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誰しも事情はある
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食事の運搬は、からになった食器を回収するまでがワンセット。その間だけ朔くんとコミュニケーションをとることができる。
「適当に座って」
「お、おじゃまします」
まずは第一関門突破。小さく息をつく。室内は、私のとこと同じく漆喰で板張り。ただし奥半分は膝より少し低いユニット式の置き畳ゾーンで、ちょっとした和室のおもむきだ。
置き畳にあがった朔くんは、ちゃぶ台にトレイをおき、敷きっぱなしのお布団に座る。私は座布団を借り、縁に腰かけるだけにする。箪笥や天井からさがるライトは和風モダン。テレビにかけてあるカバーは麻の葉文様……。
「あんまりじろじろ見んなよ」
さっそく食べはじめていた朔くんに、不躾を注意されてしまう。
「ごめん。インテリアとかが興味深くて。渋い好みだね」
「だって、ばあちゃんのだし」
言われてみれば、男子中学生より年配女性のほうがしっくりくる。テレビカバーとお揃いの布がかけてある鏡台とか。
「そうなんだ。朔くんのおばあちゃん、刺し子が好きなの?」
座布団をなぞる。藍色の生地に白糸であしらわれた七宝が、でこぼこと指の腹を刺激する。さっきのテレビカバーも刺し子だ。
「俺んとこのじゃなくて、時雨ばあちゃん。手芸が趣味で、そういうの全部自分で縫ってた」
スライスされたバゲットを食いちぎりながらの返答に、ぎょっと身がすくむ。謝罪にばかり気をとられていて、まさか昼間に聞かされたばかりの名前がでてくるとは思っていなかった。
「あっ、な、なるほど」
声が裏返ってしまい、さらに冷や汗。
「す、すごいね、上手だね。私なんにも趣味ないから、こういうのやってみようかなぁ、なんて」
挽回しようとするほど、ぎこちなくなる。この体たらくでは朔くんが心をとざすのも道理だ。
「……もういい、一人で食べる。食器はあとで持ってく」
「い、いや、とりにくるよ。終わったらスマホ鳴らしてもらえれば」
これ以上へたを打てず、とんぼ返り。逃げこんだ一階フロアでは、ソファー席の八雲さんがぼんやりと天板を見つめていた。今どき珍しくスマホなどを持っておらず、時間を持てあましたときはそうやって手近なものを見ていることが多い。
「おかえりなさい。早かったですね」
私に気づき顔をあげる。白昼夢にでも迷いこんでいたような瞳が光をとり戻す。
「すみません、やらかしました……」
しょぼくれ顔で肩を落とし、あらましを話した。せっかく快方にむかっていたのを一瞬でだいなしにしたのに、八雲さんは叱るでもなく安定のほほえみで慰めてくれる。
「そんなの僕はしょっちゅうです。心配ありません。朔は日和さんを嫌ったりしないですよ」
「私のことはいいんです、嫌われて当然なことしてばっかなんで。でも、朔くんが傷ついたかもしれないと思うと……」
朔くんの場合、なにが感情を揺さぶるトリガーになるかわからない。時雨さんの話題がでて微妙な空気になっただけに思えても、とんでもなく彼を苦しめている可能性だってある。それにしても不測の事態に弱い、私の機転のきかなさよ。とことん情けない。
「食器をとりにいったとき、僕も話してみます。でも、だめだったらすみません」
後半の言葉が巨岩のように、ずしんと心にのしかかる。
「やっぱり、だめそうですかね。朔くん、せっかく外にでるようになってたのに」
そこに至るまでの本人の努力と周囲の苦労を、秒で水の泡にした責任に押しつぶされそうで息もたえだえ。だが、八雲さんは不可解そうに瞬いて、
「だめっていうのは僕の話です。そういうの上手くないんで逆効果になるときが、わりとあるんです」
つまり『あいだに入ってフォローしてみるけど失敗するかも』ってことか。
「全然。むしろ重ね重ね申しわけないです、私のせいで。それに、これで二人が喧嘩にでもなってしまったらと思うと……」
「平気です。なにがあろうと、ごはんを持っていけば朔は大人しくなります。さっきも、お腹すいてただけかもしれません。十代のころ、僕もよく食べてました」
そりゃあ、八雲さんのごはんを前にしたら黙るしかない。そのくらい、私たちは彼の料理の虜だ。今日のお昼のキッシュだって秋野菜たっぷりで……。
ぐうううとお腹が鳴る。思いっきり聞こえても八雲さんはからかいもしないどころか「僕たちも食べましょう」と率先して盛りつけてくれる。テーブルに並べられた、アクアパッツァ、バゲット、カプレーゼ。いただきますのあと真っ先に、湯気たちのぼるメインに手をつけた。魚介のうまみが、口から、食道から、胃から、細胞いっぱいにしみわたり、数分前の意気消沈が相殺されそうになる。なんという威力。美味しいものって最強だ!
