山下町は福楽日和

真山マロウ

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思いがけず近づく

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 八雲さんのおやつ作りの音を遠くに聞きながら、スマホと睨めっこ。一階のソファーでひとり、何度目かのため息をおとす。昼食の片づけが終わってこのかた職探しをしているのだが、うってつけのものが見つからない。

 十月下旬になり、無職生活も約二か月。預金残高がへるにつれ、浮き足だつ感覚に襲われることがふえてきた。けど、ここで妥協すれば、あとからトラブルにみまわれる確率もあがる。ありがたいことに出費をおさえられる生活で、さし迫ってもいない。ここは慎重に動いたほうがいい。

 スマホをおき、ぐーっと伸び。首肩もみもみ。目頭ぐりぐり。ほぐしているとドアベルが鳴る。
「こんにちは。和颯いる?」

 颯爽と入ってきた女性がフロアを見まわす。ここがお店じゃないのを伝える役目を果たすべく、席をたったのが宙ぶらりんになる。和颯さんのお知り合いらしい。ウエストあたりまでのまっすぐな黒髪が、長身スレンダーな体のラインをひきたてていて、脚も長い。モデルさんだろうか。あの人の交友関係どうなってんだ。

「昨日から帰ってなくて……」
「ふぅん、ほんとに忙しいんだ」

 切れ長の目を細め、口角を持ちあげる。色味にとぼしいメイクでもシャープな顔だちのせいか、ぱっと人目をひく。そして、どこか艶めかしい。もしや和颯さんとは、ただならぬ関係だろうか。

「えっと、そうですね、ここ一か月くらいは。なんというか、バタバタしてるというか」

 言葉を選んでいたら、かえってうしろめたいニュアンスをおびてしまった。やばい、私のせいで和颯さんが悪印象に。へどもどしていると、やりとりが聞こえたらしい八雲さんがカウンターの奥から顔をだす。

「あ、いらっしゃい。和颯さんなら留守ですよ」
「みたいね。いつもの持ってきた。お茶くらいはご馳走してくれるんでしょう?」
 気安く言葉をかわし、美人さんが手荷物をわたす。
「ありがとうございます。チーズケーキが焼きあがったとこなんです。ぜひ食べていってください」

 甘い香りに包まれ、おやつタイム。それぞれソファーの定位置につく。美人さんは、いつも和颯さんが座っている私の隣。ちょっと緊張する。

 八雲さんに紹介された彼女は中華街のはずれで雑貨店を営んでいる、私が初めてヒヅキヤにきた日、和颯さんに予言めいたことをした人物、蓮花れんかさんだった。

「占い師さんですか?」
「まったくの素人。知り合いやお客さんをみるくらいで、趣味みたいなものよ」

 蓮花さんのお店は、おもに開運グッズをとりあつかっていて、占いに興味のあるお客さんが少なくないそうだ。かくいう私も。ぐっとくる響きだ、開運。今もっとも必要な要素ではないだろうか。

「今度、お店に行ってもいいですか」
「もちろん。開運に興味あるの?」
「そうですね。できればひらけてほしいなぁと」
「ご挨拶がわりに見てみましょうか、手相」

 願ってもないと両手を広げる。気になる金運もあわせて。

「小指の下、細かい縦線がいくつもあるでしょう。お金、なかなか貯まらなそうね。入ってくることがあっても、けっきょく手元に残らないの」
 まさに。貯蓄はゆるやかに減少の一途いっと。手元に残る気配はない。

「運がひらけるのは五十歳くらいかしら。それまでは現状維持ってとこね」
「ごじゅっ……!」
 あと二十六年も先。遠すぎやしないか。しかも現状維持て。ずっと崖っぷちみたいな生活が続くの?

「ま、手相は変わるものだから」
 打ちひしがれる私を慰め、蓮花さんが瞳を正面に移す。
「八雲も見てあげましょうか」
「僕はけっこうです。なるようにしかなりませんし」
「あいかわらずねぇ」

 小さく笑ってティーカップをとる。上品に香るジャスミンティー。先ほど彼女が八雲さんに渡していたのはこれだった。親御さんが茶葉のお店を営んでいるよしみで、定期的におすそわけをしてくれているらしい。私が毎日リラックスティータイムを楽しめていたのは、蓮花さんのおかげだったのか。感謝。

「和颯、ほんとに忙しいみたいね」
「ええ、最近あまり家にいません。蓮花さん、なにか聞いてますか」
「なにも。でも心配ないわよ。どうせ人様の世話やいてんでしょ。好きにさせときなさい」

 蓮花さんはあきれたように、けれども愛情深く表情を崩してカップをおく。チーズケーキはとっくに完食。スピーディーなのは性分もあるみたいだが、それ以外にも理由が。
「おあずけされてる子がかわいそうだから、おいとまするわね」
 猫のようなしなやかさで席をたち、ひらひらと私に手をふる。
「いつでも遊びにきてちょうだい。楽しみにしてる」

 じゃあまた、と後腐れなく帰っていく。にしても『おあずけされてる子』とは、いったい。ペットでも飼っていて、そのお世話とかがあるんだろうか。もっとお話してみたかったな。残念。

「蓮花さんもお忙しそうですね」
「というより、気をつかってくれたんだと思います。朔が蓮花さんのこと苦手で、顔をあわせたがらないんです。底知れない怖さがあるだとかで」

 数十分前のことを想起する。部屋にいる朔くんにおやつを知らせるメッセージを送ったら『手が離せないからあとで』という返信だったのを。できたておやつを後回しにするなんてどういう了見だろうと不思議だったが、なるほど。と頷いていると、噂をすれば。朔くんが裏口から入ってきた。

「ちょうどよかった」
 私を見るなりそう言って、取っ手つきの木製の箱をさしだす。形からして裁縫箱だ。
「刺し子、やりたいみたいなこと言ってたろ。時雨ばあちゃんの見つけてきた」
 手が離せない、というのは方便じゃなく本当だったのか。たしかに以前、そんなことを言いはしたが。

「私が使っていいのかな。大切なものだよね」
「和颯には話しといた。どうせ捨てるだけだから好きにしていいって」
 ということは、このまま使われることがなければ処分されてしまうかもしれないのか。遺品整理を阻止するため部屋を移るくらいだ、それは朔くんも避けたいのだろう。

「じゃあ、ありがたくお借りします」
 飴色の箱を両手で受けとる。のしかかる重さが実際以上に感じられ、どのくらいぶりか、しゃんと背筋がのびた。
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