3 / 28
第3話
しおりを挟む
樹が目覚めると、ぼやけた視界の中に軍服姿の青年の顔が見えた。何度か瞬きを繰り返したあと、鮮明に見えたのは、青年の泣き顔だった。
(このひと……泣いてる顔もかっこよくて綺麗なんだな……)
そんなことをぼんやり考えていると、手袋を外した温かくて大きな手が、樹の額にかかる前髪をさらった。
「……っ、いつき。樹が生きていて、本当によかった……!」
そう言って、青年が樹の額にキスをした瞬間、樹の脳内に早乙女樹の幼少期と思われる映像が流れ、そのまま眠るように意識を失った。
*
四、五歳くらいに見える早乙女は、同世代くらいの少年少女に囲まれている。一見、かごめかごめをして遊んでいるように見えるが、円の中でうずくまっている樹は泣いていて、少年少女たちは樹を謗っていた。
「やーい、やーい、混血児~!」
「やーい、やーい、青目の鬼の子~!」
神は樹が異世界に転生したと言っていたが、どうやらこちらの世界でも、人種差別があるようだった。樹はただの傍観者で、早乙女の記憶に干渉することができない。それを悔しく思っていると、
「これー! お前ら、なにやっとるんねー!」
と言って、腰の曲がった老婆が闖入してきた。すると子どもたちは、
「わー、鬼ばばだー!」
「鬼の子を助けに、鬼ばばが来たでぇー!」
と散り散りになって逃げ去った。ゼーハーと息をしながら早乙女の前に立ちはだかった白髪の老婆は、子どもたちが戻ってこないと分かると、泣き続ける樹を見下ろした。
「どうしたんじゃ、樹。まーたいじめられとったんか?」
悲しそうな表情を浮かべた老婆が、早乙女と同じようにしゃがみ込み、ぬばたまの頭を優しく撫でた。早乙女の髪は、顔を隠すためか、少女のように肩まで伸びている。
老婆に慰められてようやく落ち着いてきたのか、早乙女は涙を拭い拭い、長い前髪の隙間から、濡れて輝く青い瞳を老婆に向けた。
「ひっく、ひっく……ばあちゃん。ぼ、ぼくってオニの子なの……? ぼくの目はオニの目なの……?」
ビー玉のようにつるりと光る美しい碧眼を見つめて、老婆は優しく目を細め、樹の小さな身体を抱きしめた。
「いんや、そんなこたぁねぇよ。樹の目ん玉はビー玉よりきれぇで、ばあちゃんが見たことねぇ、宝石みてぇに輝いとるよ」
「うっ、ぐすん。……ばあちゃん、ほーせき見たことないのにキレイだってわかるの?」
「ああ、そうさ。ばあちゃんはなごぅ生きとるけぇ、なーんでも分かるんよ」
そう胸を張った老婆を尊敬の眼差しで見つめる樹の目には、もう涙は滲んでいなかった。
「ばあちゃんはすごいねぇー!」
「そうじゃろう、そうじゃろう。……さ、樹。晩飯の時間じゃあ。ばあちゃんと家にけえるで」
「うん!」
早乙女は花咲くように笑って頷くと、老婆の背におぶさり、二人で歌を歌いながら家路についた。
*
樹が再び目覚めると、そこは先程の和室だった。樹は板張りの天井を眺めながら、夢の内容を思い出し、自分の目元を触ってみた。
(アレが早乙女樹の記憶。早乙女はハーフだったのか……)
樹は茶髪だったはずの前髪をつまんで、それが黒髪であることを確認すると、ハァと息を吐いて右手を投げ出した。掛け布団の上に、ぽすんと落ちた樹の腕は、女性のようにほっそりとしていて、透き通るような象牙色をしている。
(鏡が見たい)
そう考えていた時、廊下を歩く複数の足音が聞こえてきて、樹の視線は自然と襖の方に向いた。
「樹さま。お目覚めでございますか? 女中の花でございます」
(花……。ああ、さっきのおさげ髪の子か)