「朔くんの部屋のもの、時雨さんのだったんですね」
緊張の糸がきれ、気になっていたことが口をついてでた。八雲さんはこれについても、とどこおりなく教えてくれる。
「もとは二階が時雨さんの部屋だったんです。和颯さんが遺品整理をしようとしたら、朔が嫌がって階を移動したんです。知らないうちに処分されないようにって」
聞けば聞くほど、やりきれない話だ。和颯さんのように未来に目をむけるのも、朔くんのように過去を守りとどめておくのも、間違ってない。そうしないと、どちらも心が軋む。
お世話になってる恩返しにどうにかして、そのつらさを和らげる手助けができたなら。けど、当事者でもない私に、大切な人をなくしてもいない私に、いったいなにができるっていうんだろう。
「和颯さんが家にいないのも、時雨さんのことが関係してるんでしょうか」
ふと、何日も見ていない顔が脳裏をよぎった。ここにいると思い出があふれて、つらくて、だから居つかないのだろうか。
「どうなんですかね。不在がふえたのは、わりと最近です」
八雲さんのフォークがカプレーゼの三色をつらぬく。かつん、という音にあわせて事実が心に刺さる。
「もしかして私が引っ越してきたのが原因なんじゃ……」
「まさか。それは絶対ないです。僕が保証します。だから細かいことは気にせず、日和さんは好きに暮らしてください」
本人に他意がないのは百も承知。とはいえ、なんとも贅沢で冷淡なことを言ってくれたものだ。好きにしていい、とは自由ゆえに自分しだい。だからこそ悩ましく恐ろしく、弱い人間には過ぎた代物だというのに。
「適当に座って」
「お、おじゃまします」
まずは第一関門突破。小さく息をつく。室内は、私のとこと同じく漆喰で板張り。ただし奥半分は膝より少し低いユニット式の置き畳ゾーンで、ちょっとした和室のおもむきだ。
置き畳にあがった朔くんは、ちゃぶ台にトレイをおき、敷きっぱなしのお布団に座る。私は座布団を借り、縁に腰かけるだけにする。箪笥や天井からさがるライトは和風モダン。テレビにかけてあるカバーは麻の葉文様……。
「あんまりじろじろ見んなよ」
さっそく食べはじめていた朔くんに、不躾を注意されてしまう。
「ごめん。インテリアとかが興味深くて。渋い好みだね」
「だって、ばあちゃんのだし」
言われてみれば、男子中学生より年配女性のほうがしっくりくる。テレビカバーとお揃いの布がかけてある鏡台とか。
「そうなんだ。朔くんのおばあちゃん、刺し子が好きなの?」
座布団をなぞる。藍色の生地に白糸であしらわれた七宝が、でこぼこと指の腹を刺激する。さっきのテレビカバーも刺し子だ。
「俺んとこのじゃなくて、時雨ばあちゃん。手芸が趣味で、そういうの全部自分で縫ってた」
スライスされたバゲットを食いちぎりながらの返答に、ぎょっと身がすくむ。謝罪にばかり気をとられていて、まさか昼間に聞かされたばかりの名前がでてくるとは思っていなかった。
「あっ、な、なるほど」
声が裏返ってしまい、さらに冷や汗。
「す、すごいね、上手だね。私なんにも趣味ないから、こういうのやってみようかなぁ、なんて」
挽回しようとするほど、ぎこちなくなる。この体たらくでは朔くんが心をとざすのも道理だ。
「……もういい、一人で食べる。食器はあとで持ってく」
「い、いや、とりにくるよ。終わったらスマホ鳴らしてもらえれば」
これ以上へたを打てず、とんぼ返り。逃げこんだ一階フロアでは、ソファー席の八雲さんがぼんやりと天板を見つめていた。今どき珍しくスマホなどを持っておらず、時間を持てあましたときはそうやって手近なものを見ていることが多い。
「おかえりなさい。早かったですね」
私に気づき顔をあげる。白昼夢にでも迷いこんでいたような瞳が光をとり戻す。
「すみません、やらかしました……」
