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第1話

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「危ないっ!」

 誰かがそう叫んだが、時すでに遅く。山田樹やまだいつきは駅のホームから転落し、頭からレールに激突して即死。二十歳の短い人生を終えた……はずだった。

「俺……助かったのか……?」

 樹は、板張りの天井を見つめて呆然と呟く。そうして視線を彷徨わせると、樹の上体には掛け布団が掛けてあり、背中には綿の詰まった敷布団の感触を感じた。

「……ここはどこだ?」

 肘を支えにして身体を起こそうとすると、インフルエンザに罹った時のように関節の節々が痛んだ。樹は重だるい上体をなんとか起こして、首が動く範囲で室内を見回した。

 部屋はおよそ八畳の畳張りの江戸間で、桐の和箪笥や文机などが置いてある小綺麗な和室だった。

「やっぱり俺……死んだんかな……」

 樹がぼけーっと夢でも見ている心地でいると、ふすまがスッ、スーと静かに開いた。

「さっ、早乙女さおとめさん……!」

「え?」

 条件反射で声を上げてしまったが、

(早乙女って誰だ……?)

 と首をかたむけて視線を向けた先には、着物にエプロン姿のおさげ髪の少女が居た。少女は樹と目が合うなり、瞳に涙を浮かべて口元を両手で覆った。

「あぁ……あぁ……早乙女さん……っ! お目覚めになったんですね……!」

 少女は両の目からポロポロと涙を流しながらよろりと立ち上がった。

「皆さん、とても心配なすってたんですよ! 少々お待ち下さいっ。今すぐ皆さんを呼んで参りますから……!」

 そう言って、身を翻した少女を呼び止めようとして、樹はうまく声が出せないことに気がついた。驚いて息を吸い込むと、ゼーゼーという喘鳴ぜんめい音が聞こえ、痰が絡んで息苦しい。

(おかしい。俺は頭を打って死んだはずなのに。それに『早乙女』って誰のことだ? 人違いをしているようには見えなかったけど……)

 樹は考えを巡らせながら、ゴホゴホと咳き込んだ。

(あー……なんか、フラフラする……)

 頭がぼうっとして寒気を感じた樹は、ぽすっと布団に倒れ込み、横向きに寝転んだ。それからすぐに襲ってきた睡魔にうつらうつらしていると、少女が消えた廊下の奥から騒がしい音が聞こえてきた。

 今まさに眠りに落ちようとしていた樹は、何事かと重たい頭をもたげて耳を澄ます。

「お坊ちゃま! 高貴な身分の御方が、使用人棟このようなところに足を踏み入れてはなりませぬ!」

「しつこいぞ、爺や! そこをどくんだ」

「あ、あのっ! 早乙女さんは意識を取り戻したばかりですので、もう少しお声を小さく……」

「花。お前は黙っていなさい!」

「ひゃい! す、すみませ、」

「爺や! 花に当たるでない! 私は樹の元へ行く。花。爺やを引き止めておけ」

「か、かしこまりましたっ」

「花っ、離しなさい!」

「家令さま、堪忍かんにんしてくださいっ。あたしはお坊ちゃまにご命令されました。命令を守れなければ罰を受けてしまいますっ」

 などという三人分の声が廊下に響き渡る。段々と大きくなっていく声は、樹の部屋にまで鮮明に届いてくる。

(な、なんなんだ……いったい……)

 樹が困惑していると、中途半端に開いたままだった襖が勢いよく開いた。そうして現れたのは、国防色の軍服を着て、焦げ茶の髪を後ろに撫でつけた偉丈夫いじょうぶだった。

「いつき……樹……!」

 と樹の名を切なそうに呼びながら、ふらふらと布団まで近づいてきた青年は、ドサッと膝から崩れ落ちた。

「だっ、大丈夫ですか!?」

 樹は息苦しさも忘れて、かすれた声を上げる。そうして咄嗟に伸ばした樹の手は、白い手袋をはめた大きな手に掴まれ、そのまま青年の胸の中に引き寄せられた。それからぎゅうっと強く抱きしめられる。おそらく病人に配慮した力加減だったが、それでも樹の身体は悲鳴を上げた。

「いっ、いたっ、痛いです!」

 言いながら厚い胸板を叩くと、青年はハッとした様子で慌てて樹を開放した。

「い、樹。すまない。そなたが目覚めたと聞いて、居ても立ってもいられず……」

 秀眉をハの字にして謝罪してくる青年を見て、樹はぼうっとする頭を捻った。草色がかった黄土色の軍服は、歴史の教科書や戦後特番などで見たことがある、旧日本陸軍の軍服のように見える。

(軍人さんのコスプレ? てか、こんな綺麗な男の人、知り合いにいたかなぁ……?)

 上手く回らない頭で考え、何気なく青年の焦げ茶色の瞳を目にした時。樹の脳内に、膨大な情報が流れ込んできた。まるで映写機でスライドを見せられているような断片的な映像に、情報処理のキャパシティを超えた海馬が焼き切れそうな感覚に襲われる。

 想像を絶する頭痛に襲われた樹は、

「う、ぐ……っ、うわあああああ!!」

 と絶叫した。

「どうした!? 樹!!」

「う、うぅ……っ! あ、あたまが……っ、あああっ――……!」

 そうしてピタリと叫び止んだ樹は、朦朧もうろうとした瞳を宙に向け、糸が切れたように青年の腕の中に倒れたのだった。
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