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第21話

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 樹は重い目蓋を開けると、顔を左に傾けた。

 狭いベッドの中で、なにかから守るように樹を抱きしめて眠る梗一郎の姿に、樹の目尻からポロリと涙が零れ落ちる。

(梗一郎さま……)

 樹は、身体に回されたたくましい腕に縋りついて、ポロポロと静かに涙を流した。

 ――先ほど視た夢が、早乙女樹の最後の記憶なのだろう。

 早乙女樹は、画家を目指す母親と異人の間に生まれた子どもだった。

 里に帰り、密かに早乙女を産み落とした母親は、産後間もなく亡くなった。夢の中で父親の話が語られることはなかった。つまりは、早乙女の母親はシングルマザーだったのだろう。

 両親の愛情を知らず、母方の祖母と暮らしていた早乙女は、村中から『混血児あいのこ』と差別されながらも、心優しい祖母と二人で生きてきた。そうして幼い頃。村を訪ねてきた母親の弟――画塾を主宰する叔父に、絵の才能を見出され、早乙女は叔父に弟子入りした。

 それから数年が経ち。祖母の死をきっかけに帝都へ上京した早乙女は、パトロネスとなった花ヶ前家の書生として、日々の雑務をこなしながら画塾へ通い、画家見習いとして研鑽を積んでいた。その何気ない日々の中で、早乙女は梗一郎に出会い、恋をしたのだ。

 ――身内以外で『早乙女樹』をとして見てくれた、初めての人間ひとに。

 樹は目元を荒く擦って、梗一郎をチラリと見遣った。

 ……夢の中で、早乙女と梗一郎の恋愛模様を窺い見ることはできなかった。

(でも、)

 恐らくだが、肉体的接触はなかったのだろうと思う。

 樹に触れる梗一郎の仕草には、いつも僅かな緊張が滲んでいたし、身体を繋げるのも今夜が初めてだったはずだ。

(……そうじゃないと、こんなに時間を掛けて、懇切丁寧に抱くはずがないと思う。それに――)

 挿入された部分はきつくて痛くて、処女であっただろうことは間違いない。と、そこまで考えて、樹はようやく自分の置かれた状況を思い出し、羞恥に顔を赤く染めた。

(……俺、最後まで、シちゃったんだよな? こ、梗一郎さまと……)

 そうして改めて、梗一郎に対する愛しい気持ちを自覚して、樹はひとり静かに悶えながら寝返りを打った。

 しかし今度は、後ろから梗一郎に抱き締められる体勢になり、ひとり照れてしまった樹は両手で顔を覆った。すると梗一郎は、寝ぼけながらも樹を強く抱き寄せ、暗闇の中でも白く浮き上がるうなじに鼻先をうずめた。

「ううん……いつき……」

 そう寝言をつぶやいてすり寄ってくる梗一郎の姿に、樹の胸がきゅうんと切なく鳴いた。ドキドキと加速していく鼓動が、この男をどうしようもなく愛しているのだと、樹に想いを再認識させる。

 ……だからこそ、切なくなってしまう。

(早乙女さんの心残りは、椿子さまの肖像画を完成させることだった……)

 もっと掘り下げれば、早乙女は『誕生日を祝う』ことに憧憬どうけいを抱いていたように思う。だからこそ――

(椿子さまの肖像画を完成させよう。俺はきっと、そのためにに来た)

 そして、椿子に肖像画を贈ることができたら、樹はようやくこの世界で生きていこうと思えるだろう。……そう考えて、樹は自嘲気味に笑った。

(男なんか好きになれないと思ってたのに、性別なんか気にならないくらい梗一郎さまに恋をして。数時間前までは、この気持ちを押し殺して、いずれは梗一郎さまのそばから離れるつもりだったのに……)

「もうこの腕の中から抜け出せないや」

 樹は呟くように言って、梗一郎の腕に頬を擦り寄せ、幸せな気分で瞳を閉じたのだった。





 心地よい微睡まどみの中で迎えた朝。

 樹の体調を心配する梗一郎を、なんとかなだめすかして出勤させると、あちこち痛む身体にムチを打って、いつもと同じ日課をこなした。そうして画塾から帰宅するなりアトリエにこもった樹は、一心不乱にキャンバスボードに向き合った。

 そんな日々を繰り返し、ようやく肖像画が完成した。

 着色途中だった椿子の肖像画を初めて目にした時は、元の世界で自分が描いた人物画にそっくりだと思ったけれど。

「……やっぱり、生きてる椿子さまを知ってると、出来上がりが全然違うな」

 自画自賛するわけではないが、今にも動き出しそうなほど魂のこもった出来栄えに、思わずうっとりしてしまう。……そんな樹を現実に引き戻したのは、汗と石けんの香りをまとった、梗一郎の逞しい両腕だった。

「おかえりなさい。梗一郎さま」

 そう言って半分だけ顔を後ろに向けると、左頬に柔らかく口付けられた。

「ただいま、樹。……完成したのかい?」

「はい。やっと完成しました」

 梗一郎は樹を抱きしめたまま、椿子の肖像画をじっと眺めた。

「……素晴らしい出来栄えだよ、樹。これなら椿子も喜ぶだろう。手間をかけさせたね。ありがとう」

 梗一郎と同じく、肖像画を眺めていた樹は、ふるふると首を左右に振った。

「いえ。……早乙女さんが、ほとんど描き終えてらしたので。俺は少し手を加えただけに過ぎません」

 そう言うと、樹を抱きしめる力がわずかに強まった。その些細な反応に、樹の胸がツキンと痛む。

(この胸の痛みは、早乙女さんを思ってのものなんだろうか。それとも……)

 樹は、胸の奥に黒いもやがかかるのを感じながら、身体に回された梗一郎の腕にぎゅっとしがみついたのだった。
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