21 / 28
第21話
しおりを挟む
樹は重い目蓋を開けると、顔を左に傾けた。
狭いベッドの中で、なにかから守るように樹を抱きしめて眠る梗一郎の姿に、樹の目尻からポロリと涙が零れ落ちる。
(梗一郎さま……)
樹は、身体に回された逞しい腕に縋りついて、ポロポロと静かに涙を流した。
――先ほど視た夢が、早乙女樹の最後の記憶なのだろう。
早乙女樹は、画家を目指す母親と異人の間に生まれた子どもだった。
里に帰り、密かに早乙女を産み落とした母親は、産後間もなく亡くなった。夢の中で父親の話が語られることはなかった。つまりは、早乙女の母親はシングルマザーだったのだろう。
両親の愛情を知らず、母方の祖母と暮らしていた早乙女は、村中から『混血児』と差別されながらも、心優しい祖母と二人で生きてきた。そうして幼い頃。村を訪ねてきた母親の弟――画塾を主宰する叔父に、絵の才能を見出され、早乙女は叔父に弟子入りした。
それから数年が経ち。祖母の死をきっかけに帝都へ上京した早乙女は、パトロネスとなった花ヶ前家の書生として、日々の雑務をこなしながら画塾へ通い、画家見習いとして研鑽を積んでいた。その何気ない日々の中で、早乙女は梗一郎に出会い、恋をしたのだ。
――身内以外で『早乙女樹』を人として見てくれた、初めての人間に。
樹は目元を荒く擦って、梗一郎をチラリと見遣った。
……夢の中で、早乙女と梗一郎の恋愛模様を窺い見ることはできなかった。
(でも、)
恐らくだが、肉体的接触はなかったのだろうと思う。
樹に触れる梗一郎の仕草には、いつも僅かな緊張が滲んでいたし、身体を繋げるのも今夜が初めてだったはずだ。
(……そうじゃないと、こんなに時間を掛けて、懇切丁寧に抱くはずがないと思う。それに――)
挿入された部分はきつくて痛くて、処女であっただろうことは間違いない。と、そこまで考えて、樹はようやく自分の置かれた状況を思い出し、羞恥に顔を赤く染めた。
(……俺、最後まで、シちゃったんだよな? こ、梗一郎さまと……)
そうして改めて、梗一郎に対する愛しい気持ちを自覚して、樹はひとり静かに悶えながら寝返りを打った。
しかし今度は、後ろから梗一郎に抱き締められる体勢になり、ひとり照れてしまった樹は両手で顔を覆った。すると梗一郎は、寝ぼけながらも樹を強く抱き寄せ、暗闇の中でも白く浮き上がる項に鼻先を埋めた。
「ううん……いつき……」
そう寝言をつぶやいてすり寄ってくる梗一郎の姿に、樹の胸がきゅうんと切なく鳴いた。ドキドキと加速していく鼓動が、この男をどうしようもなく愛しているのだと、樹に想いを再認識させる。
……だからこそ、切なくなってしまう。
(早乙女さんの心残りは、椿子さまの肖像画を完成させることだった……)
もっと掘り下げれば、早乙女は『誕生日を祝う』ことに憧憬を抱いていたように思う。だからこそ――
(椿子さまの肖像画を完成させよう。俺はきっと、そのためにここに来た)
そして、椿子に肖像画を贈ることができたら、樹はようやくこの世界で生きていこうと思えるだろう。……そう考えて、樹は自嘲気味に笑った。
(男なんか好きになれないと思ってたのに、性別なんか気にならないくらい梗一郎さまに恋をして。数時間前までは、この気持ちを押し殺して、いずれは梗一郎さまのそばから離れるつもりだったのに……)
「もうこの腕の中から抜け出せないや」
樹は呟くように言って、梗一郎の腕に頬を擦り寄せ、幸せな気分で瞳を閉じたのだった。
*
心地よい微睡みの中で迎えた朝。
樹の体調を心配する梗一郎を、なんとかなだめすかして出勤させると、あちこち痛む身体にムチを打って、いつもと同じ日課をこなした。そうして画塾から帰宅するなりアトリエに籠った樹は、一心不乱にキャンバスボードに向き合った。
そんな日々を繰り返し、ようやく肖像画が完成した。