しょぼくれ顔で肩を落とし、あらましを話した。せっかく快方にむかっていたのを一瞬でだいなしにしたのに、八雲さんは叱るでもなく安定のほほえみで慰めてくれる。
「そんなの僕はしょっちゅうです。心配ありません。朔は日和さんを嫌ったりしないですよ」
「私のことはいいんです、嫌われて当然なことしてばっかなんで。でも、朔くんが傷ついたかもしれないと思うと……」
朔くんの場合、なにが感情を揺さぶるトリガーになるかわからない。時雨さんの話題がでて微妙な空気になっただけに思えても、とんでもなく彼を苦しめている可能性だってある。それにしても不測の事態に弱い、私の機転のきかなさよ。とことん情けない。
「食器をとりにいったとき、僕も話してみます。でも、だめだったらすみません」
後半の言葉が巨岩のように、ずしんと心にのしかかる。
「やっぱり、だめそうですかね。朔くん、せっかく外にでるようになってたのに」
そこに至るまでの本人の努力と周囲の苦労を、秒で水の泡にした責任に押しつぶされそうで息もたえだえ。だが、八雲さんは不可解そうに瞬いて、
「だめっていうのは僕の話です。そういうの上手くないんで逆効果になるときが、わりとあるんです」
つまり『あいだに入ってフォローしてみるけど失敗するかも』ってことか。
「全然。むしろ重ね重ね申しわけないです、私のせいで。それに、これで二人が喧嘩にでもなってしまったらと思うと……」
「平気です。なにがあろうと、ごはんを持っていけば朔は大人しくなります。さっきも、お腹すいてただけかもしれません。十代のころ、僕もよく食べてました」
そりゃあ、八雲さんのごはんを前にしたら黙るしかない。そのくらい、私たちは彼の料理の虜だ。今日のお昼のキッシュだって秋野菜たっぷりで……。
ぐうううとお腹が鳴る。思いっきり聞こえても八雲さんはからかいもしないどころか「僕たちも食べましょう」と率先して盛りつけてくれる。テーブルに並べられた、アクアパッツァ、バゲット、カプレーゼ。いただきますのあと真っ先に、湯気たちのぼるメインに手をつけた。魚介のうまみが、口から、食道から、胃から、細胞いっぱいにしみわたり、数分前の意気消沈が相殺されそうになる。なんという威力。美味しいものって最強だ!
「朔くんの部屋のもの、時雨さんのだったんですね」
緊張の糸がきれ、気になっていたことが口をついてでた。八雲さんはこれについても、とどこおりなく教えてくれる。
「もとは二階が時雨さんの部屋だったんです。和颯さんが遺品整理をしようとしたら、朔が嫌がって階を移動したんです。知らないうちに処分されないようにって」
聞けば聞くほど、やりきれない話だ。和颯さんのように未来に目をむけるのも、朔くんのように過去を守りとどめておくのも、間違ってない。そうしないと、どちらも心が軋む。
お世話になってる恩返しにどうにかして、そのつらさを和らげる手助けができたなら。けど、当事者でもない私に、大切な人をなくしてもいない私に、いったいなにができるっていうんだろう。
「和颯さんが家にいないのも、時雨さんのことが関係してるんでしょうか」
ふと、何日も見ていない顔が脳裏をよぎった。ここにいると思い出があふれて、つらくて、だから居つかないのだろうか。
「どうなんですかね。不在がふえたのは、わりと最近です」
八雲さんのフォークがカプレーゼの三色をつらぬく。かつん、という音にあわせて事実が心に刺さる。
「もしかして私が引っ越してきたのが原因なんじゃ……」
「まさか。それは絶対ないです。僕が保証します。だから細かいことは気にせず、日和さんは好きに暮らしてください」
本人に他意がないのは百も承知。とはいえ、なんとも贅沢で冷淡なことを言ってくれたものだ。好きにしていい、とは自由ゆえに自分しだい。だからこそ悩ましく恐ろしく、弱い人間には過ぎた代物だというのに。
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