山下町は福楽日和

真山マロウ

文字の大きさ
上 下
15 / 45
誰しも事情はある

しおりを挟む
 八雲さんの話を聞きおえたころには体中の筋肉が凍りついたように、ぴくりとも動けなくなっていた。露ほども気づかなかった、そんな悲劇にみまわれていたなんて。しかも、たった三か月前。七星くんもショックだったらしく表情がかたい。

「わかりました。無理するなと朔に伝えてください」
 ようやく言葉を発することができたかと思ったら、席をたち外にでていく。心もとない足どりが気がかりで、すぐさまあとを追う。
「七星くん!」
 ふり返った蒼白の顔が、晴れやかな午後の日ざしに亡霊みたく浮かびあがる。
「すみません、僕なにも知らなくて。そんなことがあったなんて思ってもみなかったから……」

 瞳が揺らぎ、声もわななく。朔くんの異変を重大視していなかったのを悔やんでいるようだ。動転を自認する七星くんは「朔をよろしくお願いします」とだけ残し、去ろうとする。

「待って。駅まで送るよ」
「……大丈夫です。一人で頭の中を整理したいんで」

 足早に路地をまがるのを、立ちつくして見送る。あんな調子で大丈夫だろうか。無事に帰宅してくれればいいけど。

 念のため連絡先を交換しておけばよかったかも、と後悔しながらヒヅキヤに戻ると、八雲さんは自作おやつに舌鼓のまっ最中だった。シリアス空気が充満しているのに「上手にできてます」と満足げなのは、あっぱれな胆力。かねてよりマイペースだとは思っていたが半端ないな、この人。

 私も座り、飲みかけだったチャイをすする。完全にさめてしまったのが臓腑にしみて、せつなさがつのる。
「七星くん、自分を責めていました。なにも知らなかったのを」

 みずからの思いと重ねあわせて、深くため息をつく。多少の慰めてもらいたい下心。八雲さんは、その期待にナチュラルにこたえてくれた。が、「聞いてなかったんだからしかたないです」だけで終わるとは思ってもみなかった。

 私や七星くんと違って実際に時雨さんと交流があったはずなのに、そうとは思えないくらいさっぱりとしている。血縁者じゃないと、そんなに引きずらないものだろうか。とすると逆に、新たな憂慮が生じる。
「和颯さんは大丈夫なんでしょうか」

 出会ってこのかた疲れたところを見たことはあっても、悲嘆にくれる場面には一度だって遭遇していない。悲しみが強すぎて感情がマヒしているのだろうか。それとも、身近だったからこそ実感がわかなかったりするのか。

「どうでしょう。ああいう人なので表だって落ちこんだりしませんが、あまり大丈夫じゃないかもしれません」
 なにくわぬ顔でもぐもぐ口を動かすあいま、八雲さんは重い話を投下していく。
「和颯さん、時雨さんに育てられたんです。母親は幼いころに亡くなったそうです。父親については詳しいことを知らないみたいです。母子家庭と言っていました」
 想像以上のこみいった内容。これは、私なんかが関わっていい領域じゃない。

「そういえば朔くんの様子どうでしたか」
 不自然に話題をかえる。八雲さんは、それを聞きとがめるでもなく、
「悪くないと思います。七星くんが来たのを伝えたときも、感謝しているようなことを言っていました」

 荒ぶっていた感情の波は、かなり凪いだようだ。そろそろ頃あいだろう。先日の失態と嘘をきちんと謝りたい。

「今日の晩ごはん、私が持っていってもいいですか」
「もちろん。朔も喜びます。僕が行くたびに日和さんのこと尋ねるんです」

 八雲さんが、ちぎりパンの最後のかけらをぱくつく。普段どおり非のうちどころがない笑顔でも、人を拒むときとは違い、朔くんをいたわるように見えたのが……私の気のせいでなければいいなぁ。

 日暮れあたりから雲が広がり、肌にうっすらと湿気を感じる。琥珀色のライトがともるなか、夕食の時間が刻々と近づく。

 和颯さんは今夜も不在。これまでは連日の出歩きを内心あまり好ましく思っていなかったが、おばあさんが亡くなったのを知った今、そんな目で見ていたのが申し訳ない。ここにいれば思い出にさいなまれ、つらかったのかもしれないのに。

 しんみり反省。大きくため息。しかし薄情なことに、食欲を刺激する香りが漂いはじめると、そんな気持ちもかき消されてしまう。

 今夜はアクアパッツァ。お店で食べるものという固定観念だったけれど、よく考えたら家でも作れるものだ。自分では絶対に無理でも。

 この先なにがあろうと、八雲さんの手料理を食べられる生活は維持していきたいな。そのためには、ここに住みつづける必要がある。和颯さんとの交渉は不可欠。どこかに再就職したとしても、朔くんと八雲さんをコンスタントに外出させることができれば、あるいは……。

「日和さん、お願いします」
 ビーズのれん越しの呼びかけに画策ストップ。キッチンに行くと、朔くんのぶんがトレイに用意されていた。毎度の食事は自分たちが食べるより先、朔くんに持っていくようにしている。そのほうが片づけなどの面でも都合がいいし、こちらも時間を気にせず食事ができる。

「気をつけてくださいね。熱いし重いですよ。二階まで僕が持ちましょうか」
「平気です、このくらいなら」

 ずっしり二人分くらいありそうな量でも、甘くみてもらっちゃ困る。親元を離れて暮らし、頼れる友人や彼氏がいないと、なんだって一人でやるしかない。必然、心身ともにタフさが育つ。それよりも、朔くんとの対面のほうが緊張する。追い返されたりしないといいけど。

 不安とトレイをかかえ、裏の鉄骨階段をのぼる。インターホンを鳴らすと、すぐ「開いてる」と応答があった。ノブに手をかけるべくトレイを持ちなおすのにまごついていると、
「なにしてんだよ」

 むこうからドアがひらき、二人して瞠目どうもく。ほぼ同時に、わっと声がでた。数日ぶりの朔くんはこもりっきなだけあって、くたくたのスウェット上下に伸びっぱなしの前髪をクリップでとめておでこ丸だしという、いつものジャージ姿よりもずっと、くつろぎスタイル。

「ごめん、うまくドアあけれなくて」
「……いや、八雲だと思ってたから」

 もごもご口の中で言葉を転がしながらも朔くんは、さりげなくトレイを持ってくれる。しみじみ、めっちゃいい子だ。
しおりを挟む
感想 3

あなたにおすすめの小説

熱砂のシャザール

春川桜
キャラ文芸
日本の大学生・瞳が、異国の地で貴人・シャザールと出会って始まる物語

おにぎり屋さんの裏稼業 〜お祓い請け賜わります〜

瀬崎由美
キャラ文芸
高校2年生の八神美琴は、幼い頃に両親を亡くしてからは祖母の真知子と、親戚のツバキと一緒に暮らしている。 大学通りにある屋敷の片隅で営んでいるオニギリ屋さん『おにひめ』は、気まぐれの営業ながらも学生達に人気のお店だ。でも、真知子の本業は人ならざるものを対処するお祓い屋。霊やあやかしにまつわる相談に訪れて来る人が後を絶たない。 そんなある日、祓いの仕事から戻って来た真知子が家の中で倒れてしまう。加齢による力の限界を感じた祖母から、美琴は祓いの力の継承を受ける。と、美琴はこれまで視えなかったモノが視えるようになり……。 第8回キャラ文芸大賞にて奨励賞をいただきました。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

天狐の上司と訳あって夜のボランティア活動を始めます!※但し、自主的ではなく強制的に。

当麻月菜
キャラ文芸
ド田舎からキラキラ女子になるべく都会(と言っても三番目の都市)に出て来た派遣社員が、訳あって天狐の上司と共に夜のボランティア活動を強制的にさせられるお話。 ちなみに夜のボランティア活動と言っても、その内容は至って健全。……安全ではないけれど。 ※文中に神様や偉人が登場しますが、私(作者)の解釈ですので不快に思われたら申し訳ありませんm(_ _"m) ※12/31タイトル変更しました。 他のサイトにも重複投稿しています。

男装官吏と花散る後宮〜禹国謎解き物語〜

春日あざみ
キャラ文芸
<第8回キャラ文芸大賞にて奨励賞をいただきました。応援ありがとうございました!> 宮廷で史書編纂事業が立ち上がると聞き、居ても立ってもいられなくなった歴史オタクの柳羅刹(りゅうらせつ)。男と偽り官吏登用試験、科挙を受験し、見事第一等の成績で官吏となった彼女だったが。珍妙な仮面の貴人、雲嵐に女であることがバレてしまう。皇帝の食客であるという彼は、羅刹の秘密を守る代わり、後宮の悪霊によるとされる妃嬪の連続不審死事件の調査を命じる。 しかたなく羅刹は、悪霊について調べ始めるが——? 「歴女×仮面の貴人(奇人?)」が紡ぐ、中華風世界を舞台にしたミステリ開幕!

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

出向先は恋の温泉地

wan
恋愛
大手の総合レジャー企業。 冴えない主人公は日々先輩から罵られていて毎日心ない言葉を浴びせられていた。 態度悪い人はともかく、そうでないのに悪態をつけられる。憂鬱で、居場所がなく、自ら距離を置いてるが孤独で、味方もいなくて、働きづらくて常にHPが削られていく。 ある日、上司から出向(左遷)されるがしかも苦手な先輩と一緒。地獄へ行くような気分だった。 そこで1人の女性社員と出会う。暖かい眼差しと声に誘われ、一緒に仕事をすることになる。 そこで2人はどんどんひかれ合うのですが、先輩は雲行きが怪しくなり、、、。 飛ばされても、罵られても、サラリーマンとして働く主人公とヒロインとの出会い。ほのぼのしたお話を書いてみたく連載しました。 彼への応援をよろしくお願いします。 営業やイベント企画など私にとって未経験のものですが、何とかイメージして書いていきます。至らない点も多いかと思いますが、読んで楽しめていただければ幸いです。 何か感じたこと、こうしたらいいのでは?何かありましたらコメントよろしくお願いします。

ダブル シークレットベビー ~御曹司の献身~ その後

菱沼あゆ
恋愛
その後のみんなの日記です。

処理中です...