽曲提供を受けることになった定夫は、
その曲にイメージを膨らませ、
親友二人と共に、ある壮大な計画に胸を躍らせる。
それはやがて、日本全国のオタクたちを巻き込んで……
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる