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4 師の教え

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「熱くないか?」

 風呂桶にお湯を張ってやるとニールスは恐る恐る手を入れた。瞬時に手を引っ込めたのでまだ暑かったかと桶の水を加えた。
 今度は手を入れても大丈夫そうだ。
 俺がニールスの服のボタンに手をかけると振り払い、頭を横に振った。自分でやる、ということらしい。

「外に居るから終わったらこの服を着て」

 俺の魔塔には子ども用の服をなんてなかったからカリスに頼んで持ってこさせた服を渡した。
 ニールスがお風呂に入っている間に蔵書庫で育児に関する本はないかと探し回ったが、そんな本は1冊もなく、気がつくと面白そうな魔法書を手にとって読みふけっていた。

「……あ、ア…ルネさま」

 いつの間にか時間がすぎてニールスは風呂から上がったらしい。書庫の前にニールスが立っていた。
 俺、本当に子育て向いてないな…。一つのことに夢中になると自分が何をしようとしていたのかつい忘れてしまう。
 ニールスを呼んで髪を拭いてやるとキツく眼を閉じていた。

「前髪が邪魔なのか?切ってあげよう」

 濡れた髪が目に入っているのに、手で払うこともしない。目に傷がついてしまう。
 ニールスはまた黙って頭を振った。

「どうして?」
「…」
「…そうだな、無理に答える必要はないよ」
「目が…気持ち悪いから、か…かくせって…」

 どうせ皇帝だな。そもそもニールスの不幸な幼少期も元凶は甥を他人に押し付けた皇帝なのにどうして俺の手足がその責任を取るんだ。
 確かに赤い瞳は魔族に多く見られる色で人間ではかなり珍しい。ニールスの出生で色々噂がたつのが面倒だっただけだろう。

「気持ち悪くない。今後そんな事を言ってくる奴がいたらすぐ殴りなさい」

 後から復讐で手足を斬るくらいならその場で殴られた方が反省のしようがあってずっといい。

「えっ…なぐる?」
「蹴りでもいいぞ?」

 俺もニールスと同じくらいの頃、師匠に言われたことがあった。「意思を曲げたくなければ、勝って自分が正しいと証明しろ」と。

「そんなこと、僕よりずっと強い相手だったら…」
「じゃあ、その時は一緒に殴りに行こう」

 ニールスは驚いた表情が揺れ動き、少し笑ったように見えた。

「子どもに変なこと教えないでくださいよ、アルネ様」

 気がつくとカリスも話を聞いていたようだ。
 こういうのって正解があるのか?言われっぱなしで我慢しろなんて酷だ。

「何か用か?」
「クラウス様が様子を見ておけと」
「あぁ、なるほど」

 確かにクラウス兄さんが頼みそうなことだ。

「そうだ、ニールスの髪を切ってやってくれ」
「かしこまりました」

 カリスは鋏を取りに行くとニールスがまた首を横に振った。

「…イヤです」
「やっぱり髪切りたくないか?無理にとは言わないよ。前髪をとめるのも嫌か?」 
「そ、じゃなくて、あの人に触られるのが」

 カリスに触られるのが嫌なのか?いつの間にそんなに嫌われたんだ。
 エルヴィン兄さんの弟子だけあって礼儀正しくて接しやすい性格だと思うのだが。

「俺が切ろうか…?」

 今度は首を縦に振った。
 絶対カリスの方が上手く切れると思うけど…。

「持ってきました。ほら、こっちにこい」

 ニールスは相変わらず俺にしがみついた。

「ありがとう。俺がやるから下がっていいぞ」
「様子を見ておけと言われているので」

 変なところ頑固だな。いや、俺よりエルヴィン兄さんの方が怖いだけか。
 ニールスを椅子に座らせて切りすぎないように少しづつ鋏を入れた。

「どうだ?」

 手鏡を渡すと大きな瞳をしばたかせた。

「気持ち悪い…?」
「わ、…俺はニールスの目好きだよ」

 悪くないと言うとして言い直した。素直に思いを伝えるって難しいな。

「アルネ様、そいつに甘すぎませんか?」

 カリスは少し不機嫌そうだ。この2人相性悪いのか?仲良くしてもらいたいんだが。

「エルヴィン兄さんだってカリスに優しいだろ?」
「師匠は優しそうに見えて厳しいですよ」
「そうなの?」

 師匠としてのエルヴィン兄さんは知らなかった。尊敬される必要のある間柄だから厳しく接しているのかもしれない。

「はい。ところで、今夜は何処に寝かせるつもりですか?」
「自室の隣の部屋が空いてただろ」
「物置部屋状態です」

 そういえば、数ヶ月前に研究で使った器具をそのまま詰め込んだ記憶がある。

「片付けておくから布団を持ってきてくれ」
「この部屋も片付けてくださいね」
「ああ」

 ニールスの黒い髪が床に散らばっている。俺は魔法それを浮かせてゴミ箱に入れた。魔力が放出し、青白い光が部屋を満たす。

「すごい!」

 間違いなく、今までで一番大きな声だった。ニールスの目が輝いている。

「あっ、ぼ、僕にもできますか?」
「これくらいなら直ぐに出来るようになる」

 俺は冷淡に答えたが、こんなに喜んでもらえるならもっと子どもの好きそうな魔法を習得しておくんだったなと肩を落とした。
 だって、こんなにパッと人の表情を明るくできたのは初めてだ。
 俺は魔法区で育ったからか魔法は珍しいものだという感覚がなくなっていた。

「…あの、アルネ様は僕をでし?にしてくれるんですか?」
「あぁ、ニールスが弟子になってくれたら嬉しいよ」
「でしとは何ですか?」
「うーん、師匠を尊敬するのが弟子かな」
「じゃあ、もう僕はアルネ様のでしです」

 可愛い。この子が俺を殺しにくるのかと思うと今から涙が出そうだ。

「アルネ様、布団を持ってきたので置いてある荷物片付けてください」
「あぁ、ニールスはここで待っていてくれ」

 魔法で荷物を持ち上げる。この程度なら5分で終わりそうだ。
「弟子とは何か、面白い問いですね」
「また盗み聞きか?子どもに説明するのは難しいな」
「魔法使いの師弟関係は特に複雑ですからね。あの子に説明しないんですか?」
「折を見て説明するよ」

 魔法使いは血の繋がりをあまり重視しない。家族より師弟関係で築いた一門を重視している。師匠を「師父」とも言って、父親と同一視される。
 血の繋がりのある家族を重視しないのは魔法使いが長命だからだ。家族をつくったところで一緒にいれる時間は短い。それに耐えられないから魔法使い同士で擬似家族をつくるのだと思う。
 そして、この体系をつくったのが俺の師匠であるヨナス大魔法使いだ。
 師匠もなんだかんだ寂しかったんだろう。どれだけ英雄だったと語られてもやっぱり1人の人間だと俺は知っていようと昔、誓ったことをふと思い出した。
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