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山下町ライフはじめました
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お世辞やなんかではないらしく、和颯さんは「これからちょくちょく遊びにきてくれないか」とまで言う。ひたすら友好的な態度にまんざらでもない気になったが、ご希望にそえない理由――現在無職で月末に引っ越す予定であることなどをかいつまんで話す。
自業自得なくせに愚痴まじりの、退屈な自分語り。それでも和颯さんも八雲さんも、鬱陶しがらず相槌をうってくれる。つくづく、あと数か月この出会いが早ければと悔やまずにいられなかった。明朗な和颯さんと、温柔な八雲さん。彼らになら職場でのことを相談できたかもしれない。辞職の道も回避できたかもしれない。大好きなこの土地を離れることもなく。
……いや、やめておこう。今さらそんなこと考えてみても、時間は巻き戻ったりしない。最後にいい思い出ができただけで御の字だ。美味しいスイーツに美形とイケメンで、お腹も目もふくふくに満足させていただいた。それも無料。充分すぎるお餞別。これ以上を望んだらバチがあたるというもの。
「そういうわけで準備とかもあって、もう来られないです。とっても残念ですが」
飲みかけのレモングラス&ジンジャーティーで喉を潤す。喋っているあいだにぬるくなってしまったのが、どことなく寂しさを助長する。長居しすぎた。そろそろほんとに、おいとましないと。
場が静かになったのを踏ん切りにして視線をあげる。と驚いたことに、和颯さんは願ったり叶ったりと言わんばかりの表情で、
「ちょうどいい。ひよちゃん、ここに住まないか。三階があいてるんだ。家賃も光熱費もいらない。なかなか好条件だろう」
「……へい?」
思わず声が裏返る。言われたことが瞬時に理解できなかったけど、ほどなく頭が追いつく。
なっ、なんですか、その夢みたいな話は!
なんといっても家賃光熱費はデカイ。私の場合、月収の半分ほど占めていた。ゼロになるなら必死で働くこともない。心身に負担のないペースでやっていける。
気持ちがぐらつく。けれども、それに歯止めをかけたのは、奥から届いた「嫌だ!」という訴え。先刻より私を快く思っていない少年――朔くんだ。
睨んだとおり、彼は学生さんで十四歳。八雲さん同様、事情があって和颯さんのお世話になっているそうだ。そんな強みもあってか、和颯さんは彼の言い分に聞く耳をもたず。
「そのかわりといっちゃなんだが、あの偏屈坊主と八雲の遊び相手をしてくれないか。二人とも引きこもってばかりでな。週一でいいから、外に連れだしてやってほしいんだ」
提示された条件は難易度お高め。さすがに親切だけで家を提供してくれるわけないか、と腑に落ちたと同時、むむむと唸る。私を嫌っている朔くんと外出なんて、どう頑張っても明るい未来が見えない。
反応が芳しくなくなったのに気づき、和颯さんが一押し。「三食おやつ付きでどうだ。すべて八雲の手製だぞ」
これは効く。八雲さんの腕前はシフォンケーキで実証済み。きっとお食事系も期待できる。元来、作るより食べる派の私。自炊しても簡単簡素なものばかりの生活で、しこたま手料理に飢えている。
食指が動いたのを感じとった和颯さんは、さらにもう一押し。「こづかいも付けよう。それでどうだ!」
息を飲む。魅惑の言葉が頭の中をぐるぐる回る。『家賃光熱費なし。三食おやつ、おこづかい付き』こんな、うまみしかない話があるだろうか。まさに降ってわいた幸運。そのありがたさを重々承知のうえ、震える声で返答する。
「やり、ま、せん……!」
勝利を確信し弧を描いていた、和颯さんの唇がぽかーん。そして、とまどいながらも優しく言いきかせるように、
「いったいなにが不満なんだ? 金はいらない。むしろ貰える。寝食に不自由なし。これ以上ない好条件だぞ?」
おっしゃるとおり、これ以上ないというか、これを逃せば一生ないチャンス。だからこそ、
「好条件すぎて怖いです」
裏があるかもしれない、と勘ぐりたくなるほどに。
「なら、ちゃんと公式の書面を作成しよう。専門家をあいだに立てて」
私の答えがきちんと考えたうえのものだと理解し、猜疑心を払拭すべく提案がなされる。が、問題はほかにもある。
「朔くんは私のこと苦手っぽいですし、無理じいしたら逆効果かと」
これには朔くん本人が「そうだそうだ」と加勢。唯一の味方が私を嫌っている人というのも妙な気分だ。
だがしかし、和颯さんはいっこうに諦める気がない。それどころか、私から朔くんにターゲットを変更。押しの一手だ。
「外出だけじゃなく、趣味にもつきあってもらうのはどうだ。朔にとっても悪い話じゃないだろう?」
朔くんの趣味は、なんと発明品づくりだそうだ。つきあうというのは、そのお試し係。それは彼的にかなり重要な事柄らしく、さっきまでの勢いはどこへやら。さらには弱々しく「どうせ嫌がられるに決まってる」とこぼす。
ということは、つまり、みんなに断られ続けていると察せられる。そのうえ私までもが断ったら、彼は深く傷ついてしまうのではないだろうか。それを避けたい一心で「私でよければ」と請けおう。朔くんが黙りこんだのを逃さず、和颯さんがダメ押し。
「なにがそんなに不満なんだ。ひよちゃん、いい子じゃないか」
「一緒に外に行くのは……」
とぎれた言葉の先を追いがてら、八雲さんが目にはいる。ほんわり穏やか美形王子。今度は隣の和颯さんを見る。人目をひく華やかイケメン。ははぁん、と合点がいく。私は彼らみたく顔面レベルが高くない。かといって、めちゃめちゃオシャレだとか、ほかに美点があるわけでもない。連れて歩くには力不足なのだろう。和颯さんは、私とは違う見解だったけれど。
「なーんだ、思春期か」
「は? そんなんじゃないし」
「まあ、ともかく俺はひよちゃんが気に入った。この子以外はありえない。それでもまだ嫌がるっていうなら……」
「でも、八雲だって無理だよな、一緒にでかけるのとか!」
朔くんに言われ、八雲さんの瞳が私に向く。真正面から一途に見つめられるのは、相手が誰であろうと身のおきどころがない。
自業自得なくせに愚痴まじりの、退屈な自分語り。それでも和颯さんも八雲さんも、鬱陶しがらず相槌をうってくれる。つくづく、あと数か月この出会いが早ければと悔やまずにいられなかった。明朗な和颯さんと、温柔な八雲さん。彼らになら職場でのことを相談できたかもしれない。辞職の道も回避できたかもしれない。大好きなこの土地を離れることもなく。
……いや、やめておこう。今さらそんなこと考えてみても、時間は巻き戻ったりしない。最後にいい思い出ができただけで御の字だ。美味しいスイーツに美形とイケメンで、お腹も目もふくふくに満足させていただいた。それも無料。充分すぎるお餞別。これ以上を望んだらバチがあたるというもの。
「そういうわけで準備とかもあって、もう来られないです。とっても残念ですが」
飲みかけのレモングラス&ジンジャーティーで喉を潤す。喋っているあいだにぬるくなってしまったのが、どことなく寂しさを助長する。長居しすぎた。そろそろほんとに、おいとましないと。
場が静かになったのを踏ん切りにして視線をあげる。と驚いたことに、和颯さんは願ったり叶ったりと言わんばかりの表情で、
「ちょうどいい。ひよちゃん、ここに住まないか。三階があいてるんだ。家賃も光熱費もいらない。なかなか好条件だろう」
「……へい?」
思わず声が裏返る。言われたことが瞬時に理解できなかったけど、ほどなく頭が追いつく。
なっ、なんですか、その夢みたいな話は!
なんといっても家賃光熱費はデカイ。私の場合、月収の半分ほど占めていた。ゼロになるなら必死で働くこともない。心身に負担のないペースでやっていける。
気持ちがぐらつく。けれども、それに歯止めをかけたのは、奥から届いた「嫌だ!」という訴え。先刻より私を快く思っていない少年――朔くんだ。
睨んだとおり、彼は学生さんで十四歳。八雲さん同様、事情があって和颯さんのお世話になっているそうだ。そんな強みもあってか、和颯さんは彼の言い分に聞く耳をもたず。
「そのかわりといっちゃなんだが、あの偏屈坊主と八雲の遊び相手をしてくれないか。二人とも引きこもってばかりでな。週一でいいから、外に連れだしてやってほしいんだ」
提示された条件は難易度お高め。さすがに親切だけで家を提供してくれるわけないか、と腑に落ちたと同時、むむむと唸る。私を嫌っている朔くんと外出なんて、どう頑張っても明るい未来が見えない。
反応が芳しくなくなったのに気づき、和颯さんが一押し。「三食おやつ付きでどうだ。すべて八雲の手製だぞ」
これは効く。八雲さんの腕前はシフォンケーキで実証済み。きっとお食事系も期待できる。元来、作るより食べる派の私。自炊しても簡単簡素なものばかりの生活で、しこたま手料理に飢えている。
食指が動いたのを感じとった和颯さんは、さらにもう一押し。「こづかいも付けよう。それでどうだ!」
息を飲む。魅惑の言葉が頭の中をぐるぐる回る。『家賃光熱費なし。三食おやつ、おこづかい付き』こんな、うまみしかない話があるだろうか。まさに降ってわいた幸運。そのありがたさを重々承知のうえ、震える声で返答する。
「やり、ま、せん……!」
勝利を確信し弧を描いていた、和颯さんの唇がぽかーん。そして、とまどいながらも優しく言いきかせるように、
「いったいなにが不満なんだ? 金はいらない。むしろ貰える。寝食に不自由なし。これ以上ない好条件だぞ?」
おっしゃるとおり、これ以上ないというか、これを逃せば一生ないチャンス。だからこそ、
「好条件すぎて怖いです」
裏があるかもしれない、と勘ぐりたくなるほどに。
「なら、ちゃんと公式の書面を作成しよう。専門家をあいだに立てて」
私の答えがきちんと考えたうえのものだと理解し、猜疑心を払拭すべく提案がなされる。が、問題はほかにもある。
「朔くんは私のこと苦手っぽいですし、無理じいしたら逆効果かと」
これには朔くん本人が「そうだそうだ」と加勢。唯一の味方が私を嫌っている人というのも妙な気分だ。
だがしかし、和颯さんはいっこうに諦める気がない。それどころか、私から朔くんにターゲットを変更。押しの一手だ。
「外出だけじゃなく、趣味にもつきあってもらうのはどうだ。朔にとっても悪い話じゃないだろう?」
朔くんの趣味は、なんと発明品づくりだそうだ。つきあうというのは、そのお試し係。それは彼的にかなり重要な事柄らしく、さっきまでの勢いはどこへやら。さらには弱々しく「どうせ嫌がられるに決まってる」とこぼす。
ということは、つまり、みんなに断られ続けていると察せられる。そのうえ私までもが断ったら、彼は深く傷ついてしまうのではないだろうか。それを避けたい一心で「私でよければ」と請けおう。朔くんが黙りこんだのを逃さず、和颯さんがダメ押し。
「なにがそんなに不満なんだ。ひよちゃん、いい子じゃないか」
「一緒に外に行くのは……」
とぎれた言葉の先を追いがてら、八雲さんが目にはいる。ほんわり穏やか美形王子。今度は隣の和颯さんを見る。人目をひく華やかイケメン。ははぁん、と合点がいく。私は彼らみたく顔面レベルが高くない。かといって、めちゃめちゃオシャレだとか、ほかに美点があるわけでもない。連れて歩くには力不足なのだろう。和颯さんは、私とは違う見解だったけれど。
「なーんだ、思春期か」
「は? そんなんじゃないし」
「まあ、ともかく俺はひよちゃんが気に入った。この子以外はありえない。それでもまだ嫌がるっていうなら……」
「でも、八雲だって無理だよな、一緒にでかけるのとか!」
朔くんに言われ、八雲さんの瞳が私に向く。真正面から一途に見つめられるのは、相手が誰であろうと身のおきどころがない。
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