着色途中だった椿子の肖像画を初めて目にした時は、元の世界で自分が描いた人物画にそっくりだと思ったけれど。
「……やっぱり、生きてる椿子さまを知ってると、出来上がりが全然違うな」
自画自賛するわけではないが、今にも動き出しそうなほど魂のこもった出来栄えに、思わずうっとりしてしまう。……そんな樹を現実に引き戻したのは、汗と石けんの香りを纏った、梗一郎の逞しい両腕だった。
「おかえりなさい。梗一郎さま」
そう言って半分だけ顔を後ろに向けると、左頬に柔らかく口付けられた。
「ただいま、樹。……完成したのかい?」
「はい。やっと完成しました」
梗一郎は樹を抱きしめたまま、椿子の肖像画をじっと眺めた。
「……素晴らしい出来栄えだよ、樹。これなら椿子も喜ぶだろう。手間をかけさせたね。ありがとう」
梗一郎と同じく、肖像画を眺めていた樹は、ふるふると首を左右に振った。
「いえ。……早乙女さんが、ほとんど描き終えてらしたので。俺は少し手を加えただけに過ぎません」
そう言うと、樹を抱きしめる力がわずかに強まった。その些細な反応に、樹の胸がツキンと痛む。
(この胸の痛みは、早乙女さんを思ってのものなんだろうか。それとも……)
樹は、胸の奥に黒いもやがかかるのを感じながら、身体に回された梗一郎の腕にぎゅっとしがみついたのだった。
狭いベッドの中で、なにかから守るように樹を抱きしめて眠る梗一郎の姿に、樹の目尻からポロリと涙が零れ落ちる。
(梗一郎さま……)
樹は、身体に回された逞しい腕に縋りついて、ポロポロと静かに涙を流した。
――先ほど視た夢が、早乙女樹の最後の記憶なのだろう。
早乙女樹は、画家を目指す母親と異人の間に生まれた子どもだった。
里に帰り、密かに早乙女を産み落とした母親は、産後間もなく亡くなった。夢の中で父親の話が語られることはなかった。つまりは、早乙女の母親はシングルマザーだったのだろう。
両親の愛情を知らず、母方の祖母と暮らしていた早乙女は、村中から『混血児』と差別されながらも、心優しい祖母と二人で生きてきた。そうして幼い頃。村を訪ねてきた母親の弟――画塾を主宰する叔父に、絵の才能を見出され、早乙女は叔父に弟子入りした。
それから数年が経ち。祖母の死をきっかけに帝都へ上京した早乙女は、パトロネスとなった花ヶ前家の書生として、日々の雑務をこなしながら画塾へ通い、画家見習いとして研鑽を積んでいた。その何気ない日々の中で、早乙女は梗一郎に出会い、恋をしたのだ。
――身内以外で『早乙女樹』を人として見てくれた、初めての人間に。
樹は目元を荒く擦って、梗一郎をチラリと見遣った。
……夢の中で、早乙女と梗一郎の恋愛模様を窺い見ることはできなかった。
(でも、)
恐らくだが、肉体的接触はなかったのだろうと思う。
樹に触れる梗一郎の仕草には、いつも僅かな緊張が滲んでいたし、身体を繋げるのも今夜が初めてだったはずだ。
(……そうじゃないと、こんなに時間を掛けて、懇切丁寧に抱くはずがないと思う。それに――)
挿入された部分はきつくて痛くて、処女であっただろうことは間違いない。と、そこまで考えて、樹はようやく自分の置かれた状況を思い出し、羞恥に顔を赤く染めた。
(……俺、最後まで、シちゃったんだよな? こ、梗一郎さまと……)
そうして改めて、梗一郎に対する愛しい気持ちを自覚して、樹はひとり静かに悶えながら寝返りを打った。
しかし今度は、後ろから梗一郎に抱き締められる体勢になり、ひとり照れてしまった樹は両手で顔を覆った。すると梗一郎は、寝ぼけながらも樹を強く抱き寄せ、暗闇の中でも白く浮き上がる項に鼻先を埋めた。
「ううん……いつき……」
そう寝言をつぶやいてすり寄ってくる梗一郎の姿に、樹の胸がきゅうんと切なく鳴いた。ドキドキと加速していく鼓動が、この男をどうしようもなく愛しているのだと、樹に想いを再認識させる。
……だからこそ、切なくなってしまう。
(早乙女さんの心残りは、椿子さまの肖像画を完成させることだった……)
もっと掘り下げれば、早乙女は『誕生日を祝う』ことに憧憬を抱いていたように思う。だからこそ――
(椿子さまの肖像画を完成させよう。俺はきっと、そのためにここに来た)
そして、椿子に肖像画を贈ることができたら、樹はようやくこの世界で生きていこうと思えるだろう。……そう考えて、樹は自嘲気味に笑った。
(男なんか好きになれないと思ってたのに、性別なんか気にならないくらい梗一郎さまに恋をして。数時間前までは、この気持ちを押し殺して、いずれは梗一郎さまのそばから離れるつもりだったのに……)
「もうこの腕の中から抜け出せないや」
樹は呟くように言って、梗一郎の腕に頬を擦り寄せ、幸せな気分で瞳を閉じたのだった。
*
心地よい微睡みの中で迎えた朝。
樹の体調を心配する梗一郎を、なんとかなだめすかして出勤させると、あちこち痛む身体にムチを打って、いつもと同じ日課をこなした。そうして画塾から帰宅するなりアトリエに籠った樹は、一心不乱にキャンバスボードに向き合った。
そんな日々を繰り返し、ようやく肖像画が完成した。
着色途中だった椿子の肖像画を初めて目にした時は、元の世界で自分が描いた人物画にそっくりだと思ったけれど。
「……やっぱり、生きてる椿子さまを知ってると、出来上がりが全然違うな」
自画自賛するわけではないが、今にも動き出しそうなほど魂のこもった出来栄えに、思わずうっとりしてしまう。……そんな樹を現実に引き戻したのは、汗と石けんの香りを纏った、梗一郎の逞しい両腕だった。
「おかえりなさい。梗一郎さま」
そう言って半分だけ顔を後ろに向けると、左頬に柔らかく口付けられた。
「ただいま、樹。……完成したのかい?」
「はい。やっと完成しました」
梗一郎は樹を抱きしめたまま、椿子の肖像画をじっと眺めた。
「……素晴らしい出来栄えだよ、樹。これなら椿子も喜ぶだろう。手間をかけさせたね。ありがとう」
梗一郎と同じく、肖像画を眺めていた樹は、ふるふると首を左右に振った。
「いえ。……早乙女さんが、ほとんど描き終えてらしたので。俺は少し手を加えただけに過ぎません」
そう言うと、樹を抱きしめる力がわずかに強まった。その些細な反応に、樹の胸がツキンと痛む。
(この胸の痛みは、早乙女さんを思ってのものなんだろうか。それとも……)
樹は、胸の奥に黒いもやがかかるのを感じながら、身体に回された梗一郎の腕にぎゅっとしがみついたのだった。
7
お気に入りに追加
38
あなたにおすすめの小説
ちっちゃくなった俺の異世界攻略
鮨海
ファンタジー
あるとき神の采配により異世界へ行くことを決意した高校生の大輝は……ちっちゃくなってしまっていた!
精霊と神様からの贈り物、そして大輝の力が試される異世界の大冒険?が幕を開ける!
転生先のぽっちゃり王子はただいま謹慎中につき各位ご配慮ねがいます!
梅村香子
BL
バカ王子の名をほしいままにしていたロベルティア王国のぽっちゃり王子テオドール。
あまりのわがままぶりに父王にとうとう激怒され、城の裏手にある館で謹慎していたある日。
突然、全く違う世界の日本人の記憶が自身の中に現れてしまった。
何が何だか分からないけど、どうやらそれは前世の自分の記憶のようで……?
人格も二人分が混ざり合い、不思議な現象に戸惑うも、一つだけ確かなことがある。
僕って最低最悪な王子じゃん!?
このままだと、破滅的未来しか残ってないし!
心を入れ替えてダイエットに勉強にと忙しい王子に、何やらきな臭い陰謀の影が見えはじめ――!?
これはもう、謹慎前にののしりまくって拒絶した専属護衛騎士に守ってもらうしかないじゃない!?
前世の記憶がよみがえった横暴王子の危機一髪な人生やりなおしストーリー!
騎士×王子の王道カップリングでお送りします。
第9回BL小説大賞の奨励賞をいただきました。
本当にありがとうございます!!