樹は掠れ声で、「起きてます」と告げる。すると花は、「失礼いたします」と言って、静かに襖を開けた。
「樹さま。お目覚めになられてよかったです……! 今、お医者さまがこちらに向かっていらっしゃるはずです」
樹はこくりと頷いた。
「……それで、樹さまがお辛くないようでしたら、お坊ちゃまとお嬢さまが見舞いたいとお越しになっておられるのですが、いかかでしょう?」
心配そうな表情で見てくる花に、樹は「大丈夫です」と答える。すると花は、にこりと微笑みながら、途中までしか開けていなかった襖を全て開けた。そこに立っていたのは、着物に着替えてきた青年だった。
「樹……先程はすまなかった。そなたは漸く意識を取り戻したばかりだったというのに、静養を邪魔してしまった……」
悔いるような表情で入室してきた青年は、花が敷いた座布団の上に腰を下ろすと、そうするのが当然のように樹の手を握ってきた。それに若干の不快感を感じた樹は、やんわりと青年の手から自分の手を引き抜く。
「い、樹……? どうしたのだ。怒っているのかい?」
血相を変えて訊ねてくる青年の様子に、早乙女と青年は親しい間柄だったのだろうと推測した樹は、二度咳払いをして口を開いた。
「すみません。俺はあなたが誰なのか分からないんです」
布団に横になったまま頭を下げると、青年は目を丸くして、言葉を失ったようだった。
(やべっ、早急すぎたか!?)
絶望感漂う青年の姿を見て焦った樹が口を開こうとしたその瞬間。
「そのお話は本当ですの? 樹さんっ」
青年の背後から現れた美少女を見て、樹は驚愕に目を見開いた。
(着物姿だけど間違いない……)
楚々とした容貌を持ち、束髪くずしに椿柄の大きなリボンをつけた、花も恥じらうだろう乙女の姿。それはまさしく――
(俺が想像して描いた、大正乙女そのままだ!)
――まさか。いや、まさかそんな。
樹は叫びだしそうになった口を手で覆って、少女から視線を外し、心の仲で絶叫した。
(ここって俺が描いた大正時代の絵の中だ! 俺、自分が描いた絵の中に転生しちまったーー!!)
(このひと……泣いてる顔もかっこよくて綺麗なんだな……)
そんなことをぼんやり考えていると、手袋を外した温かくて大きな手が、樹の額にかかる前髪をさらった。
「……っ、いつき。樹が生きていて、本当によかった……!」
そう言って、青年が樹の額にキスをした瞬間、樹の脳内に早乙女樹の幼少期と思われる映像が流れ、そのまま眠るように意識を失った。
*
四、五歳くらいに見える早乙女は、同世代くらいの少年少女に囲まれている。一見、かごめかごめをして遊んでいるように見えるが、円の中でうずくまっている樹は泣いていて、少年少女たちは樹を謗っていた。
「やーい、やーい、混血児~!」
「やーい、やーい、青目の鬼の子~!」
神は樹が異世界に転生したと言っていたが、どうやらこちらの世界でも、人種差別があるようだった。樹はただの傍観者で、早乙女の記憶に干渉することができない。それを悔しく思っていると、
「これー! お前ら、なにやっとるんねー!」
と言って、腰の曲がった老婆が闖入してきた。すると子どもたちは、
「わー、鬼ばばだー!」
「鬼の子を助けに、鬼ばばが来たでぇー!」
と散り散りになって逃げ去った。ゼーハーと息をしながら早乙女の前に立ちはだかった白髪の老婆は、子どもたちが戻ってこないと分かると、泣き続ける樹を見下ろした。
「どうしたんじゃ、樹。まーたいじめられとったんか?」
悲しそうな表情を浮かべた老婆が、早乙女と同じようにしゃがみ込み、ぬばたまの頭を優しく撫でた。早乙女の髪は、顔を隠すためか、少女のように肩まで伸びている。
