山下町は福楽日和

真山マロウ

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山下町ライフはじめました

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 のしかかってくるような静寂のなか、朔くんが湿っぽく呟く。
「どうせ俺のことバカにしてるんだろ」
「そなっ、そんなことないよ、ほんとに! むしろその歳で興味のあること見つけて、たいしたもんだよ!」
 焦って噛んでしまったのが裏目、社交辞令かといぶかしまれてしまい、「失敗してばかりだけど」と試すようなセリフを返される。

 この数日でわかったことだが、朔くんは繊細なだけあって、ちょっとした違和感などを見逃さない。とりわけ嘘には尋常じゃない反応をしめす。なので、変に気をきかせようとしても空回りしがちな私としては、ここは本音でぶつかる一択だ。

「失敗は成功のもとって言うし。それに、とりえのない私から見たら普通に凄いって思うよ」
 というかお世辞ぬきで、ほんとそれ。私にはなにもない。この歳になっても、やりたいことも得意なことも。

 だからこそ、朔くんみたいに興味のあることが明確なら、たとえ不登校であっても、しっかり学べる環境に身をおいたほうが、ゆくゆくは役立ちそうに思えた。私が口出しできる立場じゃないのは重々承知。だが、なんとなくで進学して社会人になって、けっきょく為すすべなくなってしまった身からしたら、もったいなく思えるし、羨ましくてしかたない。

 どんなことだっていい。私にも好きなことや夢中になれることがあったなら、きっと今とは違う生活をおくっていた。仕事に趣味に、ひょっとしたら恋愛も。毎日が充実して、こんなふうに思い悩む暇さえなくて……。

 人様の未来と自分の現在を比べて地味にへこむ。口をつぐんだ私に朔くんは多少なりとも驚いた様子だったが、見つめつづけるのをやめない。心の底まで見透かされそうな瞳から逃れたくて、目をそらす。視界のはしで朔くんが立ちあがるのがわかった。

「いつまでかぶってんだよ」
 私の隣に移動。頭にのっけたままだった、コリほぐし帽をはずしてくれる。
「さっきの画像もっかい見せて。おごってもらうやつ選ぶ」

 言われるがままスマホを渡す。過去にさかのぼる画像フォルダと朔くんの横顔を、あっけにとられながら交互に見る。今しがたの激高はどこへやら、落ちつきはらってまるで別人だ。

「いいんじゃないの、気にしなくて」
 スマホに目を落とし、朔くんが言う。
「とりえとか、そういうの。俺だって、ただちょっと興味あるだけだから……」

 口ごもり気味の後半は聞きとれなかったけれど、真意は伝わってきた。落ちこんだ私の心情をくみとり、励まそうとしてくれたんだ。まさか朔くんにそんなことしてもらえるとは思ってもみなかった。

「ありがとう」
 こそばゆいような嬉しさがあふれ、感謝の言葉になる。画像をたどっていた朔くんの指がとまり、耳まで真っ赤。かわいい反応。本当に素直で、しかも心優しい子だというのを知り、ジーンと胸が熱くなる。

「なんでも言って! なんでもおごる!」
 思わず感情が弾けた。むろん、朔くんは面食らっている。
「そんなこと言われても」
「でかけるのが嫌ならテイクアウトしてくるから!」
「それだと日和、和颯との約束守れないだろ」

 気づかってくれた嬉しさと、初めて名前を呼ばれた感激で震えそうになる。ずっと懐かなかった、おばあちゃんとこの猫が身を寄せてきた日を思いだす。不意うちのツンからデレ。クリティカルヒットだ。

 予算の許すかぎり朔くんの好きなものをおごろう。発明品のテスト係も今後は進んでひきうけよう。改心した矢先、アップルパイのお皿を手に和颯さんが戻ってきた。

「まじか! 俺の指定席が奪われた!」
 仰々しい声で、さっきまで朔くんが座っていた場所に腰をおろす。その隣、私の真向かいに八雲さんが着席。ぽってり丸いカラメル色のティーポットを傾け、和颯さん用の紅茶をそそぐ。

「いいじゃないですか、たまには僕の隣でも」
「ひよちゃんが横にいないと調子くるうんだがなぁ」
「そんなこと言わず。ほら、食べてください。自信作です」
 催促され、アップルパイを口に運ぶ和颯さん。朔くんがスマホいじりを再開し、告げる。
「明日、晴れたらでかける。日和になんかおごってもらう」
「お、さっそくか。さすがひよちゃん、朔くらいはお手のものだな」

 棘のある言いかたに、せっかく直っていた朔くんのご機嫌がななめに。
「和颯はついてこなくていいから」
「言われるまでもない。俺は先約があるんだ。なにかと忙しくてな」
「どうせ遊びにいくんだろ。毎日フラフラしやがって」
「お誘いが多いんだ。人気者はつらいね」

 あやしい雲ゆき。こんなときは八雲さんにゆだねるしかない。
「大人げないですよ、和颯さん。朔も真に受けないでください。日和さんをとられてスネてるだけなんですから」
 双方を制し、八雲さんは綺麗にほほえんだ。いつものように、まるで上等の彫像みたいに――。



 夜半。まだ新しい寝床に慣れず、入眠までのもどかしいあいだ、数時間前のできことを脳内リプレイする。

 夕食後、食器洗いの手伝い中。明日、八雲さんだけお留守番なのもいかがなものかと思って誘ったら、「僕のことは気にしないでください」とあっさり断られてしまった。どうやら自分たちを外に連れだすという和颯さんとの約束を達成するため、私が声をかけたと誤解したらしい。

「大丈夫です。僕、買い物のとき外にでてますから」
 八雲さんは二三日に一度、小一時間ほど買い出しにいく。個人的にはそれでいい気もするが、和颯さんが望んでいるのはレジャー感のあるものだろう。
「それに、こうしているほうがいいんです」
 温厚でありながら感情を読みとれない声が、流水音と混ざりあう。泡だらけだったお皿が、ぴかぴかと輝きをとり戻す。
「そのほうが平和なんです。世の中も、僕も」

 どうしてそんなことを言うのか、私にはわからなかった。尋ねられる空気でもなかった。八雲さんは、ほほえみを崩さない。それは親愛のしるしでなく警告。ここから先は立ち入るべからず。彼の拒絶は、朔くんよりも根深い気がする。

 寝返りをうち、頬まで布団にもぐりこませる。美味しいごはんとおやつ、優しい人たち。楽しいことばかりのはずなのに、まぶたの裏で八雲さんがほころぶと胸がもやついた。

 明日も、あの人はほほえむ。それを受けとめるしかできないのが、なんだか無性にやるせない。
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