※本作に20歳未満の飲酒シーンが含まれます。作中の世界では飲酒可能年齢であるという設定で描写しております。実際の20歳未満による飲酒を推奨・容認する意図は全くありません。
君が好き過ぎてレイプした
眠りん
BL
ぼくは大柄で力は強いけれど、かなりの小心者です。好きな人に告白なんて絶対出来ません。
放課後の教室で……ぼくの好きな湊也君が一人、席に座って眠っていました。
これはチャンスです。
目隠しをして、体を押え付ければ小柄な湊也君は抵抗出来ません。
どうせ恋人同士になんてなれません。
この先の長い人生、君の隣にいられないのなら、たった一度少しの時間でいい。君とセックスがしたいのです。
それで君への恋心は忘れます。
でも、翌日湊也君がぼくを呼び出しました。犯人がぼくだとバレてしまったのでしょうか?
不安に思いましたが、そんな事はありませんでした。
「犯人が誰か分からないんだ。ねぇ、柚月。しばらく俺と一緒にいて。俺の事守ってよ」
ぼくはガタイが良いだけで弱い人間です。小心者だし、人を守るなんて出来ません。
その時、湊也君が衝撃発言をしました。
「柚月の事……本当はずっと好きだったから」
なんと告白されたのです。
ぼくと湊也君は両思いだったのです。
このままレイプ事件の事はなかった事にしたいと思います。
※誤字脱字があったらすみません
つがいの薔薇 オメガは傲慢伯爵の溺愛に濡れる
沖田弥子
BL
大須賀伯爵家の庭師である澪は、秘かに御曹司の晃久に憧れを抱いている。幼なじみの晃久に子どもの頃、花嫁になれと告げられたことが胸の奥に刻まれているからだ。しかし愛人の子である澪は日陰の身で、晃久は正妻の嫡男。異母兄弟で男同士なので叶わぬ夢と諦めていた。ある日、突然の体の疼きを感じた澪は、ふとしたことから晃久に抱かれてしまう。医師の長沢から、澪はオメガであり妊娠可能な体だと知らされて衝撃を受ける。オメガの運命と晃久への想いに揺れるが、パーティーで晃久に婚約者がいると知らされて――◆BL合戦夏の陣・ダリア文庫賞最終候補作品。◆スピンオフ「椿小路公爵家の秘めごと」椿小路公爵家の唯一の嫡男である安珠は、自身がオメガと知り苦悩していた。ある夜、自慰を行っている最中に下男の鴇に発見されて――
腐男子ですが、お気に入りのBL小説に転移してしまいました
くるむ
BL
芹沢真紀(せりざわまさき)は、大の読書好き(ただし読むのはBLのみ)。
特にお気に入りなのは、『男なのに彼氏が出来ました』だ。
毎日毎日それを舐めるように読み、そして必ず寝る前には自分もその小説の中に入り込み妄想を繰り広げるのが日課だった。
そんなある日、朝目覚めたら世界は一変していて……。
無自覚な腐男子が、小説内一番のイケてる男子に溺愛されるお話し♡
悪役令息の七日間
リラックス@ピロー
BL
唐突に前世を思い出した俺、ユリシーズ=アディンソンは自分がスマホ配信アプリ"王宮の花〜神子は7色のバラに抱かれる〜"に登場する悪役だと気付く。しかし思い出すのが遅過ぎて、断罪イベントまで7日間しか残っていない。
気づいた時にはもう遅い、それでも足掻く悪役令息の話。【お知らせ:2024年1月18日書籍発売!】
《完結》狼の最愛の番だった過去
丸田ザール
BL
狼の番のソイ。 子を孕まねば群れに迎え入れて貰えないが、一向に妊娠する気配が無い。焦る気持ちと、申し訳ない気持ちでいっぱいのある日 夫であるサランが雌の黒い狼を連れてきた 受けがめっっっちゃ可哀想なので注意です ハピエンになります ちょっと総受け。
オメガバース設定ですが殆ど息していません
ざまぁはありません!話の展開早いと思います…!
虐げられた兎は運命の番に略奪溺愛される
志波咲良
BL
旧題:政略結婚させられた僕は、突然現れた運命の番に略奪溺愛される
希少種であるライラック種の兎獣人のオメガ・カノンは、政略結婚により、同じライラック種のアルファ・レイに嫁ぐが、いわれのない冷遇を受け、虐げられる。
発情期の度に義務的に抱かれ、それでも孕むことのないその身を責められる日々。
耐えられなくなったカノンは屋敷を出るが、逃げ出した先にはカノンの運命の番である虎獣人のアルファ・リオンがいた。
「俺と番になって、世界一のお尋ね者になる勇気はあるか?」
肉食と草食。禁断を超えた愛の行方は――
☆感想もらえると、非常に喜びます。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる