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第23話
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庭園での椿子との遭逢から季節は巡り、藪椿が開花する時季がやってきた。
「はぁーっ。……やっぱ、11月ともなれば、早朝は冷え込むなぁ~」
樹は竹箒を胸に抱えて、何度も手のひらに呼気を吹きかけさすさすと擦る。そうして両手がほんのり温まった頃に、ようやく待ち人が現れた。
「おはようございます! 梗一郎さまっ」
元気に挨拶をして小走りで駆け寄ると、軍帽を小脇に抱えた梗一郎が優しく微笑んだ。
「おはよう、樹。……今日も愛らしいね」
挨拶の言葉と共に甘いセリフを囁かれるのはいつものことで、とうに慣れてしまった樹はにこりと笑って口を開く。
「梗一郎さまこそ。今日も一段とかっこいいです!」
「樹」
「梗一郎さま」
互いの名前を呼び、熱のこもった視線を交わしながら、皮膚が触れるだけの軽い口付けを交わす。そうやって互いの熱を分け合ったあと、どちらからともなく抱擁をした。
「今夜は椿子さまのご婚約の発表とお誕生日の舞踏会がございますね」
「ああ、そうだね。……今夜の婚約発表が無事に終われば、椿子は年明けに女学校を退学して、春に式を挙げることになるだろうね」
「……まだお若いのに、もう嫁いでしまわれるなんて。立派な夢だってお持ちなのに……」
樹は梗一郎の温もりを享受しながら、軍服の胸元をきゅっと握り締める。すると梗一郎が、白い手袋をはめた手で樹の手を取り、安心させるように軽く口付けた。
「言っても詮無いことだよ、樹。私たちは華族。皇室の藩屛だ。子孫を残し、華族の体面と格式を保たなくてはならないんだよ。由緒正しい花ヶ前伯爵家を身代限りにするわけにはいかないからね」
梗一郎の言葉にハッとした樹は、目を見開いて、梗一郎を振り仰いだ。
「まさか……椿子さまが嫁がれるのは……」
梗一郎は秀眉の眉尻を下げて、樹の頭を優しく抱き寄せ、日の出が見えたばかりの空を見上げた。
「……椿子が産んだ子を私の養子に迎えて、花ヶ前家の後継者とするためだよ」
「そんな……! それじゃ椿子さまは、俺と梗一郎さまの犠牲になるってことですか!?」
樹は喉の奥から絞り出すように言って、梗一郎を見つめた。
だが、梗一郎からの返事はない。
樹は唇を噛み締めて、バッと梗一郎の胸の中から抜け出すと、着物の合わせ目をぎゅうっと握りしめた。
「そんな、そんなことって……! 俺は椿子さまを犠牲にしてまで――」
「樹」
梗一郎の地を這うような低い声に、樹の肩がビクリと跳ねる。一瞬にしてその場の空気が不穏なものに変わり、樹はおどおどしながら梗一郎に視線を移した。
そして、能面のように表情を無くした梗一郎を見て、樹はごくりと生唾を飲み込んだ。
「……樹。いま、なんと言おうとした?」
先ほどと異なり、感情の読めない声音で訊ねられ、樹は視線を彷徨わせる。そうして何も答えられずにいると、いつの間にか距離を詰めていた梗一郎に合わせ目を握る手を掴まれた。
「い……っ!」
その力強さに手首が悲鳴を上げ、思わず苦痛な声がもれる。
しかし、いつも温和な梗一郎の様子とは違い、樹が視線で訴えても手首を掴む力は緩まない。
「こ、梗一郎、さま……?」
「樹。約束しておくれ。なにがあっても、私から離れていかないと」
「でもっ、それじゃあ椿子さまは……っ! あっ」
ぐいっと強く腕を引かれ、樹は梗一郎の胸の中に閉じ込められる。そして、息が苦しくなるほど、ぎゅうっときつく抱きしめられた。
「頼む。樹。いつどんな時も、そなたが選ぶのは私だけであってほしい。でなければ私は……」
「梗一郎さま……」
あれだけ溺愛している椿子を犠牲にしてまで、そして理性を失いかけるまで樹を求める梗一郎に、樹の胸がきゅうっと切なく鳴いた。
(……正直、家を存続させるために後継者が必要だとか言われても、そのために椿子さまを犠牲にする必要があるのかピンとこない。俺は確かに梗一郎さまを愛しているけれど、椿子さまの人生を犠牲にしてまで、この想いをつらぬいていいのか分からない……)
いつまで経っても返答がないことに痺れを切らした様子の梗一郎は、己の身体から樹を剥がし、数歩後ろに後退した。
「もう、いい」
「梗一郎さま……?」
梗一郎は樹の目を見ることなく、軍帽を目深にかぶると、ザッと右足を踏み出した。そして樹とすれ違いざま、
「樹の気持ちはよくわかった」
そう言って、さっさと車の方へ向かってしまう。
頭と心がぐちゃぐちゃになりながらも、このまま梗一郎を行かせてはならないと本能的に察知した樹は、咄嗟に手を伸ばして軍服の裾を掴んだ。
「まっ、待ってください、梗一郎さま……!」
しかし梗一郎は、樹の方を見ることなく、無言で樹の手を払った。
そのことに動揺し、樹がなにも言えないでいると、梗一郎は後ろを振り返ることなく歩き出した。
ハッとした樹は、もう一度手を伸ばすが、その手が梗一郎に届くことはなかった。
「梗一郎さま!」
「……行ってくる」