老婆に慰められてようやく落ち着いてきたのか、早乙女は涙を拭い拭い、長い前髪の隙間から、濡れて輝く青い瞳を老婆に向けた。
「ひっく、ひっく……ばあちゃん。ぼ、ぼくってオニの子なの……? ぼくの目はオニの目なの……?」
ビー玉のようにつるりと光る美しい碧眼を見つめて、老婆は優しく目を細め、樹の小さな身体を抱きしめた。
「いんや、そんなこたぁねぇよ。樹の目ん玉はビー玉よりきれぇで、ばあちゃんが見たことねぇ、宝石みてぇに輝いとるよ」
「うっ、ぐすん。……ばあちゃん、ほーせき見たことないのにキレイだってわかるの?」
「ああ、そうさ。ばあちゃんはなごぅ生きとるけぇ、なーんでも分かるんよ」
そう胸を張った老婆を尊敬の眼差しで見つめる樹の目には、もう涙は滲んでいなかった。
「ばあちゃんはすごいねぇー!」
「そうじゃろう、そうじゃろう。……さ、樹。晩飯の時間じゃあ。ばあちゃんと家にけえるで」
「うん!」
早乙女は花咲くように笑って頷くと、老婆の背におぶさり、二人で歌を歌いながら家路についた。
*
樹が再び目覚めると、そこは先程の和室だった。樹は板張りの天井を眺めながら、夢の内容を思い出し、自分の目元を触ってみた。
(アレが早乙女樹の記憶。早乙女はハーフだったのか……)
樹は茶髪だったはずの前髪をつまんで、それが黒髪であることを確認すると、ハァと息を吐いて右手を投げ出した。掛け布団の上に、ぽすんと落ちた樹の腕は、女性のようにほっそりとしていて、透き通るような象牙色をしている。
(鏡が見たい)
そう考えていた時、廊下を歩く複数の足音が聞こえてきて、樹の視線は自然と襖の方に向いた。
「樹さま。お目覚めでございますか? 女中の花でございます」
(花……。ああ、さっきのおさげ髪の子か)
樹は掠れ声で、「起きてます」と告げる。すると花は、「失礼いたします」と言って、静かに襖を開けた。
「樹さま。お目覚めになられてよかったです……! 今、お医者さまがこちらに向かっていらっしゃるはずです」
樹はこくりと頷いた。
「……それで、樹さまがお辛くないようでしたら、お坊ちゃまとお嬢さまが見舞いたいとお越しになっておられるのですが、いかかでしょう?」
心配そうな表情で見てくる花に、樹は「大丈夫です」と答える。すると花は、にこりと微笑みながら、途中までしか開けていなかった襖を全て開けた。そこに立っていたのは、着物に着替えてきた青年だった。
「樹……先程はすまなかった。そなたは漸く意識を取り戻したばかりだったというのに、静養を邪魔してしまった……」
悔いるような表情で入室してきた青年は、花が敷いた座布団の上に腰を下ろすと、そうするのが当然のように樹の手を握ってきた。それに若干の不快感を感じた樹は、やんわりと青年の手から自分の手を引き抜く。
「い、樹……? どうしたのだ。怒っているのかい?」
血相を変えて訊ねてくる青年の様子に、早乙女と青年は親しい間柄だったのだろうと推測した樹は、二度咳払いをして口を開いた。
「すみません。俺はあなたが誰なのか分からないんです」
布団に横になったまま頭を下げると、青年は目を丸くして、言葉を失ったようだった。
(やべっ、早急すぎたか!?)
絶望感漂う青年の姿を見て焦った樹が口を開こうとしたその瞬間。
「そのお話は本当ですの? 樹さんっ」
青年の背後から現れた美少女を見て、樹は驚愕に目を見開いた。
(着物姿だけど間違いない……)
楚々とした容貌を持ち、束髪くずしに椿柄の大きなリボンをつけた、花も恥じらうだろう乙女の姿。それはまさしく――
(俺が想像して描いた、大正乙女そのままだ!)
――まさか。いや、まさかそんな。
樹は叫びだしそうになった口を手で覆って、少女から視線を外し、心の仲で絶叫した。
(ここって俺が描いた大正時代の絵の中だ! 俺、自分が描いた絵の中に転生しちまったーー!!)
19
お気に入りに追加
39
あなたにおすすめの小説
淫行教師に全部奪われて恋人関係になっちゃう話
キルキ
BL
真面目な図書委員の男子生徒が、人気者のイケメン教師に身体を開発されて最後まで奪われちゃう話。
受けがちょろいです。
えろいシーン多め。ご注意ください。
以下、ご注意ください
喘ぎ/乳首責め/アナル責め/淫語/中出し/モロ語/前立腺責め
【完結】【R18BL】早漏な俺を遅漏のルームメイトが特訓してくれることになりました。
ちゃっぷす
BL
ありえないくらい早漏の主人公、爽(そう)。
そのせいで、彼女にフラれたことと、浮気されたこと数知れず。
ある日また彼女に浮気されて凹んでいると、ルームシェアをしている幼馴染、大地(だいち)が早漏を克服するための特訓をしようと持ち掛けてきた!?
金持ちイケメンなのにちんちん激ヨワ主人公と、ワンコなのに押しが強いちんちん激ツヨ幼馴染のお話。
※アホしかいません※
※色気のないセックス描写※
※色っぽい文章ではありません※
※倫理観バグッてます※
※♂×♀描写あり※
※攻めがだいぶ頭おかしい※サイコパス入ってます※
※途中からただのアホエロではなくなります※
※メンヘラ、ヤンデレ、サイコパス、NTR、BL作品内の♂×♀に免疫がある方のみ、お読みください※
自分のことを疎んでいる年下の婚約者にやっとの思いで別れを告げたが、なんだか様子がおかしい。
槿 資紀
BL
年下×年上
横書きでのご鑑賞をおすすめします。
イニテウム王国ルーベルンゲン辺境伯、ユリウスは、幼馴染で5歳年下の婚約者である、イニテウム王国の王位継承権第一位のテオドール王子に長年想いを寄せていたが、テオドールからは冷遇されていた。
自身の故郷の危機に立ち向かうため、やむを得ず2年の別離を経たのち、すっかりテオドールとの未来を諦めるに至ったユリウスは、遂に自身の想いを断ち切り、最愛の婚約者に別れを告げる。
しかし、待っていたのは、全く想像だにしない展開で――――――。
展開に無理やり要素が含まれます。苦手な方はご注意ください。
内容のうち8割はやや過激なR-18の話です。
新しい道を歩み始めた貴方へ
mahiro
BL
今から14年前、関係を秘密にしていた恋人が俺の存在を忘れた。
そのことにショックを受けたが、彼の家族や友人たちが集まりかけている中で、いつまでもその場に居座り続けるわけにはいかず去ることにした。
その後、恋人は訳あってその地を離れることとなり、俺のことを忘れたまま去って行った。
あれから恋人とは一度も会っておらず、月日が経っていた。
あるとき、いつものように仕事場に向かっているといきなり真上に明るい光が降ってきて……?
転生したら同性の婚約者に毛嫌いされていた俺の話
鳴海
BL
前世を思い出した俺には、驚くことに同性の婚約者がいた。
この世界では同性同士での恋愛や結婚は普通に認められていて、なんと出産だってできるという。
俺は婚約者に毛嫌いされているけれど、それは前世を思い出す前の俺の性格が最悪だったからだ。
我儘で傲慢な俺は、学園でも嫌われ者。
そんな主人公が前世を思い出したことで自分の行動を反省し、行動を改め、友達を作り、婚約者とも仲直りして愛されて幸せになるまでの話。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる