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思いがけず近づく
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日が暮れても和颯さんは帰宅せず、三人での夕飯となる。本日は野菜の水分だけで作る、きのこたっぷり無水カレー。野菜の甘味がふんだんに感じられるトマトベースで、文句なしの美味しさであるものの、それでも私の頭は裁縫箱のことに占拠されていた。
中学のとき手芸部だったけれど、友達に誘われて入部したていどの情熱とスキルしか持ちあわせてない。そんな私が刺し子なんてできるんだろうか。教わる人もいないのに。
やり方をネットで調べるか、ワークショップを探してみるか。それか今度、お散歩がてら野毛方面にある中央図書館で、初心者むけの書籍があるか見てみようか。場所は知っていても未訪問。この機に本を読む習慣をつけるのも悪くない。
心ここにあらずで食事を終えたころスマホが鳴る。表示された名前に思わずぴりっと神経が尖ったのを、目ざとく朔くんがとらえた。
「またあいつか?」
眉間に深く皺が刻まれる。相手を綾川さんだと思ったようだ。
「違うよ。大学のときの友達。麻衣ちゃん」
今週の金曜あいてたら久しぶりに飲もう、というお誘いだった。シンプルな文面。むだを嫌う彼女らしいメッセージだ。
「やなやつ?」
「全然。明るくて、しっかり者。ゼミが一緒で、すごくお世話になったんだ」
麻衣ちゃんはポジティブかつアクティブ。なかには意識高い系と陰で揶揄する人もいたが、彼女は結果もだしているし、そういったことをやたらアピールするわけでもないため〈系〉ではなく実際に高いように思える。
しかも要領もよく、私が四苦八苦でしあげた卒論は締切ぎりぎり及第点のできだったが、麻衣ちゃんは余裕をもって書きあげ、さらには高評価も獲得していた。私からみたら彼女は、できる人代表。逆に、彼女にしてみれば私は、できない人代表だろう。足手まといで関わるだけ損しかないのに、どうして仲よくしてくれたのか、いまだに謎だ。
「いいですね、卒業しても会える友達がいるのは」
八雲さんは他意なく発言したのだろうけれど、私の心はくすぶる。就職活動で同じ会社を受け、麻衣ちゃんだけが内定をもらい、それっきり疎遠になっていた。綾川さんとのことがあり、よけいに疑念が渦巻く。うまい話をもちかけて騙そうとでもいうのだろうか。それとも、この期におよんでマウントでもとりたいんだろうか。
約一年ぶり、しまいこんでいた暗い感情にかき乱される。自分自身の無能さに、とっくに白旗をあげていたはずが、しょせんは表面だけだったのをまざまざと思い知る。
悔しい。羨ましい。妬ましい。もっとハイスペックに生まれついていたら、私だって……!
認めたくない。誰にも知られたくない。そう意識するほどに膨れあがっていく、ひどく惨めなものをカレーで押しこめる。手間を惜しまず八雲さんが作ってくれたのに真心で味わえないのが、心苦しくも申し訳なかった。
麻衣ちゃんへの返信を保留にしたまま、夜を迎える。気持ちの整理がつかないのに会っても後味悪くなりそうだと思いつつ、彼女の近況に興味があるのも本心。なんたって私が落ちた会社にいるのだ。
うまくいってない、とでも言われれば溜飲はさがるだろうか。入ってみたらろくでもない職場だった、採用されなくて正解だよ、と。
何度ふりはらってもまとわりつく卑しい考えを引きずりながら、お風呂あがりにミニ冷蔵庫をひらく。白光りするからっぼを見て、やってしまったと脱力。
外階段をおりる。乾かしたての髪が夜風にさらされ、ぶるっと震えがくる。湯冷めしないうちに、と裏口に鍵を差しこむ。が、施錠されていなかった。こんな時間に誰かいるのかな?
うす暗い、カレーの香りたちこめるキッチン。フロアからのあかりを頼りに、ビーズのれん越しにのぞき見る。ソファーの定位置では和颯さんが一人、遅い夕食をとっていた。
「おお、ひよちゃんか。どうした」
私に気づき、食事の手をとめる。夕食後に解散して翌朝再会するまで部屋から出ないので、こうして遭遇するのは初だ。
「お水を飲みに。買いおきがなくなったのを忘れてて」
「それじゃ不便だろ。俺のでいいなら好きなだけ持ってってくれ。遠慮するなよ」
冷蔵庫には常時、共用のお水やお茶とは別に、和颯さん用の炭酸水が何本が冷やされている。わけてもらえるのなら助かる。
「ありがとうございます。一本いただきます」
あとは戻るだけ。なのに足が、べったり地面に貼りついたように動かない。親しみやすい和颯さんの笑顔にふれ、この人なら鬱々とした感情をどうにかしてくれるかもしれない、という甘えがでてきてしまった。
「一人飯は退屈なんだ。よければ付き合ってくれないか」
自分から言いだせずもだもだしていたら、人心を読みとることにたけた和颯さんがお膳だてしてくれる。声にださず感謝。水分補給にあずかりながら向かいに座る。
本題にはいれないのを急かすでもなく。和颯さんは最近どのあたりをうろついただとか誰と会っただとか、それから家をあけていた理由だとかを教えてくれる。
「朔たちには内緒な。じつは知りあいの店を手伝ってたんだ。急にバイトが辞めて困ってたんでな。でも、じき終わる。こないだ面接したのが明後日から来るらしい。引き継ぎしおえたらお役ごめんだ」
蓮花さんの言うとおり、人様の世話をやいていたのか。隠すようなことでもなさそうなのに、いかにも遊び歩いている体をとっていたのはどういうわけだろう。それに、
「どうして二人には内緒なんですか」
和颯さんはうーんと唸り、頬杖。
「プレッシャーになるかもと思ってな。焦って逆戻りなんてことは、なるだけ避けたい」
自分が社会からはみだしているとき、そばにいる人たちが順調になじんでいるのを見るのはきつい。朔くんは再登校にむけてコンディションを整えている最中。保護者がわりの和颯さんが危惧するのも頷ける。
ただ、ひとつ、気になることが。
「八雲さんも、ですか……?」
日中の大半をキッチンですごす八雲さんは、ほかに仕事をしていない。望んでそうしているのかと思っていたが、本当のところは違うのだろうか。
中学のとき手芸部だったけれど、友達に誘われて入部したていどの情熱とスキルしか持ちあわせてない。そんな私が刺し子なんてできるんだろうか。教わる人もいないのに。
やり方をネットで調べるか、ワークショップを探してみるか。それか今度、お散歩がてら野毛方面にある中央図書館で、初心者むけの書籍があるか見てみようか。場所は知っていても未訪問。この機に本を読む習慣をつけるのも悪くない。
心ここにあらずで食事を終えたころスマホが鳴る。表示された名前に思わずぴりっと神経が尖ったのを、目ざとく朔くんがとらえた。
「またあいつか?」
眉間に深く皺が刻まれる。相手を綾川さんだと思ったようだ。
「違うよ。大学のときの友達。麻衣ちゃん」
今週の金曜あいてたら久しぶりに飲もう、というお誘いだった。シンプルな文面。むだを嫌う彼女らしいメッセージだ。
「やなやつ?」
「全然。明るくて、しっかり者。ゼミが一緒で、すごくお世話になったんだ」
麻衣ちゃんはポジティブかつアクティブ。なかには意識高い系と陰で揶揄する人もいたが、彼女は結果もだしているし、そういったことをやたらアピールするわけでもないため〈系〉ではなく実際に高いように思える。
しかも要領もよく、私が四苦八苦でしあげた卒論は締切ぎりぎり及第点のできだったが、麻衣ちゃんは余裕をもって書きあげ、さらには高評価も獲得していた。私からみたら彼女は、できる人代表。逆に、彼女にしてみれば私は、できない人代表だろう。足手まといで関わるだけ損しかないのに、どうして仲よくしてくれたのか、いまだに謎だ。
「いいですね、卒業しても会える友達がいるのは」
八雲さんは他意なく発言したのだろうけれど、私の心はくすぶる。就職活動で同じ会社を受け、麻衣ちゃんだけが内定をもらい、それっきり疎遠になっていた。綾川さんとのことがあり、よけいに疑念が渦巻く。うまい話をもちかけて騙そうとでもいうのだろうか。それとも、この期におよんでマウントでもとりたいんだろうか。
約一年ぶり、しまいこんでいた暗い感情にかき乱される。自分自身の無能さに、とっくに白旗をあげていたはずが、しょせんは表面だけだったのをまざまざと思い知る。
悔しい。羨ましい。妬ましい。もっとハイスペックに生まれついていたら、私だって……!
認めたくない。誰にも知られたくない。そう意識するほどに膨れあがっていく、ひどく惨めなものをカレーで押しこめる。手間を惜しまず八雲さんが作ってくれたのに真心で味わえないのが、心苦しくも申し訳なかった。
麻衣ちゃんへの返信を保留にしたまま、夜を迎える。気持ちの整理がつかないのに会っても後味悪くなりそうだと思いつつ、彼女の近況に興味があるのも本心。なんたって私が落ちた会社にいるのだ。
うまくいってない、とでも言われれば溜飲はさがるだろうか。入ってみたらろくでもない職場だった、採用されなくて正解だよ、と。
何度ふりはらってもまとわりつく卑しい考えを引きずりながら、お風呂あがりにミニ冷蔵庫をひらく。白光りするからっぼを見て、やってしまったと脱力。
外階段をおりる。乾かしたての髪が夜風にさらされ、ぶるっと震えがくる。湯冷めしないうちに、と裏口に鍵を差しこむ。が、施錠されていなかった。こんな時間に誰かいるのかな?
うす暗い、カレーの香りたちこめるキッチン。フロアからのあかりを頼りに、ビーズのれん越しにのぞき見る。ソファーの定位置では和颯さんが一人、遅い夕食をとっていた。
「おお、ひよちゃんか。どうした」
私に気づき、食事の手をとめる。夕食後に解散して翌朝再会するまで部屋から出ないので、こうして遭遇するのは初だ。
「お水を飲みに。買いおきがなくなったのを忘れてて」
「それじゃ不便だろ。俺のでいいなら好きなだけ持ってってくれ。遠慮するなよ」
冷蔵庫には常時、共用のお水やお茶とは別に、和颯さん用の炭酸水が何本が冷やされている。わけてもらえるのなら助かる。
「ありがとうございます。一本いただきます」
あとは戻るだけ。なのに足が、べったり地面に貼りついたように動かない。親しみやすい和颯さんの笑顔にふれ、この人なら鬱々とした感情をどうにかしてくれるかもしれない、という甘えがでてきてしまった。
「一人飯は退屈なんだ。よければ付き合ってくれないか」
自分から言いだせずもだもだしていたら、人心を読みとることにたけた和颯さんがお膳だてしてくれる。声にださず感謝。水分補給にあずかりながら向かいに座る。
本題にはいれないのを急かすでもなく。和颯さんは最近どのあたりをうろついただとか誰と会っただとか、それから家をあけていた理由だとかを教えてくれる。
「朔たちには内緒な。じつは知りあいの店を手伝ってたんだ。急にバイトが辞めて困ってたんでな。でも、じき終わる。こないだ面接したのが明後日から来るらしい。引き継ぎしおえたらお役ごめんだ」
蓮花さんの言うとおり、人様の世話をやいていたのか。隠すようなことでもなさそうなのに、いかにも遊び歩いている体をとっていたのはどういうわけだろう。それに、
「どうして二人には内緒なんですか」
和颯さんはうーんと唸り、頬杖。
「プレッシャーになるかもと思ってな。焦って逆戻りなんてことは、なるだけ避けたい」
自分が社会からはみだしているとき、そばにいる人たちが順調になじんでいるのを見るのはきつい。朔くんは再登校にむけてコンディションを整えている最中。保護者がわりの和颯さんが危惧するのも頷ける。
ただ、ひとつ、気になることが。
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