冷えた声音でそう言った梗一郎は、門外に姿を消してしまった。
「梗一郎、さま……」
樹は姿の見えなくなった梗一郎の軌跡を、ただ呆然と見つめることしか出来なかった。
「はぁーっ。……やっぱ、11月ともなれば、早朝は冷え込むなぁ~」
樹は竹箒を胸に抱えて、何度も手のひらに呼気を吹きかけさすさすと擦る。そうして両手がほんのり温まった頃に、ようやく待ち人が現れた。
「おはようございます! 梗一郎さまっ」
元気に挨拶をして小走りで駆け寄ると、軍帽を小脇に抱えた梗一郎が優しく微笑んだ。
「おはよう、樹。……今日も愛らしいね」
挨拶の言葉と共に甘いセリフを囁かれるのはいつものことで、とうに慣れてしまった樹はにこりと笑って口を開く。
「梗一郎さまこそ。今日も一段とかっこいいです!」
「樹」
「梗一郎さま」
互いの名前を呼び、熱のこもった視線を交わしながら、皮膚が触れるだけの軽い口付けを交わす。そうやって互いの熱を分け合ったあと、どちらからともなく抱擁をした。
「今夜は椿子さまのご婚約の発表とお誕生日の舞踏会がございますね」
「ああ、そうだね。……今夜の婚約発表が無事に終われば、椿子は年明けに女学校を退学して、春に式を挙げることになるだろうね」
「……まだお若いのに、もう嫁いでしまわれるなんて。立派な夢だってお持ちなのに……」
樹は梗一郎の温もりを享受しながら、軍服の胸元をきゅっと握り締める。すると梗一郎が、白い手袋をはめた手で樹の手を取り、安心させるように軽く口付けた。
「言っても詮無いことだよ、樹。私たちは華族。皇室の藩屛だ。子孫を残し、華族の体面と格式を保たなくてはならないんだよ。由緒正しい花ヶ前伯爵家を身代限りにするわけにはいかないからね」
梗一郎の言葉にハッとした樹は、目を見開いて、梗一郎を振り仰いだ。
「まさか……椿子さまが嫁がれるのは……」
梗一郎は秀眉の眉尻を下げて、樹の頭を優しく抱き寄せ、日の出が見えたばかりの空を見上げた。
「……椿子が産んだ子を私の養子に迎えて、花ヶ前家の後継者とするためだよ」
「そんな……! それじゃ椿子さまは、俺と梗一郎さまの犠牲になるってことですか!?」
樹は喉の奥から絞り出すように言って、梗一郎を見つめた。
だが、梗一郎からの返事はない。
樹は唇を噛み締めて、バッと梗一郎の胸の中から抜け出すと、着物の合わせ目をぎゅうっと握りしめた。
「そんな、そんなことって……! 俺は椿子さまを犠牲にしてまで――」
「樹」
梗一郎の地を這うような低い声に、樹の肩がビクリと跳ねる。一瞬にしてその場の空気が不穏なものに変わり、樹はおどおどしながら梗一郎に視線を移した。
そして、能面のように表情を無くした梗一郎を見て、樹はごくりと生唾を飲み込んだ。
「……樹。いま、なんと言おうとした?」
先ほどと異なり、感情の読めない声音で訊ねられ、樹は視線を彷徨わせる。そうして何も答えられずにいると、いつの間にか距離を詰めていた梗一郎に合わせ目を握る手を掴まれた。
「い……っ!」
その力強さに手首が悲鳴を上げ、思わず苦痛な声がもれる。
しかし、いつも温和な梗一郎の様子とは違い、樹が視線で訴えても手首を掴む力は緩まない。
「こ、梗一郎、さま……?」
「樹。約束しておくれ。なにがあっても、私から離れていかないと」
「でもっ、それじゃあ椿子さまは……っ! あっ」
ぐいっと強く腕を引かれ、樹は梗一郎の胸の中に閉じ込められる。そして、息が苦しくなるほど、ぎゅうっときつく抱きしめられた。
「頼む。樹。いつどんな時も、そなたが選ぶのは私だけであってほしい。でなければ私は……」
「梗一郎さま……」
あれだけ溺愛している椿子を犠牲にしてまで、そして理性を失いかけるまで樹を求める梗一郎に、樹の胸がきゅうっと切なく鳴いた。
(……正直、家を存続させるために後継者が必要だとか言われても、そのために椿子さまを犠牲にする必要があるのかピンとこない。俺は確かに梗一郎さまを愛しているけれど、椿子さまの人生を犠牲にしてまで、この想いをつらぬいていいのか分からない……)
いつまで経っても返答がないことに痺れを切らした様子の梗一郎は、己の身体から樹を剥がし、数歩後ろに後退した。
「もう、いい」
「梗一郎さま……?」
梗一郎は樹の目を見ることなく、軍帽を目深にかぶると、ザッと右足を踏み出した。そして樹とすれ違いざま、
「樹の気持ちはよくわかった」
そう言って、さっさと車の方へ向かってしまう。
頭と心がぐちゃぐちゃになりながらも、このまま梗一郎を行かせてはならないと本能的に察知した樹は、咄嗟に手を伸ばして軍服の裾を掴んだ。
「まっ、待ってください、梗一郎さま……!」
しかし梗一郎は、樹の方を見ることなく、無言で樹の手を払った。
そのことに動揺し、樹がなにも言えないでいると、梗一郎は後ろを振り返ることなく歩き出した。
ハッとした樹は、もう一度手を伸ばすが、その手が梗一郎に届くことはなかった。
「梗一郎さま!」
「……行ってくる」
冷えた声音でそう言った梗一郎は、門外に姿を消してしまった。
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